出会ったのはソロムグの荒野だった。 高値で売れる肉と皮を求めて彷徨っていたとき、弓の弦を張り直している最中にその悲鳴は響いた。 エルヴァーンの青年は舌打ちすると、急いで弦の具合を確かめ、走り出す。 この界隈はウィンダス方面からジュノを目指してやってくる不慣れな冒険者が少なくなく、 ルーヴェル自身も未熟な頃に一度ヤグードの集団に襲われ、死にかけたことがあったのだ。 「2匹か…無茶をする」 茶色のごつごつした皮の下に、良質の美味な肉をもつモンスター。それに、誰かが襲われている。 身分は隠しているようだが、丈の高い帽子をまぶかに被り、女神の祝福を受けた戦槌を振り回してる 姿は、白魔道士以外の何者でもないだろう。しかも、明らかに劣勢だ。 モンスター達は自分より弱い者を本能的に嗅ぎ分ける。道中、運悪く襲われたに違いない。 「少し、耐えろよ」 高台の上から見下ろす形で、ルーヴェルは弓を引き絞った。十分に狙いを定めると、1匹目のビークの 喉を貫いて絶命させる。もう1体に対して続けざまに矢を放つが、しかし、十分に体力を残していた モンスターは、偶然にも頭を引っ込める動作を見せてそれをかわし、そのまま魔道士に容赦のない 体当たりを食らわせた。小柄な体が、地面に叩きつけられて動かなくなる。 「くそ!」 崖を滑り降りながら第三射を放つと、彼は腰の短剣を引き抜いた。サンドリアの密偵だった頃から、 彼はかさばる長剣よりも、使い勝手の良い短めの剣を好んで使用していた。ウィンダスのミスラの 族長に感銘をうけ、狩人としての修行を積むようになった現在も、それは続いている。 魔道士に更なる攻撃を加えようとしていたビークは足を打ち抜かれ、怒りの矛先をルーヴェルに向けた。 獣の瞳がぎらりと危険な光を放つ。青年の半身が、硬直した。 まずい、と思った次の瞬間、柔らかな光が彼を包んだ。体の強張りが瞬時に解け、横なぎに払われた モンスターの嘴をナイフで受け流す。 ルーヴェルの姿がふわりと沈んだ。一気に間合いを詰めると、ビークの懐に潜り込んで、急所へ 深々と刃を沈める。たまらず、モンスターは絶命してどうと倒れ込んこんだ。 「おい」 剣をしまうとルーヴェルは魔道士に近寄り、抱き起こした。首がかくんと垂れて、帽子で隠された顔が 露わになる。ヒュームの、若い女だ。あちこちに血が滲んでいる姿が痛々しい。 意識を張り巡らせて、周囲を警戒する。幸いにも、獣人や好戦的なモンスターの気配はない。 焚き火を起こし、雨をしのぐ為だけの簡単なテントを張って娘をそこに横たえると、帽子とマントを 脱がせ、傷の具合を確かめる。 彼女の唇から苦痛の呻きが漏れた。腕に布を巻いて手当をしていたルーヴェルがそれに気づく。しばらくして ぱちりとその瞼が開いた。きょろきょろと彷徨う視線が、やがて青年を捉えた。 「き…」 恐怖で見開かれた瞳。絶叫がほとばしる寸前、奇跡的にルーヴェルの手が娘の口を塞いでそれを留めた。 「静かに。もう無事だ、わかるか」 手のひらに痛みを感じながら、青年は静かに語りかけた。噛み付かれたのだ。 「この辺りは音に敏感なモンスターも居る。叫ぶな、いいな?」 瞳を潤ませたまま、娘はやがてこくこくと頷いた。炎の明かりで、その瞳の色がルーヴェルに映る。 紺でも、紫でもない、例えるなら明るい夜空のような深い青。 (変わった色だ…) それが、ルーヴェルが娘に抱いた一番最初の印象だった。 青年が、ゆっくり手を離す。しかし、彼女は涙をいっぱいに貯めてルーヴェルの水色の目を見上げている。 その顔立ちに似ず、雰囲気や仕草はどこか幼い。 「俺は…ルーヴェル。お前は?」 「…アリア、です」 ヒュームの娘は、おずおずとそう答えた。 ルーヴェルは倒したビークを解体し、肉のほとんどにはスパイスをふって油紙に包み込んだ。 これはあとで競売にかけて金にするのだ。残った一部は、骨を削って作った串に刺し、焚き火であぶり始める。 砕いた岩塩を降りながらまんべんなく火を通して、1本をアリアに差し出す。 娘はただ目をぱちくりさせて、手の中の串を見つめていた。 「食わんのか」 アリアの様子にかまわず、ルーヴェルは自分の分を早々に胃に収め、次に焼きしめたパンを 取り出すと、半分に割って囓り出す。ガルカほどでは無いにしろ、エルヴァーンも相当大食漢として 知られている。タルタルと違うのは、あまり味にはこだわらないといった所であろうか。 「あの、これ、肉ですよね」 口に含んだ水を、ルーヴェルは危うく吹き出す所であった。質問の意味を図りかねて、思わずアリアを睨んでしまう。 「ああ…ごめんなさい。そういう意味ではなくて」 困った表情で、アリアが弁明する。 「あまり、魔道士が肉を食べるものではないと…言われているもので。つい」 「お前、バストゥークの出か?」 彼女の左手にはめられたリングを見、ルーヴェルはそう問いかけた。サンドリア大聖堂直属の修道士以外から こんな台詞を聞くとは思わなかったからだ。 「はい。今は、大聖堂の方から依頼を受けて、ボスディンへ向かう途中ですが」 「…北の地の秘法、か」 「ご存知なんですか!」 アリアが顔を上げて、嬉しそうにほほえんだ。当たり前だ、と言いかけた台詞をルーヴェルはかろうじて 飲み込む。 (まだ、こんな事を続けているのか…奴らは) 他国の高位の白魔道士を帰属させるために、そして、『あまねく地に祝福を』と女神の力を誇示するために、 テレポと呼ばれる特殊な移動魔法をだしにして、大聖堂の幹部が冒険者達に探索を依頼する。 十数年前から始まったその行動に、ルーヴェルは早くから疑問を抱いていた。しかも。 「ヴァズ、だな。とすると、すでに他の三種は…」 「ええ、戴きました。あとはそれだけなんです」 罪のない笑顔でそう告げるアリアの姿に、青年は苦い表情を返した。先ほどの、間髪入れぬ回復魔法の使い方 といい、言動といい、彼女には「理想の白魔道士」としての行動が染みついている。それが、ルーヴェルの 心を何故か凍てつかせるのだ。 「…そうか。まぁ、とりあえず食べろ。ここでは誰もお前の行動を咎める奴などいない」 その言葉に、アリアがぴくりと反応したのをルーヴェルは見逃さなかった。 「…はい、いただきます」 彼女はようやく肉に口をつけた。おそるおそるといった風ではあったが。ルーヴェルの倍以上の時間をかけて ようやく食べ終わる。 「ごちそうさまでした」 旨いとも不味いとも言わず、馬鹿正直にそれだけをアリアは言った。一片も残さず食べていたのが、 ルーヴェルにとっては救いであり、また、尚更に彼を昏い気持ちにさせるのであった。 「聞いてもいいか」 怪我の残るアリアを寝かせ、自分はナイフの刃を研ぎながら、ルーヴェルはそう問いかけた。 「…はい?」 うとうととまどろみながら、娘は青年に視線を向ける。 「お前、施療院の出身だろう」 アリアはしばらく迷った後、こくんと頷く。 「ルーヴェルさん…なんでも判るんですね。羨ましいです…」 「羨ましい、か」 軽い寝息をたてはじめた娘を見つめながら、ルーヴェルは苦々しく呟いた。 「『判る』のと…『知りすぎている』のは…違うのだがな」 翌日、ルーヴェルの案内でジュノに到着したアリアは、彼と彼の仲間達に連れられて氷河を訪れ、 無事に目的の物を入手した。照れ笑いしながら頭を下げる彼女を、皆が祝福した。 それからしばらくの間、三国共同の獣人討伐隊などに参加し、ルーヴェル達と行動を共にした彼女は、 ある日とうとうサンドリアへと出発した。 何度も何度も、ルーヴェル達が恐縮するほど頭を下げながら去っていって半月が過ぎた頃、 「元気ないねぇ、ルーヴ」 ジュノ下層の酒場で蒸留酒をあおるルーヴェルに、タルタルのパウ・チャが声をかけた。ウィンダス口の院 の幹部になれたかもしれないと言う、高位の魔道士であったにも関わらず、吟遊詩人の道に目覚めてからは すっかりジュノ人と化してしまった彼である。 我が想いしかの人は 我が故郷へ旅立ちぬ 優しき御技(みわざ)ふるうその姿 鮮やかな黒髪と、瑠璃のひ… 完全に、ルーヴェルをおちょくる為に歌い始めたその内容である。 世間知らずなアリアに付き添い、あれやこれやと世話を焼いていたルーヴェルの心など、 彼にはしっかりお見通しであった。 だが、青年が過敏に反応した。胸ぐらを掴んで、パウ・チャを宙吊りにする。 「ごごごごめん〜、おろして、ぐるじい〜」 「今、なんといった」 水色の瞳が、酒のために完全に座っている。 「…へ?」 「続き、『黒髪と』…の後だ」 「あ。う。なんだっけ…」 短い足が、宙でぷらぷらと揺れている 「あ、そうそう。『瑠璃(るり)の瞳』だ。古い言葉で、ラピスラズリの事を言うんだよ…ぎゃう!」 ルーヴェルが手を離したため、タルタルの青年は床の上に自由落下する。 「瑠璃…か」 考え込むエルヴァーンを後目に、パウ・チャは『だめだ、こりゃ』と溜息をついた。 「なぁ、ルーヴ」 タルタルがルーヴェルの服の裾をくいくいと引っ張った。ふと思い出したことがあったからだ。 「…あの子、施療院の出身だろ」 その言葉で、ようやくエルヴァーンの青年の瞳に理性が戻る。彼は思わず友人を振り返った。 「わからいでか、ってね。バス出身の健気な魔道士さんは、たいていそうだよ」 魔法の能力に優れたタルタル族で構成されるウィンダス、大聖堂で進んで魔道の訓練を受けるサンドリアと 違い、総人口が多いながらも魔道士の絶対数が少ないバストゥークでは、施療院と呼ばれる特別な施設を 設けて、魔道士、特に白魔道士の確保と育成を行っているのだ。表向き、戦争で親を失った孤児の保護と 職業訓練を謳い文句にはしているものの、その内実は少しでも魔法の素質を持つ者を国に帰属する魔道士と して確保しているにすぎない。 何故、そこまで魔道士の育成にこだわるのか。それには変えようのない現実があった。 魔道士は死にやすいのだ。 男神ブロマジアの放った獣人やモンスターは、女神アルタナの力を使う者に過敏に反応する。 望んで冒険者となる者の内、女神に仕えてその力を行使する白魔道士になりたがる者が少ないのには、 そうした理由であった。 施療院では、そんな理由を知らせずに子供達を訓練し、人を癒す者としての在り方を徹底して叩き込む。 そして、冒険者として外に出た彼らは、己よりも他人の命を優先する、まさに「理想の」白魔道士となるのだ。 半年前、ジュノ大公の元で大々的に行われた獣人討伐に参加したルーヴェル達が、敵に挟撃された時、 同盟を組んでいた他のパーティの白魔道士が女神の祝福を乞うたが為に命を落とした、苦い記憶が戻り、 エルヴァーンとタルタルの二人はふと口をつぐんだ。 「ああいう事、二度とあっちゃいけないと思うんだよね」 努めて明るく、パウ・チャはそう言った。 「そろそろ、固定の白魔道士さん居て欲しいと感じてたし。ディム君も自慢の魔法が泣く、ってぼやいてたからさ〜」 そういって、タルタルはまたもやルーヴェルの服をくいくいと引っ張る。確かに、赤魔道士であるヒュームの青年がやむなく回復魔法ばかり使わされ、腐っていたのを思い出す。 「経験もそこそこ積んでるみたいだし、いいんじゃない。僕だってたまには思いっきり歌いたいんだよ。それに…」 愛らしい顔に似合わず、パウ・チャはにやりと口の端をつり上げた笑った。 「そんなに気になるなら、君が守ってあげればいいじゃない。騎・士・サ・マっ」 ごいん、と鈍い音がした。ルーヴェルの拳がタルタルの頭を直撃したのだ。 「いたい〜いたいよ〜、この首長がいぢめる〜」 わざと周囲の同情を引こうとするかのように、パウ・チャがじたばたと暴れて店の中をかけずり回った。 客達の間から、失笑が漏れる。この店ではそこそこ知られた、売れっ子詩人が形無しだ。 「大変だ、ノートリアスが出た!」