ラインハルトが目覚めた時に最初に見たものは、懐かしい自分の部屋の天井だった。 少し染みの出来た、汚い板張りの。ベットに横たわったままその染みの一つをじっと見つめる。  ふっと部屋を見渡す。昔必死に学んだ魔導書が並ぶ本棚。その隣の窓から、日の光が差し込んで 部屋のほぼ中央にあるテーブルを照らす。その上には、ここを出た時に置いていった 鞘に入ったままのブロンズダガーが幾日も過ぎた今でもそこにあった。  彼はゆっくりとベットから身を起こし、頭がズキンっと痛むのに顔を歪め立ち上がり そのダガーを手に取った。 (・・・どうせ死ぬつもりだった) そう、彼を。ルーウェンを殺したら自らもあのゲルスバから深い谷に身を投げ レンをめぐるもの全てに終止符を打つつもりであった。しかしそれはもう叶わない。叶える気力も失った。 もう、今となっては何故彼女を想っていたのか、何故彼にどうしようもない憎しみを感じていたのか それすらも曖昧で、自分は何を思い、何を信じていたか、或いはそんなものは全て盲信であったかのようにも 思えてくる。そして今はっきりしていることは、倦怠感ともう生きてはいられないという念だけだ。  ゆっくりとダガーを鞘から抜く。青銅の刃が陽を受けて鈍く光り、ラインハルトの端整な顔を映す。 その目は既に光を失い疲れきり愁いでいる。  刃を自らに向け、柄を両手で握る。左胸。レンをこの手にかけた時に貫いた場所と同じ所に 先端を近づける。 (僕は・・・楽園には行けなだろうな。レン、せめて・・・死んでからでいいからもう一度会いたかった。  ・・・それも今となっては叶うはずがないことか) 握る両手に力がこもる。勢いをつけて一気に突き刺そうとする。 その瞬間に強い力でその手は静止され、ラインハルトは少し驚いて自分の手を見る。  華奢で長い指を持つ手が、彼の手を抑えていた。すっと腕を伝い、その手の主の顔を見る。 「・・・姉さん。」 長い銀髪に美しく整った顔は怒っているとも哀れんでいるとも取れぬ表情で彼を見つめ、ゆっくりと口を開いた。 「何をする気だったの。」 リィスが表情とは裏腹な、優しさを含む声で問う。 「僕はもう、生きてはいられない。生きる意味もない。」 顔を伏せ、聞き取れるか聞き取れないかぐらいの声で彼はそういった。 「・・・ルーから聞いたわ。大体のところは。」 彼の持っていたダガーを取り上げ、鞘に納める。呆然と立ち尽くすラインハルトに背を向けリィスは窓の外を眺めた。 「気付いてやれなかった。ごめんなさい。あんたがそんな気持ちでいたなんて私、わからなくて。」 「姉さんのせいじゃない。」 眺めているいい天気の空から、鳥のさえずりが聞こえて、風で木々がなびく音が聞こえる。 「・・・死ぬなんて考えないで。」 ぽつりと小さい声でリィスが言う。 「レンちゃんを、裏切ることになるのよ?彼女は、あんたを生かすために・・・あんたに殺された。  その気持ちを、無駄にするつもりだったの?」 「僕は・・・」 「償いのつもりなら、ちゃんと生きて、ちゃんと死になさい。あんたにはその義務があるの。」 「でも、僕は・・・彼女の愛した男を殺そうと・・」 ラインハルトの声が震えていた。リィスはくるりと振り返り小刻みに震える彼に近づいた。  自分より背の大きい弟が、小さい。リィスは少し背伸びをして彼の頭に腕を絡める。 「あんたが、たとえ間違った道を行ってしまいそうになってもちゃんと私が止めてあげる。  バカで、どうしようもない弟だけど、あんたは私の唯一の肉親なんだから。」 耳元でそっと囁き、ぎゅっと抱き締めた。大きく見開いたラインハルトの目から一滴の涙が落ちた。  その後、ラインハルトは裁きを司法に委ねることになる。何分、何年も前のことで証拠物件等も少なく、 本来は厳重な注意とある程度の期間の謹慎になる予定だった。しかし、彼は自らの意向により ボストーニュ監獄に幽閉されることになる。 「本当にいいの?」 納得の行かない様子のリィスは、騎士に連れられている彼との最後の面談で聞いた。 彼は、何も裏のない笑顔で彼女に笑いかけこういった。 「これは、僕にとって禊なんだ。色々なものに・・まみれてしまったから。」 「そう・・・。行ってらっしゃい。時々面会に、来てあげるから。」 「ん。ありがとう、姉さん。」 監獄に向かう階段の闇に、ラインハルトの背中が消えていった。 しかし、その背中は後悔も悲しみもない。弟の姿が見えなくなってもリィスはしばらくその闇を眺めていた。 ----------------------------------------------------------------------  酷く頭痛がする。何日眠っていたんだろう。ミアが目を覚ましたのは全てが終わった2日後。 窓からの光が目に差し込んできてちくちくと痛い。  非常に頭が呆けている。まだ顔が熱い。熱はまだちょっと下がっていないようだ。  なんだか、すごく長い夢を見ていたような気分だ。何をしていたんだろう。思い出したくない。 彼女はそんなことを思いながらぼーっとしていた。 (・・・ここ、どこだろ) すると、近くでぺらぺらと紙をめくる音が聞こえ、首だけを動かして音の主を探す。 「・・・ん・・・ルー?」 ベッドの隣の椅子に座って読書にふける男の姿を見てミアは声をかけた。 「やっと起きたか・・・。」 平然とした顔で本を閉じ、テーブルに置いた。 「・・ずっといてくれたの?」 彼の顔を見て安心した。少し微笑んでみたが、まだ元気がないような感じ。 「いや、さっき来たところ。」 淡々と言葉を発する。目はあわせようとしない。 「あはは、ひっどいなぁ。嘘でもいいからずっといたって言ってくれればいいのに。」 「嘘は苦手だし。」 「そーですか。」 少し冷たく感じ、ぷいっと彼から目を逸らす。  ルーウェンは立ち上がると、ミアの寝ているベットの横に立った。 氷嚢をどかし、額に手を当てる。彼女の顔が急に熱くなる。 「まだ、熱あるな。顔もこんなに赤いし・・」 「う、うっさいなぁ。もうちょっと寝るね。」 体を横に向け、固く目を閉じる。  すると、急にミアは体を起こされた。そしてルーウェンは起こした彼女の体を抱き締めた。 彼女は目をぱちくりとさせ、驚きすぎて口をパクパクさせている。 「・・・お前が、医者のところに運ばれたって聞いた時、心臓が止まりそうになった。」 そこに彼女がいると確かめるかのように、強く腕をまわし、彼は呟いた。 「ベッドに倒れてるお前を見たら、もう気が動転して・・・本当に心配したんだぞ。」 「ル、ルー・・・?どうしたの・・・?」 ミアは戸惑っていた。今までこんなこと言われたことなかったし、こんなルーウェンをみるのも初めてだ。 「嘘は、苦手なんだよ。」 そういうと抱き締めていた腕を放し、彼女と向き合う。真剣なその目にミアは惹きこまれてた。 「好きだ。」 ミアの目が潤み、涙が一粒零れた。 「素直になれなくて、ごめん。ずっとずっと前から、好きだったんだ。」 彼は再び彼女を抱き寄せさっきよりさらに強い力で、彼女の細い体を抱き締めた。 「で、でも・・私、いつもあなたに酷いことを・・・」 ミアの声が震える。まさか、まさか彼も、自分と同じ気持ちでいるとは思っても見なかった。 「いいんだ・・それを含めたお前の全てを、愛してるんだ・・・」 ぽろぽろと止め処なく流れる涙は、ルーウェンの服に落ち、染み込んで消える。 「ありがとう・・・」  抱き寄せていた体をゆっくりと離し、もう一度見つめあう二人。今度はミアの肩に手をやり 静かに顔を近づける。 「風邪・・うつっちゃうよ・・」 何をされるか悟ったミアは、鼻のかかった声でそういった。 「お前の風邪なら、いくらでももらってやる。」 「バカ・・・」 辺りから音が消え、二人に聞こえるのは、お互いの心臓の鼓動だけ。重なり、高鳴り、強く脈打つ。 少しずつ顔が近づいていく。二人とも、目を閉じ、唇が触れるその一瞬を待ちわびる。  その時、病室の扉が勢いよく開いた! 「おーい、ルーウェン。ミアちゃん起き・・・・何してんだお前ーーーーー!!」 入ってきたのはタルタルの男の子・・・いや、男性だった。  ベッドで上半身だけを起こして、目に涙を浮かべる女と、それに抱き付こうとしている男の後姿。 それを一瞬見ただけなら、身動きの取れない嫌がっている女の唇を無理に奪おうとしているように彼には見えたらしい。  タルタルは恐ろしく素早い動きで二人を引き離した。 「てめーーーー!俺のミアちゃんに何しようとしてたんだよ!!」 見下ろされながらも激しい険相でルーウェンを問い詰める彼。 「お前・・・ノックぐらいしろよ・・・。っていうかお前のじゃないだろうが・・・」 怒りに満ちているような小さい彼を見下ろし、顔を赤くしているルーウェンは 額に掌を当てて呆れたようにいう。ミアは呆気に取られて目を丸くしている。 「うるさい!!抵抗できないミアちゃんをお前欲望のままにむさぼろうとしてやがったな!!  このやろーーーー覚悟しろ!」 彼は驚くべき跳躍を見せた。右下方向から抉る様なアッパーカットがルーウェンの顎に命中した。 うっという小さなうめき声と一緒に彼は倒れた。 「うわっ・・・ルー、大丈夫?」 ミアが心配して床に倒れこんだルーウェンに声をかける。すると部屋にもう一人入ってくる。 「ルーウェンさ・・・きゃーーー!なに、なに?どうしたんですか一体!」 部屋に入ってきたのはエネミだった。最初に見たのがルーウェンの倒れた姿だったので 驚いて悲鳴をあげてしまった。 「さぁ、ミアちゃん、悪漢は退治したよ、これで大丈夫・・・ゆっくりおやすみ」 タルタルの彼はミアの手を取り彼女を見上げそんなことを言った。 「一体何したんですか!?病院でけが人なんて出さないでくださいよ。全く!」 エネミはタルタルの彼を少し睨んでパタパタと部屋から出て行った。彼女が出て行くのとほぼ同時にルーウェンは目を開けた。 「なにしやがんだお前・・・。うあ、血出てきただろーが・・・」 「うるさい悪漢め。気が弱くなってる病人に手を出すなんて男の風上にもおけんやつ。」 ふふりとしてみせるタルタル。そしてまた誰かが入ってくる。 「ミア、起きたの?」 銀髪の女性。リィスだ。彼女は起き上がっている彼女を見るとにこっと微笑んで 「良かった・・・良くなったみたいね。」 安堵のため息を吐く。 「うん、ありがとう、リィス。」 ミアもにこっと微笑んだ。少し元気も戻ってきたようだ。すると部屋の外からこっちに向かってくる足音が聞こえてきた。 「こっちです、先生早く!」 さっき部屋をかけ出たエネミが医師を連れて戻ってきた。 「こら、お前ら・・・病人の部屋でなに騒いでるんだ。全員外に出ろ。」 エルヴァーンの医師に一喝され、皆追い出されてしまった。  数日後、ミアの容態は回復し、めでたく退院となった。  今日もいい天気だ。青い空が広がって風がジュノのにぎやかな街並みを吹き抜けていった。 このままレンタルハウスに戻るのももったいないな。そう思いゆっくりと街を歩く。  しばらく歩くと、人の少ない上層にぽつんと見知った人影が海を眺めるように立っていた。 「ルー。」 ミアはその人影に声をかけた。 「よう、退院おめでとう。」 彼は振り返り、にこっと微笑んだ。 「ありがとう。」 彼女は彼の隣に移動し、微笑み返す。  二人並んで海を眺める。海と、空との微妙に青味の違う境界線がずっと続いている。海からの潮風が心地よい。 「・・・ねぇ、あの日のさ、続き、して?」 何気ない世間話をしたあと、少しの沈黙をおいてミアはルーウェンを見つめた。  彼は無言で彼女に向き直り、肩をゆっくりと抱き寄せた。顔を近づける。吐息がかかり、ミアの顔が少し赤く色づく。 ゆっくりと、唇を重ねる。確かめるように長い時間二人はキスを続けた。  青い空に白い雲が絶え間なく姿を変え、風にゆっくりと、遠くに流されていく。 人の気持ちは、雲と同じようなものかも知れない。しかし、想いはきっとそれとは違い まるで空から地上を照らす太陽のように、変わらず自らを照らしてくれるものだろう。 二人の想いを、今はそっと見守ることとしよう。 おしまい @ナ梨 〆が・・・不良。げふぅ