『 魔法童話 』


 むかし、むかし。ヒッタイト国とエジプト国がまだ仲良しだったころのお話でございます。
ヒッタイト国にはイズミルという幼いながらにたいそう美しく賢い王子がおりました。
それは王子が4歳になったときのことでした。宮殿を歩いていると、大人たちがガヤガヤと噂話をして騒いでおります。
大人たちは小さな王子の姿を見ると、かしこまって頭を下げながら答えました。
「イズミル王子様、たったいま大国エジプトより知らせが届きました」
「エジプトでは3年前のアイシス王女の誕生に続き、このたび王子が誕生しましてございます」
「エジプトに王子が!」
 王子はその国の名前を何度も聞いたことがありました。父のヒッタイト王は多くの諸国の中でこのエジプトには特別な魅力を感じていました。そして同時にその国の強さをよく知っていました。父からいつもエジプトの話を聞かされたせいで、王子もたいそうこの国に興味を持っていました。
 王子がヒッタイト王の広間に入っていくと、あれやこれやと家臣たちがきらびやかな宝物を運びながら頭を悩ませています。
「エジプト王子誕生の祝いの品だ。ヒッタイトが恥をかくような質素な物は贈れない」
「もちろんだ。見てみろ。この上なく豪華な品々ばかりだ。これで文句はあるまい」
 そんな中、ヒッタイトの王様は息子の姿を見つけて手招きしました。
「おお、イズミルよ」
「父上」
「よく聞け。エジプトに世継ぎの王子が誕生したぞ」
「はい。いま他の者から聞きました」
「名はメンフィスと申すそうじゃ」
「メンフィス…。メンフィス王子」


「ようく覚えておけ。メンフィス王子こそ、お前の生涯のライバルになるであろうぞ」
「はい」
 ヒッタイト国とエジプト国はまだ仲良しの時代でした。
しかし王子はそんな平和な関係がいつまでも続かないことを心のどこかで知っていました。
「チニーテはまだか?」
 気の短い王様のイライラした声が響いた瞬間のことでした。
ヒッタイト一の魔法使いと名高いチニーテ婆さんが、どこからともなく現れて、いつの間にか王と王子の前にひざまずいています。
「おお、きたか」
「お召しいただきまして有難うございます。我が偉大なる国王陛下さま」
「堅苦しい挨拶などいらぬ。さっそくじゃが、仕事に取りかかってくれ」
「かしこまりましてございます」
 魔法使いチニーテは、メンフィス王子に贈る祝いの品々を前にすると、節くれだった大杖をふるい、恐ろしげな呪文を唱えだしました。
ひとりでにタイマツの炎は揺れて、やがて一つ一つと消えてゆき、部屋にはもうわずかな明かりしか残っていません。
髪を振り乱して術をかける不気味なチニーテの姿を目にしただけで、まわりの者は後ずさりしたくとも、恐ろしさに体が凍りつくほどでした。
最初はいつものように強気な様子のチニーテでしたが、やがて息苦しそうにハアハアと肩を震わせるばかりか、とうとう呪文を唱えることもできなくなり、ガックリとひざまづきました。
「くぅ…っ」
くやしそうに言葉をもらすチニーテを見て、ヒッタイト王は驚きました。
こんなに疲れたチニーテを見たのは生まれて初めてだったのです。


「いったいどうしたのだ!」
「お…、王様…。この祝いの品々に呪いを掛けよとのご命令でございましたが…。
 エジプトの王子とはなんという強い未来をもっている和子でございましょう。
 メンフィス王子の強運がじゃまをして、このチニーテの術が届きませぬ」
「なにっ!!そなたほどの魔法使いの術が効かぬというのか!」
 まわりの者は不安な気持ちで嘆いた。
「おお、なんと、それほどまでの強運の王子がエジプトに誕生とは!」
「強大なエジプトが、ますます強くなっていくということか!」
 チニーテはようやく息を整えると、落ち着いた声で告げた。
「みなさま、どうかお静かに。実はこの国にたった一人だけ、そのメンフィス王の強運を弱められる方がおりまする。その方のお力をお借りできれば、このチニーテが未来かならずや、メンフィス王子に18歳の若き死を、コブラの猛毒によってもたらしてみせましょう」
 この言葉に宮廷中にざわめきがおこった。
 王様はチニーテにつかみかかるようにして、問いかけた。
「そのものとは誰だ。申してみよ!」
 チニーテは深々とおじぎをしたあと、うやうやしく幼い王子の手をとった。
「このヒッタイトの世継ぎの王子様をおいて、他ありません」
 この言葉に宮廷中にざわめきがおこった。
「おおーっ、なんと!」
「我が世継ぎの君こそメンフィス王子の強運に立ちむかえるその一人であったか!!」
「さすがはイズミル王子だ。我が王子がエジプトの王子になど負けるはずがない!」


 喜びの声が叫ばれるなか、チニーテはいっそう血の気を無くした顔で言葉を続けた。
「ただし、ただ一つだけ、イズミル王子様は大切なものを失わなくてはなりません」
 王子は大人たちの誰より落ち着いたようすで、「それは何だ」と聞いた。
「イズミル王子様、あなた様には将来心から恋し、愛する姫が現れます。
 それは誰かは今は誰にも分かりませぬ。しかしあなた様は、そのような姫に必ず
 出会うのです。しかし王子様は、メンフィス王子への呪いの代償として
 その姫の心は生涯得ることはできませぬぞ」
「えっ!」
「その姫に恋焦れて、焼け付くような苦しみを味わい生涯を送ることになるやもしれませぬぞ」
「わ、わたしが…」
 幼い王子は恋や愛という言葉に照れてしまい、かすかに頬をそめながらとまどっていた。
 そんな王子の耳に父の笑い声が届いた。
「はっはっはっはっ。イズミルよ。そのようなことなら何の心配もいらぬ。
そなたは将来このヒッタイトの王者になる男ぞ。女など思いのままだ。
たとえどのような姫であろうとも、そなたの手に入らぬ者などいるはずがない」
 遠い日の恋の苦しみなど想像もつかない幼い王子は、父の言葉を真実だと思い込んだ。
王子みずからチニーテの方を向くと、キリリとした口調で命令を下した。
「この私は未来のヒッタイト王。そのような姫の心より、エジプト王子の死の方が大切だ。
そなたの力で、我が運命と引きかえに呪いの術をかけるのだ」


「まあ、なんて元気な声の和子様でございましょう」
 乳母ナフテラはメンフィス王子の泣き声が寝室から聞こえるたびに、目を細めてそう言いました。
 健康で美しい王子の誕生は、彼女だけではなく、エジプトの国民の大きなよろこびでありました。
「ナフテラ」
「これここれはアイシス様」
「弟がまた泣いているわ。そばに行ってあげてもいい?」
「はい、もちろんでございます。ご一緒にまいりましょう」
 ナフテラは小さなアイシス王女の手をとって豪華な扉を開くと、メンフィス王子の寝室に入りました。
 そのときです。
「ああっ…」
 突然、アイシス王女は苦しそうに息を飲むと、気を失って倒れてしまいました。
「アイシス様、アイシス様!王女!」
 いくら名前を呼んでも王女は目をあけません。
 ねむり続けて5日目のアイシス王女を前にして、
とうとう医師は「もはやお助けできないかもしれません」と肩を落として言いました。
 この言葉に一番悲しんだのはエジプトの王様です。王様はアイシス王女を心より愛していました。
王様は王女が気を失った原因を知りたいと、何度もメンフィス王子の寝室を訪れましたが、中には豪華な寝台に眠っている赤ん坊のメンフィスと、そのメンフィスに送られた数々のお祝いの品物が山と積まれているだけで気分が悪くなるものなど一つもありません。
 王様はよく眠っている息子に話し掛けました。
「メンフィスよ。わたしはお前という大切な命を与えられたというのに、
 なぜ神はアイシスを連れ去ろうとするのか…」
 いつもは強い王様ですが、あまりに大きな悲しみのあまり、メンフィス王子の寝顔を見ながらひとりぼっちで泣きました。


「王様、王様どうかもう泣かないで」
 王様がハッと顔をあげると、いつの間にか自分のそばにひれ伏している10歳くらいの男の子がいました。
「い、いつからそこにいたのだ」
「ごめんなさい。ぼくずっと王様のそばにいたよ。ただ王様に見えなかっただけ」
「お前はだれだ」
「ぼくは魔法使いのノーレさ」
「魔法使いだと!」
 ノーレは論より証拠とばかり、指先をちょちょいっと動かしてハンカチをひらりと空に飛ばすと、ハンカチは王様の頬に残る涙のあとをひとりでに拭いて、またノーレの手に戻ってきました。
「そういえば聞いたことがあるぞ。このエジプト王宮にはその昔、魔法使いが住んでいたと!」
「いまでも住んでいるよ。ただ姿をあらわさないだけさ」
「なんと、そうだったのか!ではなぜ今は姿をあらわしているのだ」
「王様があまりに悲しそうだったから、どうしてアイシス王女が倒れたのか教えてあげようと思って…。王様、安心して。アイシス王女は死ぬことはないよ」
「おおっ!そなた何か知っているのか!!」
「王女のことを僕のおばあちゃんがとても感心してたよ。人間にしてはめずらしく邪気にするどいって。
この部屋に漂っている呪いの邪気が女王の意識を直撃してしまったのさ。だから気を失っただけだって」
「な、なにを申しておるのだ」
 そのときでした。部屋の中に一瞬大きな風が舞ったかと思うと、魔法使いのお婆さんがあらわれました。
「あっ、おばあちゃん!」
「ノーラ、私の許可なく姿をあらわしたらダメだと言ってるでしょう!!」
「ご、ごめんなさいっ」
 ノーラは叱られるのをさけようと王様の背中に隠れてしまいました。
「これはこれは王様、はじめまして、魔法使いのランベナでございます」
「ラ、ランベナと申すのか…」
「はい、このたび謹んで王様に申し上げたいことがございます」


「申せ」
「この愛らしい和子様の運命にかかわる一大事でございます。心してお聞きくださいますように」
「なに!我が子メンフィスにかかわる一大事だと!」
「このメンフィス様は、異国の者によって恐ろしい呪いをかけられております」
「なにを申すか!大切なる我が子メンフィスには生まれて今日まで、異国の者など誰一人として近づけてはおらぬぞ」
「呪いの術はここにある祝いの品のどれかに込められて、念としてメンフィス王子のお身元に届いてしまったようでございます」
「なんと!ではその恐ろしい品物とは、この中のどれなのじゃ!どの国から届いたものなのじゃ!」
「残念ながら分かりませぬ。そうとう腕の立つ魔法使いのしわざでございましょう。
 なんとも緻密な術にて、このわたくしの眼をもってしても見破れませぬ」
「ではこの部屋に山とつまれたこの祝いの品々は捨てさせる!即刻じゃ!」
「もはや遅うございます。呪いの術は完全にメンフィス王子の運命に入り込んでしまっておりまする」
 王様は愕然としました。
「どうなるというのだ、王子は、メンフィスの運命は」
「メンフィス王子は18歳の御年に、コブラの毒に苦しみながらお亡くなりになる運命でございます」
「なにっ!ならぬ!メンフィスは世継ぎの王子ぞ!そのような死に方は決して許さぬ!」
「わたくしとて、お助けしとうございます。
 このように魔法使いの身なれどこのエジプトは我が愛国でございます。
 王子様をお救いしたい気持ちにいつわりはございません」
「おお!そなたが助けてくれるというのか!」
「できない事ではございません…。しかし…、大いなる代償が必要なのでございます」
「メンフィスを助けるためならば、どのような代償もいとわぬ。申せ!」
「相手はこの呪いの為に、高貴な大いなる者の運命を犠牲にしているようでございます。
 ゆえにこちらも、それにみあう犠牲を払わなければなりません」
「どうすればよいのだ」


恐れながら王様、エジプトの高貴な大いなる王女・アイシス様の運命の一部を犠牲にしていただけない限り術は解くことができないと申しているのでございます」
「なにっ!アイシスの!…そ、その運命の一部とはいったい…」
「アイシス王女様は将来心から恋し、愛する方が現れます。
 それは誰かは今は誰にも分かりませぬ。しかしアイシス様は、そのような方に必ず出会うのです。しかしアイシス様は、メンフィス王子の呪いを解く代償としてその方の心は生涯得ることはできませぬぞ」
「おお、なんと!」
「いかがされまするか、王様?この先のご決断はもはや王様にしか下せますまい」
 王様はしばらく黙っていましたが、やがて真剣な顔で告げました。
「エジプト王子の死はなんとしても避けなければならない!アイシスはこのエジプトの王女。
 恋する女ではなく一国の王女として生きることを理解してくれるであろう。
 そなたの力で、アイシスの運命と引きかえに呪いの術を解くのだ」
「かしこまりました。しかし、王様。メンフィス王がコブラにかまれることは避けることはできませんし、苦しむことも避けることもできません。ただひとつ、お救いできるのはメンフィス王子を死からお救いすることのみ。
それでよろしゅうございますね」
「しかたがなかろう」
 王様がつらい顔でうなずいた時でした。家来達が喜びの声をあげて王を呼んでいます。
「王様!王様!アイシス王女が目を覚まされました!!目を覚まされました!!」
「おお、アイシスよ!」
 王様はいそいで愛娘の元へむかいました。
「おばあちゃん、王様は行っちゃたけど、かわりに誰かくるよ」
「わかっているよ。さあ、姿を消すよ」

 エジプトの魔法使いランベナ。ヒッタイトの魔法使いチニーテ。二人が力をつくした術はもつれた糸のようにからまって、メンフィス王子、イズミル王子、アイシス王女、そしてまだ見ぬ金色のお姫様の運命さえもからめとってしまうのでありました。
はてさてこの続き、どうなることでありましょうか?それは天のみぞ知るところ…
    

                              おしまい

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