それが無駄な努力だと、オリルは気付いていただろうか。 そもそもミスラ族でもない彼が、その驚異的な魔力によって リリのまわりの甘い不穏な気配に気付いていたという事実も、奇跡に近いのだが。 深い底に沈みこんでたゆたうリリの意識が、急速に覚醒する。 気配。異質な。他人の。だれかいる。 そこはバストゥーク鉱山区の宿。いくつかの依頼をこなして戻ったひさびさの町。 裸のままベットから飛び起きて目にもとまらぬ速さで隣のフェイの背中を一足飛びでまたぎ、 地におりるとすっと腰を落とす。その仕種はさながら野生の猫。 脳裏をかすめる一抹の違和感。 なぜ、起きない。 敵の気配に一番敏感な男が、なぜ? 闇を見据えたままそのままそっと後ろに下がってフェイの気配を確認する。 「眠らせただけだよ。」 窓のほうから聞こえる声にすばやく向き直る。 背中をつつっと冷たいものがつたう。 フェイを?眠らせた?そんなことが、できるなんて。 殺気は感じない。だからこそ、怖かった。 「だれだ!」 その声にすっと影が姿をあらわす。 ピンとたった耳、ゆらゆらと揺れる長いしっぽが影が自分と同族であることを告げる。 足音をほとんどさせず、まるで影がうつろうように、そのミスラがリリに近付こうとする。 「くるな。」 努めて平静に。腰は落としたまま、気迫だけで彼女を押しとどめる。 「迎えに来た。アレが目覚めた。おまえに、季節が、くる。」 「なんだと?」 淡々とつげる声に眉根をひそめた。 「いい身体だな。」 おもしろそうに声がつづける。 「それなら満足するだろうて。その男と同じようにな。」 そう言って影がベッドの上のフェイのほうへ顎をしゃくった。 「なに・・・をいっている?」 そう言いながらじりじりと後ろに下がった。剣を。剣をとれば互角に戦える。 その瞬間風のような速さで影が動いた。 みぞおちに冷たいものが打ち込まれる。 「剣は、とらせないよ?苦戦するのはごめんだ。」 一瞬で飛び込まれた懐から、聞こえる声を最後にリリは意識を失った。 ----------------------------------------------------------------------------------- 「ぐ・・・」 まぶたが鉛のように重い。 むりやりこじ開けるように瞳をあける。 暗い部屋。すえた汗の匂いがする。 ハンモックのようなもの、吊るされた網の中に横たえられているのが分かる。 身体がいっさい動かない。 手足が自分のものでないかのようにだるい。血管の中に砂でも思いきり詰め込まれたような。 空気が湿っている。南の国の土と、雨の匂い。 おそらくここは、カザム。 ききぃと戸が開く音がして圧倒的な量の光が入ってくる。 開けた瞳を慌てて閉じる。 ミスラがふたり。 意識をとりもどしたリリに気付いたのか、すすっと網をおろし、 くにゃりと倒れこんだままのリリをふたりがかりで抱え上げた。 「や・・め・・」やっとの思いで声をだす。 ミスラ達が驚いたように目を見開いた。 「すごーい、声出せるんだー。」 その声があまりに無邪気で。リリの中で現実感が急速に遠ざかってしまう。 もう一人が笑って言う。 「神経毒にゃ。心配することないにゃー。もうすぐ動けるようになるにゃ。」 そういってリリの肩と足首を持ち上げると隣の部屋に移動する。 さっきよりはいくぶんましなベッドに横たえられる。 運んできたふたりがかいがいしく動いている。 首をうごかすのもだるくて、リリはぼんやりと天井を睨み続けた。 ふわっと香油の香り。 しっとりと湯を含んだものがそっと足に当てられる、その感触も果てしなく遠い。 身体を拭われているのだ。その段階に至ってリリはまだ自分が裸であることに気付く。 かっと羞恥で顔が赤くなる。 「なに・・して・・る」 うまくまわらない舌を気力であやつってそういう。 全身を這い回ったあと、彼女達の手が足の間に入ろうとするから 全力で抵抗しようとするのにちっとも上手く行かなくて唇を噛む。 「他の男の匂いをさせとくわけにはいかないにゃ」 そういうとミスラはあらわになったリリの性器を力いっぱい擦る。 「や・・・やーーー!」 驚いたことに背中が浮いた。 リリが思いのほか早く回復していることに驚いたのか ミスラの片方が全身でリリを押さえにかかった。 こんな・・・状態じゃなければこんなやつら・・・ その思いがリリの焦燥をいっそう駆り立てる。 もう一人のミスラが香油に指を浸して何の前触れもなくリリの中に指を突っ込んだ。 「はっ・・・あ・う・・」 強烈な感覚に腰をひねる。それは快感とは程遠く、ただただ抵抗感が先に立つ。 「じっとしてるにゃ。」 そういって事務的に指をうごかす。中をかき出すように。 「む。でてきたにゃー。」 とろりと流れる感触。 昨晩の・・・フェイの・・・。 恥ずかしくて、屈辱で、心細くて涙が出そうだった。 ミスラ達はひととおりリリの身体を浄めると 「わるいけど、キミ抵抗しそうだからさ」といって本当にすまなそうに リリの手足を拘束してゆく。 全てが終わるころ。扉の向こうに族長が姿をあらわした。 ----------------------------------------------------------------------------------- フェイの逆上っぷりはみなの予想をはるかに越えていたと言っていいだろう。 「リリが!いねー!」 そういってオリル夫妻の部屋に飛び込んできた彼の勢いには さしものオリルもおどろくほどだった。 いない?いないといったか? いささか不自然すぎるほど深かった眠り。 隣でまだ寝ぼけているキュリリに素早く目配せをする。 「いない?買い物とかじゃないのぉ〜?」 おそらく意図的に、のんきにキュリリが目を擦りながら言う。 そう、それでいい。 「朝早くから、なんだ?」 平静を装って(お手のものだ)とにかくどこか焦点のあわない目をしているフェイに問いかける。 「探したよ!広域スキャンもかけた!いねーんだって」 「フェイ」 ベッドをおりながら試すように問いかける。 「リリは冒険者だ。一人でどこにでもいける。 たいていのモンスターならあのこの敵じゃない。 何をそんなに慌ててる?」 「わかんねーけどっ・・・いやな感じなんだよっ!」 フェイが吐き捨てるように言って壁を叩いた。 そうだ。それが恋ってもんだ。 異常だ。病気だ。 こんな時なのにオリルはそう思ったあの日のことを思い出す。 だけど、だからこそ、わかることがある。 目の前でうろたえる金髪の青年は彼なりにきっと異常を感じているのだ。 否、ずっと異常を感じていたのだと思い知る。 オリルとは全く違う方法で。 実家があるはずのこの町にかえっても片時もリリから離れなかった。 大勢の知り合いに声をかけられて、誘われても決してリリのそばから離れなかった。 いつもおちゃらけている彼が、目に見えないもの、気配、雰囲気、 そういうものに仲間の中で一番敏感だったではないか。 ましてその対象が愛しい女に向かっているのだとしたら。 「オルネバン達を起こしてきてくれるか?」 フェイから目を離さずにキュリリに告げる。 たたたっとキュリリが寝巻きのまま駆け出した。 すれちがいざまフェイの膝のあたりを力付けるように叩いてゆく。 「責めてるんじゃねーんだ、なにも、気付かなかったんだな?」 オルネバンがフェイに聞く。押し殺した、声。 キュリリに叩き起こされた2人はさしたる疑問もさしはさまずに緊迫した空気を飲み込んだ。 みな、それなりの経験がある冒険者だ。 オリルがわけもなく深刻ぶったりしないことも、 フェイがわけもなく取り乱したりしないことも、知っている。 なにより昨夜の眠りの異常な感覚は全員になにか別の力が働いたことをなにより雄弁に知らせるから。 フェイが黙ったままうなづく。苦しげに浅く呼吸をくり返しながら。 「荷物は?」フェリシアの問い。 「全部・・・ある。」絞り出すような声。 「武器も?」 うなづくフェイをみて気付かれないように嘆息。 リリに、武器をとらせる間も与えない・・てことね。 「死んではいないわ。てことは誰かがリリに用があるってことよね?」 キュリリがオリルに問う。 オリルは黙ったまま。 「たのむよ・・・何隠してる?」 沈黙に耐えかねてフェイがオリルに聞く。握りしめすぎた拳。節が白くなっている。 「隠してないさ。」 オリルが口を開く。 「隠していない。ただ、あそこは嫌な感じがする。 たぶん・・・誰よりもリリを欲してる、そんなエネルギーがある」 「カザムだな・・・」 押し殺した声でフェイはそう確認すると、すっと席をたった。 「まて・・・」オリルが止める。無駄だと知っていても。 フェイの背中がぴたっととまる。 彼は振り返って微笑んだ。無理矢理微笑むとひとはそんな顔になる。 泣いているような、そんな。 「ごめんな。俺、いかないと・・」 そういってフェイは宿を飛び出していく。 「オリル・・・」キュリリの心配そうな声。 まだナイトキャップをかぶったままの、オリルの頭がフル回転する。 「今受けている依頼は全ていったん休止する。」 3人がうなづく。 「俺っ・・」 言いかけたオルネバンを視線だけで制して。 「オルネバンはフェイを追え。絶対にひとりで行かせるな。 たぶん、フェイだけじゃ、たどりつけない。だからせめて、そばにいてやれ。」 言葉が終わらないうちにすかさずオルネバンが両手剣をつかんで走り出す。 「フェリシア」 オルネバンの背中を見送った、揺れる瞳がオリルに戻される。 「オルネバンを、信じろ。あいつは君のものなんだろう?」 リリがいなくなったと聞いた時の、オルネバンの動揺をフェリシアは見た。 手が、震えていた。顔色が一瞬で変わった。 一瞬だけ。本当に一瞬だけ。 赤毛のミスラの娘を憎いと思った。 今でも彼をこんなに一瞬で取り込んでしまう、その存在を疎ましいと思った。 そしてなにより、そんな自分を吐き気が出るほど嫌悪する。 そんな全てを目の前のちいさなタルタルの男に見破られたようで、 フェリシアは瞳を伏せて小さくうなづいた。 「リリの過去を調べよう。キュリリ、フェリシア、ウインダスにいけ。 俺はジュノに、戻る。多分、時間がない。気をつけろ。」 そのまま、ナイトキャップのまま、小さなオリルの姿は 自ら発動した移動魔法の紫色のエフェクトに包まれて消えた。