I'll be there.  2

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 雨だなあ。ぼんやりとスィンは思う。
 雨。ぽつ、と脳天にひとつぶ落ちた。
 別に雨がどうこうというわけでもないのだけれど。スィンは息をひとつ吐いた。
 どういうわけではなくとも、胸のうちが重くなっていくのを止められない。特に、ここ──グレッグミンスターでは。
 バナーに飛ばしてもらってから、急いだけれども結局雨に降られてしまった。少し濡れてしまうと急いでいたのもどうでもよくなり、すっかり足は鈍くなっている。
 このままだときっと、グレミオに叱られるだろう。そんなことを考えた。考えてなければ、溜息を吐くのをやめられないからだ。
 雨は好きじゃない。雨に濡れるのは、もっと好きではない。スィンはひとつ息を吐いて空を見上げた。
 ここでない場所なら、どうということもないのだけど。
 濡れた地、濡れた街の光景を見ると、否応なく思い出されるものがある。
 後悔ならこれ以上ないくらいに。どんどんマイナスへと突き進む自分の思考回路を阻む手段を思いつかず、スィンはいつのまにか立ち尽くしていた。ぼうっと、ただ雨粒が落ち、水たまりを揺らすのを見るともなしに見ていた。
 この地に降る雨と、他の場所に降る雨。変わるところなんて何一つとしてないのに、この雨に対してだけは、いつまで経ってもこんなふうになってしまう。自覚があるだけに、性質が悪いとスィンは思った。
 どれくらい立ち尽くしていたのか。ふと、馴染んだ空気が鼻先を掠めるのを感じて、スィンは顔を上げた。紋章のにおい。
 身構える必要はないことを、経験で知っている。不思議と、忘れることはなかった。
 ふわ、と重量そのものを感じさせずに現れた彼は、スィンの姿を見て早々に眉を寄せた。
「馬鹿じゃないの」
「うーん……」
 スィンは曖昧に笑った。まだ頭がぼんやりとしている。何故ここに、と魔道の残滓がきらきらと空気に溶けていくのを見ながら思った。
「何笑ってるのさ」
「いや別に。どうしたの、ルック」
「……別に」
 ルックはふいと顔を背けた。別に。スィンは首を傾げた。そういえば、忠告をしてもらっていたと、今更になって思い出す。
「ルックの言う通りだったね」
「は?」
「雨」
 ルックの顔が更に不機嫌そうに顰められた。
「君、雨降るって分かってたんじゃないの?」
「確信はなかったけど。単に曇ってたから」
 ルックは呆れたのか、何も言わずにスィンの手を取った。するり、絡まる手はあまりにも自然で、解く気にさせない。右手だというのに、気に障らなかった。
「ルック?」
「帰るんだろ」
 前を向いたままのルックの声でも、不思議と雨に打ち消されずに拾うことができた。スィンが応える前にルックはさっさと歩き出す。
「え、ルック?」
「なに」
「いやだから、どうしたんだよ? こんな雨のなか。やっぱり何か、用があったの?」
 傘を差していないから当たり前なのだろうが、ふたりはすっかり雨に濡れてしまっていた。ルックが傘を差す、というのもスィンにはあまり思いつかなかったが、濡れている姿というのもまた、同じくらいに不自然に見える。
 自分が雨に打たれる分には一向に構わないのだが、他人が濡れている姿はあまり気持ちのよいものではない。ルックの背を追いながら、スィンはそんなことに気づいた。痛々しくさえ、感じる。
 誰かに重ね合わせて感傷を覚えているのか。笑いたくもないのに、スィンの唇が笑みの形に歪んだ。
「何笑ってるのさ」
 ふ、と顔を上げると、不機嫌な顔が見える。
 スィンは苦笑しながら首を振った。「いや、」
「濡れるよ」
「もうとっくに」
「そうだけど」
 スィンは嘆息する。
 近くに大きな木が見えたので、ぐっとルックの手を引いた。完全に雨が防げるわけでもないが、雨宿りくらいにはなるだろう。
 ルックは抗うわけでもなく、スィンに倣う。
「雨宿り?」
「ほんとに風邪ひくじゃないか」
 スィンが息を吐くと、ルックはふん、と鼻を鳴らした。「なんだ」
「濡れたいのかと思った」
「……何で」
 スィンが眉根を寄せて問う。ルックは「別に」と応えた。
「そういうふうに見えた」
 雨足が、少しずつ酷くなる。ざあざあと響く音の中で、「そんなことはないよ」とスィンは呟くように言った。
「そう。」
 ルックは静かに頷く。濡れた髪から、ぱた、と水滴が落ちる。
 いやに落ち着かず、スィンは視線を迷わせた。
「それで……さっきから訊いてるけど、何か用だった?」
「ああ、馬鹿だって言ってやろうと思って」
 ルックがあまりにもさらりと言うので、スィンは一瞬何を言われたのか分からなかった。
 数秒考え込んで、漸く口を開く。
「は?」
「人の忠告も聞かずに、雨に降られてるし」
「あ、ああ」
「呆けた顔して突っ立ってるし」
「……」
「挙句に他人の心配? 馬鹿じゃないの」
 スィンは返す言葉もなく、はあ、と曖昧に頷く。久々に怒られたような気がする。
「……まさかルックそれだけ言いに来たんじゃないよね?」
 顰められた眉に、あ。とスィンは思う。――また怒らせてしまった。
 ルックはぐしゃ、と前髪をかきあげた。
「それだけだよ」
「そ、それだけ?」
「僕の言いたいことはね」
 含んだような物言いに、スィンは首を傾ける。
「どういう意味?」
 ルックは溜息を吐いた。「いい加減」
「ひとりで考え込むのやめたらってことだよ」
 ああ、とスィンはひとつ頷いた。何が言いたいのかが漸く分かって苦笑する。
「別に考え込んでないよ、ルック」
 「そうやって笑う癖もね」ルックはぺちりとスィンの額を軽く叩いた。「変わってないね」
「ルックも。割といつも叩くよね」
「君がそう馬鹿なこと言わなければ叩かないよ」
「そうかな」
 スィンは木に後頭部を押し付けた。少し、体が冷えてきたのか、寒気がする。
「こんなところに一緒に雨に打たれに来たルックは、馬鹿じゃないの?」
 スィンは意地悪く口端を上げて見せた。
 しかしスィンの予想と反して、ルックはそのことにさして機嫌を損ねなかった。軽く息を吐いて、肩を竦めただけだ。「さあね」
 スィンは嘆息して、後頭部だけでなく、体を木に凭れさせる。雨宿りなのか、何なのか、もう目的が良く分からなくなっていた。
 知らず溜息が漏れる。するとルックが、徐に口を開いた。「君は、」
「まだ、気持ちに整理がついてないんだね」
 スィンは、もう一度溜息を吐いた。自嘲のために笑いが込み上げてきて、口を片手で覆う。鉛を、無理に喉に詰めたような嘔吐感を覚えた。
 何でだろう。スィンはルックへと視線を向けながら思う。
 ――いつでも、ルックに核心を衝かれている。
「まだ、というか……家に帰ってきたら、色々改めて実感したよ」
 覆った手を、ゆっくりと下ろす。ルックが目を細めて、「何を」と問うた。
 胸の中に残っている空気全てを吐き出すように、スィンは深く息を吐いた。
「好きだってこと」


2006.03.15


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