「ぐ、キツイな…こりゃ」 足下に倒れ伏し、消滅していくモンスターを眺めながら、ヒュームの騎士ゼノンが荒い息をついた。 その彼を強力な癒しの魔法が包み込む。ゼノンが軽く礼を言うと、黒髪のヒュームの娘がぺこりと頭を下げた。 ここは最北の地にひっそりと立つ廃墟フェ・イン。彼らはここに眠るという古代の呪文書を求めてやってきたのだ。 「そろそろ休むか。あんたも限界だろう?」 リーダーであるタルタルの吟遊詩人、パウ・チャが娘に声をかけた。深い青色の瞳が彼を見つめ返す。 「い、いえ、まだ大丈夫で…」 言いかけたその声が途中で途切れた。足下がおぼつかない。そんな彼女の荷物を誰かがひょいと取り上げた。 二人分の荷物を背負い、エルヴァーンの狩人はそのまま無言でずんずんと廃墟の入り口へと向かっていく。 「あいつもああ言ってる。今日はこれで終わりだ。休憩休憩」 パウ・チャがたたっと駆け出した。建物の奥からキィキィと蝙蝠の鳴き声が響いてくる。 ぶるっと身震いすると、白魔道士の娘は彼らの後を追って歩き出した。 「ありがとうございます」 パウ・チャから煎れたばかりのウィンダス茶を受け取ると、ヒュームの娘は律儀に礼を言った。 そんな彼女に、エルヴァーンの青年・ルーヴェルが焚き火であぶって温めたパンを差し出す。 片手に茶の入ったカップ、片手にパン。困ったように見比べていた娘は、茶を一口すすってからそれを地面に置き、 それからゆっくりとパンに口を付けた。 「こっちも焼けたから後で食べればいい、アリア。こいつ、料理の腕は確かだから安心していいよ」 ゼノンが串に刺した肉にかぶりつきながら、ルーヴェルの方に顎をしゃくった。無言で皆の食事の支度を続ける青年を、 ヒュームの娘が小首をかしげて見つめる。ふと、二人の視線が合う。アリアはすぐに慌てて彼から視線を外した。 半分以上残ったパンを、再び囓り始める。 「あ、あの、これ美味しいです。わたし、料理は全然ダメだから…」 とってつけたような言葉であったが、その内容に他意はないのだろう。パウ・チャとゼノンがくすくすと苦笑いしている。 「何か、クリスタル合成をしたことは?」 笑いながら、パウ・チャがそう問うた。ルーヴェルはむっつりとしたまま、自分の食事に手をつけている。 「練金術を、少し…」 ほぅ、とゼノンが声を漏らした。彼らのギルドに、錬金術を学ぶ者は居なかったからだ。せいぜい、各々が気まぐれで 毒消しを作ることくらいしかない。 「へー…、どれくらいの物なら作れる?やまびこ薬は?」 吟遊詩人らしく、パウ・チャがよく使う薬の名を上げた。その瞳の奥がきらりと輝いたのに、彼女は気づいていない。 「それは…作れます。最近はそうですね、発火薬がやっと失敗しなくなったかな、と」 おお、とタルタルの男が感嘆した。 「下級職人クラスの腕があるってのか、いや、そろそろ名取級かね。どうしてなかなか……ん、って事は」 パウ・チャがふいとルーヴェルの方を見た。 「青銅の弾丸なら、作って貰えるんじゃないのか?このお嬢さんに。  弓術を極めるのも結構だが、そろそろ射撃の腕も上げておいて損はないだろう?ルーヴ」 エルヴァーンが、ヒュームの娘をじっと見た。 「ブロンズブレッド…たぶん、作れます。絶対成功するとは…言えませんが」 三方向から見つめられ、アリアはしどろもどろにそう応えた。自分を落ちつかせるように、カップの底に残った お茶を飲み干す。そして鞄を引き寄せると中をごそごそと探って、やがて小さな瓶を取り出した…。 数週間前、ウィンダス方面からソロムグに向けて横断していた際、運悪くビークの群に襲われたアリアは、 丁度付近で狩りをしていたルーヴェルに助けられた。彼女がサンドリア大聖堂の依頼を受けてフェ・インに行くと 聞いたルーヴェルは、戸惑う彼女を自分のギルドに連れていき、探索の手伝いを仲間に求めてくれたのである。 お陰で、難所と言われていたラングモント峠も、ボスディン氷河のモンスター達も、さほど苦労することなく 対処することが出来たのだ。 騎士であるゼノンは、その剣技と堅固さをもって皆の盾となり、吟遊詩人のパウ・チャは呪歌で皆を励まし、 そして狩人であるルーヴェルは、卓越した感覚と弓技で皆の目となり、矛となっていた。 アリアはそんな彼らをじっと見つめていた。自分より遙かに熟練した冒険者の姿に、ただただ感嘆していた。 その瞳がどこか寂しげであることに、彼女自身気づいていなかった…。 「これが、その材料のひとつです」 奇妙な色の粉末が入った小瓶を、彼女は皆の前に置いた。 「発火薬です。原料が入手しづらくてなかなか作れなかったのですが、ウィンダス地方のモンスターが  代替品を落とすと聞いたので、今回の依頼を受けてからしばらく、資金稼ぎも兼ねてサルタバルタやタロンギに籠もってました」 苦笑いするアリア。小瓶の表面に、焚き火の炎が映ってゆらめいている。 「これに、青銅のインゴットを合わせれば出来ると教わってます。街で入手できたら、試してみますね」 少し笑って、彼女は薬を鞄にしまい込んだ。 「そうだなぁ、そろそろジュノが恋しいよ。ああ、街に戻ったら美味しい店を教えて上げるよ。一緒にどうだい?」 さりげなく、いつの間にかアリアの隣ににじり寄っていたゼノンが、彼女の手を取って笑いかけていた。 めりっ と音がしたかどうかは分からない。だが、その擬音がぴったりとあてはまるほどすかさず、ルーヴェルがその間に 割り込んで、ゼノンの手首を捻り上げていた。 「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛…」 野太い悲鳴を無視して、青年はヒュームの男の襟首を掴むと、ずるずる向こうへ引きずった。 パウ・チャが口をあんぐりと開き、アリアがきょとんとした瞳でそれを見つめる。やがて、くすくすと笑い声が その唇から漏れた。 「仲いいんですね、お二人とも」 にこにこ笑いながら、白魔道士の娘はそう評した。 「いや、全然」 「どこがだ!」 男二人の反論が、同時に響く。パウ・チャが腹をかかえて大笑いしていた。 「そういや…なんでパールを持ってないんだ?あんたほど経験積んだ冒険者なら、たいていひとつやふたつの  ギルドには 属しているモノだと思ったが」 笑いを収めた後、タルタルの男は彼女にそう問いかけた。とたん、アリアの表情がすうっと強張る。 「あ…その、わたしあまり…。いえ、ギルドとは縁が無かったものですから…」 先ほどまでの笑顔が瞬時に消え、おどおどした表情が彼女に戻った。パウ・チャの瞳が細められる。 ルーヴェルに紹介を受けてから、アリアの顔にはずっと消えない感情がへばりついていた。それは、怖れ、だ。 「ふーん…まぁ、そういう事なら無理に勧めはしないけど。大変じゃなかったのかい、ましてや魔道士なら…」 彼女はパウ・チャと視線を合わせない。膝の上で握りしめられた拳がかたかた震え始めた。 不意に、彼女の上から何かがばさりと被さった。小さく悲鳴をあげて、アリアはその中からもがき出る。 「もういい、今日は休め」 ルーヴェルから渡された毛布を握りしめ、彼女は困ったように視線を彷徨わせる。やがて、こくんと頷くと、 娘は少し離れた壁に背中を預け、目を閉じた。 重苦しい雰囲気のまま取り残された男達は、見張りにルーヴェルを残したまま、彼らもまた休息の準備を始めた。 「明日は、いい結果になればいいな」 パウ・チャが、アリアに声をかける。瞼が開いて、青い瞳がタルタルを見つめる。黙礼すると、彼女は再び瞼を閉じた。 *+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+* 「う………」 もみくちゃにされる自分、想像だにしなかった行動を目の当たりにして、アリアは狼狽した。 屈強な男が二人がかりで、自分の体を押さえつけている。非力な腕はそれをはね除けられない。ただただ思考が混乱する。 「おい、あまり暴れるんじゃねぇよ。面倒くせえな」 信じていたのに、世の中が悪意だけで出来ていないと信じていたから、怖ろしい出来事にも立ち向かってこられたのに、 それを覆された気がして、哀しかった。怖かった。 ドウシテ、ドウシテ、ドウシテコンナコトニ 木綿地のダブレットの、合わせ目を引き裂かれるようにしてはだけさせられた。胸元が外気に晒されたのが分かる。 「なぁ、やめろよ、やっぱり良くないよ…」 頭の上から降ってくる声は、知っている声だった。もちろん、いま自分に乱暴を働いている男の声も。 「うるせぇな、ここまできてがたがた言ってるんじゃねぇよ!」 行動は粗野であったが、パーティーでモンスターを迎撃している時は頼れるリーダーであった。だから、アリアは 彼を信頼した。ギルドオーナーでもあった彼からパールを貰い、ギルドの一員として、自分に出来る手伝いは 時間の許す限り率先して行った。なのに、それなのに、ある日呼び出された場末の宿屋で、彼女はいきなり襲われた。 「ずっと気に入っていたんだ。それに魔道士は貴重だしな、丁度いいから俺の女にしてやるよ」 ブレーの隙間から手を差し入れられた、それを、体を捻って必死で拒絶する。業を煮やしたのか、男はアリアの頬を 酷い力で殴りつけた。衝撃で、一瞬気が遠くなる。だが、体の上を這い回る嫌悪感までは、消せない。 ヤメテ、ヤメテ 声が出ない。沈黙薬をかけられ、吐き出す呼気が音にならないのだ。目から涙がぼろぼろ溢れた。 「おい」 声がかけられる。体が揺さぶられる。助けて、誰か助けて。叫びたいのに、言葉にならない。 「おい、どうした」 知らない声。どうでもいい、誰か助けて。でも、あの時は誰も助けてはくれなくて。彼女は必死に思考を巡らせた。 そしてやっと思い至ったのだ。バストゥークで訓練を受けていたとき、女性の冒険者に対して繰り返し注意されていた、 こういう事態への対処法を。 薬の効果が切れ始めた。無理矢理吸われた唇の端から、声が漏れるのが分かる。息を深く吸い込んだ。 「離して!冒険者資格を剥奪されてもいいんですかっ!?」 *+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+* 悲鳴にも似た叫びが、誰もいない廃墟に響きわたる。アリアははっと目を覚ます。目の前に人影があった。 「きゃああああああああっっ!」 喉から再び絶叫がほとばしった。自分の体を抱くようにして硬直するアリアを、何かがふわりと包み込む。 「落ち着け、どうした」 静かな声が耳朶を打った。服の布地越しに、とく、とく、と規則正しい拍動が響いてくる。 飢えた獣に似た呼気も、不規則に乱れる鼓動も感じられない。 ルーヴェルが、自分を抱きしめてくれていたのだ。冷え切っていた彼女の体を、彼の体温が温めてくれている。 「う…あ…」 がちがちと歯が合わさって、乾いた音を立てていた。救いを求めるように、彼女は反射的に彼の腕に縋り付く。 出会ってからずっと、寡黙なエルヴァーンの青年はそんな風にアリアの傍らに在った。 ラングモント峠でコウモリの大群に襲われた時も、ボスディン氷河で吹雪に視界を閉ざされても、 的確に対処し、初めての場所で戸惑う彼女を支えてくれていた。 パウ・チャとゼノンが心配そうにアリアを覗き込んでいる。ようやく彼女は、自分が夢を見ていたことに気づくのだ。 涙に濡れた視線がきょろきょろと彷徨う。 「…ごめん、なさい」 掠れた声が、ようやくその唇から漏れた。