01/Cross pain

ルイ作


 五月も終わりの頃。
どんより曇った空から無数の雨が、忙しなく音を立てて地面を叩く。

「……。」

 無論、こんな天気には気分が優れないのが世間一般の感覚だろう。

「雨は…嫌いじゃないんだけどね。」

 誰に言うでもなく、思った事を呟いて空を見上げる。
 嫌いなのは…

「嫌いなのはむしろ…雲の方なんだよねぇ。」

 空を覆い尽くす綿ぼこりのように膨らんだ雲。
見ていると、こちらの心にも雲が掛かりそうだ。

「はあ…。」

 今にも心に掛かりそうな暗い雲を吐き出すように息を吐いて、幾つもの雨粒が跳ねる地面に視線を落とす。
すると、あまり広くない視界の端になにやら見慣れないものが引っ掛かった。

「ん?…靴?」

 見慣れないものの正体は、何の変哲もないスニーカーだった。

「……。」

 普段なら靴を見つけたところで、別に不審でも何でもない。
むしろ、見なかった事にしてその場を離れるのだが……何故か目が離せない。
それもその筈、その靴は踵を下に、爪先を上にして、『落ちて』いるのだ。

「待って、それはあり得ない。」

 今考えたことを高速で否定した。
 見慣れないスニーカー。

「……。」

 緊張しながら、ゆっくりと傘を動かし、遮られていたところを見る。

 両足

 腹

 胸

 両腕

 首

 そして…

「…顔、だ。」

 そこに落ちて…いや、倒れていたのは、人間だった。
顔を見る限りでは男の子のようである、少々華奢な感じだが。

「それに学ラン着てるし…。」

 この辺りでは見ない制服と言うことは、他の街の子か。

「…って、考えてる場合じゃないや。」

 傘を置いて、彼の腕を取り肩に掛ける。

「よっ……くっ、ふ、服が重いのかなっ…。」

 などと呟きながら家に入る。
 取り合えず濡れた上着を脱がせて、彼をベッドに寝かせ、落ちていた鞄を取りに行った。

「荷物は…これだけ?ちょっと荷物が少ないような…ん?」

 他に無いかと周りを見ると、棒のような物を見付けた。

「…何だろう…。」

 手に取り、まじまじと見る。

「あ、何か書いてある。えーっと…七(なな)と夜(よる)?」

 棒の下の方に書いてあるのをそのまま口に出してみた。

「何て読むんだろ…なな、よ?なんか違う……なな、…や?」

 二つ目を言った時、えも言われぬ既視感を、その言葉に覚えた。

「あれ?…私…これ、知って…る?」

 手に取った棒をもう一度見たが、何も感じなかった。
 彼の荷物を持って家に入ると、彼はまだ眠っていた。

「しっかし…静かな寝顔だ…、まさか死んでないよね?」

 あまりに穏やかな寝顔が心配になり、手を彼の鼻にかざしてみた。
 すると、規則正しい呼吸を感じて手を離した。

「さて…取り合えず。何か無いかな、と。」

 何は無くとも、彼が何者なのか、そして何処に住んでいるのかが分からなければ、こちらも安心は出来ない。
そう考えながら、彼の唯一の荷物である鞄を探る。

「え〜っとぉ…教科書にノート…それからペンケース…って、めっちゃ普通の学生じゃん。」

 大きく溜め息を吐いて、ベッドに寝ている彼を見る。

「…貴方は…だれ?」

 不意に口を付いて出た台詞に、まあ、その内わかるんだけど…と付け足すように呟いた。
結局その日一日、彼は目を覚ます事は無かった。


 次の日…は、土曜日のため授業は昼に終る。
水溜まりの残る、湿ったアスファルトを駆け、家へと帰る。
 彼はもう、起きただろうか…そう考えながら。

「はあっ…。」

 いつもと違う胸の高鳴りを抑えるように深呼吸して、ドアノブに手を掛けて回し、扉を開ける。
滑り込むようにして玄関に入り、靴を散らかしながら脱いで、ベッドに駆け寄ってみると
 そこには、穏やかな顔をして眠っている彼は居らず、代わりに、初めから起きていたように感じる程、
はっきりとした顔付きの彼が、ベッドに座っていた。

「……。」

「…どうした?」

 声は思ったより低い、でもよく響く良い声。
顔は…今までよく見ていなかったが、意外と…。

「どうした、何か付いているか?俺の顔に。」

「え?い、いやぁ別に…。」

 どうやら、彼の顔を見つめていたらしい…。
 一度咳払いをして、再び彼を見る。

「始めまして。私は昨日雨の中で、道の上に倒れていた貴方をここまで運んで来たんですけど…覚えて無いですよね…?」

 そこまで言うと彼は、思い出すように顎に指をあてる、が。

「どうやらその様だ、すまんな。」

 予想通りの答えだったから別に良いけどね。

「まあ、貴方は寝ていたから仕方ないですよ。で、えーと、私の名前は破山 瑞希(はやま みずき)って言います。貴方の名前は?」

「……。」

特別難しい質問をしたわけでは無い筈なのに、何故か彼は考え込んでいる。
一、二分考えた後、彼の口から信じ難い言葉が出た。

「どうやら…俺の頭の中には、今までの事が全て消えてしまったらしい。…俗に言う
記憶喪失と言うものだな。」

「えっ?き、記憶喪失?」

突然の申し出に驚き、また珍しさに彼の顔をまた見る。

「本当に?」

「こんな事で嘘を吐いても、仕方がないだろう。」

それはもっともな答えだった。
しかし、どうしたものか。彼が記憶喪失だと分かったところで、私にはどうにも対処のしようがない。

「……。」

「……。」

 考え込んでいたところで、彼が突然ベッドから降り、掛けてあった上着と唯一の荷物である鞄を手に取って
玄関へ行った。

「ちょっと待ってよっ。何処に行くのっ?」

「ここに居ては迷惑になるだろう。」

 つまり、ここを出て行くと彼は言っている。
玄関で靴を履き、出て行こうとノブに手を掛けたところで彼の腕を掴んだ。

「……何だ。」

 あからさまに嫌な顔をされ、後ろに引きそうになったが抑え、彼を見る。

「ここを出てって…行く場所なんてあるの?」

何も憶えてないのに、と彼に言いはなった。

「……。」

 そう言うと彼は動きを止めた。

「………。」

「………。」

 少しの沈黙の後、彼はノブから手を離した。

「なら…どうしたら良いと思う、俺は。」

 ドアの方を向いたまま、彼は私に聞いた。

「う〜ん、じゃあ…ここに居れば?」

 迷わず、口から出た。
というか元よりそのつもりだったのだ。

「どうせ帰ろうにも、道を憶えてないんでしょ?…だったらここに居れば。」

 ね? と笑いながら、背中を向けたままの彼に言った。

「私は構わないからさ。」

 すると、背中を向けていた彼は、何か言いたげな顔をしながら、こちらを向いた。

「………。」

「……何?」

 しばらく経つと、彼は溜め息を一つ吐いて、私を見た。

「…そこまで言うなら、世話にならせてもらおう…。ただし、何が起きても責任はとらんぞ。」

 そこまで言うと、履いた靴を脱いで部屋に入る。

「別に、責任なんて取ってもらおうと思ってないよ。」

 少し不機嫌そうな背中に言いながら、後について部屋に入る。
 そうして、私と謎の少年の同居生活が始まった。



「ねえ、ほんとに何も憶えてないの?」

 昼食の後片付けをしながら、彼に話しかける。

「何度も言わせるな。憶えていないと言っただろう。」

 リビングの椅子に座りながら、迷惑そうに返事をする。
 食器を片付けながらその返事に、うーん。と唸る。

「いや、記憶がないなんて、不安じゃないかな…と、思って。」

 片付け終り、向かいの椅子に座りながら話す。

「…別に、無くとも生活に支障は無いだろう。」

「普通はあるよ。」

 私の返しに、そうか。と不思議そうな顔をしながら呟く。

「だってそうじゃない?記憶がないってことは、自分がないってことだよ?記憶っていうのは、今までの自分の記録みたいなもので、それが無いってことは、今までの自分がないってことになるのよ?」

 自分の思う、記憶についてを彼に話す。

「私だったら…不安だな。」

 少し視線を落として、ぽつりと呟いた。

「…俺は、そうは思わんな。前の自分がないなら、また新たな自分を作れば良い…。記憶など俺から言わせれば、前の自分との、鬱陶しい鎖に過ぎん。」

 鼻で笑い、腕を組んで椅子の背に体を預ける。

「鬱陶しいって、そんな風に言わなくても…第一、記憶って…思い出とかって、大切だと思うよ? そりゃ確かに、忘れたい記憶とかもあるけど…でも、そういうのも全部入れて自分でしょ?それを…」

 軽く意見を言うつもりが、いつの間にか力を入れて話していた。

「だから、記憶が今までの自分という考えから離れろと言っている。」

 それは彼も同じらしく、語尾の調子が少しきつくなっている。

「っ……て、なんでこんなに語ってるわけ?」

 彼の言葉にまた言い返そうとしたが、このままでは口論になりかねなかったため、余分な事を言って気をそらした。

「………。」

「………。」

 どこか気まずい沈黙が流れる。
 そのままじっとしていることも出来ず、無言で立ち上がり、やかんに水を入れ、コンロに置き、火を着ける。

「…飲む?お茶。」

 茶っ葉の入った缶を振りながら聞く。

「……日本茶なら、貰おう。」

 缶の蓋を開け、中身をみせるように傾ける。
すると、缶に少し顔を近付け中身を覗き、匂いをかいだ。
 ふむ、と頷いてから表情を少し緩ませて。

「良い葉を使っているな…。」

 その言葉にこちらも顔を緩ませ、

「ありがとうございます。」

 と、彼に言った。
それ以後、言い合いになることはなく、そのまま食後のお茶…ということになった。

「まあ、記憶が戻るまで…ここでゆっくりしていってね。」

 ずず…と、湯呑みの中のお茶をすする。
 それに答えるように湯呑みから口を離して、ああ。と呟いた。
 お茶の後はこの辺の街のことや、助けた時のことを彼に話した。が、どうにも反応が薄かったのは、
 やはり憶えていないせいだろうか。そう考えて少し寂しく思った…。

「う〜ん…このまま部屋でジッとしててもしょうがないしなぁ…。少し外に行こうか。」

 湯呑みを流しに置き、軽く洗うと、目で行くかと問う。

「……。」

 無言ではあったが、その場から立ち上がったところを見ると、どうやら行くらしい。
 湯呑みをしまい、手を拭く。

「よし、じゃあ行こうか。」

 靴を履き、玄関をでる。彼も出たのを確認して鍵を締める。
 所々小さな水溜まりの残る道をゆっくり歩く。

「あぁ〜、今日は天気良いねぇ…。」

 歩きながら、腕を上にあげ、伸びをする。

「………。」

 それに答えることなく、学ランの少年は着いて来る。

「何か反応は無いわけ?ねえ。」

 不満の表情を浮かべて振り向く、と…

「ん…?」

 何処か気だるそうにポケットに手を突っ込んでついて来る。
 そして…

「どうした?」

 んで、極め付けはそれだ。

「人が話している時には耳を貸すものだよ、少年…。」

「そうか、すまんな。」

 何事も無かったように謝り、またついて歩く。

「いや、まあ…今後気を付けてくれれば良いよ…。」

 そんな風に歩きながら着いたのは、家の近くの河原だ。

「はあ〜…ここは落ち着くなぁ。」

 天気の良い日はよくここに来て、備え付けのベンチに座り、日向ぼっこをしている。
 もちろん今日もベンチに座る。

「立ってないで座ったら?」

 ベンチの横に立っている彼を座るよう促す。

「………。」

 しかし、彼はそこから動こうとしない。

「座らないの?…それとも、私の隣なんて、座りたくない?」

 笑顔を向けて、ベンチを軽く叩きながら彼に言う。
 そんな自分を見て思う…嫌な奴だなぁ、私。
 ふう、と溜め息をついて彼がベンチに座る。
 私と少し距離を置いて…。

「……。」

「……。」

 特に話すわけでも無く、ただベンチに座って、日向ぼっこをする。
こういう、のんびりとした時間を過ごすのも悪くない。
 そんなことを思いながら、ふと彼の方を見た。
 どうせ、つまらなそうな顔をして座っているんだろうと思いながら彼の横顔を見る。
 その瞬間、ここが何処なのか解らなくなった。

「っ!・・・・・・。」

 昼下がりの穏やかな午後とは明らかに違う空気が、彼の周りには漂っていた。
強いて言うなら・・・耳の奥が痛くなるほどの静寂に包まれ、空気に糸が見えるほどの緊張が張り詰めた
 道場にいるような、そんな錯覚を彼に見た。

「ここ、河原・・・だよね・・・」

 誰に言うでもなく一人呟いて周りを見渡す。
 視界には楽しそうに走り回る子供や、何気無い会話に華を咲かせる母親たち。
 ジョギングしている人なんかもいる。
 もちろん、周りに変化など無い。
当たり前の風景が広がっていた。

「当たり前か…。」

「さっきから何をぶつぶつと言っている。」

 不思議そうな視線を向けながら、彼がこちらを見る。

「イヤ、何でも…。」


 結局、特にすることも無く日も暮れてきたので帰ろうとベンチを立つ。

「さて、日も暮れてきたし、そろそろ帰ろうか。」

 そう言って彼を見ると、既に分かっていたのかベンチから立ち上がっていた。

「……。」

「お早いことで…じゃ、行こうか。」

 私が歩き始めると、その一歩後ろを着いてくるように歩く。
 その後、家に着き私が夕飯の支度を始めると、所在なさげに部屋の隅に立っている。

「……向こうで座ってれば?」

 そう言うと少し考えるように下を向いた後、部屋にある私の机の椅子に静かに座った。

「出来たら呼ぶからさ。」

 冷蔵庫から材料を取り出し、軽く洗ってから包丁で切り始める、と、あることを思い出す。

「あ、何か嫌いな物とかある?これは食べれないとか、苦手なやつとか…ってわかんないか…。」

 少し悪いことをしたような気になって、うつ向く。

「嫌いな物があれば何と無く分かるだろう、それに…お前の作る料理は美味いからな、嫌いな物など
分からずに食べてしまうかも知れん。」

 思いがけないセリフに手が止まる。

「…だから気にするな。これは仕方ないだからな…。」

「べ、別に気にしてなんか無いよ……っと。」

 これもまた思いがけないセリフに焦り、再び手を動かす。
 知らず、包丁が指をかすっていた事に気付く。

「…切っちゃった…。」

 人指し指に、赤い珠がみるみる膨らむ。

「…どうした?」

 いつの間にか背後に立って、こちらを覗き込む少年。

「ぅわっ…ちょっと、指切っちゃっただけだよ…。」

 突然の出現に驚きながら、切った指を隠す。

「…そうか、気を付けろよ。」

 一言だけ言うと、先程まで座っていた椅子に戻り、腕を組んで座る。

「……ふぅ…。」

 彼が座ったのを見て、思わず溜め息を吐く。

「これは、見せるわけにはいかないんだよね…。」

 包丁を置き、傷口を洗う…と、既にその傷からは血は出ておらず、それどころか………傷すらも無くなっている。

「…便利な体。」

 新しく皮膚の張り始めた傷を見ながら呟く。

「さて、夕飯つくんないとね。」

 再び包丁を取り、出した材料を切る。
ちなみに今日の夕飯はシーフードカレー。

「出来たよ〜。」




 カレーの独特の香りに鼻と食欲をくすぐられ、耳には待ちかねた声が飛込んでくる。
 何も言わず椅子から立ち、呼ばれた方へ行く。

「さ、座って座って。」

 何処か嬉しそうに椅子を引く少女、もとい破山瑞希。

 テーブルには具の彩りも鮮やかなカレーと、付け合わせのサラダ、それとトマトの冷製スープが並んでいる。

「さて、食べようか。…て、カレーとか嫌いじゃないよね…。」

「あぁ、特に嫌だとは感じないから大丈夫だろう。」

 その言葉を聞いて安心したのか、また嬉しそうにしながらスプーンを手に取る。

「それじゃあ、いただきまーす。」

 と、元気よく言ったもののスプーンを動かそうとしない。

「…食べんのか?」

「いや、ここはお客さんに食べてもらおうと思って。洋食自体あまり作らないんだけど、
貴方がこれからここにいるなら、料理のレパートリーを増やした方が良いからね。その第一号が今日のカレーなんだ。」

 少し早口になりながら話す彼女にすすめられ、カレーを一口食べる。

「…どう、かな…?」

 緊張しているのか声が強張り、こちらを伺うようにジッと見つめる。

「ふむ…初めてでこれなら、文句は無いのではないか?」

「ほんとに…?」

 先程より少し強張った声で、こちらに聞き返す。

「あぁ、これ程の味なら初めて作ったとは思うまい。」

「そっか…よかったぁ。」

 俺からの言葉を聞いて安心したのか、額がテーブルに付く程下げ、溜め息を一つ吐く。
しかし、すぐに顔を上げ、嬉しそうにカレーを頬張る。
 その後は、お互い喋ることはなく夕食を食べていった。

「ごちそうさまでした。」

 丁寧に手を合わせ、食事の終りを口にした。

「ごちそうさま…。」

 俺もそれに習い、手を合わせてその言葉を言った。

 この後は、恒例となりつつある食後のお茶をゆっくりと楽しむ…はずだったのだが、如何ともしがたい問題が発生した。

その問題は彼女の口から発せられた。

「…ところで、貴方って替えの服とか持ってる?」

 湯飲みから立ち上る湯気と共に香る香りを楽しみながら、茶を口に含もうとした直後、
妙に改まった様子の少女は問題を口にした。

「……いや、持っていないが?」

 考えるまでもなかったが、一応考えてからその問題に答える。と、
やっぱりかと言わんばかりに頭を下げ、額に手を当てる。

「じゃあさ…お風呂入った後、服とかどうするの?」

「……。」

 その一言に、一瞬周りの空気が止まった。

「なら、今日も…」

 入らなければ良い、と言おうとした直後、殺気に近い気配を前方から感じた。

「まさか、今日も入らない…何て、ふざけた事言わないよねぇ…。」

 前髪で隠れて見えない目が、危険な輝きを宿したのを直感で感じ、思わず目を反らす。

「…ならば、どうしろと言うんだ?そこまで言うからには何か考えがあるんだろう?」

 相手から顔を反らしながらと言う状況に情けなさを感じつつ、妥当な解答を求める。

「うーん、ここはやっぱり…。」

 腕を組んで考えること数分。

「…考える素振りをして時間をかせ…」

「ごめんなさい。」

 稼ぐなよ。と言い切る前に、白旗もとい手を上げる。

「でもさぁ、一昨日は雨に濡れていたにも関わらず、ずっと寝てたから入れなかったけど、今日は起きてるんだよ?だったら入らないと…臭いよ?」

 若干、顔を後ろに引き、眉を寄せる。

 確かにそうではあるが、替えの服が無ければ風呂に行きたくても行けないのだ。
 ならどうすれば良いか…。

「分かったよ。じゃあ、替えの服は、私が前にサイズを間違えて買ったTシャツと
ズボンがあるから、それを貸してあげる。で、下着は…。」

 そこまで言うと自分の机の上にあった財布を取り、数えるように指を折りながら中身を見る。
 しばらく考えるように顎に手を当てていると、玄関に行き、靴を履いて扉を開ける。
 何処に行くのか訊ねようとした時、それを見透かしていたようにこちらを向きこう言った。

「今から、貴方の下着を、買って来るから、ここで待ってて。」

 何処か言い聞かせるように俺に言った後、壊れそうな音を立てながら扉を閉め、凄まじい足音を立てて遠ざかっていく。・・・全力疾走か。

 その読みが当たっていたのか、買いに行った場所が近かったのか思ったより帰ってくるのが早かった。恐らく前者だろうな。

「はい、た・だ・い・ま。」

 言い終わるのと同時に、手に握られたビニール袋をこちらに差し出す。
中を見ると数枚の男物の下着が入っていた。
 視線を少女に移すと、少し辛そうに息をしながら人差し指を突き出し、ビッと浴室の方へ向けた。

「恥ずかしいなら無理して…」

「黙ってさっさと入れ。」

 有無を言わさぬ速さで遮り、普通の人間なら動けなくなってしまう程の威圧感をこちらに向ける。
 こうなっては何を言っても無駄だろうと思い、何も言わず用意された服と買ってきたばかりの下着を一枚とり、浴室へと向かう。

「ごゆっくり〜。」

 何処かぎこちない笑顔を浮かべながら手を振る。
 脱衣所の扉を閉め服を脱ごうとした時、奥の部屋から

「もう…あのコンビニに、絶対行かない……。」

 と地の底に突き落とされたかのような低い声で、そんな台詞が聞こえた事は少女にとって、
 何より自分にとって黙っておいた方がいいと思いそのまま口を閉ざし、ゆっくり風呂に入る事にした。
 俺が出た時は、いつもと変わらぬ様子で後片付けをしていた。

「上がったぞ…。」

「はいはーい。」

 顔をこちらに向けず声だけで答える。
 ちょうど洗い物が終ったらしく、食器を棚にしまい手を拭いて、部屋に入る。

「あ、そうそう、今日もベッド使って良いからね。」

「………なっ。」

 一瞬、言葉の意味が理解出来なかった。
 当たり前だ、昨日の夜は俺が寝ていた為、少女はベッドでは眠れないという不便を被ったのだ、にも拘らず少女は今日もベッドで寝ていいという…。

「ちょっと待て、あれはお前の寝床だろう…昨日は俺が気絶していたとは言え、今日も俺がここを使うのは、失礼だろう…。」

「別に失礼じゃないよ、貴方はお客さんだからね。それに私が良いって言ってるんだからさ。」

 押し入れの奥から布団を下ろし、部屋の床に敷いていく。

「しかし…っ…」

「ほらほら、明日もやる事多いんだから、さっさと寝た寝た。」

 部屋の明かりのスイッチを消し、俺に早く寝ろと強引に睡眠を促す。

「それじゃあオヤスミ〜。」

 腰くらいの高さの、低いタンスの上に用意してあった服を持ち、部屋を出て風呂場へ行く。
 少女の背中を目で追い、視界から消えたのと同時に、どうしようも無く込み上げる遣り切れない思いを溜め息と同時に吐き出す。

「………。」

 何故ここまでするのか…

 俺に記憶が無いからなのか…。

 まだ会ったばかりなせいか本性を隠しているからなのか…。

 もしくは、数日の事と割り切っているのか…。

 それとも……。

 それとも…。



「…………分からん。」

 答えの出ない問いを放棄し、それを忘れるように体を壁に向けて、目を閉じる。
 それに、どうやら俺は考える事が苦手らしい…考え始めると自動的と思える程に睡魔が俺を誘い始める。

「…っ……。」

 ザァー……

 耳の奥で、水の流れる、音がする…。
 普段ならシャワーの流れる音だと考えることもせず分かるのだが、慣れない事が多すぎて精神的にも身体的にも疲労したせいか、考えること自体が頭の中に無かった。

「………。」

 その音に意識を委ね…

 流れに引かれるように底へと沈み…

 音が消えると同時に眠りへと落ちていった…。

 その直前、彼女の行動の全てが優しさから来ているかも知れない…そう思ったことを、明日はきっと覚えていないだろう…。





 不満そうな彼を強引に寝かせ、替えの服を持って風呂場に行く。
 服を脱ぎ、全てを取り去り浴室に入る。

「ふう……。」

 湯ぶねから湯をすくい体に掛ける。
 タオルを濡らし、それに石けんをこすり泡だたて、体の上を滑らせる。
 全身を泡だらけにして洗ったあと、風呂桶に湯を汲みそれを一気に肩から掛ける。

「…ふうっ…。」

 体を流した後、湯ぶねの中に入り、壁にもたれる。

「あぁ〜…生き返るぅ…。」

 ズルズルと湯の中に体を沈めていく……やっぱり疲れた時にはお風呂が一番だねぇ。

「………。」

 などとやっている場合ではなく、これからどうするかと言うことを考えなくてはならない。

「うーん…。」

 とは言え、すでに一つの手は考えてある。

「やっぱり、これしかないかなぁ…。」

 一度濡らしたタオルを絞り、頭に乗せ湯ぶねの縁にもたれ掛かる。

 記憶喪失の人間がどう過ごせば記憶を取り戻すかなんて知らない……ただ、ずっと家の中に閉じこもっているよりはきっといい方法だと、私は思う。

「………よし、決めたっ。」

 頭のタオルを取り、勢い良く立ち上がる。
 これが、この考えが確実だとは言わない。
 でも、きっとこれしか方法が無いから。

「……ん〜…。」

 湯ぶねから上がりシャワーで髪全体を濡らす。
 シャンプーを取り手の平に出し、それを頭に付け、指で全体を洗う。
 万遍無く洗ったあと、シャワーで泡が残らないよう丁寧に流す。
 同じようにリンスを出し、髪に馴染ませてからシャワーで流す。
 いかにも簡単に説明しているが、もうすぐ腰に付きそうな程の髪を洗うのには少々苦労する。
 でも私はこの髪を切る気はない。

 だって……。


「ふうっ……出よ、のぼせる。」



 浴室を出て、タオルで体を拭き、髪を乾かす。
 下着を着け、パジャマ代わりの服を着て風呂場を出る。
 で、かの居候はと言うと…

「何だ、寝てんじゃん。」

 あれほどベッドで寝るのは失礼だとか言っていたが、やはり睡眠欲には勝てなかったか。

「いろいろあったからね……ま、ゆっくり寝てちょーだい。」

 とか言ってる私もそろそろ限界にきてる。
 あ〜、眠い……。
 情けなくも口を大きく開け欠伸をする。
 床に敷いてある布団に腰を下ろす。
 掛け布団をめくり上げ、中に潜り、背中を布団に預ける。

「ん……。」

 自分の寝やすい体勢になるように布団の中で動いた後、意識を落ち着かせるように息を吐いて目を閉じる。

「………。」

 寝る前、いや、意識の落ちる前……いつもなら今日起こった事を思い返したりするのだが…どうやら彼のことが言えないくらい眠気が来ていた。
 それでも眠る前に出た一言は………。




「私だって……………疲れ、た……。」



 その渾身の呟き以降、何も語ることは無く、そのまま深い眠りに落ちていった……。





あとがき


 はい、ようやく始まりました〜。
瑞希と七夜の数か月に渡る同居生活のお話、と言うか七夜記憶喪失話。

やろうと思い、載せようと思いつつ早5ヵ月……やっと第一話が出来ました。

ノロマですいません…。


さて、この話ですが、書こうと思ったのはエレイスと七夜の話を書いたすぐ後ですね。
でも、エレイスじゃ矛盾と言うか話がおかしくなってしまうので、考え始めた当時は別のまだ名前も無い女の子とでいろいろ考えていました。

で、そこで急遽出来上がったのが破山瑞希というエレイスと同じような能力をもった子でした。

その日から本編の裏で、この話を本格的に取り組み始めた訳です。


当分は、ほのぼのと言うか日常の話になります。

しかし、彼が出ている以上それで終わらせませんよ。もちろん戦闘もあります。ちゃんと書けるか分かりませんが………。

まあ頑張りますよ…。


これからゆっくりではありますが、なんとか進めていきますので長ーい目で見てやって下さい。
また感想などいただけると嬉しいです。(^-^*)

では第二話で会いましょう。









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