魔法のことば。

novel



 施錠されていなかった自室。そして扉を開けた途端に頬を撫ぜた風を、ルックは訝しく思った。
 フィルの遠征に付き合っていたから、部屋に戻るのは一週間ぶりだ。出がけに戸締まりは確認したはずだと思いながら中に入り、すぐに理由が知れる。スィンが来ている。
 備えられたテーブルに組んだ腕を乗せ、頭を転がすようにして寝息を立てている。ずいぶん無防備な姿だった。
 窓から少し強い風が入り込み、テーブルに開いたまま放置された本のページがぺらぺらと捲れていく。それを横目に、ルックは窓に寄り、閉めた。そろそろ夕刻になり、空気も冷え始める頃だ。毛布でもかけるか、とスィンを振り仰ぐと、ちょうどその頭がゆっくりと起き上がるところだった。
 スィンはぼんやりと自分の状況を把握するかのように目を瞬かせると、すぐにルックに気づいた。寝起き特有の、いつもよりゆるゆるとした笑みを浮かべる。「おかえりなさい」
 ルックは一瞬その笑みに見惚れ、それから少し顔をしかめてみせた。「君ね」
「自由に入って構わないとは前に言ったけど、窓もドアも開けっ放しで寝るなんて無用心すぎるよ」
 スィンは目元を擦り、小さな欠伸を噛み殺す。
「そんなに疲れてなかったから、ルック以外が来たならすぐに分かったよ」
「もっと用心したら、って言ってるんだけど」
 スィンは窓辺に立ったままのルックを見上げ、苦笑しつつ頷いた。
「分かったよ」
 大概スィンはこういうとき頷くけれど、本気で頷いているかは怪しい。ルックはスィンを憮然と睨みつけ、嘆息した。問いただしたところで、どうせ躱されてしまうだろう。
「何で僕だと分からないわけ?」
「何が?」
「気配。さっき自分で言っただろ、僕以外なら分かるって」
 確かに注意こそしたけれど、スィンだとて気をつけていないわけではないのだろう。真の紋章を持つこと、トランの英雄とされていること。諸々の事情が積み重なって、立場は複雑だ。ここ――同盟軍の本拠地にいるのなら、なおのこと。
「分からないというか、分かるけど」
「何それ」
 スィンは考えるように首を回した。「何て言うのかな」
「ルックだと、大丈夫だなーっていうのを、身体が覚えたみたいで、身構える気にならない」
 本能のようなものかな。スィンは呟く。「グレミオとかも、同じ感じ」
 ルックは頷くそぶりで顔を逸らした。本能、という言葉が、まるで相手の意図しない深くにまで自分の存在を許されているようでこそばゆい。
 「そういえば」と強引に話題を変える。
「いつから来てた?」
「今日来たばっかりだよ。すれ違いにならなくてよかった」
「何か用? わざわざここまで君が、自主的に来るなんて」
 スィンはああ、とテーブルに放っておかれた本を閉じた。一週間前、遠征に出る前日にルックが貸したものだ。
「返そうと思って」
「いつでもよかったのに」
「続きも借りたかったし」
 それに、とスィンが何気なく付け加える。「会いたかったし」
 寝起きだから、色んなもののガードが緩んでいるのだろうか。いつだって、そうそうそんなことを口にしないのに。そう思いながらルックはまじまじとスィンを見つめた。スィンは居心地悪そうに身じろぐ。
「何だよ……」
「珍しいね。そういうことを言うのは」
 スィンは肩を竦める。「たまにはね」
 たかが一週間。されど一週間。ふたりにとって、会わずにいてもおかしくないくらいの長さだが、不意に意識してしまうと会いたくなる。それはルックも同じだ。だからそれ以上言及するのはやめた。
「もう一回言いなよ」
「何を?」
「さっきの」
 さっきの? とスィンは目を瞬かせる。「……『会いたかったし』?」
 それじゃない。ルックはスィンを上に向かせると、その額に触れた。長い間押し当てられていたせいか、そこだけ赤くなっている。
「帰ってきたときのやつ」
 それで漸くスィンは分かったらしく、ふっと微笑んだ。触れるルックの指先がくすぐったいのか、くすくすと笑う。
 大きな瞳が柔らかくルックを映した。
「おかえりなさい」
 ルックも口元を緩める。ずっと張っていた肩から、少し、力が抜けるような気がした。そうしてスィンの腕の跡が残る箇所に、軽く額を当てる。
「ただいま」
 うたた寝の跡がついてるよ。そう教えながら、今度はそこにひとつキスを落とした。


end

2011.06.18


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