『 ムーラの独白  』


私の大切なるお方、私の王子がようやくお妃をお迎えになる・・・。
私の手はそのお方の金色の御髪を梳り、薄く夜のお化粧をして差し上げる。
美しいそのお方。金色の髪、白いほのかに輝くような肌、青い瞳。ナイルの姫君。
数奇な運命のその方はようやく王子の御許にお嫁ぎ遊ばした。王子の深いお喜びが私の胸を震わせる。幸せに、幸せになっていただきたい。私の王子。私の大切な王子。

喜びの夜、姫君の瞳は虚ろ。花嫁の喜びが白い頬を彩ることもなく。
「妖かし」
不吉な言葉を私は押し殺す。あのキルケーという女。侍女でもないのにいつも姫君に近侍して。甘い香りが妖しく渦巻き、姫君はいつも夢心地。
何かが違う。何かが決定的に違う。これは不吉・・・不吉。見ることを許されぬ禁断の夢のような。不吉な影が私を責める。
でも王子はあの女を黙認される。王子は何を知っておられるのだろう?何かを隠しておられる王子は?
でも、それは私が忖度することではない。わたしはただ王子と姫君の末永いお幸せをお祈りするだけ。妖しい夢でもよい。それが覚めぬならば。
「さぁ、姫君。お支度ができました。こちらへ・・・」
私は姫君を王子の寝台に導いた・・・。



翌朝。
私は姫君のお支度をお手伝いした。白い身体のそこかしこに残る王子の接吻の跡。わずかに姫君が動かれるたびに濃厚な夜の残り香が匂い立つ。
「お湯をお召しあそばせ・・・」
浴槽に入られようとした姫君の白い腿を、半透明の蜜が伝い降りた。それは昨夜の名残。
「あ・・・」
姫君の頬に涙が伝った。
姫君はご自分自身を見おろされ、無言で滂沱と涙を流される。痛ましい涙。どうなさったのですとお聞きしても黙って首を振られるばかり。初夜を終えた花嫁の涙でないことだけは・・・私にも分かる。やはり姫君は・・・。
・・・お気の毒な姫君。でも・・・でも・・・王子のお幸せをこそ私は守らねばならない。
「姫君・・・。さぁ、涙をお拭き遊ばせ。王子がお待ちでございますよ」

日毎夜毎、王子は姫君を愛される。姫君は眠りの中。甘やかに王子に微笑みかけ、恥じらいがちに王子に身を寄せるその仕草は、うつつ心を失ったお人形の哀しい動作。
ただただ、王子の望まれるままに・・・。

やがて姫君は身籠もられた。少女のような頼りないお身体。王子のお喜びをよそに姫君は少しずつ消耗してゆかれる。
侍医が呼ばれた。産婆が呼ばれた。姫君のお身体を診察するために。彼らは暗い顔で首を振る。
姫君はご出産には耐えられませぬ、と。
王子は御子をお諦めになろうとなさったのに私は敢えて姫君のご出産をお勧めした。姫君は大丈夫でございます、と。
私にも分かっていた。姫君の儚いお命は出産に耐えられぬだろうと。
いえ、このような妖かしの夢の中で生きてゆかれるのは無理であろうと。甘い悪夢は姫君のご健康を蝕む。
だからこそ。私は王子のお血を引く御子が欲しかった。王子にはそれが是非、必要だと思った。



姫君は男御子を産みまいらせた。
ご自身の命と引き替えに。涙にかすんだ力無い瞳で御子を見つめられ、囁くように祝福の言葉を口にされ・・・王子をお待ちになることなくお亡くなりになった。

私はきっとそれが姫君のお幸せだったと信じておりまする。最期に・・・王子ではなくメンフィス王の御名を囁かれたお気の毒な姫君の。
でも・・・王子のお悲しみの深さは・・・語る言葉がございませぬ。
王子は私をも責められました。なぜ、姫を助けられなかったのかと。私は甘んじて王子のお叱りを受けました。それは悲しみに錯乱した王子の孤独が言わせた暴言。

でも王子。私の心もお汲みくださいませ。姫君はまことは王子を愛しておられなかったのでしょう?
あの朝の涙が私に真実を告げました。王子に愛されたご自身の身体を・・・脚の間の滴を見つめられたその瞳が。
・・・そして最期のお言葉が。
深いヒュノプスの奥から姫君は王子を呪っておられたに違いありませぬ。ご自身の運命を呪っておられたに違いありませぬ。
その厭わしい鎖を・・・私は断ち切り、王子の御子を・・・お世継ぎをおあげしたのです。

私の罪・・・。王子、あなた様を愛するがゆえの。罪は全て私にあります。
だから・・・王子、その御子さまと新しい幸せをお探しくださいませ。
あなた様に・・・妖かしの冥い光は似合いませぬ・・・。


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