『 マタ〜リ 』


キャロルがムーラに羊毛の糸と編み針を所望したのは冬至の大祭も半月後かという頃だった。何をなさるのですかと訝るムーラにキャロルは笑って編物、と答えた。
おっとりとしたふうのキャロルなのに、その指先は驚くほど器用でしなやかだった。
ムーラの目の前でキャロルは胡桃の渋で極細に紡がせた毛糸をこっくりとした色合いの茶色に染め、指をすばしっこく動かして作り目をして、さくさくと編物を始めた。
「姫君、まぁ、何て細かい編目!それに初めて見る編み方ですわ。何をお作りなのですか?」
「えっとね、ムーラ。王子に手袋を、と思って」
「手袋でございますか?」
「ええ。外出したり武術の鍛錬をするときに使ってもらえるかもしれないと思って・・・。私の故郷ではね、冬至の少し後にお祭りをするの。その時には贈り物もしあうのよ。私、ずっと王子に何かをしてもらうばかりでしょう?だから・・・」
「まぁ。王子はいかばかりお喜びでございましょう?」
「もちろん、王子には内緒。驚かせたいし、もし上手くできなかったら恥ずかしいもの」
若い侍女達はキャロルの編み針から複雑な編目が生まれてくるのを感心して見守った。
「姫君、今度は何をされますの?」
「手の甲の部分が出来たから指を編むの。一本ずつね」
「わぁ…。あの、姫君。もしよろしければ私達にもお教えくださいな。姫君が王子になされるように私達にも編んであげたい相手がいるんです…」
「いいわよ。一緒に編みましょう」


「ここはずいぶんと賑やかだな」
夕刻、公務を終えてキャロルの部屋を訪れた王子を迎えたのは賑やかで楽しそうな笑い声だった。
「あらっ、王子だわ!大変、隠さなきゃ。皆、続きはまた明日ね」
「はいっ、姫君。本当に楽しゅうございましたわ」
「あなた方!早く王子のお席を!姫君、お出迎えあそばせ!」
キャロルは柳の箱に編物を隠して王子を出迎えた。
「おかえりなさい、王子。今日も忙しかった?」
「…まぁ、な。そなたはずいぶんと楽しそうに笑っていた。ああいう笑い方もできるのだな」
自分だけを好きでいて、自分のことだけを考えて帰りを待っていてくれて、帰れば走って出迎えてくれるはずのキャロルはこの頃、何だか少しよそよそしい。王子はそれが面白くない。
「侍女達とおしゃべりをしていたの」
「王子、年頃の娘同士のおしゃべりは時を忘れるほどに楽しいものでございますもの。姫君も悪気があってなさったことではございません」
おかしなことにムーラまでがキャロルの味方だ。
「…何を企んでいるかは知らぬ。嫁入り前の娘達のかしましさくらい知っている。そなたも同じ年頃の侍女達と話が弾むこともあろう。
が、婚儀よりあとは許さぬぞ。妻となればもはや…」
王子はキャロルの耳朶を甘く噛んだ。
「やだっ、王子ったら!くすぐったいったら!それ、いや!」
キャロルはきゃっきゃと笑って王子を押しのけた。
(全く。女はこうされれば悦ぶのだがなぁ)
王子の目の端に柳の籠が映った。
(見なれぬな。何か女どもが隠し事をしているようだが、‘秘密’はあれかな)
「姫、そなた、私に何か隠し事でもしておらぬか?早く白状いたせ」
「あ、あら!隠し事なんて!白状するようなことなんてないわ。ねえ、ムーラ!」
ムーラは無言でキャロルの味方をした。


「ねえ、ムーラ。あなた、毎朝、王子の手水鉢を寝室に置きに行くのよね?
その時、王子は眠っているかしら?」
「? はい、姫君。まだ夜明け前でございますから王子もお目を瞑られたままでございます。静かにそっと置きに参りますよ」
「そう!ねえ、お願い。明日の朝だけでよいからその役目を私に譲ってもらえないかしら?この手袋ね、王子が眠っている間に枕許に置いておきたいの!」
訝しげな乳母にキャロルは手早く説明した。冬の、キャロルの故郷では「クリスマス」と呼ばれるお祭りの時は贈り物を眠っている大切な人の枕許にそっと置くのだと。
「??? 妙な…風習もあったものでございますねぇ。
よろしゅうございます。では明日は姫君にご手水のことをお願い致しましょう。でも姫君、王子はお忙しい方。それに少しの物音でもお目覚めでございます。枕許はおよしになれば?」
「大丈夫よ!ありがとう、ムーラ」
キャロルは綺麗に編みあがった手袋を革の袋に入れて口を組紐で飾った。どれもキャロルが心をこめて作ったものである。

翌朝。まだ真っ暗なうちにキャロルは起きだし、凍てつく冷気の中、王子の寝室に向かった。
常夜灯の灯りを頼りに手水鉢を置くとそっと王子の眠る寝台に近づいた。心臓はどきどきして、暗い灯火に照らされた王子の寝顔に思わず見蕩れてしまう。
(私の…好きな人。メリー・クリスマス!)
キャロルはよせばいいのに王子の枕許に贈り物の袋を置いた。そのとたんに。
「何奴!」
キャロルは王子に思いきり腕を引っ張られ、寝台に押し倒されてしまった。
「きゃあっ!」


王子は寝室の扉が開いたときから目覚めていた。それはいつものこと。でも今朝は聞きなれたムーラの足音ではない足音が近づいてきた。
(刺客、か?いや、違う。この足音は…。しかし何故、姫が?)

王子の気迫に気圧されて、驚き恐ろしそうに震えるキャロルを見下ろす王子。
「これはこれは。刺客か不埒者かと思って捕らえてみれば、姫ではないか。
このような時間に私の寝室に来てくれるとは。何用かな?婚儀に先立ち私の…妃になりに来たとか?」
「ちっ、違うったら!やだ、やめて、やめて。怖いっ!」
涙目で訴えて暴れまわるキャロルの幼さに王子は苦笑すると、腕の力を緩めてやった。
「起こしたことは謝るわ。ごめんなさい。あの、まだ朝早いしゆっくり寝て?」一体どうしたのだ?白状するまで離さぬぞ」
キャロルは気まずそうに真っ赤になってうつむいていたが、結局は王子に白状させられた。
「……贈り物をしたかったの。私の故郷では今日、贈り物をするの。家族や大切な人に。それで王子は私の大切な人だから」
いつもの淡々とした感情の読めない顔は崩さなかったが王子はとても嬉しかった。そう、とても、とても。
最愛の恋人でもあるけれど、どこか幼い子供よと侮ってもいたキャロルが自分を気遣い、感謝の言葉を口にするなんて。
王子は袋を開けて手袋を取り出した。毛糸で編まれた5本指の手袋の見事さに王子は感心した。糸だけでこんな品も出来るとは知らなかったのだ。
「これは…。このような見事な品は初めて見る。そなたが作ったのか?一体、どうしたらこのように出来るのか」
「ママに習ったの。慣れれば難しくないわ。ね、嵌めてみて。大きさは…ああ、ちょうどいいわ!良かった!
…王子?どうしたの?あのぅ…気にいらなかった?」
イズミル王子は無言でキャロルを掻き抱いた。幸せな暖かさが胸に満ち、その暖かさは涙になって彼の目を潤ませた。
王子はキャロルの小さい身体を抱きしめながら思う。私はもう孤独ではない。寄りそう幸せな時間は始まったばかりだと。

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