『 ムーラ 』 私の王子が花嫁を連れて帰国なさいました。昨夜の賑わいはまるでお祭りのよう。 長く独り身であられた王子が―王子はもう25歳にもおなり。早いこと!―エジプトの地から美しい神の娘を連れ帰られたのです。 噂だけは早くからこの王宮にも届いておりました。 輝く金色、雪白、紺碧、薔薇色。驚くほど美しい姫君。 たおやかに優しく、賢く、でもファラオの熱愛を厭うて、ミタムン王女のお輿入れに付き添われた王子と共に母女神のお国を出られたとか! 一体、どのような御方かとずいぶん思い悩んだものでございます。私がお育てした大事な王子。 王子が選ばれた姫は、駆け落ちまがいのはしたない真似をなさるのかと。 だってそうでございましょう? 女は望まれるままに淑やかに殿方に嫁ぐのが幸せですのに、よりにもよってファラオを蹴ってなど! そりゃあ、王子はご立派な方。女性なら誰でも靡きましょう。でもファラオに望まれた・・・愛された御方が、王子に従って国を出られるなんて。 エジプトの姫は男心を誑かす魔女でもありましょうかと心配したものでございます。 いいえ、私は決して王子のご決断について批判がましいことを賢しらに言い立てるつもりはございません。 あの王子がとうとう花嫁を見つけられたと聞いたときは嬉しかったのでございます。本当ですとも。ええ、本当。心の底から。 たとえ、どのような出自、容姿、心根でも王子が女人を選ばれたのですから。 ・・・・・今となっては笑い話のことでございます。お話してもよろしゅうございましょう。 王子は長く独身であられました。 お世継ぎの王子で、しかもあの艶福家の父君の御子ですもの、二十歳になられるまでには御子の4、5人もお作りになろうだろうというのが私も含めて、世間の見方でございました。 ましてや、王子はご容姿は端麗であられ、賢く、強く、国を統べる者に求められる能力は悉く備えておいでのお方です。 10歳を過ぎられるとにわかに縁談が増えました。でも王子は学問に武芸に励まれるばかりで女人には見向きもなさいませぬ。 さすがに15歳をお過ぎになられますと、国王様の方からご側室候補の女人を王子の御許に送り込まれます。 で、当然、王子も男の方が女性になさる行為を経験されたわけでございます。 でも。 王子は同じ女人を幾度も召されることなど殆どなさいませんでした。王子の御子をおあげする女人もございませぬ。 王国のお世継ぎとしてご公務が多忙になられると、そもそも女人を召されることさえ間遠になりました・・・・。 そして世間は噂いたします。 王子は女人にご興味がおありでないのだ。御子を儲ける能力がないのだ。王子は本当の意味で男性ではないのだ・・・などと! 私の腹立ち、口惜しさをお察し下さいませ。王子が淡々としておられるだけに私の方が熱くなって取り乱したりもいたしました。 ほほ、自慢の息子を浅薄な世間の俗物に貶された「母」のいたらなさですわね。 ・・・・・でも王子は姫君を連れ帰られました。 王子はどのようなおつもりで異国の姫君をファラオから奪うようにして娶られたのだろうと心配もいたしました。 政治的な取引が水面下であったとも聞いておりましたからね。実際に王子と、その花嫁様を拝見するまではただ心配で・・・花嫁様が憎くさえありました。 結局は王子を誑かした女ではないのかと。 それでも全ては杞憂でございました。いえ、もっと有り体に申せば育て子を盗られると嫉妬した私の浅はかさ。 ナイルの姫君は楚々とした美しい方でした。異性に慣れていないというのが一目で見て取れます。 物慣れず、王子の色めいたお戯れに戸惑い、私どもの視線に羞じらわれる幼げなご様子に私は安堵いたしました。 そう。私もヒッタイトの奥宮殿に長く仕える身でございます。一目見てそれと分かったのですよ、この姫君はまだ娘のお身体であられると。 もちろん、ヒッタイトのお世継ぎのご正妃になられようかという姫君ならご婚儀まで清らかな御身であられねばならないのは当然ですけれど。 とにかく姫君が恙なくご婚儀の日をお迎えになられるよう私は全力を尽くすことに致しました。 姫君のご教育、ご婚儀のお支度。姫君は素直なご性質のようでしたから、やりやすうございました。 でもねえ。 王子が日に幾度も姫君の御許においでになるのですよ。あの女人には何の興味もなさそうだった私の王子が。 そして隙をみては姫君にきわどく触れられるのです。困ったことに姫君もきつくはお抗いになれぬようなのです。 一度などは私がお使いから部屋に戻りますと、王子が姫君の上に覆い被さっておいででした。何とまぁ、王子は乳飲み子の昔に戻られたような真似をなさっておいでではございませんか! 「王子!」 私の声は裏返っていたかも知れません。 「なんでございますか。姫君、どうかこちらに。お衣装をおなおしいたしましょう」 姫君は真っ赤でございました。ほんの15、6の娘に王子のなさいような刺激が強すぎたのでございましょう。酔ったような正気でない様子でした。 「ご結婚まではなりませぬ、王子。恥ずかしいとは思われませぬか? 姫君も、ご自分の評判を落とすような真似をなさってはいけません。 ご結婚まで姫君が清らかでおいでになれるようにするのが私の務めです。砂漠で何があったかはルカに聞いています。お二人きりはお許し出来ませぬ!」 王子は初めて私に悪態をおつきになりました。私は意気揚々と姫君を別室にお連れしました。 ・・・・・・・私は王子がご結婚なさることに嫉妬しているのでしょうか? 世の愚かな母のように? 私の複雑な思いを余所に、ご婚儀の夜は明けました。 昨夜のお戯れは相当激しかったようでございます。 王子は、私の王子は、女などに興味はなくてただひたすらご立派であられた私の王子は、新床の花嫁様の世話を全てお手ずからなさいました。 汚れたシーツもご自分で畳まれて、痛む場所に塗る軟膏もご自分で塗って差し上げたのです。 女などに、この私や御母君以外の女になど格別の思いやりなどお示しになったことなどなかった方が。 負けた、と私は思いました。 王子はもう私の大事な「育て子」では無くなったのです。今日からは姫君の大事な「ご夫君」なのです。 そしていつかお生まれになる和子の「父君」。 私の寂しさは予想よりはるかに早く癒されました。 王子に良く似た男御子がお生まれになったのです。もちろんご正妻腹でございます。 私は誇らかに嬰児を抱き参らせながら思います。この御子もまた私の理想の和子にお育てしようと。ナイルの姫君とご一緒にご立派な和子にお育てしようと。 |