『――――様、5番室にお入り下さい』
    久しぶりの病院は、入った途端、消毒液の匂いがする気がした。
    とりあえず、高頭監督の言っていた病室を探す。
    407・・・・4階の、エレベーター沿いにあると言っていた。
    エレベーターを待っていられず、階段を駆け上がり、7号室の部屋の前に立つ。
    清田信長様・・・・ここだ・・・。
    思わずギュッ・・・と手を握りしめる。
    この先に・・・清田が・・・。
    と思うと、また不安になる。
    田代に言われて、ちゃんと一度行ってみようって決心したのに・・・。
    俺の後ろを、看護婦さんが、怪しげな瞳で俺を見ながら通り過ぎる。
    それでも、俺は病室の前で拳を握りしめて立っていた。
    「じゃあ、また明日ね」
    病室の奥から声がして、はっとした時には、すでにドアが開かれていた。
    「―――・・・あら?あなた・・・確か・・・」
    「あ・・・・」
    目の前に現れた女性に、俺は驚きのあまり言葉が出なかった。
    「ああ!!ノブの先輩さんね。一度家でお会いした事があるわよね?」
    「え?え??」
    記憶があまりよろしくない俺は、はっきり言って、目の前の女の人に見覚えがなかった。
    「ノブの姉の、美貴です。確か・・・・あなたは・・・牧さんでしたよね?」
    「え・・・あ、はあ・・・」
    確かに、母親にしては若すぎる。でも、清田、姉がいること俺に言わなかったよな・・・。
    「・・・牧サン・・・?」
    奥から聞こえた小さな声に、俺の身体がビクッと震えた。途端に心臓がどきどきしてくる。
    「そうよ、牧さんがお見舞いに来てくれたのよ」
    「うわっ!」
    俺の背中を押して、清田のお姉さんはどんどんと中に入っていく。
    お、おい、ちょっと待ってくれよ。まだ、心の準備が・・・!!
    「牧さんがお見舞いに来たのは初めてよね?」
    「うん・・・」
    無理矢理清田のベッドの前まで押し出される。
    そこで俺は見た。
    布団からはみ出して、包帯と板で固定され、宙に浮いている足。
    服の上からも分かる、包帯の巻かれた右肩。
    思わず顔を上げると、俯いた清田の痩せた顔が入ってきた。
    なんて・・・姿だ・・・。
    これが・・・清田だって言うのか・・・?!
    「じゃあ、姉さん本当に帰るわね。牧さん。あとはお願いしますね」
    「あ、はい」
    「じゃあね、ノブ」
    そう言うと、お姉さんは足早に病室を出ていった。
    気まずい空気が流れる。
    何か言わなければ・・・。なんの為に来たんだ、俺は・・・・。
    その気まずい雰囲気を先に破ったのは、清田の方だった。
    「―――誰にここ聞いてきたんですか・・・」
    「え・・・・」
    ドキッとしてそれしか言えなかった俺の心を見透かしたように、清田はさらに口にする。
    「監督に聞いたんスね・・・どうせ」
    「あ、ああ・・・。その・・・」
    怪我の事をどう言おうか。
    無視してきた事を謝ろうか。
    俺の頭は、次第に混乱していった。
    「大学のほうは・・・どうですか・・・?」
    清田のほうが先に話しかけてきたので、俺は少しほっ・・・とした。
    「ああ。なんとかな。授業もだんだん慣れてきたし。バスケも厳しさに慣れてきたよ」
    「そうですか・・・」
    しまった・・・と思ったがすでに遅かった。
    「あ、いや、べつに・・・・」
    「牧サン」
    なんとか言い訳をしようと両手を上げて口にした俺に、清田は言う。
    「あ、な、なんだ?」
    「・・・来てくれて・・・、ありがとうございます・・・」
    「清田・・・、」
    下を向いて真っ赤になってる清田をみて、俺はほっとした。
    心が凄く楽になった。
    「・・・俺こそ、悪かった」
    今なら素直に言えそうだ。
    「今まで、その・・・、さけたり・・・とかしてて・・・」
    「牧サン・・・」
    「日大に行くって事も、なんだか言い出せなくて、卒業式の日に言う事になって・・・。何度も言おうと思ってた
    んだけど、お前の顔見るの、なんだかつらくなってきて、どうしようもなかったんだ」
    清田の顔を見ないで、目を瞑ってひたすら俺は思いを話し続ける。
    「俺がお前のことさけてたのに、いつの間にか、自分がお前に嫌われてる気がして、なんか・・・、会いづらくて・・・」
    「・・・それは、俺だって同じでしたよ・・・」
    「・・・うん・・・」
    「・・・なんで、俺の事、さけてたんですか?」
    目を開けると、清田の悲しそうな顔が入ってくる。
    なんで、俺は・・・清田をさけていたんだ?
    「・・・わからない。ただ・・・」
    「ただ・・・?」
    「・・・俺はさけたくてお前をさけてたわけじゃないんだ。それだけはわかってくれ」
    俺自身、悲しい顔をして言ったのだろうか、清田は慌てて笑顔をつくった。
    「わかりました。牧サン。・・・・たまにはお見舞い、来てくれますか?」
    「勿論、喜んで来させていただくよ。お前こそ、絶対治すんだぞ。痛くてもリハビリしてまた戻って来いよ」
    「・・・はい。また牧サンと一緒にバスケしたいですもん」
    「あ?」
    「俺、第一志望、海南から日大にしたんです。リハビリして、バスケできるようになったら、また牧サンと一緒に
    バスケしたいんです」
    「そうか。そりゃあいいな。またお前とチームが組めるのか」
    よかった。清田はリハビリしようとする意思がある。俺と一緒にバスケをしたいから・・・。
    あ、心臓が・・・早くなったような・・・。
    「リハビリ手伝うよ。俺が顔出したら一緒にやろうな」
    「はい」
    「リンゴ食うか?」
    清田の横にある机の上にあったリンゴを手に取り清田に問う。
    「食いたいです」
    「ちょっと待ってろ」
    俺は嬉しかった。
    清田ともう一度話すことが出来て嬉しかった。
    嬉しすぎて、俺は気付かなかった。
    清田がリンゴをむく俺の姿を、とても悲しそうな目で見ているのに。
















     6月も半ばに入って、俺は母校の県大会決勝リーグに足を運んだ。
     今年の決勝リーグは、海南・翔陽・陵南・湘北と神奈川ベスト4の高校が揃って戦国時代となっていた。
     先ほど終わった試合は、湘北対翔陽で、延長戦の結果、90対88で湘北に白星がついた。
     『第二試合、海南大附属高校対陵南高校の試合に先立ち、両校のスターティングメンバ−を紹介いたします』
     「お、牧の学校だな」
     最近の高校バスケ界は、大学バスケ界に劣らなくなってきていて、大学も高校の試合を見に来る。
     今年の優勝校は神奈川から出る・・・と噂されるくらい今年の神奈川のレベルは高く、このベスト4校のどこが全国に行っても
     おかしくないほどだ。
     『紫のユニフォーム。4番神宗一郎君』
     ワーという歓声と共に神がコートに出てくる。
     ・・・前より細くなったように感じる。
     「去年、2年ながら得点王とベスト5に選ばれている。3ポイントは勢いに乗ったら誰にも止められない」
     加藤先輩はデータブックに書いてある神の説明文を読みながら感心している。
     「二年で得点王はすごいな。お前より得点してたんだろう?」
     「・・・俺はガードでしたからガンガン得点しにいくポジションじゃありませんよ」
     「にしても3ポイントの確率が並じゃなく高いな」
     俺の話しを無視して加藤先輩は神の3ポイントの確率を見て驚いてる。
     「80%くれーあるんじゃねーのか?でも今年に入ってからは不調らしいな」
     「去年の選抜は散々でしたよね。注意力散漫だったとか」
     「牧が抜けてすぐの試合だったんだ。いろいろと立てなおしが大変なんだよ。牧のことだ。全部自分でやってたんだろう?」
     「・・・まあ・・・」
     それでも、あの荒れ様は、神らしくなかった。あんなに乱れたシュートフォームで打つ神、初めて見た・・・。
     選抜はそのせいで、湘北にはじめて神奈川bPの座を譲ってしまった。
     「・・・にしても、彼、随分と細っこくない?」
     「月刊バスケで、彼は191に対して75だって書いてますよ。バスケ選手にしてはかなり細い方ですよね」
     細くても、彼ほど頼りになった奴なんかいない。
     『続きまして、白のユニフォーム。4番、仙道彰君』
     ワー、キャーといった黄色い声が会場をつつみこむ。
     「うわ、なんてファンがいるんだ、この仙道には!」
     「まったくだ。だが、彼は間違いなく神奈川bPプレイヤーだ」
     加藤先輩の自信のある言葉に、俺は少しむっとしてしまった。
     ・・・俺の後を継ぐのは・・・あいつのはずなんだ。
     試合が始まってから、海南は押されっぱなしだった。
     去年より力をつけた仙道が初っ端から勝負をしかけ、その底知れないスタミナも手伝ってか、前半が終わった時点で、
     すでに20点もの点差がついていた。
     「どうした海南〜?」
     「18年連続優勝は無理なんじゃね〜の?」
     横の方で声がして、ムカッときた俺はそっちを睨み付ける。
     「・・・おい、あれって、牧?」
     「去年の海南のキャプテンの、あの牧か?」
     「牧が抜けてから海南は弱くなったからな。悔しくて仕方ね−んじゃねーの?」
     俺が抜けたからって弱くなるような海南じゃない!
     そう、そうなんだけど、神・・・・
     まだ、清田の怪我のこと、頭から離れてないんじゃないのか・・・?
     目の前で、綺麗なはずの神のフォームが、思いきり崩れて、ボールがリングにガツンと当たった。



     『18年優勝叶わず!!海南インハイ予選敗退』
     月刊バスケの表紙を最悪な文字が飾った。
     海南大附属、3戦0勝で神奈川4位。インハイへは湘北と陵南が行く事に決まった。
     俺は大学リーグが近づく中、海南へと足を運んだ。
     学生はもう期末の日が近づいていて、体育館にいる部員もまばらだった。
     「神!」
     ゴールの下でレイアップシュートをしていた神を見つけ、声をかけると神はゆっくりと振りかえった。
     「牧サン!お久しぶりですね。お元気で?」
     「ああ。相変わらずバスケばっかな日々だよ。海南よりつれーよ」
     クスクスと笑う神の腕を掴んで俺は水飲み場まで連れていった。
     「もう〜、なんですか、牧さん、俺レイアップやってたから牧さんにフォーム見てもらおうと思ったのに」
     まだクスクス笑っている神に、俺は清田のことを話した。
     「この前な、清田に会ってきた」
     「・・・元気でした?」
     「顔色が悪かったけど、人の顔見るなり元気になってたぞ。リハビリもちゃんとやって、もう一度現役復帰を目指すってさ」
     「・・・そうなんですか。最近忙しかったから全然ノブに会いに行ってなかったから知らなかった・・・」
     神は笑っているけど、目が笑ってない。
     「・・・神・・・お前が清田の怪我の事、背負わなくてもいいんだよ」
     「別に、背負ってなんかいません。自分が悪いと思ってる、ただそれだけのことです」
     「嘘つくな!じゃあ神奈川予選はなんだったんだ!お前、自分があんなにシュート外して、心ここに在らずだったじゃねーか!」
     両肩を掴んで抗議すると、神は軽く舌打ちをしてから、ものすごい力で俺の両腕を振り払った。
     「牧さんにはわからない!俺がどれだけつらい気持ちになってるか!あなたには絶対わからない!」
     「何がわからないって言うんだ!清田がいないって事、俺だってつらいさ!ちゃんとわかってる!」
     「違う!そのことじゃない!牧さん、全然わかってないんだよ」
     「神!」
     「俺は・・・俺は・・・・っ!!」
     神は大きく頭を振り出した。
     「じ、神?!」
     神の異常に気が付いても、俺はどうしていいのかわからず、ひたすら名前を呼びつづけた。
     「おい、神、」
     「・・・俺、ノブが好きなんです・・・」
     「あ?」
     突如聞こえた言葉が、良く理解出来なくて。
     「ノブが好きなんです・・・っ!」
     がくっとくずれおちていく神にあわせ、俺も腰を折る。
     ・・・なんだって・・・?
     「神・・・・・」
     「ノブが一番好きだったバスケを、俺は・・・・。一番好きな人の一番大好きなものを・・・俺は奪ってしまったんだ・・・・」
     神の顔が歪んでいくのが判ってしまうと、俺は自分の心に大きなとげがささったような感触に襲われた。
     神が不調だった理由・・・。
     好きな人間からそいつが一番好きだったものを奪ってしまった罪悪感。そして自分への自己嫌悪。
     俺は、もう何も言えなくなってしまった。
     こんな事を神の口から言わせてしまった自分の愚かさが憎かった。
     そして。
     ・・・・なんで、俺、今こんなにショック受けてるんだろう・・・
     神が清田を好きだった。
     その事実がなんで俺にこんなにショックを与えたのかが、自分自身でもまったくわからなかった。




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