痛み

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 泣くのは、とても綺麗な行為だと思っていた。
 乾いた眼を潤すのではない、その体の奥底から感情に引き出されてくるそれそのもの。
 美しい所作だと思っていた。
 顔をぐちゃぐちゃにして何を言っているのか分からない言葉を叫び上げるのを、何度も何度も目にしても、その感想は変わらなかった。
 激しく罵りながら、自分の胸を叩く人を見つめながら、いつだってその綺麗さに言葉を忘れた。体が棒になったように立ち尽くして、襟首を締め上げられても、どうにも出来なかった。呆然と、そのひとの流れ行く涙の行方を辿るだけだった。申し訳ないとか、そういった謝罪の感情が表れるのはいつだってその次だった。




   

痛み






「だから?」
 いつになく冷たい目でルックが振り返った。スィンは別段気にする風もなく、「読書の邪魔だった?」と首を傾げる。
「邪魔だと思うなら静かにしてなよ」
「ルックが相手にしてくれないから、」
 暇だったと悪びれずに笑うその顔に、ルックは持っていた本を投げつけてやろうかと思った。厚さは10センチ。
「怒るくらいなら部屋に入れなければいいのに」
 全くだと胸のうちで呟いて、ルックは結局本を閉じた。古い紙とほこりのにおい。スィンは目を細めて、「優しいね」と微笑った。
「馬鹿言わないでほしいね」
「部屋に入れなければのあたり? 優しいのあたり?」
「そんなの自分で考えなよ」
 くすくすとスィンは笑って、「何読んでたの?」と訊ねる。ルックは顔を顰めて、「続きは?」と言った。
「話を聞いて欲しいならはぐらかさないでくれる?」
「聞いて欲しいわけじゃないよ」
 スィンは「ひとりごとだから」と呟く。
「暇だったんだよ、ただ単に。だから別に聞いて欲しいとか、そういうんじゃないんだ」
 ルックはますます顔を顰めた。「君ねぇ……」
「強いて言うなら、ルックのそういう顔を見るのも面白いとか――ってごめんごめん」
 本気で怒られそうな雰囲気に、スィンが先手を打って謝る。それでも謝罪は軽くにしか聞こえなかった。
 更にルックが眉間に皺を寄せると、スィンが眉尻を心持ち下げて、嘆息した。
「泣くのは、今でも苦手でさ、」
「得意な人なんてそういないと思うけど」
「うん、でも――」
 認識がそもそも間違っていたんだと、スィンはゆっくりと胸底に残る空気を吐き出す。「綺麗だなんて、どうして思ったりしたんだろう」
「綺麗なんて、そんなものじゃない、もっと――もっと息をするのと同じくらい当然な、感情の表し方なのにね」
 知らなかったことへの自嘲か、別のものか。スィンは小さく笑う。ルックは顔を前に戻した。だったら素直に泣けばいいのにと、いつか思ったことをまた思う。
「だからじゃないの?」
 いつもと同じ、呆れた口調。スィンはルックと目を合わせて「何が」と問う。
「息をするのと同じくらい素直なものだからじゃないの?」
 君とは正反対に位置するからねとルックは素っ気無く言い置いて、閉じた本をもう一度開いた。スィンは目を瞬いて、ルックとも正反対だねと言って、笑った。





 それから暫くの沈黙の後、「泣けばいいのに」と、やはり以前にルックが言ったものと同じ言葉をスィンは呟いた。
 僕にはそれが綺麗だとは思えないから。ルックはそう言って、もう振り返ることもなく本を捲った。
 紙の匂いがした。


end

2004.10.2


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