3.
「それにしても――」
グラスに、きんきんに冷えた、クラッシュアイスとミネラルウォーターを注ぎつつ、レオンは、誰に言うでもなく呟いた。
隣の部屋では、ベッドに横たわったアメリアが、お冷やの到着を、今や遅しと待っていた。
「――この状況、ちょっとヤバくねぇか?」
ここは、アメリアの住むマンション。
あの後、マスターに見送られ、ショットバーを出た二人は――
「先生ぇ、家はどこですかぁ?」
「あっちー」
「それじゃ全然分かりませんよ……」
「じゃあこっちー」
「じゃあって何スか! てかさっきと指差してる方向が違いますって!」
――などという、まるで漫才のような、不毛なやり取りを繰り返しながら、アメリアの家までの帰路を急いでいた。
女性の一人暮らしのところへ、男が乗り込むってのはどうだろう――レオンとて、そう思わなかった訳ではない。
しかし。
酔っぱらったアメリアを放っておいたら、何をしでかすか分からない。
最悪の場合、せっかくのバーでの苦労も水の泡――なんてことも、充分考えられることだった。
何より、もうアメリアは、足下もおぼつかないほど泥酔していた。
レオンに残された選択肢はただ一つ――アメリアをおぶって連れて帰るしか無かったのである。
かくして、アメリアを背中に背負ったまま、あっちにふらふら、こっちによろよろ――
かなり遠回りをして、ようやく目的地へと到着したのが、つい今しがたのこと。
「はい、先生。水、持ってきたよ」
アメリアを起こしてベッドサイドに座らせ、グラスを渡した。
「ん。ありがと」
グラスを受け取るアメリア。長い間夜風に晒されたせいか、だいぶ酔いも醒めてきているようだ。
んく、んく……と可愛らしい嚥下音を響かせながら、ゆっくりと水を飲み込んでいく。
その間、手持ちぶたさになったレオンは、部屋の中を眺めることにした。
クラスメイトの女学生の部屋ならば――まぁ、女性寮の部屋なので、構造自体は、男子寮の自分のへやと同じなのだけど――
何度か見たことがあったが、大人の女性の部屋、というのは初めてだった。
ライトグリーンで統一されたインテリア。優しく辺りを照らす、ランプシェードの灯り。
物数は多くはないが、それが逆に、洗練された印象をレオンに与えていた。
「……ぷはぁ」
水を飲み干したアメリアが、満足そうに吐息を吐く。
お代わり、いる? というレオンの問いに、アメリアは、首を横に振って断った。
「……俺、帰るね。ちゃんと戸締まりするんだよ? 最近、物騒なんだから……。それじゃ――」
また学校でね、と付け足して、レオンが背中を向けた、その時――アメリアの手が、レオンの服の裾を掴んだ。
「――待って」
レオンの体が強張る。
振り返ると、アメリアが、潤んだ瞳でレオンを見つめていた。バーにいるときとは全く違う、物憂げな表情。
「帰らないで。今夜は――あたしと一緒にいて」
「だって……急いで帰らないと、寮の門限に間に合わないし……」
嘘だった。今から出発したところで、どう足掻いても、門限を大幅に超過してしまう。
それでも、レオンが事実を偽ったのは――そうでもしないと、自分を抑えられそうになかったから。
「一人にしないで……もう、寂しいのは嫌なの……ねぇ、あたしを慰めて」
「先生、まだ酔ってる? もうその手には引っ掛からないよ」
ショットバーでの一件が、レオンの脳裏をよぎる。きっと、これも先生のジョークだよ――
必死に、自分にそう言い聞かせる。が――
「……知ってたよ」
「え?」
唐突なアメリアの言葉に、レオンは言葉を失った。そのまま、アメリアは話を続けた。
「知ってたんだよ……授業中、レオンくんがずっと、あたしの顔ばっかり見てたの……あたし――嬉しかった」
『……見透かされてたのか……』
鼓動がどんどん高鳴っていくのを、レオンは感じていた。
「心臓が口から飛び出しそう」っていうのは、きっとこんな状態を言うんだろうな――
朦朧とする意識の中で、レオンはふと、そんなことを思った。
レオンの理性は、もはや臨界点を突破する寸前。あと一突きで、レオンの理性は、がらがらと音を立てて崩壊してしまうだろう。
そこに――アメリアからの、とどめの一言。
「こんなこと言うの、レオンくんにだけ、なんだからね――お願い、あたしを抱いて」
ぷっちーん。
――7分48秒、レオンの理性、TKO負け。
「先生ッ!」
レオンは、アメリアの躯をきつく抱き締めた。
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