× × 浩二苑 ver.2003 vol.1 × ×




              


挨拶  
  (あいさつ)


同じチームにあいさつといえば!という選手がいるけど
彼ほどではないにしろ、さわやかな挨拶をする人という印象がある。
これ、ルーキーイヤーに持った印象だけど、今もそう。
「高校時代、しっかり礼儀をたたき込まれたせいか、あいさつもしっかりできると
ある本にも書かれていた。

愛称   
  (あいしょう)




他の選手のようにこれといった愛称はないかな・・・。
小笠原くんはオガサや満男、本山くんはもとやんやモト
柳沢くんもヤナギ、平瀬くんもひらりんやヒラ…。
過去にニックネームは?というアンケ−トにも「ナカタ」ってそのまま・・・。
他に聞くとしたら「浩二」ですよね。
代表に行くと中田が2人。ややこしくはないの?の問いにヒデさんよりも
小島くんの方がややこしいの答え。(U−23当時)
理由は浩二は「コ−ジ」、小島くんは「コジ」だから(笑)

あか抜ける 
  (あかぬける)


アントラーズ同期はご存じの通りコ−ジを含めて6人。
その中でも一番あか抜けていたと当時言われる。
確かにまぁ入団当初の6人を見れば…。
今同じ構図で写真を撮ってもらいたいと切に思う(笑)
並べてみたらみんな全然違うからっ(笑)

秋田 豊
 (あきたゆたか)



アントラーズの強力な壁、DF 背番号3。
あえて説明はいらないでしょうが、空中戦には絶対の自信を持つ、
競り負けてるところって記憶にないほど。
試合中の気迫も、ものすごいです。なんせ試合中に外れた肩を自分で
入れ直して試合を続行したほど・・・。
見た目怖そうに見えるかも知れないけど(ごめんなさい)
でも実はTV出演とかでもわかるように楽しい人。頼れる兄さん!という感じです。
セットプレー時のゴール前はコ−ジと共に秋田さんにも注目!


 (あし)
サッカーというスポーツをする上で最も重要な体の一部。
試合中、見ているとあまり速そうに見えない。(失礼)
でも実際は速いとか・・。でも、100mを越えると遅くなるらしい。ダメじゃん。(笑
以前、代表でとったタイム→2秒92/20m。
小学生の時は米子の陸上大会で優勝経験あり。

足と言えばコージの足はつるつる。剃ってるの?と思うくらいきれいです。(笑)

アジアチャンピオン
 (あじあちゃんぴおん)

毎年、アントラーズが挑戦してはなかな手に出来なかったタイトル。
しかし、2003年「A3 MAZDA CHAMPIONS CUP2003」で、
東アジアのチャンピオンを手中に。(戦績2勝1分け)
コージはこの大会でゲームキャプテンを立派に務めました。

アシックス
 (あしっくす)




コ−ジが以前契約をむすんでいたメーカー。
当然履いてるスパイクもアシックス製でした。
アシックスのサッカー関係のカタログにもしっかり登場していました。
他に契約しているのは同じチームではモトがいます。

ワールドカップ用にゴールド、それ以降は白いスパイクを使用していました


 (あせ)



きっとこの人汗っかきなんだと思う。自分でも言っていた。
TV出演の時、つい気になってしまう(笑)
試合の時も他の人よりユニの色濃くなっています。
でも、試合の場合ボランチのこなさなきゃいけない役割も多いし
いつも試合後はしっかりと仕事をした証だと思っています。

新しいもの好き
 (あたらしいものずき)

2001年にカシマスタジアムで行われたFREAKS FESTIVALで
モトと共にト−クショ−(?)に出演した際の質問で
「チ−ムで1番新しいもの好きは誰?」に2人一致した答えが
「中田浩二!」でした。ご本人曰く、特に携帯はよく買いかえるらしい。
理由は人が新しいのを持っていると欲しくなるからだそうです。
2002年9月の時点では、SH251i。待ちうけ画面はたっ君だそうです。

アディダス
  (あでぃだす)

2003年2月、コージがアドバイザリー契約を結んだスポーツメーカー。
今後、各種マーケティングにコージのアドバイスが反映される。
ちなみに、えまは、アディダス派。と言っても、もっぱら小物や、スニーカー、
アパレル関係ばかりです。
コージはすでに、アディダスのスパイクを使用している模様。
他には、横浜Fマリノスの松田直樹選手や、レッジーナの中村俊輔選手が
アディダスと契約を結んでいます。

いい加減
 (いいかげん)



入団した頃にあった同期6人での対談の中でソガに
コ−ジの性格を一言でこう表現された(笑)
細かいことは苦手って言ってるし…?

一日店長

 (いちにちてんちょう)
夏休みにクラブハウスで行われるファンサービス。
選手がクラブハウスのショップでレジに立って、お客様の応対+
サイン会が行われます。ちなみに、2002年のコージの1日店長には

なんと、1000人のファンの人が詰めかけたとか・・。コージ人気恐るべし。
さらに、ちなみに、えまは99年と00年に参加。両方とも整理番号1を
ゲットしました。(←バカ?)

稲本 潤一
 (いなもとじゅんいち)




ユース・オリンピック・A代表で共にプレーしている選手。
現在はイングランド・プレミアリ−グ フラムに所属。
もう今更書くまでもないけどポジションはボランチ。
敵にまわすとイヤだけど味方にいるとすごく頼もしい! 
コ−ジの相方(?)とも言えるほど仲の良い選手。
いい意味で競い合って、お互いますます凄い選手に
なっていってくれるでしょうね。

エアガン  
 (えあがん)



99年11月、ヒラがフォルサに出演した際に最近はまっていることは?
という問いで答えたのが、このエアガン。
その中で、コ−ジをそのエアガンの的にしようと思っていたことが判明(笑)
本人が相当怖がっているのでやめたらしいです。
お願いだから打たないであげて下さい(笑)

英語 
 (えいご)




それはカ−ルスバ−グ杯で香港に行ったときの入国審査。
ひとりづつ質疑応答に答えなければいけない・・・なのに質問は全て英語。
固まる他の選手をよそに「英語?そんなのOKOKって言えば大丈夫だよ」と
いい放ったのは他でもないコ−ジ(笑)
あのぉ、OKって答えたらマズイ質問だったらどうするの・・・(笑)
しかし現在は、英会話をしっかり勉強中らしいです(^^)
2001年フリークスフェスティバルでコージの英語が話題になり、
コージは、英語を披露しました!
パーソナリティーの方に「スタジアムに応援に来て欲しいと言う気持ちを
英語でどうぞ。」と言われコージはこう答えました。
「GO TO STADIUM!」
これじゃ、命令形じゃん・・・。(苦笑)
あれから、2年。コージの英語は上達したのでしょうか?

笑顔
 (えがお)


「にこっ」と笑うモトとはまた違って、コ−ジはさらっと笑うというか、
見てるとさわやかに笑うよね。それがまた女心をくすぐるらしい(爆)
練習中などにはよく見る笑顔も、カメラを向けられると・・・。
本人曰く「2秒しか笑えない」らしい。2秒ってあのね・・・(笑)
それでも試合に勝って笑ってくれたらそれでOK。

絵心 
 (えごころ)


・・・・どうなんでしょう(^^;;
だって、フリ−クスvol.62で披露されたドラえもん・・・。
あのドラえもんでは子供は泣きます、絶対(笑)
私も絵心は全くないと言っても過言ではないので、あまり言えませんが
もしご覧になっていない方がいらしたら機会があれば
ぜひ見て下さい。目が・・・(爆)

エレベーター
 (えれべーたー)


Wユース、ナイジェリアでのエピソードの1つ。
確か1階から上へ行くためにホテルのエレベーターにイナと乗り込むも、
突然エレベーターが3階付近で停止し、そのまま落ちてしまったという
恐ろしいエピソード。そこから復旧し、ゆっくりゆっくり1階へ戻って扉が開くと
そこにはトルシエ監督の顔があって気持ち悪かったと言ってましたね(笑)
と同時に本田さんには「ホントは好きなくせに」って突っ込まれてましたけど、
ホントのとこはどうなのでしょう?(笑)

宴会部長
 (えんかいぶちょう)


2002年の年明けの選手会旅行で宴会部長として
大ちゃん(現仙台)・ヒラ・ハネ・野沢くんと共にブレイクしたらしい(笑)
またいかにもってメンバ−(笑)

王座
 (おうざ)




2000年に見事取り戻したもの、そして2001年も譲らなかったもの。
やっぱりアントラ−ズには王座が似合います。
・・・が、2002年はナビスコ優勝の1冠のみ・・。
今年は、アジアチャンピオンも含めて5冠を狙います!

王子
  (おうじ)

多くの人が語るコージの第一印象。
えまも、最初は疑わずこう思っていました。約3ヶ月間。(笑)
でも、今はそうは思わないですね。(あれ、毒?)
良い意味で人間らしいというか、王子じゃなくて人間的に尊敬できるヤツです。

奥菜 恵
 (おきなめぐみ)


オリンピック予選の時のエピソ−ド。
奥菜恵さんがゲストとして国立へ登場したそうで、
試合中にも関わらず、綺麗な人がいるなとすかさず
チェックしたのは他の誰でもないコ−ジだったそうです(笑)
近かったので声をかけたかったけど、いきなり「こんにちは」って
言うのも変だよなぁと思って声はかけれなかったんだそうな。 
そりゃ、変だし第一ビックリすると思いますが・・・(笑)
ミ−ティング終わって出てきたらもういなくて、ポジションについてからも
少し探したという・・・それにしてもよくそんな余裕が(笑)

奥野 僚右
 (おくのりょうすけ)


以前アントラーズで活躍していたDF、現在はザスパ草津の監督兼選手。
本当にファンにも優しい方で、大好きでした。
そんな奥野さんはきっと素敵な先輩だったことでしょう。
そんな奥野さんがコ−ジを評するとこうなります。
「誰かと誰かが話をしていると必ず顔を突っ込んで話に参加する。
呼ばれてもいないのにゴハン食べに行くときは必ずいる(爆)」

お好み焼き
 (おこのみやき)


コ−ジの好きな食べ物。
関西風ではなく、広島風が好きなんだとか。
・・・と聞いたはずが、関西風が好きと最近は答えたそうで。

どっちなんだい?!とツッコミを入れたくなります。(笑)
なんでも、「焼くのは任せて。(^_^)v」ってことらしいです(笑)

小笠原満男
 (おがさわらみつお)


              

コ−ジと同じ98年入団組の1人、MF、背番号8。
サイトでの通称「ミツ」「満男」など。(などって何? 笑)
いまさら説明は不要でしょう、中盤で強烈に存在感を示しているプレーヤー。
ミツは同期ということもあるしネタが結構あるね。
あえて一つあげるとすれば、止まらない目覚まし時計でしょう(爆)
99年のエピソ−ドで、オリンピック予選で代表組がいなくて
淋しかったと語ったミツ。ただし「この人はいないほうがよかった」と一言。
ミツの言うこの人とはもちろん(!?)コ−ジのことです(笑)

お札
  (おさつ)

日本のお金では一万円、五千円、二千円、千円がお札です。
普段は10万円くらい、財布に入っているらしい。儲かってるなぁ。(笑)
しかも、お札の向きを揃えて入れている。千円札から小さい順に
表裏も上下もきっちり。端が折れているのもダメ。
そして、領収証は財布の左隅とか・・。ちょっと、意外。

オ−ルスタ−
 (お−るすた−)




2000年にJリーグ推薦で初出場し、2001年はファン投票で出場。
2年とも背番号は5、ボランチで90分フル出場。
2000年は敢闘賞を受賞し、たらみ1年分等などを副賞としてもらう(笑)
本人も驚いたようで「僕がもらって良いんですかね。」と困惑気味
さらに2002年は最多得票でJ−EASTのキャプテンとして出場。コージ人気恐るべし。

俺キン  
 (おれきん)



某民放で放送されてるサッカ−番組内での1コ−ナ−。
イナとの対談でたぶん自分が蹴る前にバナナは壊されるという
予想に反して(爆)2000.8.19のフリ−クスフェスティバルで
バナナキングコンテストがやってきたとき無事に参加。
結果は当時、五輪キング&総合2位(野沢くんの記録があのランクに入ると3位)
となる31バナナという記録を残し、TVにもしっかり映れました(笑)
蹴ってる途中に「なんか僕の時黄色い声が少ないですね」なんて言う余裕も。
(もとやんの後っていうのも悪かったと思う)静かに見守っていた私もどうする?
黄色い声出しとく?なんて周りと相談してるうちに黄色じゃない声が・・・。
でもいいオチでした(笑)

 
  
               


海外移籍
 (かいがいいせき)

日本以外のクラブチームに移籍をすること。
コージの今の目標と言っても過言ではないかな。
本人は、プレミアを視野に入れて考えているようです。
えまは、大賛成。一つ大きくなるキッカケになると思います。
早く実現して欲しい。

開幕戦  
 (かいまくせん)



ル−キ−イヤ−の開幕戦でいきなりベンチ入りを果たす。
そして3年目となった2000年の開幕戦でスタメン出場し
得意の(笑)ヘディングでゴ−ルをあげ、チ−ムの勝利に貢献。
これは2000年Jリ−グ第1号ゴ−ルとなり、さい先のいいスタ−ト。

飾り気 
 (かざりけ)



はっきり言って・・・ない!(爆)
いろんな場面で感じてきたことだけど自分を飾らずストレート。
だって、今や私たちの中で伝説として残っているプライベートファイルで
無人島に持っていくとしたら?の答え(笑)
それが本音だとしても、ああやってストレートに書いた人は後にも先にも
コ−ジだけです(笑)
思わずもっと書きようがあるでしょって大笑いしたのは言うまでもなく。
でもそんな飾らない人柄もきっとファンの心を掴んで離さない要因の
一つかもしれませんね。

家族 
 (かぞく)
 




家族はご両親とお兄さんと妹さんの5人家族。
コ−ジがサッカーを始めるきっかけになったのはお兄さんの影響でした。
ちなみにお兄さんはGKだったそうです。
思わず笑ってしまったのはお父様のエピソード。
モトとソガがコ−ジの家に来たところ、モトには「いやぁ〜
雅志よく来たねぇ〜」とおっしゃられ、ソガが「曽ヶ端です」と自己紹介したのに
「いやぁ〜ソガサキ君よく来たねぇ〜」とおっしゃられたそうで・・・。
思わず失礼ながら笑ってしまった(笑)
なんだか楽しそうな&いかにもコ−ジの家族らしい(笑)
ちなみにソガはご家族にあっての感想で「こいつが生まれてきたのが
よくわかる」と言ってました(笑)

カラオケ 
 (からおけ)



どうやら好きらしい(笑)
忘れもしない選手権、ベスト4への歩みという番組。
ベスト4進出を決め、息抜きの為に帝京イレブンが向かったのは健康ランド。
そこで始まったのはカラオケ大会、とても楽しそうでしたねぇ。
もちろん、キャプテンたるもの(?)1曲ご披露頂かなきゃ。
ということでかは知らないけど(笑)、しっかりと歌ってました。
印象?結構上手でしたよ、うん。そういう事にしておこう(爆)
ちなみに歌っていたのは、ブルーハーツの「情熱の薔薇」
本当は歌いたくなかったそうで、後ろの方でみんなが歌うのを聞いていた
だけだったのに、TV曲の方に頼まれ仕方なしに歌ったそうです。
現在の十八番はウルフルズなんだそうですよ。

カレンダー
 (かれんだー)

現在、チームから個人のカレンダー(大)を出してもらっているのは、
コージとヤナギだけです。しかも、結構な売れ行きのようですね。
何を隠そう、えまの部屋にも飾ってあります。(笑)

完全優勝
 (かんぜんゆうしょう)

2002年、ジュビロ磐田が成し遂げた栄冠。
そして、我がアントラーズが狙っていかなければいけないタイトルです。

もちろん、2003年も狙います

頑張る  
 (がんばる)




本人曰く「頑張っていても頑張っているように見られない」と話す。
でも頑張ってきたからこそ、いろんなチャンスが巡ってきて、
それを手に出来てるんだと私は思います。
それに試合を見ていて、頑張ってるっていうのは痛い程に伝わってきますしね。

儀式  
 (ぎしき)






鹿島恒例の誕生日に行われる、小麦粉や卵などをかけて祝う儀式
普通はみんな嫌がるものを、派手にやって欲しいと言う。
表面的にはイヤだけど、内心はみんなも嬉しいはずですよと
言ってたけど…みなさんホントのところはどうなんでしょう?(笑)
2002年の誕生日にはこの儀式を受けたそうです。

キャプテン  
 (きゃぷてん)




ご存じ高校3年時に強豪、帝京高校のキャプテンとして
チームを引っ張る。同期のメンバーにもキャプテンシーがあると評される。
本人も周りを見ながらまとめるのは好きとのことで、根っからの
キャプテン向きな人なのかもしれない。
そして三冠達成のかかった2001.1.1天皇杯決勝でゲ−ムキャプテンを
任され、左腕にキャプテンマ−クをつけ試合に臨みました。
2003年、A3では3試合ゲームキャプテンを務めました。

休養  
 (きゅうよう)






かつてのアンケ−トで一番欲しいものは?の問いの答え。
きっと今もそう思ってるんじゃないでしょうか?
私があげれるもんならホントにあげたいと切に思います…。
2002年もほとんど休むことなく突っ走りました・・・・。

教師  
 (きょうし)




もしサッカー選手になっていなかったら、何になりたかった?の
問いの答え。"自分のチームを作りたい"それが夢なんだって。
いつか自分が鳥取のチ−ムを強くして、全国大会で勝ちたいと
思っていたんだそうです。
中田監督かぁ…結構いいかも(^^)
もし教えるなら教科は日本史、理由は得意だったから。

清原和博
 (きよはらかずひろ)

言わずと知れた野球界の番長。(笑)
読売巨人軍の背番号「5」、188cm、104kgの強力スラッガー。
コージの憧れの選手です。巨人ファンではなく、「清原」ファンだそうです。
同じ背番号「5」。コージもサッカー界の番長を目指す?(笑)
ちなみに、ひなは二岡、えまは阿部のファンです。
そして、えま父は長嶋終身名誉監督のファンです。(関係ない。)

国見高校  
 (くにみこうこう)




九州の強豪校。サッカーをちょっとしか知らない人も国見の名は
知ってるほど高校サッカーでは有名な高校。
そしてコ−ジが中学3年の時に本気で行ってみたいと思っていた高校。
その当時は三浦(淳)などが所属して注目を集めていた。
第81回高校サッカー準優勝校。

熊谷浩二  
 (くまがいこうじ)




ねばりのあるディフェンスと機を見た攻撃参加が光る、MF 背番号18。
サイトでの通称「クマさん」(至って普通 笑)
最近は「クマちゃん。」(慣れ慣れしい・・。)
現在、故障のため治療中・・。開幕戦、待ってます。
2000年のCSでは相手の中心選手である俊輔に「浩二の隣の人」と言われる。
まったく失礼な、名前ぐらい覚えて置いて下さい(^^;;
ちなみにクマさんも実は面白い人らしい。
なんせ「10秒後に笑いが来る話方」を研究しちゃったする人だから(笑)

グルメ  
 (ぐるめ)




どうやら味音痴なんだそうで・・・(笑)
ホントに嫌いなものは「マズイ」とわかるけれど、
食べれる物は何を食べても「おいしい」と感じるらしい。
だから他の選手もコ−ジには「おいしかった?」とは聞かないそうです(笑)
「だってお腹に入っちゃえば一緒でしょ」って…はい、おっしゃる通りですけどねぇ。

ゲ−ム  
 (げ−む)




サッカー以外の趣味という問いでの答え。
特にやっぱりというかサッカーゲームが好きなようで
腕前も「自分が1番強い!」と言うほど。
その腕前が評価されてか、2001年に行われた東京ゲ−ムショウにも
ゲスト出演。そこで披露された腕前は評判通りだったそうです。
ちなみにゲ−ム内の自分はFWとして使うこともあるそうで、
みなさんもFW中田浩二を試してみてはいかがでしょうか?

ゲ−ムメ−カ−  
 (げ−むめ−か−)




某民放の番組内の1コ−ナ−。
2人組でリフティングを区間毎に交代しながら進んでいくゲ−ム。
どちらかが失敗した時点でゲ−ムオ−バ−です。
このコ−ナ−が99年のFREAKS FESTIVALにやってきました。
いろんなペアが挑戦するも最高2エリア(確か8か9エリアまである)
という超低調な記録。コ−ジはヒラと肩を組みながら「俺達にやらせて」と
アピ−ルするも(?)出番は来ず。
このまま出番ナシかと思ったとき、アント1押しのコンビで
再チャレンジすることになり、白羽の矢はモトとコ−ジに。
「人選間違いですね」というコ−ジの言葉とは裏腹に、
Jリ−グ最高記録をうち立ててしまった、さすがです!
どっちが失敗して終わったかって? そっ、それは・・・(笑)

現在は、番組が終わってしまったのでこのコーナーにお目にかかることもなかなかないですね。

ゴスペラーズ
 (ごすぺらーず)

91年、早稲田大学で結成された5人組のヴォーカルグループ。
94年、12月にメジャーデビュー。
2002年4月に、コージはゴスペラーズのライヴに行ったそうです。
ちなみに、チームの加藤君、金古君、野沢君とコージの4人で、
あの素敵なハーモニーを聞いてきたらしい。(笑)
メンバーの方もサッカーには詳しく、よく雑誌にコラムを書いていたり、テレビのサッカー番組にゲストとして出演されたりしていますね。
代表戦の国歌斉唱に良くいらっしゃってます。

今回、Jリーグの選手たちとのコラボレーションCDを発売する事で話題になりました。

ゴルフ  
 (ごるふ)



生まれて初めてまわったコースでハーフで92も叩いてしまったという
伝説の(?)競技。
この日初めてクラブを握ったらしいけど、打つのもきっと疲れた事でしょう…。

コージーコーナー
 (こーじーこーなー)

全国的にかなりの店舗を持つ洋菓子やさん。
よく大きな駅の構内にもありますね。
・・・と、ここから名前をパクッた・・違った。
いただいたのが、現在フリークスで連載されているコージのコーナーです。
実際にこのコーナーの名前を募集した時に、
「コージーコーナー」という応募があったんですよ。
つーか、えまもこれでハガキを出した気がする・・。(笑)
ちなみに、お菓子やさんの「コージ―」には
居心地が良い、気持ちが良い、こぢんまりした」という意味があるそうです。


 
                


酒井友之  
 (さかいともゆき)




名古屋グランパスエイトに所属するMF、
代表ではサイドで使われる事が多いけど、本職はボランチ。
U−18の時からの仲間で、コ−ジと仲がいい選手。

サカつく  
 (さかつく)




「プロサッカ−チ−ムをつくろう」の略(笑)
ゲ−ムのソフトで、自分がオ−ナ−となってチ−ムを作っていく、
鹿島の若手選手達がはまったというゲ−ムです。
例にもれず、コ−ジもやっていました。
このゲ−ム、実在の選手達がそのまま出てきます。
もちろん鹿島にはコ−ジもいますしミツもヤナギもみんないます。
99年に某雑誌でヒラとモトと3人でその話になって、それぞれのメンバ−を
発表したときに、モトのチ−ムに自分がいないことがわかり
「中田浩二入れてくれないの?」と聞くと「獲得したけどデ−タが
消えた」と言われ、最後には「チ−ムの雰囲気悪くなるから
欲しくない」と言われてしまった・・・モト、面白いぞ(笑)
ちなみにそういうコ−ジのチ−ムにはちゃんと自分がいて、
イナとWボランチを組ませていました(笑)
余談ですが、私もこれだけはやりたい!と思ってやってたんですよ。
もちろんいますよ中田浩二、当然ボランチです(笑)

でもDFがケガとかでいなくなったらDFに回したりと、「働け〜!」とばかりに
相当こき使ってます(爆)
けど、年俸を上げてとかあまり不満を言わないのでとても良い選手(爆)

サッカ−  
 (さっか−)





いまさら書くまでもない、コ−ジが幼い頃から打ち込んできた
すごく大事なもの。


寂しがりや  
 (さびしがりや)




今やコ−ジの代名詞(笑) みんな必ず言いますね「寂しがりや」って。
一時期はやった動物占い、結果は「ひつじ」
ここでもしっかり寂しがりやって出てました(笑)

ちなみにこの「ひつじ」はチ−ムで1人だけ。
「寂しがりやは1人だけなの」とはコ−ジ(笑)
ちなみに管理人コンビはえまがコアラ・ひなが黒ひょうでした。
でも私は黒ひょうの結果には当てはまらないんですよね・・・。
まず流行にはもっぱら疎いですし、転職もしてません(笑)

しかーし、えまは当たってますね。結構・・。
南の島好きだし。

CM 
 (し−えむ)


記念すべき初CM出演はサントリ−のデカビタCでした。
2000年末に出演が決まって、2001年の年明けに撮影。
この撮影でもアドリブを交え笑いを取っていたそうです(笑)
CM撮影といえば、1999年のス−パ−サッカ−で春・秋と行われた
各チ−ムのCM対決にも出演。
1回目(春)はカシマスタジアムが改装のためにホ−ムゲ−ムを
国立で行いますよっていうのを告知する内容だったのです。
1人1人が口々に「こくりつ!」と行っていくのですが、
98年入団組は4人で参加。ちなみにコ−ジは「こくりつ」の
「こ」を担当しました(笑)

2回目も工事中なのでホ−ムが国立ですという告知の内容だったのですが
やってくれましたよ、コ−ジ(爆)
出演はコ−ジとミツとモトの3人。工事中のカシマスタジアムが
舞台と言うことで3人とも衣装は工事現場の作業服に黄色いヘルメット。
3人それぞれセリフがあるのですが、コ−ジはツボにはまってNG連発(笑)
「ご迷惑をおかけしますが」がなかなか言えません(笑)
そんなコ−ジを見て、モトはもっと笑わそうとする一方で
ミツは「さっさとやって帰ろうよぉ!」と一言。キャラ出てる(笑)
そして最後は3人でカメラに向かってお辞儀をするわけですが・・・。
頭にはヘルメット、わざとなのか不明ですが(たぶん狙ったと思われる 笑)
3人揃ってお辞儀をするとコロンと落ちるコ−ジのヘルメット(爆)
横にいたミツも思わず笑ってました。
私も見ながら大爆笑したことは言うまでもなく・・・(爆)

ジーコ
 (じーこ)

日本代表監督。(2002・7〜)
1953・3・3生まれ。本名 アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。
1982年、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾ(現鹿島監督)
そして、ジーコの4人で黄金のカルテットとしてW杯スペイン大会に出場。
1991年、5月。当時日本リーグ2部の住友金属フットボールクラブに入団。
1993年、Jリーグ開幕。開幕戦(対名古屋グランパス)で、
ハットトリックを達成したのは有名な話ですね。
1994年。惜しまれつつ選手を引退。
1996年。鹿島アントラーズのTDに就任。
アントラーズには、ジーコの魂が今でも宿っているはず。
コージも入団した98年からお世話になりました。
FKを直接指導してもらうなど、コージにもジーコイズムが
宿っていることでしょう。

ジコマン
 (じこまん)

自己満足の略。コージが良くインタビューなどで口にする単語。
コージのポジションは、トルシエ時代のDF,
オリジナルポジションのボランチと、決して派手なポジションではありません。
DFならば、守って当たり前。
ボランチでも、バランスを地味に取ったり、他のポジションの
カバーに入ったり・・。得点やアシストがなくても
「今日はよくコースをカットしたぞ。」と、自己満足。
その自己満足をよーく見てあげたいですね。

ジュビロ磐田
 (じゅびろいわた)

静岡県磐田市にあるJクラブチーム。
名前の由来はポルトガル語、スペイン語で「歓喜」を意味する「ジュビロ」から。
チームカラーはサックスブルー。(えまは、嫌い。・笑)
マスコットは、静岡県の県鳥「サンコウチョウ」をモチーフにした
「ジュビロ君」・・・って何のひねりもないじゃん。
・・・と思ったら「しかお君」も変わらないわね。
我がアントラーズの永遠のライバル。
磐田には何が何でも勝ちたい。絶対に負けたくない。
そう思わせてくれるチームです。

優勝  
 (じゅんゆうしょう)





過去の「得意技」。確かに昔は決勝で負けることが多かった。
2000年に三冠達成、2001年もJチャンピオンになり完全に封印したかに思われたが、
2003年の元旦は、また準優勝だった・・・。
でも、今年はまた優勝を得意技にするぞー。

自主トレ  
 (じしゅとれ)



プロの選手がオフに行うトレーニング。
2000年の自主トレは(たぶん今年も)本田さん達とハワイへ(すごいね)
昼は砂浜を走ったりとしっかり頑張ってきたみたいです。
そこでばっちり目の保養も(笑) 

将来の夢 
 (しょうらいのゆめ)


小学生の頃に書いた将来の夢は「プロのサッカ−選手」でもなく
「日本代表」でもなく「W杯出場」だった。
その当時の日本代表はW杯に出場できる気配もなく
本人は「バカなこと書いてた」って言ってたけれど
2002年、その夢を無事に叶えました(^^)

情熱の薔薇
 (じょうねつのばら)

カラオケの項目にも登場した、コージが高校サッカーに
出場した当時、健康ランドのカラオケで歌った
ザ・ブルーハ―ツの曲です。
コージの胸にいつも「情熱の真っ赤な薔薇」が咲くことを
願いつつ試合に足を運んでしまうえまなのです。

ス−ツケ−ス  
 (す−つけ−す)





2000年自主トレの時に初めてプライベートで海外へ行ったのに
コ−ジ一人だけスーツケースを開けられたそうで(笑)
そんなに怪しまれるようなこと・・・いったい何をしたの?(笑)

背番号  
 (せばんごう)





小・中学校での背番号はわからないけど高校3年次は背番号8。
アントラーズに入団して最初にもらった番号は26だった。
そして入団3年目で手にしたレギュラー番号の5。
もうすっかりアントラーズの5といえば中田浩二になったと思う。
代表でいうと、ユースの時は背番号12。
五輪代表では背番号16、A代表でも背番号は16。
国内代表デビュ−戦となった中国戦では5をつけたことも。

相馬直樹  
 (そうまなおき)



アントラ−ズの誇る左サイド、DF。今シーズン、鹿島へ復帰。(おかえりー。)
サイトでの通称「相馬さん」(そのままやん 笑)
この選手にもあえて説明はいらないでしょうが、的確なディフェンス
タイミングを見計らったオ−バ−ラップが特徴のサイドバック。
コ−ジは左のボランチなので試合中は左サイドでコンビを組みます。
プレ−外では、あらゆるところで聞くのは「話が長い!」ということ(苦笑)
そんなに長いんでしょうか?(笑)
ぱっと見の印象とはまた違い、結構練習中お茶目だったり(^^)
2000年のFREAKSFESTIVALで披露されたひょっとこ踊りやストレッチは
今や伝説と化しています(爆)いやぁ、そんな相馬さんも好きです(笑)

曽ヶ端準  
 (そがはたひとし)




各年代の代表を経験してきた頼れるGK、背番号21。
ご存じコ−ジの同期、サイトでの通称「ソガ」
この人とのエピソードはものすごく多い気がする(笑)
入団の時からホントに陰ながらいいコンビだなんて思ってました。
何が一番印象的かというと、やっぱり車事件!(爆)
本人はソガが悪いって言い切ってたけど、たぶん誰がどう聞いても
コ−ジのほうが悪いと思う・・・(笑)
ソガといえば、代表などの合宿でコ−ジと同室な事がおおいそうで
最後に使ったのに電気を消さない!などとここでもいろいろあるようです(爆)

尊敬  
 (そんけい)



尊敬する人は?の質問にたびたび登場するのがこの2人
ジョルジーニョ選手(元鹿島)と本田泰人選手。
共にボランチの選手。



                


高原直泰  
 (たかはらなおひろ)





ブンデスリーガ、ハンブルガ―SVのFW。
とにかくゴールへの意識の高さをすごく感じる選手。
絶対点を獲るんだ!そんな気持ちが伝わるようなプレーを魅せてくれる。
酒井くんと同じくU−18の時からの仲間で、タカも
コ−ジとはとても仲がいい。今回CMにも共に出演。
ちなみにWユースでコ−ジが坊主になっちゃったのも
彼の影響&彼持参のバリカンによるもの。もうやめてね(笑)

昨年のW杯では、エコノミー症候群の影響から体調を崩し、
代表に入ることはありませんでした。でも、2006年間違いなく
日本を背負って立つFWになっているでしょうね。

タキシ−ド  
 (たきし−ど)





2000年7月に鹿島セントラルホテルで行われた”桂由美ブライダルショー”に
モデルとして出演した時に紺のタキシードで登場。
出演後「もういいです。サッカ−やってる方が楽」などと話してました。
あの頃でも似合っているとは思ったけれど、もうちょっと年齢を重ねたら
もっともっと似合うんじゃないかなと思う。
2000年9月初旬発売のNumberでこのタキシードにかけて、
彼のプレースタイルを評してあってなるほどと思いました(^^)

タッ君
 (たっくん)

鹿島アントラーズ、名良橋晃選手のご子息。
コージの心の友です。(笑)


 (て)

基本的にサッカーでは使用しない体の一部。
しかし、コージの手はすごくきれい。
指も長くて羨ましいです。シルバーのリングとか似合うと
思うのだが、本人はアクセサリー類が嫌いな模様・・。
言われてみるとしてるのって時計くらいじゃないかな。

帝京高校  
 (ていきょうこうこう)




みなさんご存じの通り、コ−ジが高校3年間を過ごした学校。
国見高校と同じく、過去数多くの有名選手を排出した
高校サッカー界で有数の強豪校。
中学生の時、選抜に出場した際に声をかけられ帝京高校に進学。
1年次は出場機会に恵まれなかったものの、2年から徐々に頭角を現し
3年ではキャプテンとしてチームを牽引。
インターハイも選手権も共にモト擁する東福岡に決勝で敗れたが
コ−ジはモトと並びMF注目の選手だった。

テニス  
 (てにす)




ルーキーの時に行われたイベントに参加した際に行われたスポ−ツ。 
その時行われたダブルスでのペアはモト。
小学生の頃に卓球をやってたからか、「すぐにサ−ブがはいるようになった!」
と話していました。のみこみは早かったようですねぇ。

転校  
 (てんこう)




小学3年生の時に神奈川から鳥取へ転校。
小さい頃から引っ越しが多かったようで、新しい環境に
なじむのは得意なんだそうです。

鳥取  
 (とっとり)



     
コ−ジの故郷。
小学生から中学3年生まで鳥取県米子市で過ごしたんだそうです。
コ−ジ曰く、街の中心に住んでいたそうです。
ちゃんと高島屋とかもあったってコメント。
モトに「高島屋しかなかったんじゃないの?」と突っ込まれると
「あとヤヨイ」と答えてたけど・・・読んでいた私も思わずモトと同じく、
ヤヨイってなに?と反応してしまいました(笑)
後にデパ−トらしいと判明、岩田屋みたいなもんか。
(・・幸聖くん(現山形)ならわかるはず 笑)

努力家
 (どりょくか)

鹿島、長石マネージャーのお話です。
「中田は、外見があんな風だから派手な性格だと
誤解されるかもしれないけど、本当に努力家。
周りに流されない自分のリズムを持っている。
例えば小さなことだけど、中田は頼んだ事をちゃんと
約束通りにやってくれる。意外とそういうことができない
若手も多い中、中田は社会人としてちゃんとしてる。
そう言う生真面目なところがある。
若さもあって失言もあったりするけど、
人間としてのベースを高いレベルで持っているから、
成長できるんだと思う。」
ありがたいお言葉ですね。きちん見ている人はいるんですね。

トヨタカップ
 (とよたかっぷ)

毎年、11月後半から12月頭にかけて行われる
南米チャンピオンVSヨーロッパチャンピオンの戦い。
2002年は、横浜国際でオリンピコVSレアル・マドリード。
コージはナラさんと一緒にメインスタンドで見たそうです。
90分、自分がプレーするよりも短く感じたとか。楽しめたようです。




《浩二苑エピソ−ド編その2へ》   

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