「え゛?本当に?!…ふんふん、うん。…で、病院はもう行ったんだな?
…ああ、そうか分かった。じゃあ、これからお見舞いに行くよ。
…いやいや、気にするなって。…うん、じゃ、後で」

栄子が電話を切ると、マンガを読みながらポテチを食べていたイカ娘が顔を上げた。

「栄子、誰からの電話でゲソか?」
「なんか早苗が急に風邪引いたらしいんだよ。だからちょっと見舞いに行ってやろうかと思ってだな」
「ふぅん」

ポテチを口に運ぶイカ娘の触手が止まった。

「さて、どうするかな。『熱がある』って言ってたから、氷と栄養剤でも持って行ってやるか」

準備をはじめる栄子の姿を、イカ娘が目で追った。
すると、視線を感じた彼女は、イカ娘に声をかけた。

「お前も一緒に来るか、イカ娘?」

イカ娘は少し考えた。
以前、自分がゲソニンムルゴボング病になったとき、
早苗はエビの着ぐるみ姿で駆けつけてくれ、おかげで見事に病気は治った。
その時のことを、決して忘れてはいなかった。

「うむ。ここはひとつ、私もお見舞いしてやろうじゃなイカ」

イカ娘はそう言うと、食べかけのポテチ(でもまだ半分以上残っている)をコンビニのビニール袋に入れた。
それがお見舞いの品のつもりだった。
氷と栄養剤を数本準備した栄子と一緒に、イカ娘は早苗の家へと向かった。

「あ゛ぁ…え゛いこ…い゛かち゛ゃんまで…わざわざありがどう゛…」

ベッドに横になった早苗は、二人の顔を見ると、弱々しい笑顔を向けた。

「おいおい、大丈夫か?!」

大げさに表現すると軽く死にかけている姿に栄子は驚いてベッドに駆け寄った。
イカ娘はその後ろから恐る恐る首を伸ばした。

「だ、だいじょうぶよ、ただの風邪らしいから…なんかね、菌が入っちゃったみたいで…空気感染らしくて…」
「お、おう。で、熱はどうなんだ?」
「ううん…まだ、40度近くあるの…それに、ずっと気持ちが悪くて…うぷっ…」
「薬は飲んだんだろう?」
「うん、飲んだけど…でも、どうしようもないみたい、しばらくの間は、こうしているしか…」
「そうか…」

栄子は腕を伸ばし、早苗の頬に触れた。

「うわ、ホントにすごい熱だな…。氷を持ってきたから、首のところを冷やしてやるよ」
「ありがとう…」
「あと栄養剤もあるから、気が向いたら後で飲んでくれ」
「うん…」

二人がやり取りする間、イカ娘は出番が無いという感じで、大人しくしていた。
日ごろ異様にテンションが高い早苗の衰弱しきった姿は、衝撃的だった。
付き合いが長い栄子ならともかく、そうでないイカ娘が受けたショックは相当だった。
まさか、これほどとは思っていなかったのだ。
きっと大したことない風邪で、
『イカちゃんがお見舞いに来てくれたわぁ?!』とか言って大はしゃぎされるとばかり思っていたのに。

「ねぇ、栄子…あまり長く居ると、風邪がうつってしまうから…そろそろ、帰ったほうがいいんじゃない…?」
「ううむ、それもそうだな」
「ありがとう、栄子。お見舞い来てくれて、嬉しかった…イカちゃんも、ありがとね…」
「べ、別に、私は何もしてないでゲソよ…」

イカ娘はビニール袋をぶら下げたまま、少しふてくされたように答えた。
すると栄子が苦笑いして、イカ娘の肩に手を置いた。

「そういえば、こいつも一応、お見舞いにポテチ持ってきたんだよ、早苗」
「そうだったんだ…イカちゃん…」

早苗が目を潤ませる。
栄子は、イカ娘に小声で語りかけた。

「私は帰るけど、お前はどうする?どうせイカだし、
人間の風邪がうつる可能性は少ないだろうから、もうしばらく居てもいいんじゃないか?
もちろん無理にとは言わんが、そのほうが早苗も嬉しいだろう」

イカ娘は栄子を見上げた。
栄子が「どうする?」と首をかしげる。
イカ娘の視線は、次にベッドの上で辛そうに寝ている早苗に移った。

「…もうしばらく、ここにいるでゲソ」

早苗を見たまま、イカ娘は答えた。

「そうか。じゃあよろしくたのむぞ。夕飯までに、適当に帰って来い」

栄子はニコリと笑って、
「何かあったら電話くれな?」と早苗に声をかけ、帰っていった。

部屋の中は、イカ娘と早苗の二人きりになった。

「はぁ…あ゛ぁ…う゛ぅぅ…う゛ぁぁ…」

早苗は呼吸をするたびにいちいち声を発していた。
高熱で苦しくて、声を出さずにはいられなかったのだが、それはイカ娘をとても不安な気持ちにさせた。

「お、おい、早苗、そんなにしたら、過呼吸になってしまわなイカ・・・?」
「うん…分かっているんだけど…でも苦しくて…」

そして早苗はまた、「はあ゛ぁぁ…あ゛ぁぁ…う゛ぅぅ…」とうめいた。
ある程度時間が経てばやがて快復に向かうと医者には言われていたが、
苦痛に耐える一秒一秒は、とても長く感じられた。

「あ゛ぁぁ…きっと私…いつもイカちゃんの恥ずかしい写真ばかり撮っていたから…
それでバチが当たったんだわ…」

早苗は少しでも気を紛らわせようと、くだらない独り言を呟いて、
「ははは…」とかすれた笑い声を発した。
するとイカ娘はひどく不快そうに顔を歪めて、

「どうしてそんなことを言うでゲソか…」

と聞いたことも無いような低い声で言った。

「イカ、ちゃん…?」

早苗がきょとんとして視線を送ると、イカ娘はますます顔を歪めながら、声を震わせて、

「確かに、私は早苗のことが好きではないでゲソが…でも…
だからと言って、こんなふうになるのを望んだことなんて、一度だってないでゲソよ…!」

そう叫んで、涙をポロポロとこぼした。
早苗の苦し紛れの冗談を、すっかり真に受けたのだ。

「あ、ごめんなさい、イカちゃん…私、変なこと言っちゃった…本気にしないで…」

早苗は慌てて訂正しようとしたが、イカ娘はそれを遮り、

「病院に行って、薬も飲んだのに、どうして早苗はそんなに苦しそうなのでゲソか?!
なんで良くならないでゲソか?!本当は風邪じゃなくて、違う病気なんじゃなイカ?!
もう一度病院に行って薬もらってきたほうがよくなイカ?!」

とまくし立てた。

「お、落ち着いて、イカちゃん。あのね、風邪にも色々あって、症状が重いと、こんな感じになってしまうのよ…」
「嫌でゲソ!こんな早苗は嫌でゲソ!早くいつもみたいに戻るでゲソ!どうすれば元気になるでゲソか?!」

イカ娘は聞き分けのない子供のように泣いた。
特効薬が存在しない人間の風邪が、理解できないのだ。
なにせ、かの恐ろしいゲソニンムルゴボング病だって、エビの着ぐるみ程度でコロッと良くなってしまうのだから。
一応薬を飲んだら、後はしばらく我慢して苦しむしかないなんて、イカ娘には想像を絶していた。

「イカちゃん…」

いつもならイカ娘が泣いたら確実にもらい泣きするはずの早苗も、
あまりに具合が悪すぎて、かえって不思議なほど冷静さを保っていた。
出来ることならベッドから下りて泣いているイカ娘をなだめてあげたかったが、
そうする体力も無いので、代わりにイカ娘のほうに腕を伸ばした。

「ねぇ、イカちゃん…私の手、握ってくれる…?」
「…手、でゲソか…?」

顔を覆って泣いていたイカ娘は、涙で濡れた自分の手のひらを見つめた。
そして、鼻をすすりながら、早苗の手を両手でギュッと強く握った。

「こうでゲソか…?こうすると、具合が良くなるでゲソか…?」
「うん、なんだかそんな気がするの…。あぁ、イカちゃんの手、温かくて気持ちいい…」

苦痛一色だった早苗の表情が若干和らいだ。
イカ娘はそれが嘘でないことを確かめるように、触手を伸ばして早苗の顔にペタペタと触れた。
すると、早苗が小さく笑った。

「ふふふ…イカちゃんの手はすごく温かいのに…触手は少しひんやりしていて…でもどっちも気持ちいい…」

イカ娘はもう泣きやんでいた。
そのまま無言で、しばらく触手で早苗の顔や首筋を撫でた。
「…早苗、汗をたくさんかいているでゲソ」

「ごめんなさい、少し匂うかな…」
「そうじゃなくて、これ拭いたほうがいいんじゃなイカ…?」
「うん、多分…。イカちゃん、お願いしてもいい?」
「仕方がないでゲソね…」

イカ娘は枕元に置いてあるタオルを触手で持つと、
器用にパジャマの中にまでタオルをすべらせ、早苗の汗を拭った。
そうしている間も、ずっと二人は手を握り合っていた。

「ありがとう、すっきりしたわ…」

早苗の呼吸は次第に落ち着いて、やがてウトウトしだした。
眠気を催せるくらい、吐き気も収まっていた。

「早苗の熱、少し下がってきたでゲソ」

握る手のひらから伝わる微妙な体温の変化を感じ、イカ娘は一安心した。

「…さっきはごめんね、イカちゃん…」

イカ娘は十分に落ち着きを取り戻していたので、早苗はまぶたを閉じたまま、
不必要に悲しい気持ちにさせてしまったことを謝罪した。
するとイカ娘は「お、お主があまりに苦しそうだから少し心配しただけで・・・
べ、別にそれほど本気ではなかったでゲソ・・・」と言い、握っていた手を離した。
だが、その顔が赤面していることも、手を離したのが照れ隠しなことも、早苗は全て感じ取っていた。

「…さて。夜ごはんを食べるから、私はそろそろ帰るでゲソ」

と、イカ娘はポテチの袋と栄養剤を枕元に置き、

「目が覚めてお腹が空いたら、早苗はこれを食べるといいでゲソよ」

と言った。

「あ、待って、イカちゃん…」

その時、早苗が目を開け、名残惜しさにたまらず手を上に伸ばすと、
イカ娘は黙ってその手を握り返した。
そして、触手を螺旋状に腕に絡ませた。

「…もういいでゲソか?」

一分ほどしてからイカ娘が問い掛けると、
早苗は幸せそうに「うん」と頷き、また目を閉じた。
イカ娘の触手が腕からスルスルと解け、最後に指先が離れた。

「栄子に電話すれば、夜中でもまた見舞いに来てやるでゲソ」

イカ娘はそう言うと、一人でゲソゲソ言いながら帰っていった。

そして翌日。

「イカちゃああああんっ!!!」

海の家れもんに向かって突進してくるのは、いつも通りの早苗だった。

「げっ、早苗…?!」

掃除をしていたイカ娘は、その姿を見て喜ぶどころか、ついいつもの習慣で青ざめてしまった。

「ああんイカちゃんっ!!イカちゃんが愛情たっぷりに看病してくれたおかげで、奇跡的に一日で快復したわぁっ!!」

などと言いながら抱きついて頬擦りしてくる早苗を、
いつも通りに頭のピコピコで吹き飛ばすことは、さすがのイカ娘もためらった。
なにせ病み上がりだから、本当に大丈夫なのかどうか。
代わりに栄子がその気持ちを代弁するように、呆れながら言った。

「早苗なぁ、少しは自重しろよ…。昨日の今日でそんなにはしゃいで、ぶり返しでもしたらどうするんだ」
「フフフ、心配は無用よ、栄子っ!朝一で病院に行ったら、先生も『完全に治ってる』って呆れてくれたからっ!」

と早苗は自信たっぷりに宣言し、イカ娘をグニグニと抱きしめた。

「や、やめなイカ、早苗っ…」

口ではお決まりの台詞を発するものの、昨日の早苗のイメージが強すぎて、やはり乱暴にすることが出来ない。
すると栄子が、「おいイカ娘。いま早苗が『愛情たっぷりに看病』って言ってたけど、
お前、昨日何してきたんだぁ?」とからかうように言った。

「な゛?!なんでもないでゲソ!愛情なんてあるわけないに決まってるじゃなイカっ!
高熱にうなされていた早苗が見た夢でゲソっ!幻覚でゲソっ!」

イカ娘は触手を逆立て威嚇しながら否定した。

「ほぉ〜?」

栄子はなおさら楽しそうに目を細めた。

「さ、早苗!私はウソなど言ってないでゲソよね?!
昨日はただ、お主にポテチをお見舞いしてやっただけでゲソよね?!」

たまらずイカ娘から助けを求められると、早苗は、

「ん〜?あー、うん、そうだったも。ごめん栄子、全部私の夢だったみたい。うふふふ」

と応じ、満面の笑みを浮かべた。
昨日の出来事を他の誰かにホイホイとばらしてしまうようなもったいないことをするつもりは当然なかった。
早苗が黙っている限り、これはイカ娘と彼女との間の、秘密なのだ。

「…あ、そういえばね、イカちゃん。
ここに来る途中でおいしそうなエビカツサンド見つけたから、買ってきたの。
お見舞いのお礼に、はいどうぞ」

早苗は大切なことを思い出し、抱きしめていたイカ娘を解放すると、調理パンを一つ、差し出した。

「おおお〜!これはうまそうじゃなイカ〜!」

イカ娘は途端に目をキラキラと輝かせた。
パンを早苗から受け取るなり、さっそくかじりついた。

「もぐもぐ…ん〜、見た目通り、なかなかに美味でゲソ〜…むちゃむちゃ…」

無心で頬張るイカ娘を、早苗は持参したカメラでバシバシと撮影しながら、

「あ〜ん、ほっぺにパンくず付けてるイカちゃん可愛い〜!」

などと奇声を発した。
撮られることに慣れているイカ娘はそれを気にすることもなく、
口いっぱいに入れたエビカツサンドの味を楽しみながら、
(まぁ、早苗はうっとうしいくらいがちょうどいいのでゲソね…)と心の中で思った。

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