(スラッと伸びた体躯、先の尖った耳、そこにいるのは……) 「シェリー……!」 (俺は彼女を背中から抱き締めた。昔のように左腕を首に絡め、右手で胸を鷲掴みにする。  ずっと、ずっと求め続けていた。会いたかった、会える日を待っていた。  それが、やっと……!) 「嫌ぁっ! 誰か、誰かっ! 助けてぇぇっ!」 (その女の声で俺は我に帰った。顔を良く見れば、俺が愛した彼女とは似ても似つかない。  俺は思わず怒りがこみ上げてきた。) 「違ウ……。オ前ハ、シェリーデハナイ……!」 (俺は両方の腕に力を込めた。  グシャッと何かが潰れる音と、ゴキッと何かが折れる音が同時に響く。  そして、女は動かなくなった……。) <<<『闇の放浪者』第一話「戦争」>>> 「んねぇ、今夜はやけに烈しかったじゃない。」 (派手に乱れたベッドの上に横たわりながらシェリーは言った。) 「明日から軍役で居なくなるからな。姦り納めってやつだよ。」 (俺は彼女に笑って答えた。背中側に回りこんで強く抱き締める。) 「もうマルスったら、やらしいんだから。お陰であたし、死ぬかと思ったわ。」 「悪かったな。あと、離れる前に……これ、受け取ってくれないか?」 「何これ? 開けるね。……指輪!? これって、もしかして………!」 「次の戦いが終わって帰って来たら……俺と結婚してくれ!」 「え、えっとぉ……。」 「この戦争は次が最後の決戦になるって話だ。  詳しくは知らないけど、上層部の間では獣人軍を倒す秘策とやらがあるらしい。  平和になった世界で、俺と……。」 「今さら何言ってるの! 他の男と一緒になれって、アンタに命令されても断るからね。」 「じゃあ……。」 「貴方のプロポーズ、謹んでお受け致しますわ。」 (彼女との約束から半月、俺は戦場の真っ只中にいた。) 「マルス! マルスは居るか!?」 「はい、上官。ここに!」 「獣人軍の兵力は予想以上に多い。これがアルテドール様の書簡だ。  急いでサンドリアまで行って、援軍を呼んできてくれ!」 「はっ! 了解しました!」 (伝令の任を帯びた俺は昼夜問わず走り続けた。  そしてようやく、兵員の準備をしているサンドリアの前線基地に辿り着いた。) 「援軍……か。」 「はっ! 我らタブナジアの兵力のみでは持ち堪えるには限界があります。  予定されていた援軍を大至急派遣して頂きたく存じます。」 「そうか……。よし、お前にだけは教えよう。  タブナジアへの救援は急遽取り止めることになった。」 「は……? それでは、我々は壊滅するのですが……。」 「かもしれん。だが幸いにも獣人共の目はタブナジアに集中している。  我らサンドリア騎士団と……バストゥーク、ウィンダス、ジュノの連合軍は  闇の王の居城ズヴァール城に強襲をかける!」 「だが……それでは……我が国は……!?」 「有り体に言ってしまえば囮だ。  だが、ザルカバードに残った闇の軍団相手なら、  連合国の戦力を結集すれば五分以上の戦いに持ち込める。  闇の王を滅ぼしてこの戦乱に終止符を打つには、これ以外に手立ては無い。」 「馬鹿な……! 勝つために……俺達に死ねというのか!?」 「卑怯な作戦だということは私も承知している。  だが計り知れない数の獣人勢力とこのまま不毛な消耗戦を続けていては、  いずれ持ち堪えられなくなる時が来る。  今ここで決着を付けなければ……この世界に未来は、無い。」 「そんな……!」 「それと……悪いがお前の身柄は拘束させてもらう。  万が一この作戦が獣人共に漏れては困るからな。」 「ふざけるな! 俺の家族は、仲間は、シェリーはどうなる!」 「この男を連行せよ!」 (牢に囚われた俺は警備の隙を突いて脱獄した。もはや援軍など当てには出来なかった。  俺はタブナジアへの道をひたすら急いだ。だが俺がそこで見たのは……  燃え盛る炎に包まれ、悲鳴がそこかしこで響き渡る地獄絵図だった。) 「マ、マルス……戻ってきたのか……。」 「じょ、上官! か、体が……。」 「いい、言うな。お前が来たということは、やっと増援が到着したんだな……。  頑張って戦った甲斐があるぜ……。」 (俺は言えなかった、援軍など送られてはいないことを。  上官の胴は二つに裂かれ、もはや助かる見込みは無かった。  いつも厳しくて嫌っていたはずの相手なのに、  その最期の微笑みを見ていると深い悲しみがこみ上げてきた。) 「後は……任せた……。か、敵を……討って……くれ……。」 (俺は上官の骸の目蓋を閉じて、敬礼を捧げた。口惜しいが埋葬までしている時間は無い。  シェリーの安否が気になる俺は住宅街目掛けて走り出した。) 「シェリー! 頼む、無事でいてくれ!!」 (彼女の家の扉は開いていた。一階では彼女の父親が血溜まりの中に倒れていた。  俺は驚愕して二階に駆け上がった。) 「シェリー!!」 「マルス!?」 (二階には彼女がいた。周りをオークに囲まれている。  俺は剣に渾身の力を込め、獣人どもに躍りかかった!……が) ザシュッ! (俺の剣が到達する直前、オークの一匹が振るった斧がシェリーの肩を薙いだ……!) 「ウォォォォォォォォォォ!!!!」 (俺はそのオークの首を一刀の下に刎ねた。返す刀でもう一匹も切り倒す。  そしてただひたすらに剣を振り続けた……。) (その後のことは余りよく覚えていない。  街中を駆け巡り、目に付いた敵を片っ端から斬りつけていたことだけは間違いない。  もしかしたら斬ったのは敵だけでは無かったかもしれない。  そのときの俺に正常な判断力が残っていたとはとても思えない。  俺自身も随分攻撃された。剣で斬られ、槍で貫かれ、斧で割られ、炎に焼かれた。  だが、痛くなどは無かった。  心を苛む苦しみが大きすぎて、肉体的苦痛など問題にならなかった。  俺は狂気の赴くままに、延々と血を浴び続けた。) (あれからどれほど経ったのか、どれだけの距離を歩いたのか、俺には判らない。  俺は気付いたら夜の海辺に立っていた。  潮の匂いのする夜風に当てられながら、俺は冷静に考え直した。  あの時、殺されたのは本当にシェリーだったのだろうか。  焦るあまり、他人と勘違いしたのでは無いだろうか。  俺は記憶を辿ったが、今となっては全てが夢の中での出来事のように霞んで見える。) 「ソウダ、キット間違イニ決マッテイル。」 (俺はそう結論付けることにした。  この世界のどこかにいるシェリーを見つけ出すこと、それが俺のこれからの存在理由だ。  都合のいいことに、いつしか食事も睡眠も必要の無い体になっていた。  深く血塗られた手は、闇のような黒に染まっていた。  自慢だった声は、醜く歪んでしまっている。  だが、どんな姿になろうとも、俺の目的はただ一つ。  彼女と再会するその日が来るまで、俺の魂の安らぐときはない。) ザッ ザッ 「マタ、誰カ……来タ……。」