涅槃

 ―――この「涅槃」の章は、映画自体を観察して素直に思ったことより
わたしの後付した部分が多い。ご容赦あれ―――

 映画は終わり、エンドクレジットのバックに歌が流れる。その歌は前2作のエンド・クレジットに使われた一連の激しい曲とは趣を異にしていた。
 メロディーラインがまるで仏教のお経のように聞こえたのだ。
 後で歌詞を調べたところ、アンダーソン君を称える内容であった。しかし、どうやら頭としりの歌詞は「ウパニシャッド」から引用した言葉らしい。

 はて、マトシリーズ用語の出典といえば、キリスト教とギリシャ神話、それに「不思議の国のアリス」…西洋の哲学だったのに、突然インドのありがたい奥義書。

 このことに気がついた時、わたしはこの歌が必要な理由をこんな風に想像した。

 このエンディングテーマは、天使と悪魔がいるキリスト教の世界観ではなく全存在に仏性を見出す東洋の考え方を想起させるものであり、決着がついたとはいえないレボルーソンの物語を、「誰かに悪役を押し付けて終わるのではない尊いものだ」と観客にムリヤリ納得させる効果があると。

 そして、アンダーソン君の生死について「涅槃に至った」とわたしは解釈した。
 そう、倒れたアンダーソン君の本体が銀幕から消える直前、蓮の花のような光が重なっていた。蓮の花といえばお釈迦様の花。 お釈迦様は、複数回復活するキリストと対照的に、涅槃に至っている。涅槃とはもうこれ以上転生する必要がない状態の事である。
 アンダーソン君は涅槃に至った、御釈迦、お陀仏、仏さん、お仕舞、終わり、完、fin、THE END、故アンダーソン君だ、むしろ元アンダーソン君だ、もう起き上がらない!!

 だからアンダーソン君=ネオにはもう会えない。
 わたしだって、アンダーソン君がこうなる可能性が全くないとは思っていなかった。しかし、同じ形で終わるにしても色々描き方はある。
 こうなったからには、アンダーソン君=ネオが復活する必要がない位に事態解決が大きく進められた、といえる状況であって欲しいではないか。

 しかしここでオラクルはネオにまた会える等と言っている。
 オラクルの言う「ネオ」はアンダーソン君の通称ではなく、リロードのためのプログラム「THE ONE」のアナグラムとしてのNeoであると考えられる。 ………今回はザイオンを潰さなかったものの平和は続く限り続くものでしかないということは、そのうえでTHE ONEがひきつづき実行されるということは、事態はまるで変わらなかったと言えよう。
 あまりにも気味の悪い朝焼けの画像が、今もたらされた安定はすぐにもぶっ壊れるものだという事を暗示する。

 「涅槃」とはただの自己完結の事かね、アンダーソン君?そりゃあなしだぜ。

 それに、「誰も勝たない」でも述べたとおり、蓮の花をオーバーラップさせたアンダーソン君のカットが「逃げるようにブツッと切れた」のはどうもおかしい。 アンダーソン君が涅槃に入った、すなわち再起不能となったというこの事態も、ことによると後付けかもしれない。

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