イロトリドリノセカイ

novel



 色の溢れた世界は美しい?




   

イロトリドリノセカイ






 世界のいろいろな場所を歩いた。
 いろいろなものを見た。いろいろなものを聞いた。
 それは確かに知識として、自分の糧となったけれど、自分のことを救うものとは思わなかった。
 思えなかった。
 少なくとも、そのときまでは。





 日課になりつつある散歩。
 この間、この、グレッグミンスターを一望できる場所をテッドが教えてから、スィンは家からそこまでを最適の散歩コースと定めたようだ。見慣れない木や草や花、虫。それらが彼の気を引いていることは想像に難くなく、また事実でもある。大抵の場合、テッドがそれらの名前や効能を知っているから、余計かもしれない。
 今日もそれは続いている。
 例えば、今のように。
「テッド」
 スィンがぐいぐいと、テッドの袖を引く。興味は木の上にあるのか、袖を引きつつも目はそちらへと向いている。その視線を追いつつ、テッドは欠伸を噛み殺して返事をした。
「んー?」
「じゃあコレ、コレは?」
「これは、イチイだな。秋になると、赤色の実をつけるんだ」
 テッドにとっては何でもないことだったが、伝えてやるとスィンは「へえー」と感心したように唸る。テッドはその眉間に皺を発見した。
「どした?」
「いや、テッドはいろいろ物を知ってるよな」
 ふくれた顔に、思わず吹き出す。するとますます、スィンはふくれた。
 テッドは遠慮なく声を出して笑う。
「ま、環境下が違ったからな」
 テッドはしれっと嘯いた。スィンの眉間の皺に、変化はない。
 本当は違う。
 育った環境下云々の前に、自分はこれ以上成長しない。
 ただ世界を歩き回って、知るともなしに知っただけ。
 スィンのように、知ろうともせず、知ってしまっただけ。でも。それでも。
「でもテッドといると、自分が物知らずだと痛感するんだ」
 スィンが余りに悔しそうに言うので、テッドはついつい額を弾く。結構思い切りやったので、「っだッ!」と叫んでスィンは額を押さえた。涙目で、恨めしそうにテッドを睨む。
「いいんじゃねえの」
「何が」
 何をするんだよと、言いたかったのだろうが、タイミングを逃したらしい。律儀と言うか礼儀正しいと言うか??単純と言うか。そんなことを考えてテッドは密かに笑いを噛み殺す。
「お前は、これから知っていくんだ」
「でも」
「焦るなよ。スィン。まだ、ずっと、ずっと先は長いんだ」
 それはきっと、自分よりも短いのだろうけれど。
 この瞬間も、スィンと自分が共に過ごした日々も過ごしていく日々も、きっとそれに比べたら、はるかに短いとき時間であろうけれど。
「俺が知っていることをお前が継いでいく。そして更にお前はお前でまた違ったいろいろなものを知っていく。学んでいく。それが大事なんじゃないか?」
 ふくれた顔がするりと苦笑に変わる。スィンは嘆息して見せた。
「歳は変わらないのにな。どうにもテッドと話していると、自分の幼稚さを思い知らされる」
「人生経験の差だな」
 精神年齢の差だとテッドが意地悪く言ってやると、またスィンはふくれた。
 そして二人、吹き出して、笑った。





 焦るなよ。本当にそう思う。
 知ってることなんか、全然大した事じゃない。
 けれど嬉しいとも思う。
 受け継がれて、お前の糧となっていくのならば、きっとそれは意味が在ったということだから。
 嘘のようだけれど、本当に。
 世界の変わる瞬間を、お前に逢って見つけることができたんだ。
 そんなことを、勿論口に出しては一生言わない。何があったって、言ってやりやしないけれど。
 今は、この世界を。色の溢れる世界を。音の溢れる世界を。
 溢れ出ていくこの世界を、美しいと思えるから。


end

2005.11.24 改稿


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