「可哀想に…ずっと一人で耐えてきたんだな」 痛ましげな視線をアリアに向けながら、ゼノンがそうぽつりと呟いた。 混乱して支離滅裂なアリアの言葉を繋げると、彼女は以前所属していたギルドのオーナーに乱暴されかけ、 それが元でずっと一人で行動していたという事実が理解できた、。 アリアは今、ルーヴェルの傍らで深い眠りに落ちている。吐き出すような告白の後、軽い恐慌状態に陥った彼女を、 パウ・チャが呪歌で半ば無理矢理寝かしつけたのだ。次に目が覚めれば、おそらく少しは落ちついているだろう。 「『うち』は幸いそういう事はないからな…サフィも、ミューリルも、下手に手を出したら逆に半殺しに遭うだろうし」 タルタルの男がくすりと苦笑いした。だが、すぐその表情が固くなる。 「…パウ。彼女を、ギルドに入れてやれないか?」 ぽつりとルーヴェルがそう漏らした。その指先が、無意識にアリアの黒髪に触れている。 パウ・チャの眉がぴくりと動いた。普段から無口なこの青年が、頼み事を持ち込む事だけでも珍しいのに、 彼がこんな風に他人に関心を持つのを、パウ・チャは初めて見た気がした。 聞けば、ルーヴェルとアリアが知り合うきっかけとなったのは、彼がこの娘の命を救ったからだという。 青年の過去の経緯を知っているだけに、パウ・チャは尚更慎重にその言葉の意味を反芻していた。 「構わないが…それは、あくまでこの子が同意した場合だぞ」 釘を差すように、タルタルはエルヴァーンに噛んで含めるような物言いをした。 「あの怯えようだ。まぁ、強姦されかけたんだから無理もない。『うち』としても白魔道士が来てくれるのは大賛成だが、  強制しようものなら、この子に乱暴した奴らと同じになっちまう。それだけは忘れてくれるなよ」 ルーヴェルが眉をひそめた。パウ・チャの言葉はいつも正しい。 「そう…そう、だな」 辛うじてそれだけを、エルヴァーンは口にした。 眠る彼女の睫毛の、その先が涙に濡れているのに気づいてぎりっと歯を噛みしめる。 不意に、ルーヴェルの足下に小さな布袋が放り投げられた。中には、リンクシェルから生み出されたパールがぎっしりと 詰まっている。 「ま、その子の勧誘はお前に任せるよ。折を見て話せばいいだろう?  これを機に少しは人が増えてくれると、俺としても随分助かるんだがなぁ…」 にやりと笑うと、パウ・チャは再び眠るための準備を始めた。新たに煎れ直した茶を飲み干し、毛布にくるまって ごろりと横になる。 「兎に角、しばらくはお前が守ってやれ。…これも、巡り合わせってヤツなのかね」 誰に言うわけでもなく、タルタルの男はそう呟いた。ルーヴェルの心の時計が、少しずつ動き始めたのを感じながら。 吹き込む風音で、アリアは目を覚ました。遠目に、外の明かりがぼんやりと廃墟に差し込んでいるのが分かる。 視線を上げると、エルヴァーンの青年が胡座をかいたまま、目を閉じている横顔が映った。焚き火の反対側には、 ヒュームの男と、タルタルの男がそれぞれ思い思いの格好で眠っているのが見える。 「眠れたか」 ごく小さな声で囁かれて、彼女はびくっと震えた。ルーヴェルの水色の瞳が、自分を見下ろしている。 まさか、とアリアは感づいた。彼はずっと起きていて、見張りをしていたのだろうか? 「…あの、ずっと起きてたんですか?」 青年が少し首を傾げた。とっさに質問の意味を図りかねたらしい。 「いや…少し、寝た」 「少しって…」 アリアはその答えに絶句し、体を起こしかけた。彼一人に見張りをさせて、自分だけが熟睡していたという事実が、 彼女を慌てさせる。 「替わります、ルーヴェルさんもどうか休んで下さい」 その返答に、今度はルーヴェルが眉をひそめた。起きようとするアリアを手で制する。 「何を言っている?お前こそ休まなければならないだろう」 「でも…」 エルヴァーンの大きな手が、ヒュームの娘の肩に触れた。そのままぐいと、地面に押しつける。あっという間に、 小柄な体が毛布でくるまれた。左半身を下にして、どうにか首だけ伸ばしながら、アリアはルーヴェルを見上げる。 「…これが俺の役割だ。それに、お前が傷を癒してくれたからあまり休む必要もない。気にするな」 彼の声はどこまでも穏やかだった。固いようでいて、温かい。その指先が、偶然アリアの頬に触れた。 「冷えているな、大丈夫か?」 他意のない、純粋な言葉が彼女の胸を打つ。仲間をいたわる、ありふれた言葉が傷ついた心に染みわたる。 「大丈夫、です。でも…」 他人を、特に男性の冒険者に対して、明らかな隔意を抱いていたアリアの心が、寂しさに負けて疼き始めた。 「ちょっとだけ、温めてくれると嬉しいです…今だけ、ほんの少しでいいですから…」 そう、今だけだ。いつかこの人達とは別れるのだから。アリアは自分にそう言い聞かせた。 ルーヴェルの手のひらが、ふわりと彼女の頬を包む。その手が、ほろりとこぼれた涙をも隠してしまって、 彼に気づかせないはずだ。 「…どうした」 しかし、涙はなかなか止まらなくて、やがてルーヴェルに気づかれてしまう。その声が少し揺れていた事に、 残念ながらアリアは気づかない。 「なんでも、なんでもないです…ごめんなさい…」 小さな肩が震えていた。嗚咽の声は、辛うじて燃える焚き火の音にかき消されて、反対側にまでは届かない。 どうして彼らはこんなに優しいのだろう。頑なに凍えたアリアの心が、ゆっくりと溶け始める。 頬に触れる温もりが、彼女をつかの間、幸福にさせた。そして気づくのだ。 (…わたし、この人が好きなんだ) どちらかと言えばエルヴァーンは、特に貴族は多種族を見下す者が多い。サンドリア王国で、アリアは嫌と言うほど それを思い知らされた。家が没落して冒険者に身をやつす者もいたから、高慢なプライドをそのままに持ち込む者も 少なくなかった。 貴族特有の「におい」を、アリアはルーヴェルに対してもわずかに感じていた。だが、彼は自尊心をひけちらかす事どころか、 他人を見下すことなど決してなかった。切れ長の瞳に見つめられる度、徐々に変化していく自分を、彼女は止められない。 「もう少し眠っていろ。どうせあいつらも当分起きられない」 囁く声が、アリアの胸を震わせた。怯えが消えて、代わりに甘く切ない想いがその内を満たし始める。 吹き抜ける風は、もう彼女を凍えさせない。 数日後、目的の魔導書を手に入れた彼らは、一度ジュノへと帰還した。その次の日の事である。 *+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+* 「昨日の今日だぞ。何を考えて居るんだ!」 寡黙なはずの青年が、怒りも露わにそう叫んだ。アリアはびくっと体を震わせ、その豹変ぶりに戸惑っている。 「でも、私そうしないと…その、冒険者資格が…」 孤児であったアリアはバストゥークの訓練施設で育った。そして、そこで冒険者資格を授与された者は、一定期間の間に所定の戦績を 納めなければ即座に登録を抹消されてしまう。フェ・インでの探索に予想以上に時間をとられたため、次の期日はぎりぎりで、 今日明日中に討伐隊へ参加し、出立しなければ間に合わないところまで迫っていたのだ。 事情を聞いたルーヴェルは絶句した。形の良い眉がひそめられ、拳をぎりりと握りしめる。 男女の別なく、国の強制に振り回される者。その姿に、ルーヴェルがかつての自分の姿を重ねていることを、アリアは気づかない。 「そろそろ、行きます。本当に間に合わなくなってしまいそうですから…今日まで、本当に有り難うございました」 ぺこりと頭を下げるアリア。その表情が微妙に揺れていることに、ルーヴェルは気づかない。ただ、その細い肩が重荷で折れてしまうのでは ないかという錯覚を、彼に覚えさせる。視線を伏せたまま背を向ける娘を、青年は胸かきむしられる想いで見つめた。 「いいの〜?、追わなくて〜」 不意に、背中から声がかけられた。振り向くまでもなく誰だか分かった。間延びしたしゃべり方を特徴とする、赤魔道士の青年が、 わざとらしく溜息を付いていた。 「たまには素直になりなよ…背中に『未練』って文字張り付けてないでさ」 ぽん、と肩を叩かれた。視線を向けると、彼がすでに戦装束を纏っているのを見て取れる。 「偶然だかんね、いっとくけど。戦績品欲しいから稼ごうと思ってたら、その矢先に出くわしただけなんだから」 前半は嘘だ、とルーヴェルは知っていたが、あえて何も言わずに黙っていた。今朝方、偶然アリアとディルムッドが二人で立ち話をしていた 場面を目撃してしまったからだ。察するに、あの素直な娘は自分の今後をヒュームの男に聞かれるまま答えてしまっていたのだろう。 あの時、ちくりと何かがルーヴェルの胸を刺した。だから彼は、矢も楯もたまらずアリアの元を訪れたのである。 「討伐隊、何人かに声かけたんだけど、集まり悪いんだよね。協力してくれない?鈍感狩人さん」 ぎりっと脇腹をつねられて、ルーヴェルはディルムッドを剣呑な目で睨んだ。報復に、その足の甲を踵で踏みつける。 「あうっあうっあうっ!!!」 海獣のような悲鳴を上げてのたうち回るヒュームを後目に、ルーヴェルは駆け出した。人混みの向こうに消えた娘の姿を追って。 やがて、彼の大きな手が、彼女の手を捕まえることだろう。 *+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+* 腕の中で、ヒュームの娘が軽い寝息を立てている。 無事に獣人討伐を終えた後、サンドリアへ依頼の品を渡して戻ってきた彼女は、ジュノへの帰り道にノートリアスモンスターとの戦闘に まきこまれ、重傷を負った。辛うじて彼女を救ったその夜、胸の内を吐露しあった二人は、そのまま肌を合わせ、体を重ねた。 「ん…」 瞼がゆっくりと開いて、瑠璃色の視線が彷徨った。すぐそばにある青年の視線と、やがて絡み合う。 「ルーヴェル…さん」 困惑した声が唇から漏れた。互いに全裸であるとすぐに気づいて、頬を真っ赤に染める。やがて、その顔がすこし歪んだ。 まだ、傷がしっかり癒えていないのだろうか。それに… 「…すまん、辛かったか」 初めて体を重ねた余韻が、残っていたのだろう。それでも彼女は、ようやく首を横に振った。 「いえ、大丈夫…です」 そう言って、アリアが微笑んだ。ルーヴェルが頬をなぜると、瞳がふっと揺れる。その仕草が愛おしくて、彼は彼女の額に口づけた。 「しばらく、このままでいいか?」 青年は、腕を絡めて娘の体を引き寄せた。滑らかな肌の感触が、指先に心地よい。娘がこくんと頷いて、瞼を閉じる。 「ルーヴェ……ルーヴ、さん」 まだぎこちなく、彼女は彼の名を呼ぶ。すこし掠れた声が、桜色の唇から漏れる。 乳房の先端が、自分の胸板に触れているのに気づいて、ルーヴェルは恋に悩む少年のように心を乱れさせた。 「わたし、ここにいてもいいですか…?」 切なげな声が、青年の耳朶を震わせる。数時間前にそう告げたのは、自分。同じ不安を、彼女も抱えていたのだろうか。 答える代わりに、柔らかな体を抱く腕に力を込める。アリアは抵抗しなかった。 「ああ…俺の側に、いてくれ。これから、ずっと…」 もう一度彼女とひとつになりたい、その欲求をルーヴェルはどうにか押さえ込んだ。アリアがやがて、規則正しい寝息を立て始めたからだ。 焦ることはない、もう、お互いを隔てる距離は無いのだから。そう言い聞かせ、気の済むまで彼女を抱きしめていたルーヴェルは、 日が高くなり始めた頃にようやく寝台を抜け出し、放り散らかした服を拾って着替え始めた。 「おい、不用心だなミューリル、鍵くらいかけ……」 がちゃん、と悪びれなく扉を開けて入ってきたゼノン。その彼と、ズボンと鎧下のみの姿のルーヴェルの視線がまともに噛み合った。 しばらく固まる二人の男。 昨夜、傷ついたアリアの看病をしていたのは、ギルド仲間でもあり、ゼノンの被保護者でもあるミスラの娘・ミューリルであったはずだ。 だが、色事にかけて経験豊富なゼノンの事。半裸の青年と、床に落ちた二人分の服の関係にすぐ気づいてしまう。 「………………………ル、ルーヴ?? なんでお前が…ま、まさか」 ルーヴェルが清廉潔白な男ではないことは、ゼノンも知っている。欲求処理のために娼館に行った事もあれば、女性の冒険者に 誘惑されるままに肌を重ねた事だってある。しかし、もともと淡泊な性格ゆえか、一人の女に入れあげることは無かった。 ましてや、男を知らない小娘を無理矢理(?)抱くなど、彼の人格上、ありえない。ありえない筈なのに。 「こ、この……ケダモノ--------------------------------ッッ!!」 事情を知らない男の拳が、青年の顎を捉えるのはすぐだった。 それからしばらくの間、エルヴァーンの青年はギルド仲間から白い目で見られてしまう事になる。 *+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+* ルーヴェル :エル♂F4銀髪 アリア   :ヒュム♀F4黒髪 パウ・チャ :タル♂F6茶髪 サフィニア :エル♀F8黒髪 ゼノン   :ヒュム♂F7茶髪 ミューリル :ミスラF5赤髪 ディルムッド:ヒュム♂F4金髪