ふ、と目を覚ますと、辺りには何もなかった。
いや、何か存在しているものはあるのかもしれないが、自分の目には何も映らなかった。
暗い。
暗い。
霧のような曖昧な闇が視界を遮り、身体は泥濘に沈んだように何の感覚もない。
果たして自分はどこにいるのか、立っているのか伏しているのかすらわからない。
底なし沼に引きずり込まれたような気分だった。
ここは、どこだ?
なぜ、私は・・・私、は?
頭の奥に浮かんだ疑問とともに、ゆっくりと意識が明確になってくる。
私は、そう、何だったか・・・何かを強く求めていたはずだ。
その『何か』が呼び起こした激情が私を突き動かしていた、はずだ。
目を閉じ、それを思い出そうと集中する。
思わず握りしめた右手に、硬い感触を感じた。
――あ。あ、あ、これ、は。
瞬間、断片的な感覚が次々に浮かび、消えていく。
湿った土を蹴って進む己。
蹴りあげた草の青いにおい。
握りしめた柄の感触と、慣れた重み。
わずかに舌の上に感じる鉄錆の塩辛さ。
そして、目の前に立つ、金色の鎧をまとった――
「い、えや、す」
そうだ。
私は、奴を殺すために、そのためだけに動いていたのだ。
奴のところまでたどり着いた記憶はある。
それから――どうなった?それから――
思い出せない。
「なぜだ・・・」
なぜ思い出せないのか。
なぜこんなところにいるのか。
そもそも、ここはいったいどこなのか。
あれだけ強く己を突き動かしていたあの感情すら、今はどこにも見あたらない。
ふらり、と足を前に出す。
「・・・刑部」
いつも己の側にいた男の名を呼ぶ。
どこからも返事はない。
ふらり、ともう一歩進む。
「・・・秀吉様」
己にとって神にも等しかった存在を呼ぶ。
また一歩、ふらり。
「・・・半兵衛様」
ただ一人、神の隣に並べるお方の名を呼ぶ。
―ふらり。
―ふらり。
なにもない。
だれもいない。
どこにもいない。
―ふらり、ふらり。
「・・・いえやす」
かつては同じ旗の下にいた男。
己の神を殺した男。
少し前まで、抜け殻の自分を突き動かしていた男。
いない。
どこにもいない。
―ふらり。
「・・・ひでよし、さま」
いない。
―ふらり。
「・・・いえ、やす」
いない。
どこにも。
―ふらり、ふらり。
「あ、あ・・・?ひでよしさま・・・、いえやす・・・?」
なにもきこえない。
なにもみえない。
なにもない。
なにも。
―ふらり。
「あ、あ・・・わたしは・・・わたしは・・・?」
―ふらり。
「・・・ひでよしさま」
―ふらり。
「・・・いえ・・・」
―ふらり。
もう、なにもわからない。
己のそばには、もう、なにもなかった。
『・・・あ、あ・・・ああ・・・!』
どこかで、誰かの泣く声が聞こえた気がした。