和久寺家の憂鬱 〜madteaparty〜



 

和久寺家の敷地内にある古い蔵の奥深く・・・埃が積もった薄暗い蔵の中で一美はある物を探していた。
「これでもない・・・一体どこにあるのかしら?」
回りに幾冊もの本を積み上げ、服が汚れるのも気にせず懸命にページを捲る。

――――そして数時間後・・・・
「・・・・ついに見つけたわ。コレさえあればもう・・・鋼十郎様は私のモノよ・・・。」
一美の手にあるのは一冊の古びた本。
本に積もった埃を払い落とし、逸る気持ちを抑えながら一美は蔵を後にした。


――――――この本が後に大変な騒動を巻き起こす事になる事を、今はまだ誰も知らない・・・。



◇◆◇



久しぶりの休日。
部屋で咲十子と二人寛いでいる時に、その知らせは突然訪れた。
「失礼します。風茉様、咲十子様、一美様からお手紙が届いております。」
そう言うと鋼は俺達に封筒を渡した。
「・・・・咲十子はともかく俺宛にって言うのは何かの間違いじゃないか?」
大体アイツがらみの事でいい事なんて一つもない。
俺にとってのアイツはまさに鬼門で、百害あって一利なしと言っても過言ではないだろう。
「・・・まさか不幸の手紙とか果たし状とかじゃないよな?」
そうあからさまに嫌な顔をすると、咲十子が俺を嗜めた。
「も〜 一美ちゃん絡みだとすぐ嫌な顔するんだから・・・。中も見ないうちにそんな事言わないの!」
ま・それもそうだな。
アイツが何を考えてるかは知らないが、とりあえず中を見ない事には始まらない。
俺と咲十子は早速一美からの手紙を見る事にした。
封を空け、恐る恐る中を覗く。
そこには『招待状』と書かれた一枚のカードが入っていた。



・・・・・怪しい。
何ていうか・・・ものすごく普通の内容すぎて逆に怪しい。
長年アイツとの係わり合いで培われてきた俺の防衛本能がガンガンと警鐘を鳴らしていた。
・・・行かないほうがいいんじゃないか?
そんな俺の思いとは裏腹に、咲十子はすごく嬉しそうだった。
「ねぇ風茉君! ホームパーティだって!!」
「私宛にきた手紙も招待状でしたし、寿千代様と三津子様にも届いていましたから、
きっと同じ内容なんでしょうね」
「うわ〜 みんなでお茶会なんて楽しみ〜♪」
年上の咲十子が子供のようにはしゃいでいるのを見ると、俺までなんだか幸せな気分になってくる。
咲十子を見てほのぼのとした気分になっていると、それまでニコニコとしていた咲十子が
不意に不安げな表情へと変わっていった。
「風茉君 お仕事大丈夫・・・?」
本音を言えば、今回に関してはアイツの家にはあまり行きたくない。
でも・・・咲十子の嬉しそうな顔みると 俺弱いんだよな・・・。
「鋼 ×日のスケジュールは?」
「×日は特に大口の仕事もありませんし、前々から調整しておけば大丈夫ですよ」
「・・・だそうだ」
とたんに咲十子の顔がぱぁっと明るくなる。
「風茉君!! ・・・・・ありがと♪」
にっこりと甘い蜂蜜色の微笑が咲十子の顔に広がる。
あぁ なんでコイツはこんなにめちゃくちゃ可愛いんだろう。
思わずぎゅっと抱きしめたい衝動を抑えながら、ホントつくづく惚れてるよな俺としみじみ思う。

まぁそんなわけで俺達は一美主催のお茶会に行く事になった。
――――――胸の奥に一抹の不安を残しながら・・・。


                  ◇◆◇
一方その頃・・・。
一美は自室にて蔵の中で見つけた本と格闘しながら、なにやら怪しげなモノをテーブルに広げていた。
ビーカーや試験管などの実験器具に見た事もないような植物と薬品の瓶・・・・。
それらに囲まれて白衣を身に纏った一美はちょっとした科学者のようでもあった。
(尤もマッドサイエンティストの方ではあるのだが)
「えーと、それからマカの根にシダ・・・ここでイモリの黒焼きとガラナを入れてと・・・」
ゴリゴリとすり鉢で混ぜ合わせながら、それをグツグツと煮えたぎっているビーカーの中に入れる。
とたんにもくもくと紫の煙が上がり、一美は咳き込みながら慌てて窓を開けた。
「っはぁ! 苦しかった・・・。こんなんで本当に大丈夫なのかね・・・?」
確認のため本を見ると特に問題はなく、いよいよ最後の大詰めの段階に突入する所であった。
ここまできて失敗する訳にはいかない。もう一度注意深く本を読み返した。
「えーと・・・『それを濾した後、最後に和久寺秘伝のハーブエキスをたっぷり入れる』か・・・。
次のページは違うみたいだし。じゃあこれで最後ね。」
慎重に濾過しながら、浪砂の部屋からこっそり持ち出したハーブエキスを文字通りたっぷりと注ぎ込んだ。
とたんに透明だった液体が薄いピンク色に変わっていく・・・。
それを小瓶の中に移し変えると、壊れ物を扱うかの様にそっと掌で握り締めた。
「ついに出来たわ・・・。和久寺家に代々伝わる『殿方用惚れ薬』。これを使えば鋼十郎様も・・・ふふっ♪」
鋼十郎を呼び寄せる為にわざわざ風茉達にも招待状を出した事だし、あとは鋼十郎が来るのを待つだけだ。
「さーて薬も出来たし、あとはお茶会のメニューと何を着るか考えなくちゃ!それにお肌もキレイにしないと!!」
そう言って白衣を脱ぎ捨てると、いそいそとパーティの準備を始める。
なにしろその日は自分と鋼十郎にとって記念すべき日になるのだから、少しでも最高の自分でいたい。
思わずこぼれてくる笑みを堪えながら、一美は愛しい鋼十郎に想いを馳せていった。

                   ◇◆◇
そして迎えたホームパーティの日・・・。
各自仕度を整えると俺達は鋼の運転する車に乗り込み、一美の家へと向かった。
一美の家はばーさんの好みで街中から外れた郊外にあるから、車で1時間近くかかる。
休みの日にアイツの家にわざわざ時間をかけて行くのも少々癪だが、まぁ今日は天気もいいし、
ちょっとしたドライブだと思えばそれほど苦にはならないだろう。
「いい天気でよかったですねぇ。三津子様が来られなかったのは残念ですが・・・」
「ちょうどその日にどうしても抜けれない仕事があるみたいで・・・。ママも一緒に来れたら
よかったんだけど・・・」
「仕事じゃ仕方ないよな。一美からの誘いも結構急だったし・・・。また今度こっちから誘えば
いいんじゃないか?」
「そうだね。今回のお礼に一美ちゃん達を招待してもいいよね」
なんて他愛もない事を話しているうちに、いつの間にか一美の家が遠目に確認できる所まできていた。
あと十分もすれば到着するだろう。
「寿千代。ほら もうすぐ着くぞ」
軽く頬をぺちぺちと叩いて咲十子の膝で眠っている寿千代を起こすと、まだ眠いのか視点が定まらず
ぼんやりとしている。
寝起きで力が入らないのか車の振動で寿千代の小さな頭がかくかくと揺れていた。
・・・放っておくとまた眠ってしまいそうだ。
そんな寿千代の様子を見ながら、3人顔を見合わせクスリと笑う。
いくつもの坂を越え、カーブを抜けると、俺達を乗せた車は一美の家の敷地内へと吸い込まれていった。

                   ◇◆◇
「おーい 一姫。今風茉から電話入って、もうすぐこっちに着くってさ」
「ホント!? 準備も大体終わったし、迎えに行かなくちゃ!」
そう言うと一美は鉄砲玉のように部屋を飛び出していった。
鋼十郎とゆっくり会うのは何ヶ月ぶりだろう。
ここ最近は風茉の仕事が忙しかったせいもあって、なかなか会う事も出来なかった。
少しでも早く鋼十郎の顔を見る為に玄関まで走って行くと、ちょうど窓から鋼十郎達の車が
到着するのが見えた。
高鳴る胸の鼓動を抑え一息ついて呼吸を落ち着かせると、今日一番の最高の笑顔を見せるため
傍にあった鏡に向かってにっこりと微笑んだ。
・・・・・・うん 大丈夫。
玄関の扉の向こうから聞こえる声が次第に大きくなっていく。
そして執事が扉を開けると、そこには誰よりも愛しい人が立っていた。
「ようこそおいで下さいました。お待ちしていましたわ」
ぺこりとお辞儀をして、さっきの練習の時の様ににっこりと微笑むと、鋼十郎は柔らかく
笑みを返してくれた。
それだけで胸にポッと火が灯ったかのような暖かさが湧いてくる。
「一美ちゃん!久しぶり〜。今日はどうもありがとう」
「咲十子ちゃん!久しぶり!!」
何も知らずにニコニコしている咲十子を見てると、久しぶりに会えて嬉しい気持ちと一緒に
罪悪感でチクリと胸が痛んだ。
今回風茉や咲十子達を招いたのは、鋼十郎を呼び出す為の口実だったからだ。
罪悪感を振り切る様に努めて明るく咲十子と話し続ける。
「今日は色々用意したから楽しんでいってね!」
「うん♪ありがと。あっ!そうだ。これ私から差し入れのお菓子。それとこのお花はママから・・・
今日来れないお詫びにって」
そう言いながら咲十子はお菓子とお花が入った紙袋を手渡した。
「今回は仕事の関係でどうしても抜けれないからごめんねって。それと一美ちゃんによろしくだって」
「ううん大丈夫。気にしないで!    ・・・それにむしろ人数は少ない方が・・・・・・」
「? 一美ちゃん?」
「あっ!ううん何でもない!!」
危ない危ない。
ここで計画がばれたら大変な事になってしまう。
ちらっと風茉の方へ視線を向けると、若干こちらに不審そうな目を向けつつ寿千代の相手をしていた。
少し離れていたから会話までは聞こえてはいないだろう。
風茉は勘が鋭いから計画が成功するまでには特に注意しなくちゃ・・・・。
「では皆様、こちらの部屋へどうぞ」
風茉の不信感を逸らすため、私は庭園が見渡せるテラスのある部屋へ向かって颯爽と歩き出していった。
                 ◇◆◇
やっぱり怪しい。
さっきから一美の奴、俺と視線を合わせないようにしている。
何か企んでいるのか、それとも後ろ暗い所があるからなのか・・・・。
まぁいい。
まだ確証もないことだし、こんな事を言ってせっかく楽しそうにしている咲十子の気分を壊すような
野暮な真似はしたくない。
・・・・・・もうしばらく静観してるか。
「こちらの部屋ですわ。皆様どうぞお入りになって下さいませ」
一美に促され扉を開けると、そこにはキレイにセッティングされた食器やお菓子が並べられていた。
「すごい・・・ コレ全部一美ちゃんが用意したの?」
「うん 今日は特別に張り切っちゃった! お菓子は前に咲十子ちゃんに教えてもらったのとウチの料理長に
教えてもらったのを作ってみたの。あと今回の食器も私が見立てて用意したんだ!」
「本当にすごいね。一美ちゃんがすごく頑張ったのすごくよくわかる。鋼十郎さんもきっと喜ぶよ」
「うん。 ・・・ありがと咲十子ちゃん」
ちぇっ・・・。なーんかさっきから女同士で盛り上がってるよなぁ・・・。
久しぶりに会えて嬉しいのは分かるけど、いいかげんちょっと疎外感が・・・。
「・・・・食えるのか?コレ」
おもわず小声でぼそっと呟く。
すると今まで咲十子と話していた一美がずんずんとこっちの方へやってくる。
そして満面の笑みを浮かべながら鋼には聞こえない特殊低音波でこう言いやがった。
「・・・屋上行ってチャーターしたヘリで帰るか?」
このやろう。ここでそんな事言うか!?
だからコイツとの腐れ縁は嫌なんだ・・・。
ふふんと勝ち誇ったような笑みを浮かべながらアイツはまた再び咲十子の方へと戻っていく。
・・・いつか絶対ヤツを負かしてやる・・・・!
俺は人生何度目になるか分からない誓いをまた今日も立てる事になったのだった。

                 ◇◆◇
「じゃあお花はこのテーブルの上に置いて、もう少しお皿を持ってくるね。咲十子ちゃんのお菓子もあるし」
「あ・・・じゃあ私手伝うよ」
「ううん! 今日咲十子ちゃんはお客さまなんだからゆっくりしてて!すぐ戻ってくるから!!」
呆然としている咲十子を尻目に、あっという間に一美は部屋を駆け出していった。
「・・・いいのかな。手伝わなくても」
「いいんじゃないか。なにしろ今日の俺達は『お客さま』らしいからな」
そう言うとお互い顔を見合わせてふふっと笑った。
「あっ!ねぇ風茉君見て!! お庭すごくキレイだよ〜」
たたっとテラスの方へ駆けていくと、咲十子は寿千代と一緒に目をキラキラさせながら庭を見つめている。
「・・・あぁ 今行く」
まったくどっちが子供なのかわからないなと微かに笑いながら、咲十子の傍へと向かった。
「何で笑ってるの?」
「ん〜 ほんっと分かりやすいなと思ってさ」
すっと手を伸ばすとくしゃりと咲十子の柔らかな前髪を撫でた。
「それって・・・どういう意味よ〜」
未だにこういうのになれないのだろう。
照れて真っ赤になった頬を膨らませながら咲十子が訊ねた。
「・・・秘密」
もう 一体何なのよぅとポカポカ叩く咲十子を避けながらテラスから部屋へと逃げる。
こういう時の咲十子ってすごく必死になって追いかけて来るんだよな。
それがまた可愛くてついついからかってしまう俺も悪いんだけど。
「っと危な・・・・うわっ!!!!」
ガタンッ!!
「ひゃっ!風茉君大丈夫!?」
どうやら咲十子を避けようとした時にテーブルにぶつかってしまったらしい。
「あぁ俺は大丈夫だけど・・・。まずいな ちょっと倒しちまった」
俺がぶつかった時の衝撃でグラスが何個かコロコロとテーブルの上を転がっていた。
幸いまだ飲み物も入ってないし、ヒビとかも入ってないから元通りに戻しておけば問題ないだろう。
「あ〜あ コレ見たら怒るぞ一姫。朝っぱらから必死でセッティングしてたからな」
「わ〜ってるよ。さっさと直せばいいんだろ」
「急いだ方がいいと思うぜ〜。ほら聞こえるだろ。一姫が走ってくる音」
耳を澄ますと確かにぱたぱたと走ってくる音が近づいてくるのが分かる。
マズイ。早く直さないと。
ニヤニヤしてる九鉄を放っておいて、俺達は慌てて倒れたグラスを並べていった。

                 ◇◆◇
「えーとお皿はっと・・・やっぱりコレがいいかな。あと鋼十郎様が好きな洋梨のシャルロット♪
キレイに盛り付けもしたし、急いで戻らなくちゃ!」
ワゴンに必要なものを乗せると、崩れないよう細心の注意をしながら早足で戻っていった。
鋼十郎様・・・・早く二人きりになりたい・・・。
そしてもう一度・・・私の想いの全てを伝えたい。
鋼十郎を思うと自然とスピードが速まってくる。
惚れ薬はばれないようにもう鋼十郎様のカップやグラスに全部塗っておいたし、薬の効果が出始める
1時間後位に告白すれば完璧だろう。
厨房から部屋までの距離がいつもより長く感じる。
あの角を曲がると鋼十郎の待つ部屋までもうすぐだ。
もどかしい気持ちで一杯になりながら足早に部屋まで走って行くと、一呼吸整え静かにドアをノックした。
「お待たせいたしましたわ。それでは皆様それぞれの名前が書いてある席へどうぞ」
皆を席に座らせ、取り皿を配り希望を訊きながらそれぞれの飲み物を用意する。
このパーティは鋼十郎様を呼び出す為に開いたけど、でもホストとして皆を招待したからには
やっぱり完璧にこなしたい。
いつもは招待されてばかりでちょっと勝手が違うから不安だけど、大体の流れは分かるし、練習通りにやれば
きっと大丈夫だろう。
「鋼十郎様は紅茶。九鉄と風茉はコーヒーで寿千代君はオレンジジュース。そして咲十子ちゃんはアイスティー。
それじゃあ私も紅茶にしようかな」
皆の所へ回りながら、練習したように手際よくお茶の用意をする。
・・・鋼十郎様の分だけものすごく気合を入れたのは、ちょっとだけ大目に見てもらおう。
「じゃあ準備も出来たみたいだし、そろそろパーティ開始といきますか!」
こうして九鉄の声を合図にパーティが始まった。

                ◇◆◇
「コレおいしい〜。 ねぇ コレも一美ちゃん作ったんだって!」
「・・・まぁまぁだな」
「相変わらず素直じゃないねぇ。ま・ぼっちゃんは愛妻料理しか受け付けないから仕方ないか」
「愛妻って・・・・九鉄さん!!」
「今更照れるなって! もうじきそうなるんだから」
皆でお茶やお菓子を食べながらわいわい楽しく談笑している中、私はどこか上の空で鋼十郎様を待っていた。
寿千代君が「はーたん、ボクトイレ行きたい」と言うものだから、鋼十郎様は寿千代君を連れて
トイレへと行ってしまったのだ。
さっきあともう少しで惚れ薬入りの紅茶を飲む所だったのに・・・。
「はぁ・・・」
知らず知らず溜息が漏れる。
でも焦っても仕方ないし、もう少しだけ気長に待とう。
「にーちゃん、さっちゃんただいま〜」
「失礼します。ただいま戻りました」
戻ってきた!
考えるより早く鋼十郎様の下へ体が動く。
子犬のように私は鋼十郎様の傍へと駆け寄っていった。
「お帰りなさいませ!早くしないとせっかくのお茶が冷めてしまいますわ」
「そうですね。せっかく一美様が淹れて下さった紅茶ですからありがたくいただきます」
「えぇ!どうぞケーキと一緒に召し上がってください! 鋼十郎様の好きな洋梨のシャルロットも
用意しましたから!」
「私の好きなケーキを覚えていて下さったんですね。ありがとうございます」
そう 鋼十郎様の事なら何でも覚えている。
好きなものやちょっとしたクセ、そしていつも私にくれる暖かな微笑み。
―――――― それが恋人に向ける微笑みとは違うものだという事もわかってはいるのだけれど
「シャルロットすごく美味しいですね。もしかしてこのケーキも一美様が?」
「そ・そうですわ!今回思い切って作ってみましたの。・・・お口にあって嬉しいですわ」
どうしよう。嬉しくて眩暈がする。
ささやかな一言がこんなにも嬉しいなんて。
あぁ・・・やっぱり私 この人が・・・鋼十郎様が好き・・・。
「じゃあ冷めないうちに、紅茶も頂きますね」
にっこり笑うと鋼十郎様がカップを手に取った。
「えっ ええ! どうぞ!!」
鋼十郎様のカップが口元に近づいていく。
ドキドキして鋼十郎様の動きしか目に入らない。
カップと唇の僅かな距離がこんなにももどかしい。
『もう少し・・・もう少しで・・・・』
一際鼓動が高まる。
緊張が最大限に高まり、胸の奥がきゅうっと苦しくなって思わず胸に手をあてる。
それでも鋼十郎様から目を逸らす事など出来なかった。
・・・カップと唇の距離が徐々に狭まっていく。
そしてついに・・・カップが鋼十郎様の唇に触れた。
やった・・・・・!       と思った次の瞬間
ガタンッ!!!!
―――――― 何 か が 倒 れ る 音 が し た。

                    ◇◆◇

反射的に音のした方を見ると、思いっきり椅子が倒れ、お菓子や食器が見るも無残な姿で床に散らばっている。
そしてそのすぐ傍に・・・


――――――――――――咲十子ちゃんが倒れていた。

「咲十子っ!!!」
風茉の声が部屋に響く。
慌てて私達も咲十子ちゃんの元へ駆け寄っていった。
「咲十子っ! 大丈夫か・・・しっかりしろ!!」
風茉が軽く頬を叩いても何の反応もない。
はぁはぁと苦しげに息を吐きながら、咲十子ちゃんの頬が徐々に赤く染まっていく。
床に転がったグラスからこぼれた紅茶が、まるで私達の不安を煽るかのようにじわりと絨毯にシミを広げていった。

「風茉様 ここでは何ですからとりあえずお部屋に・・・」
おろおろしている風茉を宥める様に鋼十郎が声をかける。
「あっ あぁそうだな。九鉄、部屋まで案内しろ!俺が・・・咲十子を運ぶ。」
そう言うと風茉は咲十子ちゃんを抱きかかえ九鉄と共に部屋を後にし、鋼十郎様もその後に続いて慌しく出て行った。
あまりに突然の出来事に私は呆然と立ち尽くしていた。
さっきまであんなに元気だったのにどうして・・・どうしてこんなことに・・・。
「ねーちゃん・・・・・・さっちゃん大丈夫?」
傍らには不安そうな顔をした寿千代君が泣きそうな目をして見つめている。
「大丈夫よ。お医者様に診てもらえばきっとよくなるから・・・」
寿千代君を落ち着かせるために、頭を撫でながらそっと抱き寄せる。
・・・人の体温というものは不思議な力があるみたい。
ぽんぽんと軽く寿千代君の背中を撫でているうちに、私も少しずつ落ち着きを取り戻していった。

ほっと一息ついて、ふと床に目を向けると何かキラリと光るものがあった。
どうやら咲十子ちゃんが倒れた時に食器か何かが割れてしまったらしい。
寿千代君がうっかり手を触れる前に、慌てて欠片を拾い集める。
そして最後の欠片を拾い集めた瞬間、目の前が真っ暗になっていくのを感じた。

「ウソ・・・・。何で・・・何でコレが咲十子ちゃんの所にあるの!?」
間違えるはずがない。
だって準備は慎重に行ったはずなのだから。
ちゃんと間違えないように自分にだけ解るようにしていたはずだ。
なのに何故これが咲十子ちゃんの手元にあったのだろう?

これは・・・・これは・・・・



――――――――――――鋼十郎様のグラスなのに



                   ◇◆◇

慌てて自室に戻ると、部屋の片隅に隠しておいたあの本のページを急いで捲る。
いつの間に咲十子ちゃんと鋼十郎様のグラスが摩り替わってしまったのかは解らないが、少なくとも
あの薬が原因で咲十子ちゃんが倒れた事は明らかだった。
アレを女性に使った場合どういう事になるのか・・・少しでも手がかりを探るため必死で探すものの、
やはりそこには手がかりになりそうな事は何一つ書かれてはいなかった。
「どうして・・・どうして何も書いてないのよ!?」
苦しげに息を吐く咲十子ちゃんの姿が脳裏によぎる。
・・・こんな事になるなんて思わなかった。
どうしたら・・・・どうしたらいいの・・・。

「一姫」
不意に声をかけられ振り向くと、いつの間にか九鉄が部屋の中にいた。
「こっ九鉄っ!驚かさないでよ!! 大体何でノックもしないで部屋に入ってくるのよ!?」
慌てて本を元の場所に隠す。
ばさばさと何冊か本が崩れてきたけれどそんな事に構っている余裕などなかった。
「ん〜俺はちゃんとノックしたぜ。一応年頃の女の子の部屋だしな。で・・・・何隠してるんだ?」
いつも通りの飄々とした口調で九鉄は何気に確信をついてくる。
その言葉に心臓が止まりそうなほど驚きながらも、何とか平静を装って言葉を返す。
「べっ別にっ!隠してる事なんて何もないわよ!!」
九鉄に言ってしまえば楽になれるのかもしれない。
でもこんな事・・・言える訳ないじゃない・・・。
「・・・なぁ一姫。知ってるか?一姫がウソついてる時、右の眉がひょいってあがるんだぜ」
にやっと笑いながら、とんとんと右の眉を軽く叩かれる。
「うっウソ!?あがってないわよ!!」
慌てて右の眉に手を当てる。
そんな・・・そんなクセなんてある訳ない・・・。

「う・そ♪」

ぴんっとおでこを弾かれ、おどけた様に笑いながら、軽くあしらわれてしまう。
こっ・・・こんな手に引っかかるなんて〜〜〜〜〜〜〜!

「まったく・・・何年オマエのお目付け役やってると思ってるんだよ!そんなクセなくても俺には解るんだよ。
ほら 怒んないから言ってみな」
くしゃくしゃと頭を撫でながら宥めるように私を見つめる。
いつもそうだ。
私が何か怒られそうな事をした時には、気付けばいつもこうして傍にいてくれる。
それがいつもの九鉄だったから・・・本当にいつも通りの九鉄だったから・・・・。
「ど・・・・・どうしよう 九鉄〜〜〜〜〜」
思わず堪えてきたものが堰を切ったように溢れ出して止まらなかった。


                   ◇◆◇

カチ コチ カチ コチ・・・・・

時計の音が静かに部屋に響いている。
鋼も九鉄も部屋を出ているから、今ここにいるのは俺達二人だけだ。
・・・咲十子はまだ目を覚まさない。
今は呼吸も安定して落ち着いているものの、時折苦しそうにしている咲十子を見ると胸が締め付けられる様に苦しくなった。
「・・・・咲十子」
ぎゅっと咲十子の手を握る。
咲十子がすぐに俺の所へ戻って来れるように・・・・強く・・・強く・・・・。

握っている咲十子の手が微かに震えている。
咲十子が寒いのかと思って慌てて毛布を掛けようとしたら、情けない事に震えているのは俺の手だった。
しっかりしろと思っても震えは止まらない。
何とか震えを止めようとぎゅっと手を握り締めていると、ふと母さんの事が頭をよぎっていった。

『風茉いってくるわね』

母さんを空港まで見送りに行った時、いつもの言葉を残して母さんは旅立っていった。
・・・まさかこれが最後の言葉になるなんて思わなかった。
いつものようにただいまと帰ってくると信じていた。
それなのに死は容赦なく母さんを奪っていった。
そして親父も・・・死によって突然奪われてしまった。


――――――もしこのまま咲十子が目を覚まさなかったら?

馬鹿な事を考えるなと必死で考えを振り払おうとしても、ドス黒い不安が心の中を覆っていく。
いつもの日常がちょっとした事で呆気なく崩れるものだという事を、俺は嫌というほど解っていた。

咲十子がいると俺はどこまでも強くなれる。
でも咲十子がいないと俺は・・・・こんなにも脆い。
神様が本当にいるのかどうかなんて解らない。
でももしいるのなら・・・・どうか・・・・どうか・・・・

――――――頼むからこれ以上・・・・俺の大切な人を奪わないでくれ・・・・。

手が真っ白になるくらい強く握り締めながら、俺は祈るように咲十子の傍にいる事しか出来なかった・・・。



                  ◇◆◇

コンコン
ノックの音で不意に現実へと引き戻される。
・・・鋼だろうか。
医者を呼んだにしてはずいぶん早いなと思いながらドアを開けると、そこには九鉄と後ろに隠れるように
一美が立っていた。
「よぅ坊ちゃん。咲十子ちゃんの具合はどうだい?」
「・・・まだ目を覚まさない」
短くそれだけ言うと、俺は咲十子の傍へと戻っていった。
「そうか・・・。ちょっと話したいんだけどいいか?」
「話・・・? 悪いけど後にしてくれないか」
せっかく来てもらって悪いが、今は誰の相手もする気にはなれなかった。

「いや・・・その・・・何だ」
何だよ一体? どうも九鉄にしては歯切れが悪いな・・・。言いにくい事なのか?

「今の咲十子ちゃんに関係ある話なんだけどな」

何!?
「どういうことだ!何か知ってるのか!?」
思わず九鉄に詰め寄る。
一体咲十子の何を知ってるっていうんだ!?
「まぁちょっと落ち着けよ。 ・・・ほら一姫 ちゃんと話しな」
九鉄に促されて、後ろに隠れていた一美が俯きながらぽつりぽつりと語り始めた。


                   ◇◆◇


「・・・ほぅ。じゃお前が作った妙な薬のせいで咲十子がこうなったんだな」
一字一句噛み締めるように言いながらじろりと一美を睨み付ける。
よっぽどバツが悪いのか、一美は俯いたまま俺と視線を合わそうとはしなかった。
「ったく何でそんなもん作るんだよ!」
「だって・・・・だってやっと少し大人っぽくなったのに全然鋼十郎様相手にしてくれないんだもん〜〜〜〜〜。
まさか咲十子ちゃんが飲むなんて思わなかったし〜〜〜〜〜」
とか言い出すと、一美の奴子供みたいにびぃびぃ泣き始めやがった。
「だからってそんなもんに頼って好きにさせたって仕方ないだろうが!!!」
ぐっと一美が言葉に詰まった。
・・・・・長年の片思いの辛さは俺だって解るし同情もする。
思い詰めてやったの事なのかもしれないが、でもそれにしたってやっていい事と悪い事がある筈だ。

「まぁまぁまぁ一姫もこうして反省してる事だし。それより今は咲十子ちゃんを助ける方が先じゃないのか」
九鉄の言葉にはっと我にかえる。
それもそうだ。今は一美を責めるよりも咲十子を助ける方が先だ。

「で・・・本には何か書いてないのか?手がかりになりそうな事とか」
「・・・てない」
「何だって?」
「だから・・・調べたけど書いてないのよ!!!嘘だと思うなら自分で見ればいいじゃない!!!」
半分逆切れした一美が本を投げつけてくる。まったく・・・キレた女ほど怖いものはない。
一美を放って置いて九鉄と一緒に本を見ると、確かにそこには薬の製法以外のことは何も書いてなかった。
何か・・・何か一つでもいい。手がかりさえあれば咲十子を助けられるのに・・・・。
「・・・ん?」
「どうした九鉄?」
「なんかコレ・・・くっついてるんじゃないか? ホラこのページだけ他と手触りが違う」
触ってみると確かにそこのページだけ微妙に厚さが違っている。
蔵にあった古い本だからきっと仕舞っている内にインクか何かがくっついてしまったんだろう。
破いてしまわないように慎重に剥がすと、ペリペリと乾いた音を立てて少しずつくっついたページが
剥がれていった。
「おっ 取れた取れた。えーと何々・・・
  『なおこの薬を女性に用いると強力な媚薬となるので取り扱いには十分に注意すべし』
                         ・・・だってさ坊ちゃん。・・・・・んっ?」


―――――――――――えっ?


「びっ」 「び」 「び・・・・」

『媚薬〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!?』


部屋の中に俺達3人の素っ頓狂な声が響き渡った。


                    ◇◆◇


「おい・・・・一体これはどういうことなんだよ!!!」
「わっ 私だってそんなの知らなかったんだってば〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
また泣きそうな声をあげながら一美が九鉄の後ろにサッと隠れる。
「知らないで済むかよ! 大体なぁお前が・・・」
「だーかーらー 過ぎた事言ったって仕方ないだろ!しかもこの本によると厄介な事に眠りの後にくる
火照りは他者の手によってしか静まらないらしいぜ」

畜生 なんで咲十子がこんな目にあわなくちゃいけないんだ!
今日この日を一番楽しみにしていたのは咲十子なのに・・・・。

「ま・坊ちゃんにはちと荷が重過ぎるよな。しょうがねぇ・・・・ここは俺が一肌脱いで・・・」
と九鉄はおもむろに着ていたシャツを脱ぎだした・・・・

  バキッ!!!! ドカッ!!!!

                   ・・・・ところで俺と一美の一撃によってあっけなく撃沈した。

『本当に脱ぐ奴があるか!!!!!』
一美と同時にハモる。
・・・・こういう時は案外気が合うのかもしれない。

「いてて・・・。だってしょうがないだろ。坊ちゃんは帝王学とかはばっちりだけどこっちの方はからきしじゃねぇか」
ぐっと言葉に詰まる。
確かに大人の九鉄から見たら、俺なんかまだまだ経験値の浅いガキかもしれない。
でもだからといって・・・
「だっ・・・駄目だ駄目だっっっ!!!絶っ対に駄目だっ!!!」
咲十子に俺以外の男が触れるなんて絶対に嫌だ!!!!!
「そー言うと思ったよ。やっぱ坊ちゃんも男だもんな。んじゃコレ俺からの気持ち」
そう言うとどこから取り出したのかガサガサと紙袋を手渡した。
「? 何だよ一体・・・」
「ん〜 まぁ開けてのお楽しみってヤツさ♪ 予習にもなるだろうし」
紙袋の中を覗くと、女の体が艶かしくくねった表紙やらDVDやらが目に飛び込んできた。
・・・・いわゆる『男のバイブル』ってヤツだ。

「鋼十郎はお堅いからな〜。俺がお目付け役だったらその辺もきっちり教え込んだのに・・・」
「九鉄っ!!!」
「おっと冗談冗談。 ・・・・んっ?どうした風茉?」

・・・・・お・ま・え・ら〜〜〜〜〜っ!!!!!

「とっととでてけーーーーーーーーーーーっっっ!!!! 絶対入ってくるなーーーーーーっっ!!」

今まで堪えに堪えていたものがついに爆発した。


つづく


 

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