ここにあるコンテンツは、なにもWarner.Bros.以下関係者一同の諸権利を侵害したくて作ったものでは御座いません。考察です、考察。

お祭りファイル
有力新発見・オブ・レボリューションズ

クレーター内における攻防の謎と、その明確な回答

 スミスの顔面がグワーンと大きく変形する事で有名なあのパンチシーン。あれが不当に貶められているのではないかと云う考え自体は、随分前から主コンテンツ内虚無主義対愛の拳…しかしの章で示してきた。 しかしここに来て、漸く物証に近いモノを得た。答えは3Dポリゴンで描かれた場面の、始まりの一瞬から主に得られた。

 3Dポリゴンで描かれたあのパンチそのものと、その前後の実写場面をよく観察してみる。
 先ず直前の実写場面。スミスはアンダーソン君に大振りに数発パンチを放つが、全てネオは腕で受ける。
 ジャーンと音が鳴り、スミスの攻撃を受け止めているアンダーソン君のアップ。
 そして3Dポリゴン映像に移り、アンダーソン君がスミスをぶっ飛ばす。
 実写に戻り、右パンチでスミスをぶっ飛ばすアンダーソン君が様々な角度から繰り返し映される。どうやら先ほどのCG場面を繰り返したつもりらしい。

 この一連の流れの中で、ポリゴンと実写ではアンダーソン君とスミスの動きが全く違うのだ。3Dポリゴンの二人の位置関係を見ると、実は映画とは違うよりダイナミックな攻防からあのパンチの場面に入る筈だったという事が簡単に想像できる。
 実写場面ではスミスがフックを数発繰り出し、アンダーソン君はそれをその場に突っ立って受けている。仕舞にはジャーンと音が入り、戦いの流れは一旦ストップする。これだと、次に続く3Dポリゴン場面でスミスの視線がアンダーソン君からずれている訳がまるで解らない。またパンチ後の実写場面を見ると、雨粒は普通の速度で落ちざるを得ず、CG場面にはどうしても劣る「普通のパンチ」にしか見えない。その上、問題のパンチはスミスが吹っ飛ぶ直接の原因にはなっていない。
 対して3Dポリゴンでは、アンダーソン君の体が大きく傾いでいる。アンダーソン君は一瞬のうちにスミスの攻撃をかわし、同時に大きく振りかぶって自分の次の行動に移っていた。スミスの視界からずれた所にアンダーソン君が居たのはその所為だったのだ。 また、それにしてもアンダーソン君は右の拳を大きく引いており、突っ立った体勢からではこうはならない様に思われる。
 この3Dポリゴン場面直前にもっと動的な攻防が有った筈だったと考えても良いだろう。
 そして、全く落下しない雨粒の中、停止した時間の中をアンダーソン君の拳が進み、標的を打つ。
 息もつかせぬ攻防、そして必殺技という流れとしか思えない。

 結果的に出来上がったおかしな映画。果たして3Dポリゴンと実写、どんな順番で出来たのか。 アニメに合わせて人が後から動くのは無理があるし、3Dポリゴンは今までにもまして実写と紛らわしい出来栄えの物が作られている。面白い方の実写シーンがまず有って、それにスムーズに繋げる形で問題のCGが出来、その後にムリムリ現行版のつまらない攻防がくっつけられた…どうだろうか。
 実際、メイキング映像に「アンダーソン君がスミスの拳を左腕で払う実写映像」がある。後発のBOXセットからのネタで恐縮だが…レボ・リビジテッド→anatomy of the super punch中の、始めあのパンチを実写で撮ろうとしたが、実写を超スローにするとどうしてもプルプルして巧く行かないので止めたという場面だ。ここで両者はCGと同じダイナミックな体勢をしている。

 要は何度も言う様に、妙な実写場面の所為で、アンダーソン君更なる覚醒の場面であった筈のものが実際の映画では単なる1発のパンチというだけの意味しか持たぬシーンに作り変えられていると言う事だ。何故、映画の展開しかも3部作の締めを台無しにしてまで、わざわざ変な実写映像を作ってCGと繋げたのか。折角苦心惨憺して作り上げたCGと。
 「そもそもアレは、とんでもない強さになった二人を表現するために、只のパンチ一つをクローズアップしてみたという場面である」?アップに堪えるCGであの場面を作り上げ、さらに雨粒は落下せず完全に止まっていたり、コードを模した長い形になっていたり、更にアンダーソン君の拳に触れて砕ける時光っていたりと嫌ほどあの場面をドラマチックに演出した目的が只のパンチか。その説は苦しいだろう。ナニ、役者の格闘能力の所為だ?!無い、無い。如何にもならなければ、代役は立てられるのだ。例を挙げれば、スカイバーン内での攻防の一部は代役チャド・スタールスキー氏の演技だと公表されている。
 わたしは今まで通り、「それは、何らかの外圧によって、この映画の主張をぼかし台無しにせねばならなくなったからだ」と言うつもりだ。

ゲーム「Path of Neo」最大の必殺技「メガ・パンチ」

 ゲーム「Path of Neo」終盤も終盤、ネオは「空中戦」ステージに出てくるクレーターの中で究極必殺技「メガ・パンチ」を習得する。それは、ネオがスミスに雨霰とパンチを浴びせた後に、例のCG場面と同じようなカットインが入るというものだった。
 しかし、映画の展開を考えるとこれは微妙におかしい。あの展開では、ネオに必殺技など無かった事になっている。

 わたしは極めてナチュラルに、「メガ・パンチ=必殺技」を受け入れた。以前主コンテンツの「Path of Neo」特集(参考リンクここ)でメガ・パンチについてあまり語らなかった理由は、考えるまでも無く自然に存在するものとして「必殺技メガ・パンチ」を認識してしまったからだった。あのゲームを遊んでみた人がどれだけ居るか判らないが、恐らく多くの人がそうだったのではなかろうか。更に突っ込んだ事を言えば、クレーターの中でそれまで謎のままだった究極の技「メガ・パンチ」を突然覚えるという展開からは、ネオがここで開眼したという事が読み取れる。
 同じ場面の扱いは、映画よりゲームの方が余程真っ当だと感じられる。以前わたしは主コンテンツで「Path of Neoには監督の本音が反映されているのではないか」と大上段に振りかぶったが、このメガ・パンチに対する扱いも…

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