11/Deep Deep
9day/October 28(Tue.)
ルイ作
ある日の深夜…アイツは来た。
「……ん」
眠りの中、それこそ夢に現われるほど、鋭い熱が頬に刺さった。
「ん…痛っ、なに?」
寝起きの冴えない頭で、何とか脳から腕に命令を下して頬につたう『何か』に触れた。
「………………ち?」
まず、生温かった。
そして、独特の臭いが鼻腔を衝いた。一瞬、眩暈がした。
「なん…で?知らない間に切ったかな。」
寝ている間にまた血が出て来たとか、と言おうとして…止めた。
「…やっと気付いたか。」
振り向いてまず、眼があった。
冷たく、色の薄い、蒼の瞳。
いつも皮肉った様に歪んだ口元。
闇より濃い漆黒の髪。
いつも変わらない、紺の学ラン。
「七夜…志貴。」
「存外鈍いな。人外なのは躰だけか?」
口を更に歪めて嗤う。
覚めない目を擦りながら上体を起こす。
「…何か用?」
あからさまに嫌な態度で尋ねる。
「まさか、用が無くても来たかったから。とか、ふざけたコト言わないでしょうね?」
こんな起こし方しておいて…と付け足してから、フイッと顔を窓の方に向けた。
眼に入った月に少し見惚れた。
今日は、満月だ。
そんな私の様子を、彼もまた見ていた。
「………。」
「……キレイ、だな。」
ぽつ、と出た私の言葉が気に入らなかったらしく、少し眉が動いた。
「……こちらを向け。」
不満げな声で呼んだかと思うと、私の顎に手を当てて強引に向きを変える。
「……どうしたの?もしかして月に妬きも…」
「…黙れ。」
顔が近付いてきて、言葉を遮るようにそのまま唇を合わせる。
「「………。」」
ただ合わせるだけの口付け。
離れるかと思ったとき、何かが下唇から零れた。
「ぁ……。」
離れた彼の唇にも、赤い…。
それを見詰めていると、赤い舌がそれを舐め取った。
その顔はそれ以上ないほどの微笑をたたえていた。
私はまた見惚れた。
「オレは…月より劣るか…。」
さてね、と見惚れていたのを隠すように言葉を濁す。
しかしそれを見透かしたように彼は私の眼を見詰めてくる。
その眼が言っている…オレを見ろと。オレだけを見ていろと。
「…………ぷっ。」
暫く沈黙が続いた後、とうとう耐えきれず吹き出してしまった。
それを眼にした直後、彼の眉は不機嫌そうに顰められた。
「…何だ?」
いつも以上の仏頂面で、笑ってしまった私を咎めるように、私に問うた。
それを、何でもない。と軽く返して今度はこちらから聞く。
「…ところで、お味は如何だったかな?血の。」
ん?とこちらを見てからにやりとした顔をしながら。
「聞くまでもないと思うが…?」
ふーん?と声をあげながら横目で彼を見る。
「…………言って?」
少し考える様に黙った後、少し表情を緩めて。
「良い血だ…来た甲斐はあったか…」
その言葉に少し嬉しくなった。
七夜志貴がここに来たのは、私が呼んだからだと…彼は言った。
その時遠野志貴は自分の部屋で寝ていた。
有り得ない。
有り得るはずがない。
七夜と遠野は同じ人間なのだ。と言っても遠野が多重人格者と言うわけではない。
解りやすく言えば七夜は遠野の‘もしも’の姿。
もしも…
もしもあの時『先生』に会わなければ…
もしもあの時死の淵を彷徨うような怪我を負わなければ…
もしもあの時『七夜』が滅ばなければ…
そのもしもが重なって現れたのが彼…七夜志貴。
しかし、そのもしもは起こってしまった。
それ故、彼という存在がココにいることは有り得ない。
夢や幻でない限り。
「…………。」
そこまで考えて、突然不安が胸を過ぎった。
まさか、
もしかして、
彼は、
「…あなたは、ユメ…?」
声と同時に彼の体に触れるように、右手を伸ばす。
その様子を少し睨む様に見て、手を掴んだ。
「七…夜?」
「なら…試すか?」
「え?今なん…」
試すという言葉を理解できず、聞き返そうとした直後…。
掴んでいた手を引かれ、体が一度寄せられる。
かと思うと、肩を掴まれて…勢い良く押し倒された。
「っ…あ…。」
揺れ、軋むスプリング。
膨らみ、躍り上がるシーツ。
背中を強く打ち、顔が痛みに歪んだ。
しかしそれに構うことなく、彼は両手首を押さえ、空いた手で
留まっていたYシャツのボタンを4つ目まで外した。
「な…な、なや。」
不安はない。ただ…胸が騒いだ。
それを見透かしたように彼の指は胸の、心臓の上に止った。
押さえられている手に汗が滲む。
心音が強く胸に響く。
それを確認するように手の平で触れる。
彼の手は、氷のように冷たかった。
「ぁっ……。」
その感覚と羞恥心で心臓は飛び出しそうなほど跳ねている。
「……、」
ずっと見詰められた眼。
心臓の上にのせられた手。
それを含めた全てに耐えきれず、視界を瞼で遮る。
…変な顔になっても良い。
ただ、ギュッと瞑った、何も見えないように。
すると、耐えきれなくなったようにふっ、と体の上で笑い声がした。
「そんな顔をするな…すぐ済む。」
その言葉を合図に、心臓にあった手は人差し指と中指の2本になり、
その指が心臓の上に立てられた。
爪が皮膚に食い込んで痛い。
彼の動作が気になって、固く閉じていた瞼を恐る恐る開いた。
「………あ。」
「………。」
眼が合った。
口をついて出てしまった声が思った以上に響いた。
その声が耳に入ったらしく、私に微笑なんぞをくれた。
不覚にも…その顔が、遠野志貴に見えてしまった。
心臓が一際強く跳ねたとき、心臓の上にあった彼の指が、
皮膚を突き抜け、骨を砕き、心臓を衝いた。
「!!…っあ、は…」
心臓が動くたびに衝いた指の隙間から血が溢れる。
「なん…で…っん。」
「言っただろう、試す、とな…。」
いつもより嫌なワライ。
私は心臓が衝かれた事より、彼にはその顔の方が似合う。などと考えていた。
常人では出来ない、ギリギリの表情。
胸の上に紅い血が溜まっていく。
それでも…私は生きている。
それを確認した彼は眼を細め、恍惚とした表情をしながら、素晴らしい。と零した。
満足したように心臓から指を引き抜く。
「うぁっ……。」
慣れない感触に、肩が震えた。
彼は、血で濡れた指のある方の手で、頬に触れた。
そして、意地悪な表情を浮かべながら、息が掛かるほど近くで囁く。
「…夢だったか?、オレは。」
「……っ」
何故かそれが恥ずかしかったのか、私は頬を赤くしながら…
「…夢じゃ…なかった。」
その言葉にそうか、と返して体を起こした。
「…………」
「…………」
沈黙…。
取りあえず体を起こそうとするが、腹に力が入らない。
「………。」
手で支えて起きようとするが、すぐに肘が折れてベッドに崩れてしまう。
何度やっても同じ…。
「何をしている…。」
少し呆れたような声が耳に入ってきた。
「えと…ぉ、起きれなくて…。」
恐る恐る言うと、無言で手を出し起こしてくれた。
意外な彼の行動に驚きながらも、その手を取り起きあがった。
「ありがと…。」
「…かまわん。」
素っ気なく言うと、視線を胸元に落とし、開きっぱなしになっていた
Yシャツの中に手を入れた。
何かを探すように手を動かす。
「…もう塞がっているんだな。傷が。」
「えっ…あ、うん…。」
突き入れた指で、傷のあった場所を何度も撫でる。
「……ぁっ。」
慣れない感じに肌が粟立ち、体が震えた。
暫く、そのままでいると、ふと疑問が浮かんだ。
「ねぇ…なんで、私だったの?」
触っていた手を止めると、私を見て。
「前にも言ったと思ったが…」
「…私が呼んだから?」
考えながら、言うと彼が…
「そうでなければ……お前がオレに興味があるのかも知れんな。」
などと、思いもよらない台詞を、何事もないように言った。
その言葉に、目の前がくらりとした。
「…………。」
「どうした。」
額を押さえている私を見つめる。
「いや、なかなか凄い台詞を言うなと…。」
言われている方が恥ずかしいかも…。
「言ってて恥ずかしいとか…ない?」
その問いに彼は、気持ちの良いほどあっさりと言った。
「無いな。」
「…さいですか。何となく分かってはいたけど…。」
「お前は違うのか?」
予想したとおりの答えが返ってきた。
「……………。」
この質問には答えないと心に決めていた。
しかし、この時の私はきっと…夜の雰囲気に呑まれていたのだろう。
「う、う…ん。私は、そんなに自信は持てないから…自分のことをそんな風に言える貴方が…羨ましいよ、正直。」
自分でも笑えるほど、素直に答えてしまった。
「…………。」
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、視線を動かすことなく、ただジッと私を見ていた。
その視線を感じながら、膝の上に置いていた手を、グッと握った。
少しの沈黙の後、吐き捨てるように私に言った。
「…くだらん。」
その言葉に頭が真っ白になった…怒りで。
「っ!!…なんですって…。」
あるだけの怒りを込めて彼を睨んだが、特別驚きもせず、気にも留めず私を見返す。
「…それで、どれほどお前が苦悩しているかオレは知らん。
まして興味もない。」
「………。」
頭の中は冷めては来たものの、鋭い目で見詰めたまま彼の言葉に耳を傾ける。
「結局、最期に信じられるのは自分だけだ。いざと言う時に自分を信じることの出来んヤツに生きる価値など皆無だ。」
他人から見れば、何と冷たい言葉だろうか…
冷えた思考は、極めて動物的で暴力的、
温かみのない態度は、人を不安に陥れる。
しかし、その全てを持ち合わせてこそ…彼なのだ。
睨んでいた眼はいつの間にか、膝の上に落ちていた。
「貴方みたいな人に限ってそう言うこと言うからな…。」
「そうか…?」
独り言として呟いた言葉は耳に入り、彼は似合わず真面目に答えていた。
その彼を見て、今までの気持ちやら何やらが全て消え失せて、笑いながら
「そうだよ、まいっちゃうな…。」
「そうか…」
彼は、笑っていた…のかも知れない。
初めて彼の顔をまともに見た気がした。
その時の私の顔は…またも間抜けに目を大きくしていたと思う。
その後、何かが胸の中でコトン…と音を立てて落ちた。
何だろうこれは…。
多分…普通なら、これは恋と呼ばれるものなのだろう。
でも、何となく違う気がする…いや、違う。
ではこの感情は何なのかと、自分に問いかけてみる…が、答えは出なかった。
自慢ではないが、私はあまり頭が良い方ではない…そこで幾つか単純な理由を浮かべてみた。
「………。」
と、その中にいかにも単純そうな理由を見つけた。
それは、『興味』という物だった。
『興味』が湧いた…。
純粋に、
彼、七夜志貴という人間に…
そう考えるだけで、自然と顔が笑う。
「ふふ…。」
「どうした?」
それを見ていた彼が不思議そうに聞いてきた。
「別に、何でもないよ。」
そう言ってから、最初に見た見事な満月が見たくなって、窓の方に顔を向けた。
そこには、白み始めた空と消え入りそうな月があった。
視線を時計に移すと、五時を指していた。
「そんなに時間経ってたんだ…全然分かんなかった。」
溜め息を一つ吐いてから、のそのそと布団に潜る。
ベッドの横に立っていた彼を見ると、何か言いたげにこちらを見ていた。
まだ何かあるかと尋ねようとするより先に、彼が話し掛けてきた。
「何かあったら呼べ…必ず来てやる。」
「うん、分かった。」
ありがとう、と言おうとした時、彼が隣で寝ている人物を見た。
そして意地悪そうに口を歪めながら呟いた。
「間の抜けた顔をして寝ている、お前の幼馴染みより、頼りになる…遙かにな。」
「あ、ありがと…。」
あまり感謝出来る言葉では無いが…何より、本人には聞かせたくない台詞だな。
「実力の差は仕方ないでしょ。ユイはあんたと違って訓練とか受けてないんだから…。」
ちなみに、ユイと言っても女ではなく、れっきとした男である。フルネームはユイ・キサト。
いい加減寝ないと、次の朝が辛くなると考え布団を被って寝ようとした。
「…もう一つだけ言っておく。」
が、見事に止められた。
なに?と嫌そうに答えて、壁に背中を預けるように座る。
彼はベッドに膝立ちで乗り、私の前まで来た。
再び、彼の顔が近付く…。
「他の奴らに殺されるなよ……絶対にな。」
互いの鼻が付くか付かないかの距離まで来る。
しかし、特別恥ずかしいというのは無い。
「お前を殺すのは、オレだ。」
予想していた台詞に、うん。と一つ頷いた。
「………。」
「………。」
何も考えず見つめた後…そのまま、口付けをした。
今回は唇が少し温かい気がした。
この口付けに理由はない。
言うなれば、約束みたいなもの…子供の指切りと同じ感覚だろう。
「…分かってる。」
貴方以外の連中などには…絶対。
ここで一言、余計なことを言ってみた。
「…でも、私死なないよ。」
またも予想通りに、彼の眉が不機嫌そうに歪んだ。
「………。」
何かを考えて良い考えでも浮かんだのか、すぐ普段の顔に戻ってしまった。
「それでもだ。…死なんなら、いっそオレのモノになるか?」
「………。」
それはまたストレートな。
…いや、過ぎるだろう、それ。
嬉しい、と言えば嬉しいのだが…何かニュアンスに違和感がある。
「…それは…喜んで良いのかしら…?」
「さあな、それは自分で考えろ。」
素っ気なく返されてしまった。…なんかムカツク。
「まあ、オレがお前を殺すまでまだ時間はある…それまで考えておけ。」
腕を組んで勝ち誇ったような顔をした。
はいはい、と軽く流すとやはり時間が無いのか、急に体が重くなった。
「……っ。」
目眩にも似た眠気を感じ、力無く壁にもたれ掛かる。
そのまま消えていきそうな意識の中で、彼の声がした。
「そろそろ限界か、仕方あるまい…。」
どこか残念そうに呟くと、膝立ちをしていたベッドから降りて、私の横に立った。
「ん…なな…や?」
何とか眠気を抑え、彼を見ようと目を擦るがすでに悪あがきでしか無いらしい。
「次に、互いの顔を見るのはいつになるか…それまではオレも大人しくしているか。」
「………。」
瞼が、意識が、堕ちていく。
「それでは、また近い内に…な。」
薄れゆく意識の中で、一つだけ考えた事…それは。
「一回くらい、名前を…よ、べ…。」
そして意識は、闇に沈んだ。
お互いは、お互いの興味のために近付いた。
七夜志貴は私の『不死の躰』に、私は七夜志貴の中にある『殺人貴』に…
それ以上の興味など望んでいない。
私たちの中にあるモノ…それは相手への純粋な興味。
ただ、それだけ。
深く長い夜が明けて、新しい日が始まる。
この日の朝は正に最高の朝だった。
開いた窓から入る、優しく頬を撫でる風。
目を閉じていても感じる陽の光。
朝を報せる可愛らしい小鳥の冴えづり…。
それに引かれるように目を覚まし、体を起こす。
ふと、目に入った時計を見た。
「…10時…か。」
隣のベッドを見るが、間抜けた顔をして寝ていた幼馴染みの姿は無かった。
先に下に降りたらしい。
まだ眠気の残る体に鞭打って、服を着替える。
「………ん?」
寝間着から普段着に着替え、シャツのボタンを留めていたとき
胸の辺りで手が止った。
「………。」
心臓の辺りを触ってみるが、特に何もない。
血の跡も、傷も…
「無いよねぇ…。」
やはり夢だったのかと思いながら、ボタンを留めて、下ろしていた髪を一つに束ねる。
「…ん、これで良しっ。」
鏡で上から下までチェックして、部屋を出る。
「あー、秋葉怒ってるかなぁ…参った参った。」
怒っている秋葉の髪が赤くなっていないことを祈りつつ、廊下を歩く。
その時、私はまだ知らない…首筋に一つ、消えない十字の傷があるのを…。
空になった部屋…差し込む陽の光…
穏やかに流れる風…あるのは白い静寂…
そこに、初めから存在していたような影が一つ、扉を背に佇んでいる。
影の口元は笑ったように歪んでいた。
「オレがお前を殺すまで…くだらん連中に殺られるなよ。」
そう言って自分の首を触る。
「それは、それまでの『印』だ…。」
首から手を離し、その手をポケットに入れるのと同時に強い風が部屋に飛び込む。
一際大きくカーテンが靡いた後、その影は跡形もなく消えていた。