雨は、思った以上に強く降っているのだろうか。さっきまで遠く聞こえていた雨音が妙に近い。 それ以上に、ルーウェンには自分の体の上に乗りかかっているエネミの息遣いと、鼻をすする音。 そして彼女の心音がよく聞こえた。 「お願いします・・・ちゃんと聞いて・・・」 震え、上擦った声で彼女は自らが乗りかかっている男に哀願をする。  ルーウェンは、表向きこそ困った様子は見せなかったが内心あせっていた。 (こんなところでこんな格好は・・・) 今でこそ人っ子1人いないが、最大規模を誇るジュノのレンタルハウス域内である。いつ人が通るか、わかったものではない。 「わかったよ、だからちょっとどいてくれ。」 倒されたままで彼女に指示をだす。  エネミは何もいわずすっとルーウェンの上から退き、やっと自由になった彼もゆっくりと立ち上がる。 「・・・とりあえず俺の部屋に。」 うつむき、一言も発しない彼女にそう促す。こくっと小さく頷くとそろそろと彼の後ろをついていった。  部屋に入り、エネミをソファーに座らせて彼は台所の方に消える。彼女はずっとうつむいたままだ。時々目を擦る動作をすることから まだ泣いているのだろう。  台所からトレイに二つ、紅茶の入ったカップをルーウェンは運んできた。 「まぁ、あんまり美味しくないと思うけど。」 それだけ言ってエネミにカップを手渡す。彼女はゆっくりと受け取り、一度カップに口をつけ、テーブルに置いた。 「・・少しは落ち着いたか?」 何も言わずに頷く。 「そうか。」 彼女と対面する形でイスに腰掛け彼も紅茶を啜った。  長い静寂が続く。雨の音は耳に遠く、時計が時を刻む音だけが単調に流れていく。 エネミはうつむいたまま、時々鼻をすするだけで、ルーウェンはそれを横目で見ながらテーブルに肘をつき 組んだ足をぶらぶらさせていた。 (らちが明かないな) 彼はそう思い、口を開こうとした。 「あの・・・」 「ぅえ?あ・・・なに?」 声をだそうとした矢先、さっきまでうつむいていただけだった彼女から話しかけてきたので思わず変な声が出た。 「さっきは・・・ごめんなさい。」 「ん・・・いや、気にすんな。」 「でも・・好きなんです・・・。」 「・・・・・」 同じ言葉の繰り返しだった。ルーウェンは一つ小さくため息をつき、彼女の顔をじっと見つめる。 「じゃあ・・ちゃんと答えるよ。・・ありがとう。でもその気持ちは受け取れない。・・・・ゴメン。」 真剣な眼差しに気づいたのか、エネミは顔を上げて彼に目を向ける。 「・・・どうしてですか?」 「・・・・・・」 少し戸惑いの表情を見せる。 「ちゃんと答えてくれないと・・・私も諦めがつかないんです。」 じっと目を見据える彼女に少しルーウェンはたじろいだ。 「・・・・ずっと以前からこの剣を捧げようと思っている女性がいるから。」 「ミアさんですか?」 「・・・・・・」 無言で頷く。いつの間にか時計の音が聞こえない。  さぁさぁと言う雨が地面や壁を叩く物音が先刻より強くなった。エネミはまだルーウェンの目を見据え ルーウェンはその目に耐えられずにすっと顔を逸らした。 「・・・本当は分かってました。」 小さな声で彼女がいう。 「本当は、あなたがミアさんを好きだってこと、分かっていたんです。私なんかが間に入っていけないほど・・・  でも・・・でも、もしかしたらと思ったんです。今朝、彼女に会ってから・・・。」 エルヴァーンの青年の部屋から出てきたミア。そして『付き合ってる』と言っていた二人の言葉を聞いて 彼女は、ほのかに希望を見てしまった。 「でも・・やっぱりダメでしたね。いえ、分かっていたんだと思います。それでも・・・私は・・・。」 軽くうな垂れて力ない声で淡々と語るエネミ。テーブルのカップの中身は既に冷めてしまっていた。 「ミアさんが羨ましかった・・・。あなたと、彼女との関係に嫉妬してた。そして彼女に・・苛立ちを感じてた。  絶対私には手に入らないもの。あなたに思われているということに気付かない彼女に・・・。」 彼女から目線を逸らしたまま、ルーウェンは聴覚のみを向け、全く淡々と話す彼女に罪悪感を覚えていた。 「そしてあなたにも・・・。あんな酷い事を言われたのに、彼女をかばう姿。一生懸命、ミアさんを探している姿。  ・・・気がついてました?すごく必死な顔してたんですよ。ルーウェンさん。」 ふふっと笑うエネミの顔はどことなく寂しい。逸らしていた目をようやく彼女のほうに向ける。 「・・・3日前、初めて会った・・・って言いましたよね。実は違うんです。本当はもっと前。」 天井を仰ぐ。 「あなたや、ミアさんたちは覚えていないかもしれないけど、昔会ったことがあるんですよ。  あれは確か、ジャグナーの森の中。ミアさんが倒れてあなた達がその近くにいた。  泣いてましたよね、ルーウェンさん。私がレイズを掛けたあと、『本当にありがとう』って手を握ってくれたんです。  ・・・覚えてませんよね。私はあの時・・・あなたに一目惚れしてたんですよ。」 そういえば微かに覚えがあった。あまりに必死だったから、顔までは覚えていなかったが・・・ 「・・・ごめん。」 「ううん、いいんです。」 にこっと笑う。ルーウェンの罪悪感はますます膨らんだ。 「・・・バカな女だって笑ってください。恋に恋してちゃ、どうしようもないですよね。勝ち目があるわけでもない・・」 自嘲気味にそういう彼女の目に、再び涙が溜まる。 「・・・ごめんな。」 それしか言葉が出ない。組んだ手を額の前で合わせる。 「あやまらないで・・・。逆に・・辛いです。」 「・・・・・・」 お互いが目を伏せる。また、時計の音が聞こえ始めた。  不意に外から激しい稲光と、雷鳴が轟いた。ざーーーーーっという雨の音がして再び時計の音を掻き消す。 「最後に・・・一つだけ。お願いがあります。」 目を伏したままエネミが静かに言った。 「今度は、ルーウェンさんから・・・キスしてくれませんか?」 ルーウェンが顔を上げると、彼女もほぼ同じくらいに顔を上げた。 「・・・・できないよ。」 そういうと彼女は笑顔で 「よかった・・・。やっぱり私の想ったとおりです。・・・そういうあなたが、好きでした。」 静かに目を閉じるエネミ。こうして彼女の恋は終焉を迎える。  雷も酷くなって来た。バケツをひっくり返したような雨に、空を割るように走る稲光が走る。 まるですべてを洗い流すかのように激しく降り注ぐ大量の水。ある意味で恐怖さえ感じる。  唐突に部屋のドアを叩く音が響いた。 「おい!ルーウェン!!いないのか!?」 子供のような声が響き、二人は驚き、ルーウェンが扉を開けた。 (・・・・いない?) ドアを開けても目の前に人影はなかった。すると同時に脛に鈍重な痛みが走った。 「どこみてんだ!なめてんのか!?えぇ!?人がちっちゃいからって馬鹿にすんなよ!!」 痛みに耐え切れずしゃがみこむルーウェンの目の前にタルタルの戦士の男の子・・いや、男性の顔があった。 「いてぇよ・・・なにしやがんだ。」 脛を思いっきり殴られたらしい。 「あーーーーーー!お前と漫才やってる暇はないんだよ!大変なんだ、ミアちゃんが!」 彼と、奥にいるエネミの顔が強張る。 「何か、酷いことになって医者のところに運ばれたらしいんだよ!ちゃんと伝えたから・・・みぎゅぅ!?」 小さな体が吹っ飛ばされて壁にぶつかる。ルーウェンは既に走り出していた。 「な・・・なにすん・・・うぎゅう!?」 今度は部屋の中から飛び出してきたエネミに思いっきり蹴り飛ばされてしまった。 「あぁ!ごめんなさい!!あとでケアルかけますから!」 走りながら倒れているタルタルにそう叫び、彼女も彼と同じ方向に走っていって見えなくなってしまった。 「ぐ・・・レイズじゃないとだめか・・・も・・・」 そう言うとぱたりと音もなく倒れこんでしまった。・・・まだ余裕はありそうだ。  雷と大雨が降りそそぐジュノの街を駆けぬける。目に雨水が入ろうとも、濡れた路面に足を取られながらも 街医者のところにたどり着いた。  ルーウェンは扉を叩きあけた。 「静かにしたまえ!」 びしょびしょの二人は一喝され、少したじろぎ、そろそろと家の中に入っていく。中にはリィスが待っていた。 「・・・ルー・・・」 「リィス、ミアは!?」 リィスはあごでベットに横たわるミアを指す。 「一体・・どうして・・・」 ミアの顔は真っ青で額には氷嚢が垂れ下げられている。いかにも苦しそうで、はぁはぁと荒い息を吐いている。 「先生の診断によると・・・肺炎になりかかってるって。それに・・・体中に酷い打撲が・・・」 「発見された場所は上層の路地裏。裸で倒れていたらしいんだよ。」 後ろから男の声が聞こえた。エルヴァーンの、医者である。 「・・・あまり好ましくないことを、されていた様だ。しかも複数の男にだね。まぁ最近ではそれ自体は  珍しい事じゃないが・・・。」 ルーウェンの、硬く握られた拳が小刻みに震える。 「ルー・・・大丈夫?」 リィスが彼の顔を覗き込むとぞっとした。 (・・・なんて顔・・ルーじゃないみたいな・・・) 「それと、現場にこんな紙切れが落ちていたらしい。」 エルヴァーンの医者は紙の切れ端をポケットから取り出す。 「・・・文字が書いてあるな。サンドリアの者に多くある書き方だ。」 ルーウェンはその切れ端を奪い取るようにして手に取り、雨でにじんだその文字を読む。 『過去の清算。あの地にてすべてを。君を待ち続けよう』 「・・・クソっ!」 彼は紙を握りつぶすと地面にたたきつけた。 「奴は何で今更俺の前に・・・!」 「ルーウェンさん・・・?」 心配そうに見つめるエネミだったが、その激しい形相に驚き、二の句が続かなかった。 「サンドリアへ行く。リィス!」 「・・・まさか、弟なの・・・?」 「奴以外にいない。・・・止めるなよ。」 まるで親の敵を見るような目でエルヴァーンの女性を睨み付ける。 「俺は、奴を・・・殺す。」 「・・・やめて・・」 「・・・すまん。」 「・・止められない、止められないけど!!あんなのでも私の・・・!」 リィスの声が上擦り、肩が震える。  ルーウェンは早足で居住区に戻った。病院では、立ち尽くすリィスと状況が分からないエネミ。 そして苦しそうに唸り声を上げる、ミアの痛々しい姿が、涙に濡れていた。  次の朝一番の飛空艇でルーウェンはサンドリアへ戻った。 (過去・・・あの地・・・あそこしかないか) 飛空艇から降りた彼の井出達は、めったに着る事のない装備で固められていた。赤魔道士のアーティファクト。 あまり気に入らないからといってほぼ封印していた装備だった。これは彼の決意の表れでもある。  北サンドリアから西ロンフォールに出る。そのまま北西に進路を取り、ロンフォールにおけるオークの拠点である ゲルスバへと向かった。  ところどろこにいるオークどもは恐れをなし、全く障害にならないまま彼はゲルスバに入った。 (・・・様子がおかしいな・・・)  ゲルスバに入ったとたん目に付いたのは、焼け焦げたオークの死体だった。しかも、いたるところに点在している。 (王国騎士団・・・ではないな。完全に魔法だけで倒されている・・・)  野営陣の最も高いところに行くまで倒れていたオークの死体は数え切れないほどのものであった。 中には巨大な岩の下で圧死しているものや、びちゃびちゃに濡れ原型を留めないもの、ズタズタに切り裂かれた死体もあった。 そして、目の前に小高い丘・・・いや、あれはオークの死体の山だ。その上に、長身の影が座っているようにみえる。 「ラインハルト!!!」 姿を確認するやいなや、ルーウェンはその影に向かって吼える。  山の上の影はゆらりと立ち上がるとにやりと笑い 「やぁ、僕の置き土産はどうだったかな?ふふっ・・・彼女のこと、大切にしてたらしいねぇ。はははははは!」 「ふざけるな・・・」 「そういきり立つなよ。少し話でもしよう。僕らの原点ともいえる、この場所でね。」 ゆらゆらと掴み所のないような話し方をするラインハルトに対し、右手でレイピアを抜き、魔法を詠唱する。 「・・・サイレス」 ルーウェンの魔法が発動するか否かのところでラインハルトの魔法が先に発動する。口を閉ざされ、詠唱していた魔法は 中断されてしまった。 (くっ・・・) ならばっと彼はまだ死体の山の上に立っているラインハルトのもとへ走りかかる。一瞬で間合いをつめるつもりだった・・・が 「・・・バインド」 足止めの魔法・・・ルーウェンは完全に動けなくなり魔法も使えない状態に陥った。 「せっかちだな、君も。・・・これから殺されるのに、なんで自分が殺されるか分からないのが嫌だろうから  僕がせっかく話を聞く時間を与えてやろうとしてるのにな、ふふっ。」 彼はゆっくりと降りてくる。 「なぜ僕が君を殺すのか。なぜ君は僕に殺されなければならないのか。」 動けないルーウェンの元に近寄る。間合いに入らないように気をつけながら歩みを止める。 「いま、全部教えてあげよう。」 ラインハルトの目が、不気味に光る。あたりには、肉の焼け焦げたむせ返るような悪臭が漂っている。 ツヅク @ナ梨 --------------------------あとg(ry----------------------------------- あと2回で完結予定です。もう少し、もう少しだ(;´Д⊂) ってことで、なんか重っ苦しい雰囲気の5話。書いてて痛かったです。 あー、弟君がなんで白魔法もつかえるんだ、黒なのにって突っ込みは、 まぁサポ白だってことで勘弁願います。 次回は昔話。弟君の見方がちょっと変わるかも。 いじょ。