『 無題 』

「え?姫君、今日は王子とお休みになられませんの?」
ムーラが驚いたように尋ねた。
「恐れながら・・・今日は・・・?あの、何かございましたの?喧嘩でも?」
キャロルの側近くに仕え、彼女の体の周期を熟知しているムーラはイズミル王子の寵深い、若い王子妃の横顔をのぞき込んだ。
「い、いえ。そんなのではなくて。・・・あの少し風邪気味のような気がするの。王子に移しては申し訳ないわ。だから・・・今日は・・・。」
「まぁ!では侍医を!」
「いえ、そこまでしなくても。ぐっすり眠れば良くなるわ。だから今日は・・・お願い。ね?」
「・・・はぁ・・・。」
ムーラは怪訝そうな顔をして、探るような眼差しを注いだが結局、キャロルはいつもよりかなり早くに独り寝の床に入ったのだった。
(一体どうなさったのかしら?月の穢れは・・・お済みになったばかり。いつもいつもご一緒にお休みになるのに。王子には何と申し上げようか?)
王子が大切に傅き、愛してやまないキャロルは常に王子の側にあった。夜だって・・・。
月の穢れの時、2晩だけはキャロルたっての願いで別に休むことが許されていたがそれ以外は・・・王子はキャロルを守るようにして共寝の閨に入っていた。添い寝だけであっても、それが王子の願いであったから。

(仲の良すぎる夫婦には子供ができない・・・か。)
キャロルはそっとため息をついた。
今日の午後、キャロル付きの侍女が身ごもったことを理由に職を辞していった。恋人と結ばれて3ヶ月、出産は4ヶ月後だという。
月足らずで初子を産む若い侍女は夫に守られて、周囲のいささか露骨な祝福の言葉に恥じらいながらも嬉しそうに去っていった。
(赤ちゃん・・・私の所にはいつ来てくれるのかしら?)
イズミル王子と結ばれてまる2年になる。王子のことをこの上もなく愛しているし、王子も自分だけを見つめていてくれる・・・と思う。
でも毎月、キャロルは王子と離れて眠る夜を持ち、待望の初子がやって来る兆しはなかった。
ヒッタイトの世継ぎの王子の妃、という自分の立場をよく自覚しているキャロルは毎月やって来る月のものが疎ましく哀しかった。
(私・・・ひょっとしたら赤ちゃんが産めないのではないかしら?だって普通結婚したらすぐに赤ちゃんって出来るものじゃないかしら?20世紀生まれの私・・・この世界の異分子。歴史の修復力が・・・私という歪んだ存在の影響力を無くすために子孫を・・・残すことがないようにしている・・・とか・・・?)
キャロルの瞳から涙が溢れた。声を殺して泣くキャロルの切ない涙は枕を濡らす。暗い寝室の闇はどこまでも深くキャロルの孤独感はいや増した。
(結局・・・私は一人なの?もし・・・赤ちゃんが出来ないなら・・・王子は私以外の人と・・・。)
「姫、どうしたのだ?」
不意に部屋の扉が開き、灯火が差し込んだ。王子だった。

王子は無遠慮にキャロルの伏す寝台に近づき、腰を下ろすとキャロルの頬に触れた。涙に濡れた冷たい頬に。
一人で先に休んでしまったキャロルが心配で様子を見に来た王子は、泣き濡れたキャロルに驚いてその顔をのぞき込もうとした。
いつにない独り寝のキャロルに少し腹を立てていたのだが。
「どうしたのだ?泣いているのか?どこか苦しいのか?何があったのだ?誰かが何か申したのかっ?姫?」
「何でも・・・何でもないの・・・。」
キャロルは大きく暖かなその手を押しとどめて起きあがった。
「何でもないことはあるまい。このように泣いて・・・独り寝をして・・・。どうしたのだ?話してみよ。何か心に掛かることがあるのか?それとも・・・本当にどこか体の具合でも悪いのか?」
だがキャロルは何でもないの一点張りだった。
「本当よ。ただ今日は風邪気味だし・・・一人で休みたいと思っただけよ。だから・・・ね?一人にしてちょうだい。王子だって早く休まないと・・・。」
だが王子はこの年の離れた妹のような妃のいつにない様子が心配で側を離れられない。
王子はムーラ以上にキャロルの体の様子には詳しい。その王子から見れば風邪など見え透いた言い訳でしかない。嫌がるキャロルの顔色を確かめ,その柔らかな体の温かさ、息づかいを改めた王子は,寝台の脇に跪きキャロルをのぞき込んだ。
「何がそなたの心を悩ませるのだ?私に申してみよ。うん?」
キャロルは王子を押しとどめながら起きあがった。王子はそんなキャロルの肩を抱くと素早く小さな体を抱きしめ横になった。
「泣いているではないか?そんなそなたを置いて出ていけと申すか?何があったか言ってはくれぬか。私ではそなたの力になれぬか?」
「いいえ・・・でもお願い。一人にしてちょうだい。理由なんて・・・自分でも分からないのに何故,王子に説明できて?」
「言えぬことがあるのか?夫たる私に言えぬこととは何だ?」
王子の声音は軽く不機嫌の色を帯びる。さらうようにこのヒッタイトに連れてきた頃ならばいざ知らず,婚儀を挙げ,肌を重ね合ってもう2年もたつのに?お互いにすっかり相手に心を預けきっていたのではないのか?

「赤ちゃん・・・が私にはいないって思ったら・・・急に切なくなって・・・。」
王子の腕の中で甘やかで執拗な尋問を受け,ようやくキャロルは口を割った。
「何と・・・?」
王子は呵々大笑した。
「何かと思えば・・・!そうか和子か!ははは、それならば私を何故避けた?一人で和子を産む気であったか!いやはや子をどうやって作るかを知らぬのか?この私の妃になって2年にもなるのに!」
「わ,笑い事じゃないわ!どうして笑うの?嫌い、嫌い。そうやって私を子供扱いして・・・!」
「どうしたというのだ?気に障ったのなら許せ。だが和子とは。こればかりは授かりもの。何故,急にそのようなことを気に病んで・・・。」
「だって・・・だって。もう2年にもなるのに赤ちゃんは来てくれないわ。あなたのことがこんなに好きなのにどうして赤ちゃんは来てくれないの。それに・・・私はあなたの・・・ヒッタイトの世継ぎの妃。妃としての・・・つとめ・・・。」
キャロルの嗚咽が王子の心を揺さぶる。
「私はこことは違う世界で生まれたわ。だから赤ちゃんができないのではないかしら?この世界が私を受け入れてくれないのではないかしら?不安で・・・怖くて・・・寂しい。」

王子はそっとキャロルを抱きなおした。
「そなたには私がいるではないか。そなたは心身とも健康な女人であることは皆が知っている。婚儀に先立ち私がそなたを医師に見せたのを覚えているか?あれは・・・そなたが世継ぎを産める体であるかを改めるためのものでもあったのだぞ。」
「そなたと結ばれてからまだ2年しかたっておらぬ。私は父上母上が結婚されて5年たってから生まれた。」
「そなたは未だ子供のような頼りない体つき。子を産める成熟した体になるまで私が丹精してやる。」
「王子・・・本当にそう思ってくれる?もし,でも赤ちゃんができなかったら私は・・・私は・・・。」
「その時はまた考えればよい!私はそなたを和子を産ませるためだけに娶ったのではない!私を愛させ,生涯側に置いておきたいと願ったからこそ,この愛しい姫を神の御前で娶ったのだ。それをそなたは知らぬかのように振る舞い,私を避けようとした・・・。」
王子はキャロルにのしかかり,唇を深くむさぼった。その背にそっと腕をまわすキャロル。
「独り寝は許さぬ。今日は私が許した夜ではない・・・。」
「王子・・・王子・・・ごめんなさい・・・!」
「そんなに和子が欲しいか・・・!」

王子は炎のようにキャロルを愛した。石のように固く強ばるまで胸の双丘の頂を飾る宝石を啄み,大きな手をそっと秘密の谷間に這わせる。
谷間は暖かく濡れており,甘い蜜の香りが王子を誘った。
王子は谷間に顔を埋め,肉厚の花を舐め,泉に深く舌を差し入れ蜜を啜った。
身も世もなく喘ぐキャロル。王子は美しい妃に奥深く押し入り愛のしるしを迸らせた。
キャロルは優しく王子に微笑みかけ,そっと胸に口づけると引き込まれるように眠ってしまった。愛の交わりの後を色濃く残すその体に不釣り合いな無邪気な幼い寝顔。
王子は愛しくてたまらぬというふうにいつまでもその顔を見守った。
(和子・・・。考えぬでもなかったが今のままでもよいと思っていた。私だけの姫が・・・母になるなど考えられなくて。だがヒッタイトの未来のためにも和子は必要・・・。いつ和子はやって来て我らは父母になるのであろうな?)

そして。
キャロルの月のものは予定日を過ぎても来なかった。キャロルは不快の日々が続き,食が極端に細くなり,引き込まれるような睡魔に悩まされるようになった。
月のものの滞りが3回目になったとき,キャロルは自分がついに母となることを確信した。恥じらいながら王子に報告するキャロル。
「よくやった!姫,そうか,やはりそうであったか!良い子を産んでくれ。そうだ,神殿に祈祷を命じて・・・!」
キャロルの体の変化にすでに気づいていた王子だがやはり喜びはひとしお。普段の落ち着きはどこへやら,キャロルにうっとおしがられるほどその体を気遣うのだった。キャロルは幸せだった。
やがて・・・月満ちて王子が産まれる。この王子を巡る物語はまた別のもの。
ただ・・・イズミル王子は母を独占するこの小さな王子に嫉妬しているように見えることがある・・・との噂が漏れ聞こえるばかりである。

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