彼氏彼女

novel



 ふわり、ピンク色の髪が頬に触れた。
 かと思えば肩に手が乗り、後ろから抱きつかれる。無重力なので重くはないが、驚いてアスランは硬直した。
 振り返った先で、ラクスは悪戯を誇るように微笑んでいる。




   

彼氏彼女






 何してるんですか!
 叫びそうになったアスランの唇を、ラクスは人差し指で触れ、しぃ、と内緒話でもするようにさとした。
「キラとカガリさんに気づかれてしまいますわ」
「気づかれるって、ラクス……?」
「あら、だって隠れてらしたのでしょう?」
 ラクスの示す先には仲良く話し込んでいるふたり――キラとカガリの姿が見える。
 彼女にそんなつもりがなくとも、ここで立ち尽くしていたことを暗に咎められたような気がして、アスランはばつが悪そうに顔を伏せた。
「どうかなさいました?」
 ラクスは目を瞬いて、アスランの顔を覗き込む。
 アスランはゆるりと首を振り、「それより、」と話を逸らすように話題を変えた。
「ラクスはどうしてここに? ブリッジにいなくていいんですか」
「バルトフェルトさまにお任せしてきましたわ。私はアスランとお話したくて参りましたの」
 微笑んで、首を傾げる姿にアスランは妙な既視感を覚えた。
 ハロを渡して微笑みあった日のような、穏やかな気持ちが胸を満たす。
「そう言えば、ふたりで話す機会もありませんでしたね」
 ええ! 嬉しそうにラクスが頷くので、アスランも思わず微笑む。
「じゃあ、場所を移りましょうか」
「よろしいのですか?」
「何がです?」
 アスランの影に隠れるようにして、ラクスも双子を見つめた。「カガリさん」
「こちらにいらっしゃるのは、アスランに会いに来たからではありませんか?」
「え、でもカガリはキラと――」
 双子を振り仰ぐアスランに、ラクスは泣きそうに笑う。「アスランは、」
「相変わらず気づかないふりがお上手ですのね」
「ラクス?」
「それとも、本当に気づいていないとおっしゃいますの?」
「ラクス、一体何を言ってるんですか」
 アスランの言葉に構うことなく、思いつめたようにラクスはぎゅ、と手を胸の前で握り合わせた。
「カガリさんは、――」
 それだけ言って、俯く。
 カガリはアスランのことが好きだ。だからきっとエターナルにくるのだろう。
 そのことを、ラクスは知っている。おそらくキラも。けれどラクスがアスランにそれを告げるのは、フェアではない。
 アスランが気づいていても、いなくても。
「ラクス? 泣いているんですか?」
 ぎこちなくも優しい指が、俯くラクスの頬に触れる。濡れていないことに安堵したのか離れようとする手を、ラクスは頬に押し当てるように抑えた。
 青い瞳が、うっすらと膜を張ってアスランを見つめる。「私、」
「キラとキスをしました」
 びくっと、火傷を負ったときのようにアスランの手がラクスからまた離れようとする。ラクスは許さず、両手でそれを押さえる。
「放してください、ラクス」
 アスランは振り払おうとはせず、硬い声でそう言った。
 ラクスは喉を上下させる。背中が冷たくなるのを感じた。
「嘘ですわ」
 キスをしたなんて嘘です。ラクスはそう言いながら、いっそう強くアスランの手をつかむ。
 振り払われるのが怖かった。
「何で、嘘なんか吐くんですか」
 呆れと言うより、疲れを滲ませた声。そして溜息。
 ラクスは僅かに安心して、力を緩めた。
「アスランは、怒りましたわね」
「そんなことはありません」
「嘘です」
 怒りましたでしょう、再度訊ねると、アスランは視線を逸らして「そんなことはありません」と繰り返した。
 ラクスはむっと頬を膨らませ、「いいえ怒りましたわ」と詰め寄った。アスランはつられたのか、むきになって返す。
「大体、怒ったから何だと言うんです」
「誰に怒ったのですか? キラに? それとも私に?」
 アスランは視線を逸らした。
「キラにも貴女にも、怒る理由がありません」
 ラクスはアスランの視線の先に回りこんだ。押し当てていた手を放して、逆にアスランの頬を両手で挟む。
「何故です? もう、婚約者ではないから?」
「そうです」
 歯を食いしばるようにアスランは答えた。視線を逸らす場所がなく、自棄になって目を伏せる。
 ラクスはますます頬を膨らませて、アスランの頬に当てていた手を放した。そしてそっとアスランが目を開く瞬間を狙って、ぺちりと頬を打った。
「理由がなくてはいけませんか?」
 驚いて目を瞬かせるアスランに、ラクスは膨れたまま訊ねる。
「私は今、アスランに怒っています。もう婚約者ではないのに。これは、いけないことですか」
「いえ、それは、俺が何か失礼なことを言ったからでしょう」
「そうですわ」
 どん、と思い切りアスランの胸を叩いてやりたかった。しかし重力のないこの場では叶わない。
 きっと、重力がなくても、ラクスの力ではアスランに痛みを与えることはできないだろうけれど。
「貴方は婚約者ではない私など、怒る価値もないと仰ったも同然ですのよ」
「それは違う!」
 弾かれたようにアスランはラクスの肩をつかんだ。
「違います、ラクス。俺は、」
 言いかけて、アスランははっとしたようにラクスの肩から手を放そうとする。しかしラクスはアスランから離れようとしなかった。
「アスランは、何ですの? 続きを仰ってください」
「いえ、すみませんでした。何でもないんです」
「仰ってください、アスラン」
 ラクスは譲らない。
 強い視線に、アスランは顔を俯けた。
「俺は、もう貴女の婚約者ではないんです。だから、ラクス。貴女はもう俺のことなど気にしないで、本当に好きなひとと幸せになる努力をしていいんですよ」
 ぺちり。言い終えたアスランを、もう一度ラクスは平手で張った。
「だから私が怒るのだと、どうしてわかりませんの? アスラン」
 頬を押さえるアスランに、ラクスは続ける。
「貴方が私の嘘に怒ったのも、私が貴方に怒るのも、きっと同じ理由ですわ。婚約者なんて理由で片付けてしまわないで」
「ラクス、」
「貴方が理由を必要とするなら、私自身が差し上げます。ですから貴方も私に、その理由を下さい」
 アスランは、意味を図りかねて口を噤んだ。彼の小さな腕の中の空間で、一心に見つめてくるこの少女は、昔彼がキスを送った彼女なのか、それとも、彼を強い志で導いた彼女なのか。
 いや、どちらも同じ少女だ。アスランははっとする。
 どちらも、目の前で泣きそうに震えて、それでも強く強く見つめてくるこの少女だ。
「私は、アスラン、貴方を――」
「待ってください」
 アスランは手を伸ばす必要もなく、彼女を腕の中に収めることができた。視線を合わせて、もう一度言う。「待ってください」
「その先は、俺に言わせてください、ラクス」
「アスラン?」
 緩んだ力に、ラクスはそっとアスランの胸を押してその顔を見上げるのに丁度いい距離を取る。
 ラクスがじっと見つめる先で、アスランは一度口を開き、噛み締めるように閉じた。
 それから、ラクスが一番良く見知った微笑を浮かべる。
「好きです、ラクス。貴女をもう一度抱き締める理由を、俺にくれますか?」
 ラクスはすぐにその首に両腕を回す。
 ふわり。ピンク色の髪がアスランの鼻先を掠めた。
「抱き合うのに理由なんて必要ないと、アスランはいい加減気づくべきですわ」
 ぎこちなくラクスの背を支えながら、「貴女には敵いませんね」とアスランが困ったのように溜息を吐く。
 ラクスはころころと笑って、アスランの首に額を寄せた。



end

2005/05/09

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