「お義母さん、ただいま!」 「おや、リュート……おかえり。  まったく、あんたが朝帰りして……男まで連れてくるようになるとはねぇ。」 「オ邪魔……シマス……。」 「ああ、そんな堅苦しくしなくてもいいわぃ。  わたしゃ別に、いらぬお節介焼くつもりはないからね。」 <<<『闇の放浪者』第四話「王国」>>> (俺はシェリーに連れられて、彼女の住むサンドリアの市街へやって来ていた。  漆黒の色をした顔や手が隠せるように、彼女は全身鎧を用意してくれた。  職業は最近巷に増えたという冒険者……そういって誤魔化すことにした。) 「そうそう、ここだとあたしリュートって名前だから、そう呼んでね。  変な風に見られても困るでしょ。」 (シェリー……いや、リュートの家は猟犬通りという裏路地に面した場所に有った。  彼女と一緒に暮らしていたのは腰の曲がった老婆だった。  一年ほど前、記憶を無くしていたリュートのことを、  引き取って世話すると名乗り出たということらしい。) 「それにしても、家の中でも兜被ってるのはやっぱり不自然ね。  まあ、日光を一切浴びられないって病気もあるらしいけど。」 (俺はリュートの部屋の中にいた。荷物は殆ど置かれていない、殺風景な部屋だ。  窓は小さいのが一つだけあった。そこは見下ろすと中庭になっており、  桶を担いだ若者が一人で井戸水を汲んでいた。  俺は、故郷に居たとき毎朝、シェリーが炊事をしていた姿を思い出した。) 「椅子も無くて悪いけど……その辺に座っててくれる?」 (俺は彼女に促されて、数少ない調度品である粗末な寝台の上に腰を下ろした。) 「あたしね、本当に去年より前のこと覚えていないんだ……。  一番最初の記憶はね、ロンフォールの森を歩いているところなの……。」 (俺も修羅と成り果てて以来、何をしていたのか定かには思い出せない。  だが彼女は、自分の存在を確かめる記憶さえも失ってしまっているのだ……。) 「木漏れ日が照らす中を兎達が跳ね回っていた……。  わたしは……どこかに行こうと歩いてるんだけど……行き先も方角も分からないの……。  しばらくして、日が暮れた……。  遠くに焚き火を見つけて近づこうとしたんだけど、  寄ってみたら……そこに居たのは緑色の獣人ばかりだった……。わたしは慌てて逃げたわ。  でも、段々と暗闇は広がっていくし、お腹も空くし、道も全く見えない……。  わたしはもう動く気力も無くなって、その場にしゃがみ込んで……泣いたの。  その内に泣き疲れて、どうしようかと思い巡らせていたとき……偶然、人に出会ったの。  その人はわたしをサンドリアまで連れてってくれて  ……引き取り手のお義母さんも紹介してくれた。」 「親切ナ人ニ会エタンダナ。」 「うん。後で知ったんだけど、その人は王立騎士団の分隊長だったんだって。  名前はエグゾロッシュって言ったんだ。」 「エグゾロッシュ!?」 「知ってるの?」 「ア……イヤ、人違イダ。知リ合イニ似タ名前ノ奴ガイタンデネ。」 (俺はリュートには黙っていることにしたが……  その名前を一度たりとも忘れたことが無かった。  エグゾロッシュ……それは戦争のあったあの日、  祖国への救援を拒絶したサンドリア兵隊長の名だった……。)