窓の外が白み始めた。 明かりを消した部屋の中に、甘い声が響いている。 エルヴァーンの女性が、膝の上のタルタルの男性を、きゅうと抱く。 互いに服は着たままだったが、漏れる声と、その仕草は妖しい熱を帯びていた。 「サフィ…もっと、先へ行こうか?」 サフィニアのふくよかな胸に顔を埋めながら、パウ・チャが囁く。にやりと微笑む姿は男のそれだ。 「ええ…お願い、もっと…」 哀願するように、女は訴えた。頬が上気し、至福の表情で腕に力を込める。 「ふふ…いい子だ」 彼女の耳を甘噛みしてから、パウ・チャはその心臓の真上に自分の額を押しつけ、念を凝らす。 「はう…ぅ…くうっ!」 うっすらと汗を浮かべながら、サフィニアは焦れた。その意識はここにありながら、ここではない何処かに 囚われて居る。 「ああ、サフィ。君の『ここ』はいつも心地良いな」 胸元の汗をぺろりと舐め、パウ・チャは更に強く念を篭める。 「あうっ、ダメだパウ。そんなに強く押し込まれたら…私は…!」 「ぐはっ…」 長い腕にきつく抱かれ、流石のパウ・チャも息が詰まる。 「サフィ…ちょ、ちょっと力を抜け」 念が途切れた。エルヴァーンの娘は慌てて腕を緩める。 「あ。すまない」 「はぁ、はぁ…お前、いい加減その癖を治せ。俺の身がもたん」 タルタルの男の台詞に、サフィニアの耳がしゅんと垂れ下がった。ジュノ警邏隊に抜擢された騎士で ありながら、こんな時の彼女は年相応の顔になる。 「でも、私は嬉しいんだ。パウと二人きりになれるのは久しぶりだったから…」 パウ・チャはふぅ、と溜息を付いた。サフィニアの鼻の頭に軽く口づけ、一応フォローをしてやる。 「まったく…あまり可愛いことばかり言っているともっとヤっちまうぞ」 「ほう、私は一向に構わないぞ。どうせなら、孕ませるまで所までやってみろ」 これにはタルタルの男が苦笑した。 「…出来るものなら、とっくにそうしているさ」 魔法の素質に優れたタルタル族は、年老いて死ぬまで子供の体型であり続ける事から察せるように、 彼らの生殖行動はほとんど肉体に依存しない。 ヒューム、エルヴァーン、ミスラの三種族が互いの肉体をもって愛を交わすように、タルタル達は魂を触れ あわせる事で、想いを伝えあう。そうして、お互いの精神エネルギーを補いあうことで、新しい魂を生み出す 礎とするのだ。彼らにとって肉体による性交渉は、それを補完するための最後の行為に過ぎない。 その違いゆえにタルタル達は、他種族と子を成す事が出来ないのだ。 だから、サフィニアがパウ・チャの子を産むことはあり得ない。永遠に。 口を滑らせたことに気が付いたサフィニアは、パウ・チャを抱き寄せた。 気ままで、自由で、誰よりも愛おしい男は、それに応えて彼女の胸に体を預ける。 体を重ねることは出来ないけれど、その代わりに、魂を重ねて至福を得る二人。 それだって、愛し合う事に変わりはないはずだ。 もう一度、一緒に高みに登りつめたくて。タルタルの男は再び意識を集中させようとした。だが、 「…悪い、サフィ。今日はここまでだ」 「なに?」 サフィニアの腕から、パウ・チャはするりと抜けだし、床に飛び降りた。 「客」 言って、彼はハウスの扉を開く。 昏い顔のエルヴァーンの青年がひとり、ひどくうなだれた様子でそこに立っていた。 「調査官、か」 サフィニアの煎れた茶を舌の上で転がしながら、パウ・チャは呟いた。 ルーヴェルからアリアの置かれた状況と、故国から来たというガルカの話を聞いた彼は、眉間に 皺を寄せて何事かを考え込む。 「でもお前達はこの前、いきがかりとはいえバストゥークの大使を救ったのだろう? ミッションもそこそここなしているし、経験だってそう低くはない。 いくらなんでも、本人の意思を無視して冒険者資格を剥奪するようなことはあり得ないと思うが…」 「ふむ」 いたわるようなサフィニアの言葉に応えたのは、パウ・チャ。ルーヴェルは押し黙ったままだ。 「施療院の元訓練士、か。一昔前なら必要悪の代名詞的存在だったな。 ここしばらくは内部改革も進んで、だいぶマトモな機関に変わりつつあると聞いているんだが」 くい、とカップの中の紅茶を飲み干すタルタル。エルヴァーンの女がすかさず温かい液体をつぎ足してやる。 「連れ戻されたとかいう、その魔道士。気になるな。 …ディルが今バスに帰っているはずだから、あいつに調べさせよう。 俺の方でも、手は打っておく。鈍色の鎧のガルカ…そうありふれた存在でもあるまいよ」 「うん、私の方でも当たってみよう。調査官に任命されるとあれば、それなりに政治筋の奴だろうから。 何か判るかもしれない」 友人達の温かい言葉に、ルーヴェルはただうなだれていた。 彼の前に置かれたカップは手つかずで、濃い色の紅茶はすっかり冷めてしまっている。 「すまない…ありがとう」 ルーヴェルの思わぬ言葉に、パウ・チャが目をぱちぱちとしばたかせる。 サフィニアもそれは同じだったようで、二人は思わず顔を見合わせた。 「…ルーヴ、お前変わったな」 タルタルの言葉に、青年がふと顔を上げた。いぶかしげに、視線を向けている。 「いや、いいさ。とりあえずお前はアリアの側に居てやれ。 昨日はお盛んだったんだろうが、いくらなんでもそろそろ起きてくるだろう」 ルーヴェルの顔がさっと気色ばんだ。唇が何かいいかけるが、結局は何も言えずに押し黙る。 パウ・チャはいつもそうだ。 トリックスターな彼は、場の雰囲気を変える為にはどぎつい事でもさらりと口にする。 それが、彼なりの気遣いなのだ。 席を立ったルーヴェルは、軽く一礼してから部屋を後にした。その背中に、いつもの気丈さは無い。 「パウ…彼は大丈夫だろうか。あんな弱気なルーヴェルを見るのは初めてだ…」 サフィニアが心配げに呟いた。思ったことははっきりと口にする彼女と、不言実行タイプのルーヴェルは、 出会った頃はまったくうまが合わず、何度か衝突したこともあった。頼れる仲間として行動を共にするよう になった今でも、サフィニアの言葉を涼しい顔で受け止める彼に、時々憎たらしさを感じてしまう事がある。 「ヤバイだろうな、たぶん」 タルタルの男は、青年をあっさりと評した。 「国も家も、名前すらも捨てた男が、たったひとつ手に入れたモノを奪われようとしているんだ。 おかしくならない訳がないだろう」 聞き捨てならない言葉が含まれていることに気づき、エルヴァーンの女ががパウ・チャを振り返った。 「そうだな、サフィには話しておくか」 サフィニアはごくんと喉を鳴らした。数年前、パウ・チャがどこからか連れてきた青年、物腰からして 良家の出であることには気づいていたが、彼は自分から素性を話すこともなく、ただ、その卓越した剣技 だけで自分の存在を知らさしめていた。 剣技といっても、サフィニアやゼノンのように戦士上がりの騎士が使う、一連の所作が含まれた それとはまるで違う。敵の不意をつき、確実に急所を狙う、確実性だけを求められる技だったのだ。 「あいつは、サンドリアの密偵だった」 それは予想していた答えだ。でなければ、あんな剣技なぞ身につけられるはずがない。 「俺の追ってた大聖堂がらみのヤマとかちあった事があってな、 東ロンフォールの現場に到着した時には、仲間だったはずの密偵達と死闘の真っ最中だったよ」 パウ・チャはその時の記憶を、ありありと思い浮かべた。 「これが、こんな事が俺達の仕事なのか!!」 血の海の中で、更なる血を流し流させながら、悲痛な叫びを彼は上げていた。 大聖堂の威光を傘に、説法会と称して女性の信者を集め、薬をかがせては犯し、見目良い娘は人買いに売る という司祭がいるという話を聞きつけ、パウ・チャが真相究明のためにウィンダス本国の命で場所を 突き止めた時には、容疑者の司祭だけでなく、その場に居合わせた全員がすでに殺されていた後だった。 やったのは、サンドリアの命を受けた密偵達。そのうちの二人は大聖堂の直属で動いており、 ルーヴェルの制止を振り切って、口を封じたのだ。 しかも彼らは、ルーヴェルの口からこの事が漏れる危険を感じたのか、証拠隠滅とばかりにその刃を 青年に向けていた。 彼らにとって誤算だったのは、ルーヴェルが戦士としても優秀であったことと、そこにパウ・チャが潜んで いたことであった。一人が手首から先を切りとばされるが、最後のあがきとばかりにルーヴェルにつかみ かかり、体勢を崩させた。ルーヴェルはその男の背に、手を回すようにして背中から心臓を突き、絶命させる。 だが、その間にもう一人の、長剣の切っ先が青年の喉元を狙った。しかし、ルーヴェルは避けようとしない。 「義憤で命を落とすのは、感心しないね」 その言葉と共に放たれたダガーが、長剣の使い手のうなじに深々と突き刺さった。 小さな体からは想像も付かない、恐るべき手練と膂力だ。ルーヴェルの瞳が、タルタルの姿を捉える。 「…俺も殺すのか」 「おいおい、加勢した人間に対してそりゃないだろう。…しっかし」 惨憺たる状況をぐるりと見回して、パウ・チャは溜息を付いた。 「お前、もう国には戻れんだろう。いきがかり上とはいえ、同国人をヤっちまった訳だしなぁ…」 その言葉が、青年の胸を激しくえぐった。うなだれる彼の目の前が、紅蓮の炎に包まれる。 タルタルが、広範囲を燃やす火の魔法を使ったのだ。 「そう怖い顔をするな、野辺送りだよ」 殺気寸前の怒りを感じるが、パウ・チャはひらひらと手を振ってそれをあしらう。 「馬鹿どもと一緒に燃やされるのは不本意だろうが、被害者の女性達がどんな目に遭わされていたか、 他人に知られるよりはましだろう…まだ」 「俺の乳母が、いたんだ」 炎の起こす風にあおられながら、ルーヴェルが呟いた。その手には、血刃が握られたままだ。 「…さて、火に気づいてそろそろ人が来るだろう。お前はどうする?」 淡々とした口調に、ルーヴェルは答えない。 「あの様子じゃ、ひとりふたり位のごまかしはきくだろう。 まあ、サンドリアお得意の論法で、『オークの襲撃により全員死亡』って事にでもなるかもな。 まったく、便利な言い訳だ」 やれやれと、タルタルは首を振る。ルーヴェルはまだ答えない。 「ここしばらく、サンドリアはバストゥークと同盟関係にあったな。 安全を求めるなら、今はウィンダスが一番いいかもしれん。俺と来るなら案内してやろう」 たたっと駆け出すパウ・チャ。 仕草こそ一見愛らしいが、その動きは空気の動きを感じさせないほど滑らかで俊敏だ。 ルーヴェルの鋭敏な聴覚が、複数の気配が近づくのを捉えた。 炎につられて、近くにいた獣人たちが忍び寄っているのだ。 少しふらつく足が、タルタルの後を追い始めた。 ふと気づいて、握っていたままの短剣を炎の中に投げ込む。柄に、彼の家の紋章がはめ込まれていた物だ。 そして、彼は決別した。国と、家と、今までの自分とに。 「まぁ、ミスラの族長に会った翌日に、いきなり狩人の試練を受けて来るとは思わなかったがな」 何杯目になるかわからない紅茶に、蜂蜜を何匙も加えながらパウ・チャは苦笑した。 「試練を終えて戻った日に、あいつは名をも捨てた。 ジュノに出て、天晶堂で戸籍を買って、やっとあいつは今のあいつになれた、という訳さ」 「パウ…それは、アリアですら知らない話ではないのか。何故私に話す」 サフィニアの耳が少し下がり気味だ。仲間の昏い過去に触れて、どうしたらよいのか判らずにいる。 「同情させる為に話したんじゃないぞ。ただ…」 カップの底に貯まってゆらゆらと霞む蜂蜜を見つめながら、タルタルは呟いた。 「今のあいつは、あの時のあいつに良く似ていたから…さ」