トレインマン?

 境の駅へ通じる電車を運転するトレインマン。

 ゲーム「エンター・ザ・マトリックス」での彼は輝いていた。前のザイオンが持ちこたえた 時間は72時間…と不気味に呟くシーンだ。
 そのときは誰にも仕えない、死神のようなキャラクターに見えた。

 しかしレボルーソンでの彼は、メロビンジアンにへつらっており、下卑ていた。一体?

 彼の服装は、これまでに登場したどの人物よりもその職にふさわしくないように思われる。
 ぼろをまとい沢山の時計を抱えた姿は映画を観ている客からホームレス呼ばわりされ、衣装担当キム・バリットが言うような 神話的な雰囲気を出せていないようだった。

 ここで発想は少し飛躍するが、構想段階での彼は電車の運転手だけしているキャラではなかったのではなかろうか。 たとえば彼の職業が死神そのものなら、沢山の時計は色々な人の持ち時間を計るために持っている商売道具だと言えるし、ぼろを着ているのもなんとなく納得がいく。
 まああのままでも、世界から世界へプログラムを運ぶ彼は「死神的」としよう。ただ、それでも電車にあまりにも味気がない事が気になる。
 ヤツがまるで神話的に見えないから、「境の駅はトレインマンの領分であり、あそこでは彼が神だ」と説明されても、あんなものにアンダーソン君を吹き飛ばす資格はないと多くの観客が感じ、 苛立ったのだった。

 それに、よくよく考えてみたら、トレインマンがやたら強いというのは何となく変だ。
 「アンダーソン君は無敵だ」というお約束があるからこそ、ザイオンはいわば<ネオ教>の下に一つにまとまり、機械への反乱を試みる。それで機械は、効率よくザイオンに移り住んできている人間達を殺せるし、むこうが反乱を仕掛けて来るから殺す口実もある。

 とにかく、アンダーソン君が無敵だというストーリーは、彼がソースに帰りザイオンの人間がすべて死に絶えるまで崩しては困るものではないのか。
 <ネオ教>がなくなってしまったら、ザイオンの人間達は戦争に勝てると思わなくなる。すると、好きな異性を連れてどこかにとっとと逃げ、ひっそり生き残って子孫を増やすかもしれない。コンピュータにとっては、例外的な人間達にバラバラに生き残ってもらっては、殺す手間が増えて困るのだろう?

 境の駅での出来事なんて誰も見ないだろうとか、もうアーキテクトの部屋で全部喋っちゃったからとか、今日でザイオンは滅びるからもうネタばらししても大丈夫だろうとか、そういう細かい工夫が機械に出来るとは思えない。なにしろ25万のザイオン住民に25万のセンチネルだ。

 このトレインマンのエピソード、ちゃんと考えて作ったのであろうか?
 「トレインマンが作った世界だからトレインマンが最強である」というエピソードは、終盤の「わたしの世界だ、わたしのものだ!」&格闘に嫌気が差してきた顔のアンダーソン君に繋がる伏線であると考えられる。
 しかし…その終盤の場面は、後述するが酷い出来なのだ。そのエピソードも伏線となるトレインマンのエピソードも、あまり練りこまれずに作られたエピソードとわたしは考えている。

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