『 無題・6 』



そなたを愛している。私はそなたのただ一人の者となりたいのだ。私だけを見ていてくれ。私のことだけを想ってくれ。
そなたが家族を恋しがるのなら、私がそなたの父となり、母となり、兄ともなろう。
そなたが友を思うなら、私がそなたの友となろう。
私だけを見ていてくれ。私だけを想ってくれ。他のことなど想うな。
私にはそなたしかいないのだ・・・。

早春の夜中。ふと目覚めた王子は愛おしげに傍らに眠るキャロルを見やった。
王子と同じように何も着けていない素肌に毛布をかぶっただけの姿。その寝顔はひたすらに幼く清らかで、王子は切なささえ覚えるのだった。
「ん・・・」
キャロルはわずかに身じろぎした。白い細い肩にそっと毛布をかけ直してやる王子。その僅かな動きで毛布の隙間から愛の濃厚な残り香が匂い立つ。
優しく妃を抱きなおしながら王子は好色な思い出し笑いを漏らした。
王子に触れられて撓る白い体。甘い吐息。恥じらいながら、抗いながら、王子に従う・・・。
不意に。
キャロルの顔が哀しげに歪み、涙が流れた。哀しそうな、悲しそうな無言の涙。王子は驚いてキャロルの肩を揺すった。
「姫・・・!どうした?姫・・・」
「・・・あ・・・王子・・・。何でもないの、夢よ。ただの夢・・・」
「怖い夢であったのか?」
無意識に王子から離れようとするキャロルを抱き寄せながら王子は問うた。



「どうしたのだ?そなたは時々、眠りながら泣く。私はどうしてやることもできぬか?切ないのだ、そなたが泣くのを見るのは・・・。話してくれぬか?」
「私・・・」
キャロルは訥々と語った。
私が生まれ育った遠い世界の夢を見るのだ、と。家族や友人がいて自分に呼びかける。懐かしい場所を歩き、遠く広がる空を見上げる。古代の抜けるような青とは違う色合いをした青い空を・・・。
「ただ、それだけなのよ。夢なの。あなたのいる世界で生きようって決心したのに・・・時々、懐かしくてたまらないの。家族や友人や・・・もう遠すぎる私の思いでの中だけの世界・・・」
キャロルは王子の胸の中にいた。だがその心は彷徨いだし、はるか彼方の故郷を思う・・・。王子は胸をかきむしられるような気がした。
「そのようなことを申すな!そなたには私がいるではないか!そんなふうに泣かないでくれ。私では不足か?私はどうしたらよいのだ?」
キャロルをしっかりと抱きしめた王子は少し泣いていたのかも知れない。
王子はキャロルと知り合い、彼女を得たことで味気なく寂寞とした孤独の日々から解放された。キャロルが自分を慕い、愛してくれる・・・と思うと喜びで体が震えるようだった。
王子はキャロルを必要としていた。どうしようもないほどにキャロルを愛し、求め・・・。キャロルに縛られた王子は自分の弱さ、脆さを痛感する。もし、キャロルを失うことがあれば王子は壊れてしまうだろう。
「姫・・・私がいるではないか。私では・・・だめなのか?」
王子の声は深い哀しみの色を帯びた。キャロルが王子を愛し、必要としている何倍も王子はキャロルを愛し、必要としている。自分でも信じられないその想い。心弱いもう一人の自分。



王子は荒々しくキャロルを抱き、囁いた。
「私がいるではないか・・・。私だけを見ていてくれ。私だけを想ってくれ。そなたがどこかへ行ってしまいそうで怖いのだ。そなたがいるから私は・・・」
そのかき口説くような口調にキャロルは母のような気持ちを呼び起こされた。
「王子・・・そんなふうに言わないで。私はただ・・・夢の話をしただけよ。それだけなの。そんなふうに責めるみたいに言われると・・・どうしていいか分からない。私にはここしかないって・・・知っているくせに」
キャロルはそっと王子の顔を撫でた。優しく包み込むように自分を愛し、守ってくれる夫。だがその内にあるものは驚くほど脆く傷つきやすいのだ。
キャロルは王子を抱き寄せ、そっと髪の毛を撫でた。母親が子供にするように。いつもいつも甘やかしてくれるその相手を今日はキャロルが慈しむ。
「大丈夫よ。ずっと私はここにいるわ・・・。大丈夫よ・・・」
「・・・約束だ・・・」
王子はキャロルの柔らかな胸の中でやがて寝入ってしまった。キャロルはじっと王子の寝顔を見つめていた。
いつまでも、いつまでも・・・。

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