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からの、続きです!
上映開始は元々、11月6日を予定していたと言う。本作の主人公が被る仮面のモデル「ガイ・フォークス」の処刑記念日が11月5日なのでそれを意識しての事だと考えられる。わざわざ5日丁度では無く次の日にしたのは…「ガイ・フォークスの理念を継ぐもの」Vをイメージしてこの日取りになったと想像される、が…。
諸々の事情で11月6日の上映は実現せず、翌年2006年の「3月17日」に米国での上映が開始された。その日はアイリッシュの祭り「聖パトリックデー」にあたり、アイリッシュ以外の民族も飲む口実としてこの日を世界中で大いに祝うと聞く。「聖パトリックデー」にはアイルランドのイメージカラーである緑色で町中が飾られ、凄い時には川が緑に染められてしまったという……。
ここから突拍子も無い想像に入るが、まさか「V フォー ヴェンデッタ」はマトリックスシリーズと何か繋がりを意識して作られていはしないか。
11月5日は「レボリューションズ」世界同時上映が行われた日でもある。「V フォー ヴェンデッタ」の上映予定日が発表された時、真っ先にレボリューションズの次の日だと思った人は居る筈だ。また、実際の上映日は一見単なる祝祭日だが、町中が緑に染め上げられる日でありマトリックスの「グリーンカーペット」を思い出す。
そういえば「既に有るロックの曲をエンドクレジットに流す」という手法も、「マトリックス」第1作を露骨に意識している。しかし主題歌となった「ストリート・ファイティング・メン(ローリング・ストーンズ)」の文句は、「本当はもっとでかい事がしたいのだが、俺にはロックを大声で歌う事くらいしか出来ない」といった意味で、取り敢えず目的を果たしたVにはいささかふさわしくない。
想像だけで言い切るわけに行かないが、この曲の選択には何か「本当はマトリックスを更に作り込みたい所だけれどあれは危険すぎて出来ない、今の自分達にはこんなくそ映画の振りをして誤魔化して世に出したものしか作れない」といったような、メタフィクション的なものを感じる…。
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以下にその一部を挙げる。映画は長さが決まっているし、過激な表現をし過ぎると成人指定となって客が少なくなるから、ある程度場面が切られるのは仕方ないが…。「V フォー ヴェンデッタ」が同名の原作漫画と大きくニュアンスが違う点と言えば、何と言っても、唯一まともな人物だと見られる「フィンチ」の役回りの違いだ。原作ではVの事を恋人の敵として追いつつ、理念にはちょっと賛成し、Vを殺しはしたが屋敷の場所は他人に喋らなかった。映画ではご存知の通り、完全に賛成しているようにすら見える素振りを…。
また、イヴィーが原作と比べて自分からアクションを起こす事がある点も見逃せない。
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イヴィーは少女(だから、とある場面でロリコン親爺の相手をするというネタが成立する)、貧しさから春を売ろうとしていた。彼女が頼りにする男性ゴードンの登場は話の途中。→一応成人、TV局に職を持つ。着飾って外出したのはゴードンと会うため。映画では始めから親しい関係だった。
指導者アダム・スーザン→アダム・サトラー。原作が「サッチャー政権」を暗に批判していた事を受けて、サッチャーとヒトラーをもじった名前に?
薔薇はバイオレット(violet)カーソンという実在の薔薇→スカーレットカーソンという架空の薔薇。
プロセロ、強制収容所のセットで己が行いを見せ付けられ脂汗。仕上げに可愛がっていたモノを焼却炉で焼かれ、発狂→自宅の鏡張りの浴室、薬かサプリメントが山のようにある。そこで殺される
イヴィー、行き場が無くて影の画廊に拾われる。ある日Vを男の人として求めた途端、追い出される。その後ゴードンと暮らすように。→TV局内で危機に陥ったVを助けようとし、その騒ぎで気絶したため影の画廊に匿われる。その後Vの暴力的なやり方に呆れて自分の意思で逃げ出す(変なキッズファッション姿で…。)。
Vが指導者の為に用意した取って置きの薔薇、ローズマリー…元・秘密警察高官の妻。夫はVに殺される。生活苦から政府を恨んでいる。最後に指導者を殺すのは彼女。クリーディーはローズマリーの夫の後任。Vの起こす混乱に乗じてクーデターを企てるが…?→ローズのエピソード無し。指導者はクリーディーとVの取引によって死ぬ。
ローズマリーの夫はVをインチキ空手野郎と罵るが、秒殺されてしまう。→クリーディーとVの対決場面でインチキ空手発言が出てくる。
Vについて調べ上げた挙句のフィンチ、Vの心境を知る為幻覚剤を摂り「影の画廊」の場所を悟る→幻覚剤は摂らず自力で全てを洞察する
指導者は全てを統括するシステム「フェイト」にはまっていた。Vは「フェイト」をコントロールし、ネットオカマとして指導者に語りかけ混乱に追い込む。また、Vは自分の葬式の用意もしており、最後にわざと死ぬつもりであるようだ。→指導者サトラーは人前に出ず、いつもでっかいTV画面越しに部下と接する。そんな指導者を引きずり出すため、Vはクーデターを企てているクリーディーに目をつけ、自身の命と引き換えに彼と取引する。
影の画廊を探し当てたフィンチ、Vを撃つ。Vの気迫に驚くが、Vが大量の血を流したのを見て「やっぱり人間じゃねえか」と勝ち誇る…ただし、何故かVの屋敷の場所は他言しなかった。一人燃えるロンドンを背に去る。→着いた時にはVは死に、イヴィーが最後の爆破に取り掛かっていた。フィンチ、これを黙認したばかりか、イヴィーと共に爆破を見物する。
フィンチがデリアの仇とばかりにVを撃つ。一方、クーデターの夢破れ自分の部下に殺されるクリーディー。→欲に駆られてサトラーを売ったクリーディー、そして部下達が約束通りVを撃つ…Vは命尽きる前に、ものすごい気迫でこのクリーディーらを驚かせ(原作フィンチとの対決場面に似ている)、そしてちゃっかり始末している。
イヴィー、Vの死後同じ仮面を被り暴動を促す。かつてのVと同じやり方でドミニクを仕込もうとする。→仮面は被らない。暴動はVの送ったメッセージに付き合って人々が続々集まり起こる。ラストにドミニクは出て来ず、イヴィーはフィンチをVと同じ口調で爆破見物に誘う。
以下にその一部を挙げる。 ■
映画冒頭で、まるで「ロード・オヴ・ザ・リング」の指輪創造場面の様に厳かに、ガイ・フォークスのイメージ映像とナレーションが流れる。
TV局内でピンチに陥ったVを見つけ、とっさに助けようと体が動き、狙いも正確に敵にスプレーをぶっ掛けるイヴィー。
Vの財産は敵が押収品を貯めている蔵から奪い返した盗品だと明言。
岩窟王を観るシーン
卵料理のシーン
ゴードンはテレビマンで、サトラーとVをモチーフにコントを作る。実はゲイ。家の中は影の画廊に似ている。
神様は雨の中に居ると言う意味深な台詞
イギリス中に例の仮面が配られ、そしてラストで使われる