そもそも無理があることは分かっていた。 タルタル二人。それも白と黒。 いつの日かほかの冒険者達とまじわらねば、強くなぞなれない。 そんなことはわかっていた。そうさ、わかっていたさ。 オリルはいらだっていた。 それでもやはり彼の表情には何もあらわれなかったのだけれども。 初めてやってきたこの気が狂いそうに熱い場所で彼等は黙々と戦っていた。 彼の苛立ちは熱さのせいではなかったけれど、 確実に体力を奪い去る強烈な熱波がそれに拍車をかけていたことは明らかだった。 理由はわかっているのだ。 キュリリが、酷く疲れている。 この場所に足を踏み入れたのは昨日のこと。 通いなれたサルタバルタの獣達はもはや二人の敵にはならず、 彼等はとことこと小さな胸を高鳴らせてここへやってきたのだ。 昨晩は張り出した岩の下で二人で眠った。 どこか遠いところで不死の生き物が絹を裂くような声をあげても、二人なら怖くなかった。 昼頃までみたことのない生き物を二人で狩った。 今までよりもだいぶ多く魔力を使用して、やっと倒した敵からとれた 何の種だか分からない変な色の種を、キュリリはうれしそうにオリルにみせて、笑った。 そんなとき、声をかけられたのだ。 「おい、ちびっこ、おれたちと組まないか?」 そう声をかけてきたのはヒュームの二人連れ。 見るからに戦士系の男二人だった。 オリルは最初から気にくわなかった。 ちびっこなどと初対面の人間に向かっていうなぞ、ろくでなしに決まっている。 わざとゆっくり両手棍を背におさめて口を開こうとした。 そう思ったらキュリリがもうとっくに口を開いていた。 「ちびっこじゃないですっ!」 そういいながらもニコニコ笑っている。オリルは少し絶望的な気分になった。 知ってはいたんだ。キュリリはけっこう大胆だ。 というか自分では気付いてないっぽいが相当楽天的で打たれ強い。 大事に育てられた、愛情を注がれて育った人間独特の強さをもっている。 オリルと正反対でひとなつっこくて社交的だ。表情がクルクル変わる。 基本的に人をあまり疑わない。 そういうところにオリルはきっとどうしようもなく惹かれているのだけれど、 彼女のそんなところは時々彼をいらつかせる。 「ほー、そいつはしつれい。で?どう?白と黒だろ?組まないか?」 ヒゲをはやした方の男がにやにやしながら言った。 白と黒じゃねえ。キュリリとオリルっつー名前があるんだよ。胸の中でオリルが答える。 キュリリはそんなこと気にもしていない。 初めて他の冒険者に声をかけられた、そのことに高揚しているのだ。 「いいけど・・・」そういってキュリリがオリルを見た。 その焦茶色の瞳が好奇心できらきらしている。 オリルは気付かれないようにそっとため息を漏らした。 惚れた方がいつだって弱いんだよ。昔誰かにきいた言葉を思い出す。 オリルは黙ってうなづいた。 「キュリリです。よろしくです。」そういってキュリリがぺこんと頭を下げる。 「ああ。」短く男が答えた。 オリルは名乗らなかった。彼等も名乗らなかったから。 名乗らないやつに名乗る名前はない。 残念だけど、嫌なカンてのは当たるもんだ。 オリルは無愛想だけどけっして短気ではない。 いつも怒ってると勘違いされるがその実本気で怒ったことなどほとんどない。 彼は自分が痛い思いをしたり嫌な目にあったり、そういうことに驚く程無頓着だった。 だから最初分からなかった。 嫌な人間には沢山あってきた。嫌な目になんかあいすぎていちいちおぼえちゃいない。 それにくらべたら今も遠くのほうで当たらない剣を振り回している二人はバカなだけでまあ普通のやつだ。 いつもの彼なら冷ややかに観察こそすれ、心を乱されたりしないような小物に過ぎない。 なのに、なぜ、こんなに自分が苛ついているのか、オリルは不思議だった。 となりで必死で立ったり座ったりをくり返しているキュリリの顔が真っ白だった。 ああ。そのせいか。すぐに彼は答えを見つける。 自分で自分を意外に思う。これが、恋か。他人事のように思う。 異常だ。病気だ。熱病みたいなものだ。そう思う。 だけどオリルはそんな自分が嫌いじゃなかった。 自分もまだ、誰かを大事に思ったり、その人に大事に思われたりしたいと、 そんなかわいらしいことを望んでいるのだ。 そのことが彼にはうれしかった。 精霊のスペルを素早く完成させる。遠くで水柱があがる。 連戦につぐ連戦で、満足に休むこともできない。キュリリはもう、しゃべらない。 「ちょっと、やすむ・・ね」そうちいさく呟いてしゃがみこむ。 「ああ。」そう答えてキュリリをかばうように前に出た。 癒し手を失った前衛たちの体力がみるみる減ってゆく。 「白!なにしてやがる!死んじまうよ!」たまりかねて男が叫んだ。 オリルの中でなにかが弾けた。 「キュリリはおまえらのクスリ箱じゃねえ!」 そう叫ぶオリルの後ろで、キュリリが立ち上がった。そっとオリルを制する。 瞬間、まばゆい光が降り注いだ。 削られ、尽きようとしていた男達の体力が瞬時に回復する。 白魔導師だけにゆるされた、二日に一度きりの、女神との契約。 オリルは言葉を失う。 大きな大きな獣が、かつてないほど怒りにその身を震わせて、キュリリに突進する。 懸命に前に立ちはだかるオリルなど目に求めずにキュリリに襲い掛かる。 前衛の男達は何がおこったのか分からずにその場に立ちすくんだまま。 「なにしてる!はがせよ!バカ!」 オリルの叫びが空に吸い込まれた。 オリルが精霊との契約を解放する。 あと一撃でキュリリは死ぬ。その前に。頼むから、間に合え。 火柱が一回、二回。獣をつつんだ。 「ぐぅ・・・」うなり声と地を揺らす轟音と共に、獣が沈んだ。 あとにはキュリリがうつぶせに地に伏せていた。 「ふ・・ざけるな。」オリルの小さな拳がふるえていた。 キュリリをそっと抱きかかえた。わずかだが、息があった。意識は、ない。 かわいらしい黒い鼻から、大量の血が流れてとまらない。 オリルが腰のポケットからポーションをとりだしてそっとキュリリに含ませた。 ほんの少し血色が戻る。血が、とまる。 そのままそっと彼女を横たえて。 立ち上がったオリルの背中の怒気に、男達が我に帰る。 つかつかとあゆみよる男はタルタルなのに、恐ろしく大きく見えた。 「もう沢山だ。自分の力量もはかれないバカは、さっさとママのもとへ帰りやがれ。」 そうはき捨てる声は身震いする程冷たかった。 いいすててくるりと向きをかえるとオリルはキュリリの横に座り込んだ。 日が傾いて空気が少し涼しくなった。 横たわるキュリリの上にかざしつづけた葉のせいで、腕が痛かった。 夜になるころ、キュリリが目をさました。 「おきたか。」そうキュリリに声をかけるオリルの声はいつも通りだった。 「あ・・。うん。」そういって頭をちょっとふってキュリリが起き上がった。 ささっと離れたオリルの気配。横になっていた頭上の所に葉っぱが一枚転がっていた。 「なんか、くえるか?」そういって荷物を探るオリルの背中。 なんだか、うれしくて。きっと気のせいじゃない。オリルずっと、そばにいてくれたんだね。 「あ、そのまえに、移動するぞ。歩けるな?」 「あの、ひとたちは?」 さっさと歩き出したオリルのあとをおいかけるキュリリの問いかけに一瞬の沈黙。 「さあな。」 「・・・助かった?」 「ああ。」 短い答え。 キュリリがちょっとほほえむ。 「そう、よかった。」 だってそう思ったから。助けたかったんだもの。 わたしは白魔導師。それがわたしの仕事。弱音なんかはかない。 前を歩いていたオリルがくるりと向きかえった。 「よかっただと?」そう告げる彼の顔は、見えない。 「死にそうになっただろ?めったなことで祝福は使うもんじゃない。」 彼の声は抑揚はない。なんだか必死で平静を保とうとしているみたいに聞こえて、キュリリは首をかしげた。 「どうして?わたしは白魔導師だよ?契約は、使うためにあるんでしょ?」 答えはかえってこなかった。 「それにほら、死んでないし♪」わざと明るく、そう続ける。 「・・・・かんべんしてくれよ。」ちいさな、ちいさな声。 オリル?キュリリはそっと歩みよる。おかしい。彼の様子がおかしい。 月を背にしているから表情が良く見えない。 そっと小さな手をのばす。 「オリル?どうしたの?」 見えなくてももう分かるよ。きっとまたいつもの顔だ。表情のない、あの顔。 キュリリはなるべくやさしく彼に囁いた。 「俺、ずっとこわいもんなんてなかった。」 オリルがぽそっとつぶやくから。耳をすませる。 「死ぬことだって、こわくない。自信があるからさ。 俺が死ぬのはさ、きっとそう定められた時で、その時まで俺はきっちり戦うから。 だからこわくない。」 キュリリの背中を不思議な戦慄が走る。 これは、これは聞き逃してはならない話。大切な大切な、なにかが彼におりてきた瞬間。 「こわかったんだ。」 キュリリに髪を撫でられるに任せてオリルは続ける。 「君が死んじまう・・・かりそめにだけど、死んじまうって思ったら、怖くて怖くてしょうがなかった。 ・・・足とかふるえるんだぜ?笑っちまう。びっくりしたよ。」 そういって視線をさまよわせるオリルはなんだかとても儚い生き物のようで。 キュリリの胸がいたかった。 「わたし、オリルのそばにいるよ。」 口をついて出た言葉があまりにも我ながら意外で、すくなからず驚く。 「わたしたちさ、きっとこれからも何回も痛い目にあうね。 オリルも、わたしもさ、あんまり体力ないしね。 だけど、そうしないと見れないものがあるんでしょ? オリルはそれを見たいんでしょ?だったら、いこうよ。ね?一緒にいくからさ。 それでいつかさ、オリルがアルタナ様のもとに召される日がきたらさ、わたしが見送るよ。」 なんだか何を言っているのか自分でも良く分からなかった。 一瞬考えるとなんだかものすごい大胆なことを言ってしまった気がした。 月が少し移動してオリルの瞳が光った。キュリリは急に恥ずかしくなってぱっと手を離すと下を向いた。 ふっとオリルが微笑んだ。めずらしい。 「物好きだな。」 「ああ〜〜そう〜?一緒にいってほしくないのぉ〜?」 猛烈に恥ずかしくてちゃかして答える。 「いや、よろしくたのむ。」 オリルがなんだか妙に真面目にそう答えた。 ふたりがウインダスに帰ったのはそれから一月後。 「へえ〜〜〜オリル=クロルさんとキュリリさん〜〜。 このおふたりって、すごく優秀だったのに退学しちゃったんですのよね?」 ふたりのサインが仲良く並んだ書類をしげしげとみながらクピピはつぶやいた。 「もったいないですのね。まあ、でも強い冒険者の方が増えればクピピはそれでいいですのっ♪」 ふんふんと鼻歌を歌いながらクピピはその婚姻届を無造作に書類の束にほうりこんだ。 膨大な書類の山の中からクピピがそれを発見することは二度とないのだろう。