颯之介×青子(1) 金の稲穂 木登りブタさん



 
嵐と暮らすようになって、もう何年たつのか忘れてしまった。
この島はのどかで、都会のような騒音は一切ない。
聞こえる音といえば、寄せては帰す波の音と漁船のエンジン音。
近所の人々はよそ者の私達に本当によくしてくれている。
「青子さん、嵐くんにお魚渡しておいたから、今夜食べてね。」
「明日、本島まで行くけど用事あるなら乗ってくかい?」
「また、台風の季節がくるけど、ちゃんと準備はしてるのかい?父ちゃんに行かせようか?」
「困ったことがあったらなんでも、言うんだよ。」

何年も前、知り合いもいないこの島に突然やってきた女が、すぐに人の輪に入ることができたのは、
間違いなく嵐の、颯之介のおかげだった。
最初は、なんだかすごい勘違いをされていたのよね。
なんだったっけ。確か、私は、指導教官との不倫がばれて大学から追い出された研究者。
嵐は、慰謝料代わりにつれて来られたアンドロイド。だったかしら。
本当に人の想像力って面白い。
島の人たちがとても優しく接してくれていたのには、こういう裏もあったのだ。
今考えると、誰かの家の犬に子犬が生まれたことでさえニュースになる島に、
都会から突然、よそ者の女が入ってきたら相当の大事件だったんだろう。
私が島の人達の勘違いと、暖かさを知ったのは引っ越してから半年後。
三波教授が様子を見にきて下さったときだった。
島の人に囲まれちゃって、三波教授は驚かれたと思う。
もちろん、真相が分かった私と嵐、島の人たちもかなり驚いたのだけど。
島の人たちに大事に思われていて安心した。時には連絡ぐらいよこしなさい。
教授は本当に様子を見るだけで、戻って来いとも颯之介はどうしているとも、おっしゃらなかった。
内心、なにを言われても帰らないつもりだったし、颯之介のことも聞くまいと決心していた。
それだけに、教授の態度に拍子抜けした。
その反面、そのさりげない優しさにさすがにあの人を育てた人だと思った。
もちろん、一筋縄じゃいかないところも彼の親らしかった。

船がもうすぐ離岸するというときに、封筒を手渡された。

□ □ □

教授を載せた船が小さくなるまで、呆然と見送った。
嵐が私の手から、封筒を抜き取り勝手に中身を空けた。
私は、颯之介からの手紙かもしれないと思っていた。
だから、封を切るつもりはなかった。
「嵐!何してるの?!勝手に人の手紙を開けたりしないで!」
「めっずらしぃー!!青子がそんなでっかい声出すなんてな!」
それでも、嵐は封筒を返さなかった。
「俺に来た手紙をどうして青子に見せるんだよ!?」
私の目の前に突き出された封筒には、確かに『嵐へ  ぱぱより』、
という、ふざけた宛名が書かれていた。
もちろん、颯之介の字で。
教授もどうしてそんな手紙を私に渡されたのかしら?
颯之介もどんなつもりで、嵐に手紙を書いたのだろう?
少し離れたところで、嵐が歓声を上げた。
「ねぇ。青子見て!これ、俺のパートナーだって。静っていうらしいぜ!な、そんでこの俺とおんなじ色の髪してんのが、颯之介か?」
まだ颯之介の顔は見れない、勝手に別れを決めたのに気持ちはそのまま彼のもとにある。
顔も向けず、家に向いながらぞんざいに答えた。完璧に八つ当たりだ。
「そうよ!その能天気に笑っている男よ。エプロンかなにかもしてるんじゃないの?」
さっきのやり取りで私がまだ怒っていると思ったのか、嵐がボソリつぶやいた。
「顔なんて見えねーよ。後頭部しかうつってねーもん。」

関係のない嵐に八つ当たりしてしまったこと、颯之介が私に顔を見せたくないこと、
2人を傷つけたことに気づいて、胸が痛んだ。

特に、颯之介。こんなこと今までなかったのに…。
気まずくなっても、いつも笑って話し掛けてくれる。そんな彼だったのに。
自分がどれほど彼を傷つけてしまったのか思い知らされた気分だった。

□ □ □

颯之介と出会ったのは、春。大学院の研究室だった。
私は三波教授にあこがれて他大学からあの大学院に入った。
その大学の名前を出せば、必ず聞かれるのが
三波博士と三波博士の秘蔵っ子と噂される颯之介の話だった。

「青子もすごいけど、彼はもっとすごいのよ。しかも美形なんですって。」
「私の友達がそのゼミに入ろうとしたんだけど、応募者多数であぶれちゃったんだって。」
「あー聞いたことある。彼の親衛隊みたいなものができてるって。」
「そうそう、しかもその親衛隊もすごいらしいのよ。秀才に美形ぞろい。」
「さっすがー!!私らとは違う世界だわ。唯一、青子くらい?ついていけそうなの。」

会いもしないうちから、ライバル意識をもってた。
秘蔵っ子だなんて、親の七光りでちやほやされてるだけに違いない。
頭の中の三波颯之介は、お高く留まった嫌味なインテリだった。
私だって、前にいた大学では少しは名前が知られていたし、教授たちは必死でひきとめようとしていた。
それなりに研究の成果も出してきている。
私は彼の取り巻きには成らない。対等に渡り合ってみせる。
まずは、三波教授にご挨拶に行かないと、柄にもなく肩に力が入るほど緊張している。
秘書に聞くと、教授はラボのほうにいらっしゃるということなので、構内案内図を見ながらどうにかたどり着いた。
ノック、1回目。返答なし。部屋が違うのかしら?でも確かにラボはここだわ。
ノック、2回目。ゴトリと物音。やっぱり人はいるみたい。
ノック、3回目。なんだかよく分からないけど、複数の人の声が聞こえる。
ノック、4回目。相変わらず、気付かれていないみたい。少し様子をのぞいてもいいかしら?

ゆっくり、ドアを開け、隙間から覗き込んだ瞬間。
私の視界を遮ったのは、生クリームだった。

□ □ □

「ごっめーん!新しく作ったルーレット式ケーキカットマシンを使ってみたんだけど、回転数の設定を間違えたみたいで…。申し訳ない!」
わなわなと震える手でハンカチを取り出し、顔をぬぐった。
なんなの、このへらへらした男は。
こいつもきっと秘蔵っ子の取り巻きに違いないわ。
「あの、ほんとに大丈夫?………ッぷ!!それより、なんで顔で受けちゃうかなぁ!君。すごい確立だよ!!」
プツン。あ、もうだめ。頭の中で何かが切れた。
ゆっくり、深呼吸。

「あなたねぇ、どうしたらラボでケーキを食べようって話になるのよ!!しかも、本来、飲食禁止のはずでしょ!!
それに、何?!なんなの、ケーキカットマシンって?!そんなもの作る暇があったら、まだ実用化されっこない方言版言語プログラムでも作ったほうがましよ!!
それに、誰のせいで私がこんな目に会ったと思ってるの、あ・な・た・が、一般常識を逸脱したふざけた行動を起こしたおかげよ。私はただ、三波教授にご挨拶に来たの。
あなたみたいな秘蔵っ子の取り巻きの学部生にかまってる場合じゃないのよ!
三波教授はこちらにいらっしゃらないのよね?だったら、教授がラボにいらっしゃる前にせいぜい綺麗に片付けることね。」
はぁはぁ。息が切れる。こんなにたくさん怒鳴ったことなんて今まであったかしら…。
まぁ、いいわ。いいたいことは全部言った。
こんな不愉快な場所に長居なんてしたくないもの。
ドアを叩きつけて、近くの構内図で更衣室の位置を確認し、早歩きで更衣室に向った。
挨拶に来ただけだったから当然,白衣なんてきていなかった。
奮発して買ったスーツにもべったりと生クリームがついている。
知らず知らず、ため息が漏れる。
やっぱり、私、もとの大学で身の丈にあった研究をしていたほうが良かったのかしら。
初めての場所で,知り合いもいなくて、これから何年間か顔を合わせる人たちに最悪の印象を与えてしまった。
落ち込むのに、これ以上の理由は要らないほどと思う。どん底の気分だった。

視界が少し、涙でかすんできたとき、騒がしい足音が聞こえてきた。
バタバタバタバタ…。
「おーい!ちょっと待ってよ、そこの、えーッと、えーっとケーキの人!少し言い訳させて!
ケーキを食べようってなったのは君のウェルカムパーティをしようってことだったんだ。
んで、ケーキマシンは俺お手製のはずれ入りケーキをもっと楽しく演出するために必要不可欠だったんだ。
方言版言語プログラムは早速、明日から作ってみるよ。すごく面白そうだ。
あと、そのスーツと顔の被害は俺のせいで間違いないです。すみません。クリーニング代請求してください。
それで、…実はウェルカムパーティの主催者は教授で、あの部屋に…いたんだよね。
で、伝言。『遠方からの引越しお疲れでしょう、挨拶はまた後日でいいですよ』ということです。
もう一つ,これだけはいっておきたいこと。俺、こう見えても今年から院生なんだ。つまり君と同級生。
…きっと君の言っている秘蔵っ子って俺のことだと思う。
これから、よろしく、三波颯之介です。」
呆然としている私の手を勝手に掴むと、両手でぎゅっと握手してきた。

□ □ □

言いたいことを言い終わると、その人は言ってしまった。
「じゃ、俺、ラボ片付けないといけないから。また、明日な!」
なんだっけ、この状況にぴったりな言葉。…台風一過?そんな感じ。
今の、あのふざけた感じの学部生もどきが、取り巻きを従えた秘蔵っ子の三波颯之介なの?
全然,話が違うじゃない。
確かに、顔はかっこいい部類に入ると思うけど、美形というよりは弟みたいなかっこよさだし、
だれかいってなかったっけ?ラボにいる彼の姿は話し掛けられたのにも気づかないほど集中してるって。
もう、何がなんだかわからなくなってきた。
色々、考えた結果、とりあえず更衣室に持ってきておいた非常用の着替えに着替えてマンションに返ることにした。
まさか、こんなに早く着替えが役に立つなんて…。
もっと研究が進んで、家に帰る時間もなくなる頃のために持ってきてたのに。
なんだか先行き不安かもしれない…。
「はぁぁぁ…。」
ロッカーのドアを閉めるのと同時に、一番大きなため息が漏れた。

□ □ □

気が付けばキャンパスの中は、すっかり秋色になっていた。
あの悪夢の出会いから半年、どういうわけか、颯之介になつかれてしまった。
これまでの颯之介を観察する限り、噂とはあまりにもかけ離れていた。
実際は、とんでもなく子どもっぽいところもあるし、いつもいつも私にしかられるためにしてるんじゃないかっていうほど、ふざけてる。
そうかと思えば、いざ実験に入ると、すごい集中力と発想力を見せる。
ここだけ、みたら確かに噂どおりかもしれない。
あと、記憶力はいいみたい。なんといっても初対面の時に、私が怒りに任せてまくしたてた発言に全て答えて見せてた事からも、推測できる。
その上、その言い分がまるで女子高の英語教師(生活指導)みたいといって私のことをミス・ブルーなんてふざけた名前で呼ぶ。
研究室にいる女の子のイメージや名前の雰囲気から、ピンクちゃんや、黄色ちゃんって呼んでたのの延長みたいだけど。
あまりに、無邪気に私のことを仲間に引き入れてくれた。
確かに、すごい所も多いけど、なんだか肩透かしを食らったみたい。
もちろん同じ分野で研究者を目指すものとしては、彼は絶好のライバルであることに違いない。
それでも、当初のように何が何でも、彼を負かしてやりたい、鼻をへし折ってやりたいという気持ちはなえてしまった。
そもそも、私が躍起になって対等だと認めさせなくても、最初から、ごく自然に彼が私のことを同じ高さに立っていると認めてくれていた。
毎日毎日、顔を突き合わせ馬鹿なことをする彼を叱り飛ばす。
いつのまにか、何年も前からそうしていたような錯覚を抱くほどになった。

□ □ □

そんなある日、いつものように学食で夕食を摂ろうと、食券の自販機の前にいた。
タイミングの悪いことに、自販機のお釣切れ。私はお札しか持っていなかった。
仕方ない、コンビニでご飯を買って帰ろう。
正直に言うと、私は家事が得意ではない。得意とか苦手のレベルではなく、できないといったほうがいいかもしれない。
研究に関しては颯之介に負けていないという自信があるけど、そういう能力に関しては完敗。
毎日、お茶の時間に配られる手作りのお菓子や、お弁当、颯之介の腕はかなりのものだ。
ま、いいのよ。人には向き不向きがあるんだもの。
コンビニでおむすびやカップスープ、サラダを選んでレジに並ぼうとしたときだった。
「あれ?!ミス・ブルーじゃあん!珍しいね。今日はもう帰りなの?」
ニコニコ、いや、むしろへらへらといった感じで私のほうに近寄ってきた。
「いつもは学食でご飯を食べてから帰るんだけど、今日は自販機にお釣ないし、私はお札しか持ってないし…。」
「ちょーっと待った。いままで、帰りが遅かったのってそれが理由なの?毎日?ミス・ブルーって確か昼飯も学食かコンビニ飯だよね。ちゃんとしたもん食ってんの?!」
颯之介の大きな声で、お店の人の視線が集中している。
「止めてよ!恥ずかしいじゃない。いいのよ、ご飯なんて、おなかが膨れればいいんだから。でも、ちゃんと栄養は考えてるわよ!」
颯之介の顔が少し曇った気がした。しかし、すぐにおちゃらけて、私の手から籠を奪い取って商品を返し始めた。
「チッチッチ♪ミス・ブルー、それは聞き捨てならねぇな。おいしい晩飯は心を安定させるということを証明して見せましょう。ほら、向かいのスーパーいくよ。」
そういうと、有無を言わさぬ強引さで私の手をひいてスーパーに向った。
絶対に自分がコンビニに何をしにきたのか忘れてる。きっと一つのことに目標を定めると他のものが見えなくなるんだ。間違いないわ。

□ □ □

颯之介の勢いに負けて食材を買い込んだ後、私の部屋で料理講習会が始まってしまった。
でも、ろくに包丁も握れずピーラーでさえ指を切ってしまった私を見て、ようやく釈放してくれた。
「たしか、今、最終プログラミングの最中だろ。キーボード叩けなくなると困るもんな。RXシリーズだっけ?
教授、誉めてたぜ。あんな微妙な動きの違いを表現するハードとソフトを作るなんてって。」
軽快に包丁の音をさせながら聞いてきた。話題は当然、研究内容のこと。
同じ工学部でアンドロイド製作を目的とするゼミ内でも、人工知能研究グループとロボット工学グループでは全ての内容は把握しきれない。
私と颯之介の場合、颯之介が毎日ちょっかいをかけてくるから、お互いの研究内容の概要と進行状況くらいは知ってる。
私は、デスクで明日からプログラムする内容とそのプログラムによって稼動させる部分の特徴を確認していた。
「まだ計算上のことだもの。実際に上手く動いてくれるかどうかは分からないわ。そっちこそどうなの?感情のプログラムなんて気が遠くなりそうなことやってるんでしょう?」
研究成果で張り合おうなんて止めたつもりだったのに、つい染み付いた競争心が顔を出す。
対抗意識からでた醜い気持ちに少し、自己嫌悪を覚えた。
キッチンから野菜をいためる匂いがする。自分の部屋でそんな匂いを嗅ぐなんてすごく変な感じがする。
「そうだよ〜。ほんとに気が遠くなりそう。性格特性だけでも山ほどあるし、どう併せ持つかによっちゃあ行動パターンなんて無限になるからね。
従来の分析力や判断力だけじゃなくて、感じるってこと、感情による揺らぎも、必要なんだ。」
こういうところは絶対に敵わない。やり遂げようとしていることはすごいことなのに、この人の話し振りは本当に楽しそうでまるでおもちゃに夢中の男の子みたいだ。
「ただねぇ、感情認知のプログラムの理論はかなり詰まってきたんだけど、それを動作で反映させられるだけのハードと動作制御プログラムがねぇ。なっかなか見つからないんだ。」
冷蔵庫を開けて、さっき買ってきたビールを取り出したらしい。
プシュっと炭酸の音が聞こえた。
「ねぇ、ミス・ブルー。君を見込んで頼みたいんだけど、この研究、共同研究にしないか?悪い話じゃないと思うんだ。新しい分野だからそりゃあ、大変だけどさ。君と一緒ならできそうな気がするんだ。」
突然に申し出に思わずペンが止まってしまった。
感情を表現できる人工生命体の作成。
もちろん、この分野の研究者なら誰もがいつかは到達したいと思うに違いない。
「………いいわよ。でも、明日の起動実験でRXが上手く動いてくれたらね。そうすれば、それだけ大変な研究でも達成できるって思えそうだから。」
少し謙遜しすぎたかしら。そう思ってキッチンに顔を向けるとうれしそうに微笑む顔が目に入った。
「じゃあ、決まったようなもんだな。教授の太鼓判つきの実験だ。失敗するわけないからな。
ちょうど料理もできたことだし、祝杯をあげようぜ!」
おいしそうな料理がお皿に載ってやってきた。
ローテーブルに移動し、床に座りソファに凭れるようにした。
「颯之介、悪いんだけど私はジュースがいいわ。」
すすめられたビールをテーブルにおくと、少し不満そうな顔をした。
「なに?ミス・ブルー、酒弱いの?無理はしなくてもいいけど、折角なんだし一緒に飲みたかったなぁ。」
「あと3年したらね。」
私の発言にすごくキョトントしてる。なにかおかしなこと言ったかしら?
「なんで?」
「別に良い子ぶってる訳じゃないんだけど、大昔からの法律だし、お酒は二十歳にならないと…。」
奇妙な沈黙。

「ッてことは。…き、君、今、17…なのか?」
何を今更、驚いているんだろう。スキップなんて珍しくもないのに。
それに本人にも聞こえてくるくらい最初の3ヶ月は噂されてたのに。
この人、本当に知らなかったのかしら。
「そうよ。この前の誕生日で17になりました。そういう訳なのでジュースで勘弁してね。」
彼とは対照的に私は大人びて見られてきたからこういう反応には慣れてる。
いつもなら、それがどうしたのよ、年齢が何か問題あるの。と少しいらだつのだけど、どういうわけか彼の反応は許せてしまった。
それどころか、なんだかほほえましいというか、可愛いというか颯之介に言うと怒られそうな気持ちになっていた。


つづく


 

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