遠くにあるもの

novel



 鼻先がむずむずとして、くしゃみをひとつ。ルックはそのままぼんやりと目を開いた。暗い。
 身体を起こすと、ぎしぎしと軋み、痛かった。辺りを見回すと、近くには酒瓶とシーナが仲良く転がっていた。少し重い頭を押さえ、ルックは眠る前のことを思い返す。――そうだ、酒盛りをしていた。ルックとシーナ、それからスィンの三人で。
 そういうことはよくあった。ビクトールやシーナは、どこからか知らないが酒を調達してくるのがうまい。人前で気を張り続けている軍主の心身を、僅かでも、一時でも緩められればと、この集まりにばかりは軍師も目を瞑っている。それにアルコールが少し入った方が、眠れるかもしれないと、ぽつりと漏らしたのはフリックだっただろうか。
 ルックは部屋のなかをぐるりと見回し、窓の前で膝を抱えているスィンを見つけた。
 近寄って隣に腰を下ろす。眠ってはいないが、窓から目を逸らすこともない。
「眠れないの?」
 ルックの声は、広く静かな部屋に随分と頼りなく落ちた。
 スィンが首を傾げるようにしてルックの方へと顔を向けた。ゆるゆると揺らぐ闇色の瞳。光が散って、月を浮かべた夜空のようだと思う。
 そんなことを考えていたら急に毛布を押しつけられ、ルックは目を白黒させた。
「なに」
「さっきくしゃみしてたから。寝るときは温かくした方がいいと思う」
「君に言われたくないよ」
 言いながらもルックは毛布を羽織る。並んで、自然とルックも窓を見上げた。
 今日は雲もなく、星がよく見えた。まだアルコールが残っているせいか、滲んだような星がちらちらと瞬いて見えて美しい。
(あ)
 視界の端で、ひとつ、流れた。ただそれだけのことだけれど、伝えたくて、ルックはスィンへと顔を向けた。だがスィンは、立てた膝に顔を埋めていた。
(寝てる?)
 窺うようにのぞき込む。寝息の気配もないから分からない。温かくしろといったのは自分なのにと思いながら、毛布を分けようとルックは身じろいだ。
「ルック」
「……なに」
 起きていたのか。毛布をかけようとした手を止める。
「大人になるってなんだと思う」
 スィンは顔を埋めたままだ。籠もった声は、泣いているようにも聞こえた。
「大人?」
「そう」
「何だ、ってそんなの……」
 答えようがない。ルックは途方に暮れた。歳を重ねること、知識を増やすこと、何だって答えになりうる。
「君はそれ以上成長しないよ」
「分かってる」
 そういうことじゃないのだろうと分かっていた。それでも、ルックは知らず紋章を有する手の甲を眺める。
 積もりゆく沈黙がもどかしい。スィンの望む答を、ルックは探し出すことが出来ない。すると不意に、ルックの頭上に影が落ちた。
「女を知るっていうのもひとつだよなー」
 急に肩を抱き込まれ、ルックは心臓が口から飛び出るような思いをした。驚いてしまった自分に舌打ちしつつ、背後を振り返る。
「シーナ」
「どっちかっていうとこれは男になるっていうカンジ?」
 ルックが睨みつけることなど構いもせず、シーナはぱっと身を離すとスィンを挟んで反対側に腰を下ろした。転がっていた時に抱えていた酒瓶はなく、顔色も普通だ。アルコールはすでにぬけたのだろうか。「っつーかさ」
「何で大人なんだ? いきなり」
 シーナは後ろに手をつき、スィンの背越しにルックを見た。ルックはふい、と顔を背けたが、その問いかけは無視できないところだった。スィンを窺う。
「うまくいかない」
「なにが」
「交渉も、指揮も、会議も――うまく立ち回れない」
 顔を上げないスィンを挟んで、ルックとシーナは顔を見合わせた。そんなことはないだろう、とお互い思っている。言葉に出さなくても、そんなことは分かる。シーナがくしゃりとスィンの頭を撫でた。バンダナがぱさりと落ちる。
「酔ってるか?」
「別に」
「酔ってるみたいだね」
 ルックは今度こそ毛布をスィンに分けた。それでもスィンの頑なな背中は揺るがない。
「酔ってないよ、ただ、」
 数秒の沈黙。それから小さな声が、もっと、と囁きのように届く。
「大人だったら、と思う。大人だったら、もっとうまく立ち回れるのか、戦火を広げずにいられるのか――誰かを、傷つけずにすむのか」
 守れるのか。
 秘密ごとを囁かれているような気分だった。シーナは変わらずぐしゃぐしゃとスィンの頭を撫で、ルックは知らず体温を分けるように寄り添う。
(変わらないよ)
 思う。口にはしないけれど。
 大人になることで、全てがうまく回るのだとしたら、子供であるスィンがこんなにも色々なものを背負う必要などないはずだ。
 大人。スィンが口にするそれが何を指すのか、ルックには分からない。けれどもし、自分がそこの地点に辿り着くことができたなら、と思う。
 そうすれば、もっと。
 もっと、うまく。
 ぼんやりとそんなことを考えていたら、頭をぐしゃぐしゃと撫でるように押さえ込まれ、ルックは目を瞬いた。シーナだ。
「何すんのさ」
「お前らはぐちゃぐちゃ考え込みすぎなんだよ」
 ぺしぺしとルックとスィンはまとめてシーナに叩かれた。睨むルックに、シーナは肩を竦めてみせた。「大人とかは知らねーけど」
「いま精一杯生きてんだから、それでいいんじゃねえの」
 ルックは何か答えのようなものがすとんと胸に落ちてきたような気がして、言葉を失う。スィンもそうなのか、ようやっともそもそと顔を上げた。目元は少し赤いが、泣いてはいない。そのことにルックはひどく安堵する。
 ふたりからまじまじと見つめられて座りが悪いのか、シーナは身じろぐ。
「何だよ」
「いや、シーナが案外まともなことを言うから」
「悪いかよ」
「悪くはないけど、驚いた」
 スィンの感心したような呟きに、シーナはがしがしと頭をかいた。照れ隠しだろうか。そう考える先で毛布が引っ張られ、ルックは床に転がりそうになる。慌てて倒れないよう体勢を整える。「なに」
「もう寝る」
「この体勢で? って、ちょっと。三人は無理だよ」
 ルックが毛布を引っ張り返すと、さらにシーナが引っ張った。
「そっちふたり小さいんだから詰めればいけるだろ」
「狭いんだけど」
「もっと寄れっていってんだろ」
 ぐいぐいと毛布を引っ張り合うふたりの間で、スィンが小さく笑った。そしておやすみと告げる声。
 ルックとシーナは顔を見合わせて、おやすみとやはり笑みを含みながら返した。


end

2011.10.17


novel


Copyright(c) 2011 NEIKO.N all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!