「ごめんなさい、ごめんなさい」 夜明け前のジュノの街。ルーヴェルに手を引かれながら、アリアはぐすぐすと泣き続けていた。 道行く人の何人かが、好奇の眼差しを彼らに向ける。 「お前のせいじゃない…」 青年は振り向こうともしないで、それだけを言った。ただ、彼女と繋いだ手に力を込める。 彼の頬は、ひどい力で殴られた為にすこし腫れていて、浅黒い肌の上からでも変色しているのが見て取れる。 ゆったりとした足取りで歩く二人の前にやがて、穏やかな灯火に照らされた女神聖堂が現れた。 *+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+**+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+* 絶えることのない灯火が、厳粛な聖堂内を照らし出していた。 真正面に掲げられたのは、ヴァナ・ディールを見守る心優しき女神、アルタナの図章。 ここでは深夜に礼拝に訪れる冒険者も少なくないため、常に蝋燭の炎をもって彼らを迎えるため、 祭壇の横には夜番の司祭がひとり、控えている。 彼はルーヴェルとアリアをちらと見ると、無言でまた己の職務に戻っていった。やがて、用でも出来たのか 別室へと行ってしまう。聖堂の中には、ふたりだけが取り残された。 「ルーヴ…?」 困惑する娘の手を引き、青年は祭壇の前まで進んだ。そこでようやく、アリアから手を離し、ひざまづく。 「女神よ…私の懺悔をどうかお聞き下さい」 アリアにだけようやく聞こえるようなかすれた声で、ルーヴェルが祈りの言葉を口にした。 「私はかつて罪を犯しました。その罪を、忘れるつもりはありません。 きっと…おそらく一生背負うことになるのでしょう。それは、甘んじて受けねばならない罰なのですから」 娘が思わず息をのむのを、ルーヴェルは聞いた。だが、言葉を止めようとはしない。 「ですが、罪を怖れて私は過去の自分を捨てました。そんな私に、人を愛す資格などないのかもしれません。 でも、それでも…」 「私は彼女を愛していたい」 エルヴァーンの青年は立ち上がり、ヒュームの娘を見下ろした。 「アリア、俺は卑怯な人間だ。いつも、お前を俺の側に置こうと画策してる自分がいるんだ。 …お前なら俺を受け止めてくれると期待して、その優しさに縋って。お前の弱さにつけこんで、己の弱さを隠してる」 「ルーヴ」 「今の俺だけを見てくれるお前を、俺は…利用しているのかもしれない」 アリアが手を伸ばした。青年の頬に触れる。ひやりとした感触に、ルーヴェル自身が驚いた。自分が、泣いている。 「今だって…こんな事を言えば、お前はきっと俺から離れないと、計算しているのかもしれない…。俺は、俺は…」 ふわっと、温かなものがルーヴェルを包んだ。アリアが両手を回して、ルーヴェルを抱きしめたのだ。 「いいの、ルーヴェル、もういいの…ごめんなさい」 声も、細い肩も、震えていた。 「先生と何があったかは、知らない。でも、わたしの事と何か関係があるのでしょう? …わたしが、ルーヴを苦しめているの?わたしのせいで、ルーヴはこんな目にあったの?」 嗚咽が響いた。アリアが泣いている。 「優しくなんか、ない…。 ルーヴが優しいから、わたしが勝手にあなたのこと好きになったから、必死でついていってるだけなのに」 血を吐くような告白だった。自分で自分の傷をえぐり、そこから赤いものがたらたらと流れているようだ。 「アリア…」 「わたしあなたに、迷惑ばかりかけてる。今回だって、ルーヴが来てくれなければきっと死んでたわ。 …ルーヴに命を貰っているのに、わたしはあなたに何も、何もしてない。出来てない…」 ルーヴェルには、バンデオムの罪がかいま見えた気がした。アリアのこの卑屈さは、きっと過去に由来している。 彼女は自分の能力を自己評価できていない。人目と叱責とを気にして、いつも身動きできなくなっている。 何かあればすぐ連れ戻されてしまうから…失敗すれば他人が死んでしまうから…そんな風に恐怖心を煽られて、 幼い子供が混乱しないはずがない。そのトラウマを、アリアはずっと引きずっている。 青年が、ようやくアリアの背に触れた。 「そんな風に、思っていたのか」 娘が、びくっと震えた。叱られるとでも思ったのか、怒りと拒絶の言葉が降り注ぐのを、じっと待っている。 だが、いつまでたっても言葉は来ない。腕をふりほどかれる事もなかった。 「俺はお前が…お前だから、側に居て欲しかった」 ルーヴェルは温かな躰をきゅっと抱きしめる。 「お前は、俺にない強さと弱さがあった。お前が居ると、いつも温かな気持ちになれたんだ…アリア」 背をかがめて、頬ずりする。黒髪に口づける。彼女の不安から、彼女を守ってやりたい。 「お前、自分がどれだけ他の人間を救ってるか、全然わかってないんだな…。 いつもいつも、自分を後回しにして、他の奴ばかりを気にかけて。あんまりにも、俺と正反対すぎる」 だからこそ 「お前が他の奴を癒すように、俺はお前を守っていたい。そうすれば、俺は変われる気がする」 彼女と過ごすようになってから、彼の躰からは傷跡が少しずつ失われていった。じくじくと膿み爛れていた心が、 徐々に癒されているのが分かった。彼女は自分の身を守る術をそう持っていなかったから、自然と彼は彼女を 守るようになった。ギルド仲間とも深い付き合いを持たず、たった一人で生きてきたルーヴェルが変わり始めたのは、その時からだ。 青年は、懐から何かを取り出した。それはゼノンから返して貰った、あの小箱だ。蓋を開けて、中身を取り出し、 アリアの左手を取る。 「こんな卑怯な俺でも…いいか?」 薬指に差し込むつもりだった。でも、アリアの指は思っていたより細くて、どうにも合わない。 結局、その指輪が収まったのは中指だった。奇しくも、彼女が右手にはめているバストゥークリングと、対照する。 違うのは、そこに込められた想い。縛るためではない、これからずっと彼女を守ると誓うためだ。 台座の石と同じ色の瞳が、まんまるに見開かれた。ルーヴェルが初めて印象を受けた、深く濃い青色が、 蝋燭の灯火の中で揺れている。 「ルーヴ…これ、は」 かすれた声が辛うじて絞り出された。泣き腫らした瞳が、彼を見る。震える唇から、なかなか言葉がでてこない。 だから彼女は、ルーヴェルを抱く腕に力を込めた。目の前の優しいエルヴァーンが、現実のモノである事を 確認するように、強く強くしがみついた。 「愛してる」 たったそれだけを言えずにいる者の、なんと多いことか。言葉が想いを型作り、己にそれを認識させてくれるのに、 人は時として、その過程になかなかたどり着けずにもがき苦しむ。 ルーヴェルはアリアの顎に手を添え、軽く上を向かせた。ゆっくり顔を近づける。アリアはそれが何を意味するのか 気づき、そっと瞳を閉じた。 灯火に照らし出された、淡い影ふたつ。それが、ひとつに重なってなかなか離れなかった。 部屋に戻ると、しんとした冷たい空気がルーヴェルとアリアを包んだ。だが、二人ともそんな状況には目もくれない。 後ろ手に扉を閉めると、待ちかねたようにルーヴェルはアリアを引き寄せ。唇を塞ぐ。 驚いた彼女は一瞬体を強張らせるが、すぐにそれを受け入れ、ルーヴェルの首に手を回す。やがて顔が離れると、 青年は娘を軽々と横抱きにした。 「だいじょうぶ…なの?ルーヴ、熱いよ」 心配そうに、アリアがルーヴェルの顔を見上げた。服越しでも、彼がまだ発熱しているのが分かる。 「構わん」 そう言って、青年は娘の体を寝台に横たえた。誓いを胸に刻んだ、特別な夜。もう想いが止まらない。 「『あと』じゃ…意味がない。俺はいまお前が欲しい」 少し息の上がった声で、ルーヴェルは素直に胸の内を吐露した。唇を重ねて、彼女の言葉を塞ぐ。 「んっ」 深く口付けられる。声を飲み込まれる。青年の舌がアリアの唇の隙間から侵入し、彼女の口腔を満たす。 ためらいがちに震える娘の舌先を、ルーヴェルはからめ取った。温もりが、彼の味覚を刺激する。 その間に、ルーヴェルは上衣を脱ぎ捨て、アリアの服の留め金をも外した。 ふるっとこぼれた胸の膨らみ、今度はその先端に吸い付く。 「ふっ…あぅ…」 軽く歯をを立てられ、アリアがびくっと身を反らせた。奏者が楽器を奏でるように、どこに触れれば、 彼女がどんな声をたてるのか、もう、ルーヴェルは知り尽くしている。それでも、彼の心が満ちる事はなかった。 白く小柄な体に触れる度、彼女の心が自分の物であることを、確かめずにはいられない。 もっと聞きたい、もっともっと欲しい。 そうして、彼はいつも欲求のままに彼女を抱くのだ。彼女の中に在る自分を、感じたくてたまらないから。 細い首へ、滑らかな肩口へ、何度も何度も唇を落としては印をつける。翌日には消えてしまうその証を、 まるで当然の義務であるかのように散らしていく。 「ルーヴ…」 か細い声が、彼の耳に届いた。瑠璃色の瞳が、自分を見つめている。 「どうした」 「なんだか、辛そう…本当にだいじょうぶなの?」 泣き出しそうな顔で、アリアがそう言った。たしかに、額に浮かぶ汗はどちらかといえば冷や汗だ。 今の段階で、すでに体があちこち悲鳴を上げている。 「…無理、しないで。お願い」 腕をついて、アリアが上半身を起こした。肩にひっかかっていた短衣を床に落とすと、いぶかしげに 眉をひそめるルーヴェルを制し、自分より大きなその体を、そっと壁際におしやった。寝台の上で、 二人が向かい合う形になる。そして、今度はアリアが自分から唇を求めた。不慣れなキスが、ルーヴェルを 動揺させる。彼女はそのまま、ルーヴェルの頬に、首筋に、鎖骨に、唇を落とした。その体は少し震えていて。 「いつも…ルーヴこうしてくれるよね?」 精一杯強がりながら、アリアがそう言った。泣き笑っているような顔だった。彼女の方からルーヴェルを 求めることはほとんど無かったから、尚更いたいけに映ってしまう。 「アリア、やめ…」 言いかけたルーヴェルの唇が塞がれた。黒髪から、ふわりと花の香りが立ちのぼる。白い腕が、逞しい体を 抱きしめた。桜色の唇が、日焼けした肌の上を滑る。耳元で、上気した声が彼の名を呼ぶ。吐息がかかる。 その感触だけで、ぞくぞくと悦楽の波が押し寄せた。 たまらなくなるほど本能が刺激されて、弱った躰に活力が戻り始める。 アリアの手が、ルーヴェル自身に添えられた。だが、そのまましばらく硬直する。 「どうしたら…いい?」 ようやく響いた言葉は、震えている。ルーヴェルは一瞬、制止の声をあげかけて、結局は押し黙った。 彼女があまりにも必死すぎるから、それを止めるのがためらわれたのだ。 「…あまり、力をいれてくれるなよ。そのまま…」 ゆっくりと手を前後させるように指示する。だが、他人に掴まれるのはあまりいい気分ではなかった。 力の加減が自分で出来ないから、思わぬ呻きが漏れてしまう。アリアの指は細くて温かく、やわやわと 彼を包んだ。 「う、くっ」 しばらくして、汗で濡れたためかアリアの手が滑って外れた。 先端にかかった予想外の刺激に、ルーヴェルの思考が霞む。飢えた獣のように、息が乱れていた。 与えられた感覚で、自身がゆっくりと怒張していくのが判る。 流石にアリアが目をそらした。ルーヴェルも、素直すぎるおのれの反応に苦笑する。 「こっちへ、来てくれ」 壁にもたれたまま彼女を呼び寄せると、足を広げさせて自分を跨がせる。そのまま、肩を押さえてゆっくりと 腰を落とさせた。 「あ…」 そそりたつ先端が、徐々にアリアの体内に飲み込まれていく。狭い中を、はちきれんばかりの欲望が突き進んだ。 ぎしっと皮膚がこすれて、双方に痛みが走る。 「っ……!」 だが、ルーヴェルはアリアを自分の上に座らせてしまうと、腰に片腕を回し、さらに強く抱き寄せた。 「ああっ!」 痛みで、彼女が悲鳴を上げた。ひくひくと小刻みに痙攣し、その震えがルーヴェルにも痛みを感じさせる。 いつもと違いすぎる感覚だった。お互いの肌の距離が近すぎて、このまま溶けて一つになってしまうのでは ないかという錯覚に陥る。 体内を蹂躙される苦痛から逃れるように、アリアがルーヴェルにしがみついた。しかし、それを受けて更に 深く沈みこんだ先端が、何かに触れる。 「ルーヴ…おく、当たってる、よ…」 空気を求める魚のように口をぱくぱくさせながら、とぎれがちにアリアが呟いた。瑠璃色の瞳から涙がぽろぽろ 溢れて、青年の肩口を濡らす。 「ああ…判る。お前の、事…痛いくらい…」 ルーヴェルはアリアを抱く腕に力を込めた。痛みと熱が、一層彼女を感じさせる。彼女の中の自分を、認識する。 「もっと、感じたい。アリア…」 狂おしい声で訴え、ルーヴェルは腰を突き上げた。強い刺激に、アリアの躰が跳ね上がる。だが、互いに腕を絡めて しっかりと抱き合っているから、離れられない。何度も何度も、抉るように腰を浮かせては、彼女の奥へと自分を 押し上げる。 「はうっ、ルーヴ…あ、あっ…こんな、こんなの…っ!」 繋がっている部分から、艶めかしい水音が響き始めた。それに助けられて、二人の動きが勢いを増す。 「…アリア、アリア、お前…熱い。熱くて、たまらないっ…!」 哀しいくらいに、お互いを求める二人。孤独な過去を過ごしたきたから、不安定な今だから、自分たちにはもう、 目の前の愛おしい者しか、確かなモノがない。 「くれ、俺にお前を…全部くれ。アリア…っ!」 他になにも、いらない。行動で、それを伝える。 先に限界を迎えたのは、ルーヴェルの方だった。続けてアリアもふっと体から力が抜け、深く息を吐きながら ルーヴェルにしなだれかかる。だが、まだ足らない。 繋がったまま体勢を変え、彼女をころんと仰向けに横たえさせた。目線で、「いいか?」と問いかける。 「来て…ルーヴ、あなたの…事っ、もっと…もっと、欲しい…」 潤んだ瑠璃の瞳に見上げられ、青年の心に火がついた。止まらない、止める気もない。 膝裏から手を回しては片足を持ち上げ、猛然と己を突き沈めた。甘く切ない悲鳴が漏れる。 珠のような汗が散って、白い肌の上に転がった。 「う…」 頂点を迎えたルーヴェルが、アリアの中を己の激情で満たした。繋がった部分から、混じり合った二人の体液が とろりとこぼれる。少し血が混じっていた。初めて彼女を抱いたときのことを、ルーヴェルに思い出させる。 自分を引き抜くと、青年はアリアの隣に体を横たえた。顔が近づく。瑠璃色の瞳と、水色の瞳が見つめ合う。 「…体、辛くないか?」 「ルーヴこそ…」 ルーヴェルは腕を伸ばしてアリアを抱き寄せた。肌越しに、とくとくと波打つ二人の鼓動が互いに伝わる。 「お前に心配される程やわではない…」 そう良いながらも、忍び寄る波のような疲労感がルーヴェルの躰を包み始めた。だが、それはむしろ心地よくて。 夢でも幻でもない、確かな温もりを感じながら、二人はやがて同じ夢の中へと沈んでいった。