「まだ、もうちょっとだけ行ける?」 荒い息を付きながら、ミスラの暗黒騎士がアリアに問いかけた。戦況はすでに確定している。 戦士達の決死の技と、魔道士達の紡ぐ魔法により、残された獣人達は数えるほどになっていた。 ここで徹底的に叩いておけば、やつらはしばらく反抗の手を封じられるだろう。 そうなれば、ジャグナーの街道には平穏が訪れる。たとえつかの間であったとしても。 彼女も、アリアも、血と泥にまみれていた。体力、気力共に底を付くのも時間の問題だ。 だが、やらなければ。これ以上戦闘を長引かせるのは、おそらく得策ではない。 「はい、行きましょう」 言葉の内にリーダーの意図を感じたアリアは、即座に答えた。傷を負い、魔力を使い切った魔道士達が 数名、座り込んでつかのまの休息に甘んじている。しかし今は彼らの回復を待ってはいられない。 動けるのは自分だけ、そう悟ったアリアは重い足に鞭打って走り出す。 彼女のパーティーが、敗走を始めたオーク達の先方に回り込み、後方から追い立てる部隊と挟撃する 形になった。逃げられないと悟った獣人達は、こんどこそ死に物狂いで反撃してくる。 力任せに振り下ろされた斧が、ミスラの肩をざっくりと裂いた。血の予感に、オークが目の色を変えている。 しかし、それは幻想で終わった。もちろん、アリアの癒しの技がそれをさせなかったからだ。 生意気なヒュームの娘に怒りの矛先を向けようとした瞬間、暗黒騎士の刃が獣人の腕を切断した。 しなやかな体から繰り出された恐るべき技が、死神よろしくオークの命を刈り取る。 そんな風にして、彼女はすでに何体の獣人を屠っているのか、それすらももう分からない。 敵が、数えるほどになった。終わる、これでもう終われる。勝利はもうすぐだ、皆が最後の気力を振り絞る。 「…風が、止んだ?」 誰かがそう呟いた。 エルヴァーンのモンクが、ガルカの吟遊詩人が、ヒュームの狩人が。そしてオークですらも。 そこに居たすべての者達が動きを止めた。怒号と剣戟が飛び交っていた場が、静まり返っている。 奇妙な沈黙が、周囲に満ちていた。 やがて、海鳴りにも似た響きが近づき始めた。びりびりと大地が震え、殺気が空気中に満ちていく。 細い岸壁に挟まれた道から、それはやってきた。 「新手だと!?」 闇から響くような強大な咆哮が、場を包み込んだ。まともにくらった数人が、耳を押さえてうずくまる。 のっそりと現れたのは、他の獣人の倍ほどもある体格の歳経たオークだった。 幾重にも刻まれた深い皺の、その奥に潜んだ瞳は怒り狂っていて、周囲の者達をぎょろりと眺める。 片方しかない腕の先には、まだ血の滴るオークの首を握っていた。 「"片腕の王者"…?ばかな!あいつは倒されたんじゃなかったのか!!」 壮年の冒険者が悲鳴混じりにそう叫んだ。同年代の者達がその台詞にぎょっとする。だが、アリアや 彼女と近しい、若い世代の者はその意味がわからない。 「かつてダボイに君臨していた悪名高いオークだ、生きていたのか」 討伐隊の誰かがそう言ったのを、アリアは聞いた。しかし、 「クゥダフと違い、歳経たオークは部落の奥で余生を過ごす。前線にでて来ないはずなのに、何故」 そうだ、それは彼女も知っている。現に、今まで相手にしていたのは皮膚に皺の無い、若年から壮年と 思われる世代のオークだ。表情が分からなくなるほど深い皺の刻まれた個体は、一匹たりともいない。 老オークが、人では判別不可能な意味不明の叫びを上げた。 他のオーク達が、恐怖に駆られて逃げまどった。獣人の世界では上下の別は絶対で、逆らえないと聞く。 オークがその手の首を高々と差し上げて再度吠える。それこそが、怒りの原因なのか。 あまりの大音響に、数名の魔道士が耳を塞いでもがいた。 「血のせいだ。誰かがあの首を奴の前に放り出したんだ、でなければああも狂うはずがない!」 「ちょっと待て、オーク同士でそんな事をするなんて話は聞いたことがないぞ。まさか…」 まさか、なんだというのか。その言葉は老オークの突撃によってかき消された。巨体にはじき飛ばされて、 数名がやすやすと宙に舞う。飛び出したガルカが盾を構え、踏みつぶされそうになったタルタルをかばうが、 彼よりも一回り以上大きな獣人の膂力は凄まじく、勢いを殺しきれずに膝を付いた。 横なぎに払われた腕がガルカの胴にめりこみ、その一撃で彼は倒れ伏す。咳き込んだ息には血が混じっていた。 ヒュームの獣使いが、連れていた二足トカゲを突っ込ませ、オークの注意力を削いだ。エルヴァーンのシーフが その背後を取って、白刃を閃かせる。 「やった!?」 だが、次の瞬間。膝蹴りによってトカゲは腹を潰されて絶命し、エルヴァーンの刃は皮膚の皺にからめ取られて 致命傷にはなり得なかった。逆に、神速で降り戻されたオークの腕によって真後ろに吹っ飛ぶ。 鎧のお陰で致命傷は免れたようだが、立木に激突して彼は失神していた。 ツギハ、ダレダ? そう言いたげに、老オークは自分を囲むアルタナ女神の子らを睨み付けた。 男神ブロマジアより受けし命令を、ひとつ多くでも果たそうとでもいうのだろうか。 手の中の、同胞の頭蓋を怒りにまかせてぐしゃりと握り潰す。 たった一体のオークだ、数では圧倒的にこちらが勝っているはずなのに、誰も動けない。 他のオーク達はすでにちりぢりで、いつのまにか姿を消していた。同族からも怖れられるほどの力を、 この獣人は秘めているのか。 「みんな、引いて!今の状態では分が悪すぎる、撤退しよう!!」 部隊の長をつとめていたタルタルの赤魔道士がそう叫んだ。 「何を言っている、この人数で押せば…!」 「数年前、やつ1体の為だけに3つもの部隊が派遣され、それでも討ち取りきれなかったんだぞ!無理だ!」 血気にはやる若い冒険者を、当時を知る者が諫めた。全員が息をのむ。 「引け!掃討部隊と合流するまで、手を出すな。負傷者と魔道士を下がらせろ!」 たった1匹のオークを取り囲んでいた包囲網が、潮が引くようにじりじりと崩れ始めた。 こちらが圧倒的に多勢ではあるが、みな疲労の極に達している。 ましてや先ほどの凄まじい技を目の当たりにしてるのだ、今の状態で斬りかかれるわけがない。 じり、と獣人が首を傾げながら1歩進んだ。ざあっと、討伐隊が2歩分下がる。 少しずつ少しずつ、オークとの距離が開き始めた。その間に、魔道士達が前線で対峙する者達を癒し始める。 戦況をほんの僅かでも有利にするためだ。それが、剣持たぬ彼らの戦い方なのだ。 アリア自身も、傷ついた者にそっと近づいては目立たぬように魔法を使い、傷を治していった。 だが、流石に自分の限界を感じ始めていた。頭がくらくらして、足下がおぼつかない。 ぱしゃっと音を立てて、何か生臭いものがアリアと彼女の周囲にいた数名に降りかかった。 足下に、いくつも穴の開いた小さな革袋が転がり落ちる。 「なんだ、血か?…オークの??」 巻き込まれた一人が、自分の鎧についた液体を拭い、怪訝そうな顔をした。色こそ違えど、その生臭い 匂いはアルタナの子である人間達と、ブロマジアの子である獣人達も、大差はない。 Gryuuuuuaaaaaaaaaaaa-----------------------------------------------------!!!!! 先ほどとは比較にならない凶悪さで、老オークが吠えた。皺の奥の濁った眼球が、らんらんと輝いている。 片腕の先、同胞の血にまみれたその拳を、人間達に向かって突き出していた。 「い、一体なんだよ、なんだってんだよ!?」 抜刀したまま、状況を把握しきれない若者が悲鳴混じりにそう叫んだ。吹き出す殺気が、違う。 獣人の視点がやがて、一カ所に固定された。巨体からは想像も付かない身軽さで、高々と跳躍する。 「逃げろ!!」 誰かが叫ばなければ、確実に数名が命を落としていたであろう。辛うじて落下地点から離れていた者達が、 それでも着地の衝撃で体勢を崩して倒れ込む。アリアもまた、巻き込まれて転倒した。 砂煙の中から丸太のような腕が伸び、一人のタルタルを掴んで逆さ吊りにした。悲鳴を上げる暇もなく、 タルタルの体が宙を飛び、岸壁に叩きつけられて動かなくなる。もう一人、今度はヒュームが背中から 恐ろしい力で踏みつけられ、失神した。背骨を砕かれていたら即死だっただろう。 「陣を崩すな、怪我人を回収するまで持ちこたえろ!魔道士はもっと下がれ!!」 浮き足立っていた人々が、その怒号で我に帰った。しかしそれもつかの間、老躯に似合わぬ膂力と跳躍力で、 オークは冒険者達を圧倒する。 「…!、来た、援軍が来たよ!!」 ミスラの魔道士が、泣き出しそうな声でそう叫んだ。砂煙で霞む向こう側に見える、黄色の群れ。 前方を駆けていた者たちがチョコボから飛び降りざま、次々と抜刀してたった一体のオークに斬りかかった。 おそらく状況の伝達をすでに受けていたのだろう。気合い充分で振り下ろされた刃が、獣人の鎧を叩き割る。 癒しの力が、傷つき疲れた者達を次々と包んだ。武器をしごいて汚れを落とすと、彼らも再び戦いに加わった。 「後は任せて、下がってください。…え!?」 女性の魔道士が、ふらつくアリアに水の入った革袋を渡しながらそう言ってくれた。しかし、状況の異変に 気づいて顔色を変える。 オークが、こちらに向かって突進してきたのだ。魔道士はアリアをかばうようにして、腰の短剣を引き抜く。 「く、逃げて!」 言って、彼女は魔法の詠唱に入った。しかし、その呪文が完成することはなかった。オークの腕の一降りで、 彼女は弾き飛ばされる。 「こっちだ、この野郎!」 口汚く獣人を罵りながら、右からも左からも他の冒険者達が斬りかかった。アリアの眼前で、肉が裂け、 骨の砕ける音が響く。助けなければ、守らなければ、心はそう叫んでいるのに、疲労が激しすぎて体が すぐに動かない。震える手で、女神の祝福を受けた戦槌を構えた。 戦場は混乱を極めている。味方を巻き込みかねないあまりの状況に、魔道士達は迂闊に呪文を唱えられ なくなっている。一人が、膝を蹴り砕かれて倒れ伏した。泥の中から、他の仲間の邪魔になるまいと 懸命にもがき出る。その背に向けて、容赦なく足が振り下ろされた。 「アルタナ女神の、ご加護を!」 最後の気力を振り絞った、叫び。白魔道士だけに許された秘術を、ついにアリアは発動させた。 天上から、妙なる光が降り注いで周囲を包む。 獣人の視線が、完全にアリアに固定された。あの時と同じだ。でも、今度は… (ルーヴ、ごめんね…) 近づく死の予感。アリアの視界が、涙で霞んだ。