ぱたぱた、と廊下を走る音で目が覚めた。
どうも新年の宴の準備をしているらしい。
そっと障子を開けてのぞいてみると、みなあわただしく走り回っていた。
だがそれでもどこかうきうきしているような雰囲気が漂っている。
まだ薄暗くはあるが、夜明けは近いようだ。

「あ、申し訳ありません!やかましゅうございましたか?」

古参の女中がこちらに気づいてそう言うのに、気にするな、と短く返す。
昔から家康に仕えてきた彼女には、それだけではっきりと家康が怒っていないことがわかるのだ。
だから彼女も、わかりました、と簡潔に応じただけでさっさと自分の仕事に戻っていった。
あれだけ忙しそうだと少しくらい手伝ってやりたくもなるのだが、子供のころになにか手伝いたいと言ったら、 それでは私どもの仕事がなくなってしまいます、殿は殿にしかできない仕事をなされませ、とやんわりたしなめられたのを思い出すのだ。

「わしにしかできぬ仕事、か」

そうたしなめられて10年あまりの月日が過ぎたが、その仕事はなかなかに難しい。
できるなら血を流さず、自分を信じてついてきてくれる者たちだけでも無事に家に帰してやりたいのだが、 やはりそううまくことが運ぶわけもなく、先に逝ってしまった者はたくさんいる。
それでも、自分の信じる道を進んでいくしか方法はないのだ。
しばしそんな考えに沈んでいると、誰かが障子の外から呼ぶ声が聞こえた。書状を届けに来たらしい。
障子を開けて受け取り、表書きを見ると、家康は淡い笑みを浮かべた。





庭にはうっすらと雪が積もっている。
これじゃ冷えるな、と思いながら家康は石畳の上を歩いて離れに向かう。
母屋とは違って離れは静かだ。雪が音を吸い込むから余計にそう思うのかもしれなかった。

「忠勝、起きてるか?入るぞ」

そんな静寂の中で家康の声はやけにはっきりと響いた。
戸を開ければ忠勝が家康のほうを向いて座っている。いつものことだ。

「ああ、寒かった」

そう言った家康はなかば飛びつく勢いで忠勝に抱きつく。これもいつものことだ。
そしてもぐりこむようにして忠勝の腕の間におさまると、家康は懐からさっきの書状を取り出した。
薄暗い中でも黒々と鮮やかなその字を見て忠勝は目をしばたたく。
独眼竜からだ、と忠勝に笑いかけて家康は書状を開いた。

内容は実に簡潔だった。
時候の挨拶と、新年だが奥州周辺が騒がしいので挨拶には行けそうにない、ということ。
それから最後に、『Happy New Year』の文字。
新しい年を幸せに過ごせるように、というような意味の、南蛮の挨拶だそうだ。

「ま、相変わらずのようだな」

しかし幸せに過ごせるように、というのはなかなかいい、と家康は続けた。
その言葉の含むところを正確に汲み取って、忠勝は腕の中の家康をそっと抱きしめる。
そして家康もまた、わずかのずれも誤解もなくその行動の意味を感じ取る。

「今年もがんばろうな。せいいっぱい」



自分のできる限りの力をふるって、自分の信じる道をまっすぐに。
ひとつでも多く、捨てることなく背負っていけるように。

そして、一日でも早く天下を取って。

みなが幸せに過ごせるような世の中を作るのだ。
それは果てしなく遠い夢だが、叶えなければいけない、叶えたいものなのだから。



どこまでも清冽な冬の朝の空気が次第に光で満たされていく。
そのさまを静かに見つめるふたりのそばで、火鉢の炭がぱちりと音を立てた。










おしまい

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