『 小姑アイシス 』


1
「しばらく世話になる。」
バビロニア王妃のアイシスが突然テーベの宮殿にやって来た。
相変わらずその脇にはアリが右手を地に、左手を頭上に掲げてひれ伏している。
「なんとー!今度はテーベにまで!今や姉上は敵国の、、、」
「メンフィス、それはもう聞き飽きた。長旅で疲れたゆえ少し休みたい。ナフテラ、部屋を用意せよ。」
「は、はい。」
ナフテラ女官長は返事をしたが、宮殿の女性ナンバー1はなんといっても王妃キャロルだから、流石に戸惑ってキャロルの顔色を窺う。
「おお、そうであった。こういうことはキャロルに頼まねばならぬのだな。」
その存在にはじめて気がついたような顔でキャロルに言った。
「王妃キャロル、他国に嫁いだ我が身なれど、義姉のために部屋を用意してくれぬか?」

その高圧的な態度に心の奥底ではカチーンと来たキャロルだが、口ではああ言ってもメンフィスにとってはたった一人の姉であるし、ここで自分が拗ねても、結局アイシスはエジプトに滞在することになるのだ。
キャロルはナフテラにかつてアイシスが使っていた部屋をすぐに整えるよう命じた。

アイシスはアリ以外に侍女を伴っていなかったので、アイシスのための侍女選びもキャロルの役目。
「こちらが主だった侍女の名前でございます。」
ナフテラが持ってきた「王宮付き侍女一覧表」をしばらく眺めていたキャロルは、その中から数人の侍女を選んで、アイシスの世話をするよう言い渡した。

2
「姫様ー!アイシス様のお部屋を訪れる旨、使いをやりましたけど。姫様?」
「え?ああ、そう。ありがとう、テティ。それじゃ行きましょう。」
何の目的でアイシスがやって来たのかぼんやり考えていたキャロルは、ようやく腰を上げ、テティを伴ってアイシスの部屋へと出向いた。

「アイシス様付きの侍女は、姫様のご信頼の篤い有能な人達を特に選んだんですね。でも、私を姫様の元に残してくださって感謝してますー。」
「テティは私のそばにいて欲しいと思ったからよ。」
キャロルは先導するテティにそう言ったが、本当のところは違う。
(アイシスとテティじゃどう考えても…いいえ、テティが決して有能ではないってことじゃないわ。)


「おお、キャロル。本来ならばこちらから出向かねばならぬところ、わざわざ足を運んでくれるとは。」
アイシスはすでに何十年もそこに暮らしていたかのように寛いでいた。
(自分から出向く気なんてなかったくせに…)
そんな思いをぐっと堪えてキャロルはアイシスに笑顔を返す。
「いいえ、アイシスはメンフィスのたった一人の姉ですもの。こうしてエジプトにお迎えできて嬉しく思いますけど、お国のほうは大丈夫ですの?」

言ってしまってから、キャロルは(あ、なんだか今のは嫌味ったらしいわ…いつまでエジプトに?って素直に言ったほうが良かったかしら)と後悔した。

3
しかし、アイシスはそんなキャロルの思考などお見通しである。
「そう言ってくれるのはキャロルだけだ。メンフィスは実の弟なのにあの通り。更に異腹の弟とやらも、今この宮殿にいると聞いた。エジプトとバビロニアが敵国になったのも、すべて私が原因とされておる…」

(だってアイシスが私を殺そうとするから!)
喉元まで出かかった言葉をぐっと呑み込むキャロル。
そんなキャロルを横目で確かめつつ、アイシスの言葉は続く。
「頼りになるのは女子同士…私には他に姉妹がおらぬゆえ、そなたに頼みたい。私はラガシュ王の和子を身籠っているのだ。だがバビロニアでは敵国から嫁いだ王妃と常に監視され、身の危険さえ感じる時がある。。いくらラガシュ王が庇って下さろうともこのままでは和子ともども…」
よよよ、とアイシスが泣き崩れ、脇にいるアリは「おいたわしや〜」と涙を流す。

普通の人間であれば、自分に流産という辛い目に遭わせた人間に対して同情心など、寄せられるものではない。
しかしよく言えば優しい、ちょっと悪く言えばお人好しのキャロルの思考は常人とは違う。
「アイシス…そうだったの。辛い思いをしていたのね。わかりました。バビロニアのラガシュ王の御子と王妃アイシスのお命、エジプトの王妃として、またアイシスの義妹として私が守ってみせます!」

我らが王妃キャロルは小姑アイシスの思惑など知らない。
ああ、この先どうなるのか・・・

4
アイシスがエジプトに『里帰り出産』に来てから、アリの日常はガラリと変わった。
バビロニアでの肩身の狭い日々と違い思う様に振舞えるのだから、気持にハリが出ることこの上ない。それは表情やお肌にも如実に顕れていて、
『以前は意気地なくこの想いを伝えることができませんでしたが・・・』
などと、付文ならぬ『付粘土板』が届くこともあった。

アイシス様恩為一途のアリは、それらの粘土板をポイッ(ノ´ー`)ノ ⌒ (:D) ゴロンッと捨てると、これまで各国から密かに集めたアッカド語で綴られた物語を、エジプトの侍女らが読むことのできる象形文字に訳していく、その作業に時間を費やした。
判らない文字は、暇でしょうがないアイシスの助けを求め、貴重なパピルスを惜しげもなく使い、今日も翻訳作業を続ける。
「おお・・・アイシス様の元に届けられた待ちに待った物語の続編、どうやらキャロルはイズミルに恋を覚えたようじゃ。このような物語をエジプトに広めることこそ、アイシス様の密かなる大望。ふふふ、キャロルがイズミルに囚われていた間の物語なども面白い。産み月が誤魔化せる時期までに、なんとかメンフィス王とキャロルを不仲にし、アイシス様をメンフィス王のお側に・・・」

アリは更に各地に、特にヒッタイト方面に向けて、物語を集めるように指令を出した。

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