『 魔法のハト2@童話 』 むかしむかしのお話でございます。エジプトの王様は愛するナイル姫が、時々さびしそうな顔をするので心配をしておりました。 「そなた、このごろ空を見あげては、いつもため息をついておる様子だが…」 メンフィス王にそう言われて、ナイル姫はあわてて「そんなことないわ」と言い返しました。しかしそれは嘘でした。 (イミルサール、どうして手紙をくれないのかしら) 吟遊詩人・イミルサールとの楽しい手紙のやりとりが途絶えて、ずいぶん長い時間がたっていました。 ナイル姫はケガを治してあげたあの可愛いハトが、また自分の窓辺に来てくれないものかと、いつも空ばかり気にして暮らしておりました。 そんなある日のことでした。エジプト王宮の兵士達が弓矢の練習をしているときです。 弓の腕前に自信のある一人の兵士が、一羽のハトが飛んでくるのを見つけると、仲間にこう話しかけました。 「俺があのハトを射落としてやるぞ!」 「無理だ。あんなに遠いぞ」 「なあに、見ていろ」 兵士はねらいを定めて弓を引きました。 「クルクルックークルクルックー(ああーーっ!!)」 言葉どおり矢は命中し、心臓を射抜かれた魔法のハトは、キラキラと光りながら落ちてきました。 「どっ、どういうことだ、これは!」 なんとハトは銀の像になっていたのです。それを見た兵士たちは目を丸くして驚きました。 ハトの体には矢が突き刺さり、そして足には小さなパピルスが結ばれていました。 兵士の一人がそれを手にとると、声に出して読みあげました。 ------ 満月の夜、東の門より忍び込む ------ 「こっ、これはなんと!エジプト王宮へ忍び込もうとする者の密書ではないか!」 「メンフィス様のお命をねらおうとする暗殺者に違いない!」 手紙はすぐにメンフィス王のもとへ届けられました。王はそれを読むと目を怒らせて怒鳴りました。 「許せぬ!」 「メンフィス様、計画が事前にわかり、誠によろしゅうございました」 「うむ」 ナイル姫とルカが、ともに青い顔をして立っていました。 二人は無言のまま、手紙から目を離すことができなくなっていました。 (これは!まちがいなくイミルサールの字だわ!一体どういうことなの!) (まずい!王子の計画が露見してしまった!) そこへさきほど弓を放った兵士が、銀のハトを運んできました。 「これはその密書を運んできたハトでございます。私が弓で射ましたら、このように銀に変身してしまいました」 あまりに不思議な出来事に、人々は驚きの声をあげました。 ナイル姫とルカはすぐにハトのもとへ駆けよりました。 (ああ、これはイミルサールのハトだわ!) (王子の大切なハトが!なんということだ!) 「かわいそうに!ルカ、早く矢を抜いてあげて」 ルカは力をこめて矢を抜こうとしましたが、かたい銀の体に突き刺さった矢はびくともしませんでした。 ざわざわと人々が騒ぎつづける広間に、メンフィス王の威厳のあるが声が響きわたりました。 「皆のもの!騒ぐな!よいか、この密書を手に入れたことは他言無用ぞ」 「メンフィス、どうしてなの。それでは侵入者が来てしまうわ」 「望むところだ。満月の夜まで密書のことなど知らぬふりをして、このまま敵をおびきよせてやる」 「なんですって!」 「東の門に限らず、王宮のあらゆるところに伏兵を忍ばせて皆殺しにしてやる。 そやつらにエジプトのファラオの恐ろしさを見せてやろうぞ」 「そんな!」 ナイル姫はイミルサールが殺されると思っただけで、がくがくと震え出しました。 (イミルサール、なぜエジプト王宮に忍び込もうとするの。メンフィスを殺すため? いいえ、そんな……。イミルサールがそんなことをするなんて信じられないわ) ナイル姫は何度も手紙をやりとりした友達が、そんな恐ろしいことをできる人間だとはとても思えなかったのです。 その日、メンフィス王の命令で宴がひらかれました。 それは、いつもと変わらないようすで宴をもよおせば、敵をますます油断させられるという作戦でした。 エジプトで一番人気が高い吟遊詩人も呼ばれて、宴はたいへん華やかなものになりました。 吟遊詩人は美しい声をした女の人でした。 皆がうっとりと聞きほれているなか、ナイルの姫とルカだけが「心ここにあらず」という感じでおりました。 (なんとしても王子に計画の中止を進言せねばならぬ。しかし、王子のハトは銀に変身してしまった。 これでは王子に手紙を届けるすべがない!満月の夜まで3日しかないというのに!) (吟遊詩人が歌っている…。イミルサールも吟遊詩人だと言っていたわ。詩を書いてくれたこともあった。 でも本当は……あなたは誰なの?ああ、でも私は彼を助けてあげたい。 会ったことさえないけれど、私たちはもう友達。友達を見殺しにすることはできないわ) ナイル姫は吟遊詩人をぼんやり見つめながら、イミルサールの詩を思い出していました。 ------ 太陽はまだ海の中 遠き月の触れゆく夜 閨の砂音が詠いしは かの微笑の幻か ------ (太陽はまだ海の中…イミルサールの詩……。…そうだわ!これだわ!) よいアイデアが浮かんだナイル姫は、さっそく吟遊詩人をそばに招きました。 「本当に美しい歌声ですね。ぜひあなたに私が作った詩を歌ってもらいたいわ」 「光栄でございます。ナイル姫」 吟遊詩人は大喜びでそう答えました。 隣にいたメンフィス王は少しからかうように、「どのような詩なのだ?」と聞いてきました。 「え、ええ、それはね…、えっと…」 ナイル姫は、一つ一つ言葉を選ぶように自作の詩を読みあげました。 「ふうむ。キャロル、それは何の詩だ?」 ナイル姫の胸はドキンと高鳴りました。 (メンフィスに詩の本当の意味を知られたら大変だわ!) その詩のなかには、イミルサールへのメッセージが込められていたのです。 「これは、あの…、遠くにいる母を想って作った詩よ」 「母上を想ってか…」 「ええ、私はいつも母を思い出すのよ。 森にいても、砂漠にいても、雲をながめていても。この詩でそんな気持ちを詠ったのよ」 勘のいいメンフィス王が自分の嘘を見破るのではないかと、ナイル姫の心はドキドキしていました。 「吟遊詩人の方、いろんな所でこの歌を、たくさんたくさん歌って下さいね」 「はい、それはもう!」 なんといってもエジプトの民の誰もが愛するナイル姫が作った詩です。 吟遊詩人はこの歌をたくさんの人の前で歌えば、もっともっと人気者になれるはずだと有頂天でいました。 ナイル姫は王宮を去っていく吟遊詩人を見送りながら、心配そうにつぶやきました。 「イミルサールは勘の良い人かしら……。だったら良いのだけど……」 まもなく王子がエジプトへ到着し、そのまま旅人のふりをして、テーベの市場へまぎれ込んでいました。 老将軍が王子のそばへ近寄ると小声で話しかけました。 「とうとう今夜、月は満月になりますな、王子」 「うむ」 エジプトの王宮へ忍び込む日が来ていたのです。 そのとき二人のそばを、子供たちが歌を歌いながら通りすぎていきました。 ------ 太陽はもう森の中 砂漠の中 雲の中 胸の砂音が詠いしは 遠き微笑の幻か ------ 「あの歌は…!」 王子にとって聞き覚えのある言葉が盛りこまれた詩でした。これではいやでも心にひっかかります。 「いかがされましたかな、王子?」 ただ子供たちが歌っているだけだというのに、王子がひどく驚いているようすなので、老将軍は不思議そうな顔をしました。 ちがう子供がまた同じ歌を歌いだしました。 「あの詩はなんだ」 王子のひとり言を聞いた通りすがりの町人が声をかけてきました。 「おや、旅のお方だね。あれはいまテーベ中で流行っている歌なのさ。 なんとナイル姫がお作りになった詩なんだよ」 「ナイル姫が!」 「なんでもお母上を想う詩だそうだ」 そう言うと、町人はその歌を歌いながら去っていきました。 隣で話を聞いていた老将軍は王子に話しかけました。 「ほほう、お母上を想う詩でございますか。ナイル姫はお母上と離れて久しゅうございますからな」 しかし王子はそれに答えずに、自分がナイル姫に贈った詩と、いま聞いたナイル姫の詩を 心のなかで何度もくりかえしたあと、きっぱりと言いました。 「違う」 「王子?」 「違う!母を想って作ったのではない!これは…これは私への詩だ!」 「なんと申されます、王子!」 「この詩の太陽とはメンフィスのことだ!」 「メンフィス王ですと!……確かにエジプトのファラオは『太陽』と民に讃えられる存在ではありますが…」 「森の中、砂漠の中、雲の中というのは、計画が露見して、メンフィスの兵士がいたるところに潜んでいるということだ!」 「では我々を捕えるために、エジプト王宮は伏兵だらけということになりますな」 「そうだ」 「おお、ではもしも今宵王宮に向かっておれば……!」 「メンフィスのことだ。侵入者を生かしてはおくまいな」 老将軍はゴクリと唾を飲み込みました。 「姫君のおかげで命拾いをいたしましたな。なるほど詩で危険を伝えるとは…」 「あの姫らしいことをする」 「姫君がこれほどまでに王子のことを大切に想って下さっていたとは。 詩の中にある『胸の砂音が詠いしは 遠き微笑みの幻か』というのは、 王子のことを詠っているのでございましょうぞ」 王子は少しさびしそうに微笑みました。あの詩はヒッタイト王子にではなく、イミルサールへ贈られたものだということを誰よりも彼が知っていました。 「それにしても王子、事が露見したというならば、なぜにルカは知らせてこなかったのでございましょうな」 「私もそれが気にかかっているのだ。ルカの身になにかあったのであろうか。それとも……」 王子は魔法のハトのことが気がかりになりました。 王子のもとへ魔法のハトが帰ってきたのは、それから一年後のことでした。 ルカが運んできた魔法のハトを見ると、王子は悲しそうにその体を両手で包みました。 「そなた……、あの元気な声をもう聞かせてはくれぬのか」 やわらかく温かかった体は、いまは冷えきった銀に変わってしまっています。 突き刺さった矢が、ハトの心臓をつらぬいていることを王子は一目で見抜きました。 その痛々しさが可愛そうになり、彼は矢の柄を持つと、引き抜こうとしました。 「王子、無理でございます。その矢は抜けませぬ」 ルカが残念そうにそう言いましたが、不思議なことに矢はするりと王子の手によって引き抜かれました。 そしてそのまま王子の両手のなかで、かたい銀がぐにゃぐにゃと勝手に動きだしたのです。 「クル……クルック……クル……」 みるみる銀の体がもとの姿に変わり、傷さえもすっかり治ってしまいました。 「おお!そなた!」 「クルクルックークルクルックー(王子様!王子様!)」 元気に自分の名前をよぶハトの声に、王子はうれしそうに答えました。 「この私にこれほど心配させおって、案じていたのだぞ!」 魔法のハトは羽の音をパタパタとたてながら、大好きな王子のそばをくるくると飛びました。 王子が笑顔で人さし指を差しだすと、魔法のハトはいつものように王子の指にちょこんと座って鳴きました。 「クルクルックークルクルックー(ただいまもどりました!お会いしたかったです、王子様!)」 おしまい |