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PiPiPi...

 聞き慣れた目覚し時計の音。いつもと変わらない朝。
 ひとつ伸びをしてから、枕元にあるトランプを手元に寄せ今日はどんな事があるのかを占う事が私の日課。
(今日は…あ、お姉ちゃんと一緒に登校できそう)
 儀式にも近いその行為を済ませ、朝陽を部屋に取りこむ。眩しい日差しの中、瞳に飛びこむ景色もいつもと
変わらない。一つだけ違うのは…少しだけ勇気を出す事。

 リビングには食卓が整っているだけで、お姉ちゃんの姿は見えない。こんな日は私の日課がもうひとつ増える。
できるだけ急いで朝食を済ませた後、2階に上がる。私の部屋の隣、お姉ちゃんの部屋をノックする。遠慮がちに
ドアを開けると、小さく寝息を立てているお姉ちゃんがいた。
「お姉ちゃん、そろそろ起きようよ。ねえ、遅刻しちゃうよ、お姉ちゃんってば」
 ゆすってみる。軽く叩いてみる。耳元で声をかけてみる。
 思いつくだけ試してみたけれど、起きたのはボタンだけだった。震えるボタンを前にして、少し罪悪感が募る。
「うぅ…。ごめんねお姉ちゃん、私、先に行くね…」
 時間も押し迫ってきている。仕方なく私は部屋を出て学校に向かう事にした。

 最寄のバス停で降りて走る。このペースなら何とか間に合いそうだった。
 その時、一定のリズムを刻む排気音が聞こえてきた。まさかと思って振り返ると、そのまさかだった。排気音は
バイク。乗っているのはお姉ちゃん。
「お、お姉ちゃん、こんな所走ったら先生に見つかっちゃうよ…」
「平気よ平気、見つかりそうになったらヘルメットで顔隠すからさ。それより頑張りなさいよ、じゃあね〜」
 お姉ちゃんは軽快に手を振りながら走り去る。その先には人影が。
「前、前見てお姉ちゃん!!」
「え?」

(ドーンッ!ごろごろごろーっ!)

「ヤバッ!一応ぶつかる直前にブレーキはかけたんだけど…」
「うーん…ちょっと膝を擦った以外は目立った傷は無いみたい。息もしてるし」
「椋、後のこと、任せちゃってもいい?ちょっと気まずいしさ…」
「えぇ!?でも、きちんと謝った方が…」
「代わりに『ゴメンね』って謝っといて!明日椋の弁当作るからさ!お願い、それじゃっ」
 そのまま、お姉ちゃんは見えなくなった。

 見たところ、撥ねられた人は地面を転がった時に数箇所汚れている以外は大丈夫そうだった。もちろん、外傷が
無いからといって安心できるわけじゃないけれど。
 湿らせたハンカチで軽く顔を拭うと、撥ねられた人が起き上がった。
「はっ!?ここ、どこ!?ボク、どうして道路なんかで寝てるの!?」
「あ、ぅ…」
 急に心臓が高鳴って、次の言葉が出てこなくなる。どうしよう、女の子だとばっかり思って接していたのに…。
私は…私は、男の人の、顔を…拭いて…。
「あれ?キミは?もしかしてボクの恩人?」
 声をかけられても、上手く反応できない。私はもう、その人を直視する事すら出来なくなっていたから。
「すすすみません、学校があああるので、しし失礼しますっ!」
 自分でもびっくりするぐらいのスピードでその場を立ち去る。後ろから何か聞こえてきたけれど、立ち止まれそう
にはなかった。


 自分の教室に着いたのは、朝のHRが始まる直前だった。クラスのお友達から心配そうに声をかけられたけれど、
『ちょっと急いで走ってきましたから…』と言うのが精一杯だった。
 まだ高鳴る胸を抑えて一息つく。それから後ろを振り返ると、空席が二つあった。一つは春原くん、もう一つは…
岡崎くん。
(やっぱり、遅刻なのかな…)
 今日こそは岡崎くんとお話をしようと思って構えていただけに、普段以上に落胆する。
 思い出すのは昨日の夜にした、お姉ちゃんとの特訓。

『お姉ちゃん、岡崎くんって占い好きかな?』
『え、朋也?そうね…あいつの事だから断ったりはしないんじゃない?』
『そうなんだ』
『それより問題はどうやって占いに持っていくかよね』
 しばらくお姉ちゃんは腕組みして考えていたけれど、やがて顔を上げた。
『椋、こういうのはどう?あいつさ、遅刻多いでしょ?』
『う、うん』
『だから、どうすれば遅刻しないですむか占ってあげる、とか言えばあいつも悪い気はしないんじゃない?うん、
それで決定。いい?今あたしが言ったこと、ちゃんと言えるまで練習するからね』

「…やし、藤林、聞いているか?」
「ぇ、あ、はい」
 いつの間にか担任の先生に呼ばれていた。慌てて私は返事をする。
「悪いが岡崎と春原が来たらこれを渡しておいてくれ」
 それは、さっき配られていたプリントだった。
「あ、はい、わかりました」

 HRが終わり、一時間目の準備をしていると、お姉ちゃんが来てくれた。
「椋、朋也はなんか言ってた?」
「ううん、まだ来てないみたいだから…」
「はぁ…まったく、あいつはどうして肝心な時に居ないのよ…。せっかく椋が待ってるっていうのに…」
「そ、そんな事ないよ。岡崎くんにも、その、事情があるだろうし…」
 でも、本当は遅刻しないで来て欲しかった。それは昨日の特訓を実践したい事もあるけれど、それ以上に岡崎くん
の事を心配する気持ちが大きかった。

 ガラッ。
 二時間目の途中、扉の開く音がした。岡崎くんだった。私はほっとすると同時に握った手に力が入った。心の中で
自分を鼓舞する。
 授業の終了の号令を終える。私は意を決して岡崎くんの席に向かった。手にプリントとトランプを持って。
「あの…」
 岡崎くんの前にきた途端、言うべき言葉が喉を通らなくなる。何をすればいいのか、必死で考える。とりあえず
プリントを先に渡しちゃおう。
「あの、これを…」
「ん…ラブレター?」
 その瞬間、私は何も考えられなくなる。なんとか否定をしても、どうしても誤解が解けないまま、とうとう最後には
果たし状とまで言われてしまい、思わずプリントを無理矢理押し付けてしまう。
「その、朝に配られたプリントです…」
「なんだ、つまらねぇ」
 どうしよう。もしかしたら私、何か悪い事でも言ったのかもしれない。このまま席に戻った方がいいのかな…。
 …ダメ、ここで戻ったらわざわざ手伝ってもらったお姉ちゃんに悪いから。もうちょっとだけ、勇気を出そう。
「あの…えっと、遅刻とかはあまりしない方が…いいと思います」
「…お前は関係ないだろ」
「で、でも…」
 やっぱり無理なのかな…。思わず泣きそうになったけど、ぐっと堪える。
「…悪かったよ、ちょっと言い過ぎた」
「あ…」
「いえ、私も出過ぎたことを言ってしまって…すみません」
 心なしか岡崎くんの顔も緩んだような気もする。
 その後、たどたどしかったけれどトランプ占いも出来た。その間ずっとドキドキしていたのは岡崎くんだったから
かもしれない。
 その日をきっかけに、少しお話をしたりトランプ占いをしたり、夢のような時間を何度か体験できた。でも、数日も
経つと、私と岡崎くんの接点はクラスメイトというだけになってしまう。


 それから数日経ったある日、突然岡崎くんに呼ばれてすごく驚いた。いつも先に声をかけるのは私だったから。
どんな用事なんだろう。私にも出来ることかな。何とも言えない期待が募る。ひんやりとした廊下の空気が、火照った
顔に心地良い。
 用件自体はそんなに難しい事じゃなかった。小柄な女の子に話をあわせて欲しい、そういう事だった。ただ、話の
内容がちょっと恥ずかしかった。でも岡崎くんに頼まれた事だから、そんな恥ずかしい気持ちも抑えられた。
 時間にしたら1分も経っていなかったと思う。気がついたら私はいつもの席に座っていた。事情はいま一つよく
分からなかったけれど、少しでも岡崎くんの力になれたと思うと満足感があった。

 それから一週間ぐらい経った頃。
 私はいつものように、お友達を相手にトランプ占いをしていた。一人ずつしか出来ないから、いろいろとお喋りを
しながら順番を待っている。普段の私なら、占いに集中しているから気付かないけれど、その日は違った。話の中で
岡崎くんの名前が出てきたから。
「最近さー、岡崎君丸くなったよね」
「あ、そうそう。前より雰囲気とか明るくなった気がする」
「え…そうなんですか?」
 どうして気付かなかったんだろう。私も岡崎くんを見かける事は決して少なくないのに。
「うん。あれは何かあったんだよ、きっと」
「そういえば最近の岡崎君、女の子と一緒の事多いよね?」
「あっ!昨日見かけた、確かあれは…」
 その後の話は耳に入らなかった。少し悲しい気持ちと、祝福する気持ち。それが心の中で廻り続けていた。

「ただいま」
 自宅に戻ると、偶然お姉ちゃんと目が合った。
「…あ、おかえり椋」
 あれ、と思った。いつものお姉ちゃんとは違う声。どことなく元気が無い様子に、私は昼休みのお友達の会話を
思い出す。薄々感じてはいたけれど、お姉ちゃんは…。
「椋…あたしさ、あたしは積極的なんだって思ってた。でも…本当はすっごい引っ込み思案だったんだって…」
「お姉ちゃんは…好きなんだよね? その…ええと…」
「……そうよ…あたし、朋也の事が好きだった。ううん、今も…好き。でも、それを伝えるのが恐くて…でも今は、
自分がバカだって、そう思う。いつまでも続くものなんて無いって分かってるのに、どうしたらいいか分からなくて…」
「きっとこういう時って、泣いていいと思うよ、お姉ちゃん…」
「…椋っ!!」
 お姉ちゃんも限界だったんだと思う。私の胸の中で、子供のように、泣いた。その姿を見て、涙を流すつもりは
無かったのに、私もいつの間にか泣いていた。
 そう、私たちは双子なんだ。お姉ちゃんが悲しいから、私も悲しいんだ。



――強がってた

 どこからか、優しい声がする。



――背伸びをしていた

 それは初めて聞く声で、でもほっとするような声。

 その声に合わせるかのように、眩しい光が私の目の前に飛び込んでくる―





PiPiPi...

 聞き慣れた目覚し時計の音。いつもと変わらない朝。
 違う。
 いつもと変わらないはずなのに、どこかで同じような光景を見た記憶が残る。普段は気にしないカレンダー。そこに
視線を送る。
 4月の…15日。つまりついさっきまでの事は…夢なのかな。
 ひとつ大きく息を吐いてから、気を取り直していつものようにトランプ占いをする。
(今日は…あ、お姉ちゃんと一緒に登校できそう)

―でもお姉ちゃんとは一緒に登校できないんだよ―

 ズキン、と衝撃が走る。今の声は一体なんだったんだろう。
 奇妙な恐怖に駆られながら、私はゆっくりとリビングに降りる。

 リビングには食卓が整っているだけで、お姉ちゃんの姿は見えない。
「お姉ちゃん、そろそろ起きようよ。ねえ、遅刻しちゃうよ、お姉ちゃんってば」
 ゆすってみる。軽く叩いてみる。耳元で声をかけてみる。
 思いつくだけ試してみたけれど、起きたのはボタンだけだった。震えるボタンを前にして、少し罪悪感が募る。
「うぅ…。ごめんねお姉ちゃん、私、先に行くね…」
 時間も押し迫ってきている。仕方なく私は部屋を出て学校に向かう事にした。

 バスに乗っている間、私は朝聞こえた謎の声の事を考えていた。耳からじゃなくて、直接脳に響くような声。でも
その声は、どこかで聞いたことのある声。そしてその声は…今日の朝の出来事を予言しているようだった。

 最寄のバス停で降りて走る。このペースなら何とか間に合いそうだった。
 その時、一定のリズムを刻む排気音が聞こえてきた。まさかと思って振り返ると、そのまさかだった。排気音は
バイク。乗っているのはお姉ちゃん。

―その先で、お姉ちゃんは人を轢いちゃうんだ―

 また、聞こえた。朝よりもはっきりと。もしこれが予言だとしたら…お姉ちゃんは人を轢いちゃう!?
「お、お姉ちゃん、人を轢かないように気をつけて!」
「何言ってるのよ椋、あたしがそんな事するのは朋也だけだからさ」
「前、前見てお姉ちゃん!!」
「え?」

(ドーンッ!ごろごろごろーっ!)

 本当に当たっちゃった…。無意識に背筋が寒くなる。今まで何度となく占ってきたけれど、ここまでピタリと的中
した事は無かったから。
 ちなみに私は今、お姉ちゃんが撥ねていった人を介抱している。お姉ちゃんは行っちゃったし、変な事を言った私も
責任があるから。とりあえず、持っていたハンカチで汚れた顔を拭う。

―その人、男の人だよ―

「だ、誰なんですか…」
 あまりに恐くて、ついその声に反応する。でも、返事は返ってこない。この上なく不気味だった。思わず耳を塞いで
みても、頭の中で、ずっと反響し続ける。
 と、撥ねられた人が起き上がった。確か、あの謎の声は…。
「はっ!?ここ、どこ!?ボク、どうして道路なんかで寝てるの!?」
「あ、ぅ…」
 やっぱり、当たっていたんだ…。私は…男の人の顔を拭いていたなんて…。
「あれ?キミは?もしかしてボクの恩人?」
 声をかけられても、上手く反応できない。私はもう、その人を直視する事すら出来なくなっていたから。
「すすすみません、学校があああるので、しし失礼しますっ!」
 自分でもびっくりするぐらいのスピードでその場を立ち去る。後ろから何か聞こえてきたけれど、立ち止まれそう
にはなかった。


 自分の席に着いても、私はずっとドキドキしていた。男の人を介抱していた事…そして、朝から聞こえる不思議な
声。どこかでこういう体験談を読んだ気がする。確か…デジャヴ。初めて見る光景なのに、どこかで見た事あるような
感覚。そういう事なのかもしれない。
「…やし、藤林、聞いているか?」
「ぇ、あ、はい」
 考え込んでいる間に担任の先生に呼ばれていた。慌てて私は返事をする。
「悪いが岡崎と春原が来たらこれを渡しておいてくれ」
 それは今度の説明会に関するプリントだった。
「あ、はい、わかりました」
 『声』の事で頭がいっぱいだった私は、うわの空の返事をする。

 次にその『声』が聞こえたのは二時間目の途中だった。

―もうすぐ、岡崎くんが来るよ―

 普段の私だったら信じないかもしれないけれど、朝からの事を考えると、これも実際に起こるんだと思う。だから
私は岡崎くんが来る事を期待しつつ、心の準備をした。

 ガラッ。
 その『声』が聞こえてから5分も経たないうちに、扉が開く音と共に本当に岡崎くんが来た。やっぱりあの『声』は
全部本当のお話だったんだ。その時からだろう。私が『声』に対する恐怖心が消え始めたのは。

 授業の終了の号令を終える。私は意を決して岡崎くんの席に向かった。手にプリントとトランプを持って。そして
ほんの少し、『声』が聞こえてくる事を願いながら。
「あの…」
 岡崎くんの前にきた途端、言うべき言葉が喉を通らなくなる。こういう時に限って『声』が聞こえてこない。もし
聞こえてくれば自信が出るのに。何をすればいいのか、自分で考える。とりあえずプリントを先に渡しちゃおう。
「あの、これを…」
「ん…ラブレター?」
 その瞬間、私は何も考えられなくなる。なんとか否定をしても、どうしても誤解が解けないまま、とうとう最後
には果たし状とまで言われてしまい、思わずプリントを無理矢理押し付けてしまう。
「その、朝に配られたプリントです…」
「なんだ、つまらねぇ」
 どうしよう。もしかしたら私、何か悪い事でも言ったのかもしれない。このまま席に戻った方がいいのかな…。

―大丈夫、岡崎くんは優しいから頑張って―

 聞こえた。私はその『声』に押されるように、勇気を出す。
「あの…えっと、遅刻とかはあまりしない方が…いいと思います」
「…お前は関係ないだろ」
「で、でも…」
 そんな…。予想外の反応に思わず泣きそうになったけど、ぐっと堪える。
「…悪かったよ、ちょっと言い過ぎた」
「あ…」
「いえ、私も出過ぎたことを言ってしまって…すみません」
 良かった。『声』のお陰でうまく話すことが出来た。それに、心なしか岡崎くんの顔も緩んだような気もする。
 その日をきっかけに、少しお話をしたりトランプ占いをしたり、夢のような時間を何度か体験できた。でも、数日も
経つと、私と岡崎くんの接点はクラスメイトというだけになってしまう。それに、私の頼りだった『声』もいつの
間にか聞く事が無くなっていった。


 それから数日後。少し前の非日常的な出来事も忘れかけ始めた頃。
 私はお姉ちゃんと一緒に教室で昼食を取っていた。最初は談笑していたけれど、ふとお姉ちゃんの顔色が変わった。
「椋…ちょっと後ろ、朋也の席見て」
 お姉ちゃんの言葉通り後ろを振り返ると、岡崎くんの横に見知らぬ女の子が同席していた。エンブレムの色を見る
限り、ひとつ下の子だろう。
 羨ましい。それが私が最初に思った感想だった。岡崎君とあんな風に楽しそうにお話ができるなんて。
「…ちょっと言ってくる」
「え、それは悪いよお姉ちゃん」
「あたしに任せて」
 意気揚揚と向かったお姉ちゃんだけど、すぐに戻ってきた。
「椋、あんたも来なさい」
「そ、そんなの無理だよ…」
「大丈夫、とりあえず立ってればいいから」
 なされるがまま、岡崎くんたちの前へと背中を押される。
 その後は、よく分からないうちにお姉ちゃんと下級生の子とが言い合いになっていた。私は状況はよく分からなくて
おろおろしていたけれど、しばらくしてお姉ちゃんが私に耳打ちした。
(椋、ここは委員長としてビシッと言いなさい。いい?)
(え…その、何を言えばいいのか分からないし…)
(うるさくするぐらいなら出て行って下さい、とか言うのよ。委員長の仕事として、ね)
(で、でも…追い出すみたいで悪い気がするし…)
(頑張りなさい、朋也を助けるつもりでさ)
(う…うん…)
 言わなければいけない。私は委員長だから。でも、本当は…
「あの…お食事中は、静かにして下さいっ」
 違う、そんな事を言いたいわけじゃない。
「もし今度うるさくしたら、その…出て行ってもらいますっ」
 私は、こんな事しか言えないの?本当は…一緒にその輪の中に入りたい、岡崎くんと一緒にお弁当を囲みたい。そう
言えたらよかったのに…。
 自分の席に戻って、ちらりと岡崎くんを見る。もう私の事は気にせず、さっきと同じように楽しそうにお話しを
していた。
 ああ、どうして、岡崎くんと対立関係を作っちゃったんだろう…。

 噂は広まるのが早かった。それから一週間もしないうちに岡崎くんがあの女の子と付き合っているという噂‐多分
本当の事だと思う‐は私の耳にも届いていた。終わった。よく分からないけれど私の中で何かが、終わったんだ。
 もしあの時、咎めるんじゃなくて仲良くなろうとしていたなら…もしかしたら、こんなモヤモヤした気持ちは消えて
いたのだろうか。答えは出てこない。

 それからまた一週間が経った。岡崎くんとはずっと会話できないまま。一度だけ、お姉ちゃんがあの女の子と色々
もめていたみたい。でも、それからお姉ちゃんはため息をつくことが多くなった。
「あのさ椋…あの子の事どう思う?」
「そんなに悪い人じゃないと思うよ。ほら、生徒会長にも立候補するぐらいだから」
「そうね…。はぁ…あたしって本当、バカよね…何の根拠も無いのに、朋也はあたしのものだと勝手に思い込んで、
一方的に八つ当たりして…」
 そんな事無い。お姉ちゃんは優しすぎるから。岡崎くんの事が誰よりも好きだから、いっぱい考えすぎちゃうんだ。
そう言おうと思っても口にする事が出来ない私は、お姉ちゃんより、よっぽどダメなんだ…。



――懐かしい日々

 この優しい声…いつか、聞いた事がある。あれは…。



――足音が耳に残る

 安心感が私を包み込んでゆく。そうだ、私はこれを知っている。この感覚…眩しい光。





PiPiPi...

 聞き慣れた目覚し時計の音。いつもと変わらない朝。そう、そのはずなのに。
(なんだろう、この感覚…)
 この流れは、間違いなくどこかで経験した事がある。恐らく今日は…4月15日。自分でもよく分からないけれど、
不思議とそう確信できる。
 普段は気にも留めないカレンダーを見る。偶然かは分からないけれど、確かに4月15日だった。
 ひとつ息をつき、気を取り直してトランプ占いをする。
(今日は…あ、お姉ちゃんと一緒に登校できそう)

―お姉ちゃんはなかなか起きないよ―
―だから一緒に登校は出来ないから―

 …これは、私の声によく似ていた。これはもう偶然で片付けられないと思う。そして、この『声』はその通りに
なるんだ。どこでそれを知ったのかは分からないけれど。
 一応私は、お姉ちゃんの部屋に行ってどうにか起こそうとしたけれど、やっぱり無駄だった。
(お姉ちゃん、私、先に行くね)
 まだ時間には余裕があったけれど、早めに家を出ることにした。

 校門まで残りあとわずか。そこで聞き覚えのある音を耳にして立ち止まる。まさかと思って振り返ると、そのまさか
だった。排気音はバイク。乗っているのはお姉ちゃん。

―その先で、お姉ちゃんは事故を起こしちゃうよ―
―男の人を、轢いちゃうんだ―
―でも、手当ては私がしなくちゃいけないから―

 お姉ちゃんが…男の人を轢いちゃう。どうしてこんな声が聞こえてしまったんだろう。こんな嫌な事まで聞きたく
ない…。私は何をすればいいのか分からなくて、思わず耳と目を塞いでしまう。

(ドーンッ!ごろごろごろーっ!)

 この短い間に、『声』が外れるように何度も祈った。でも、それは意味が無かった。耳を塞いでいるのに聞こえる
大きな衝撃音が、強引に私を現実へと引き戻す。『声』に逆らった未来は無いと、思い知らされる。

 お姉ちゃんに轢かれた男の人は、見たところ特に大きな怪我は無いように見えた。ただ、まだ起き上がらないので
どうしても最悪の事態を想像してしまう。
「あの…大丈夫ですか…」
 とりあえず、ゆすったり声をかけたりしてみる。それに気付いたらしく、ゆっくりと起き上がる。
「はっ…。ここは、どこかな?あれ、ボク、どうして道路なんかで寝てるんだろ」
「あ、気が付きましたか?」
「あれ?キミは?もしかしてボクの恩人?」
「い、いえ、そういうわけではないんです…。何と言いますか…あの、とりあえずこのハンカチ使ってください」
 私はあらかじめ水道で濡らしておいたハンカチを渡す。
「……」
「あの…どうかしましたか?」
「あ、ごめんごめん。キミみたいな綺麗な人に介抱されるなんて、ボクって幸せな人だな、と思って」
「そ、そんな…あ、そのっ、本当にご迷惑おかけしましたっ!」
 あまりにストレートに誉められて恥ずかしくて、私は無意識のうちにその場から逃げ出してしまった。でも本当は
ちょっとだけ嬉しかったけれど。


 教室に向かうところで、お姉ちゃんと合流した。
「椋…あの人、大丈夫だった?」
「あ、う、うん…」
 ついさっき言われた、あの人の台詞が頭の中でリフレインする。
『キミみたいな綺麗な人に介抱されるなんて、ボクって幸せな人だな』
「椋?どうしたの、何か顔が赤いけど。…まさか、変な事言われたんじゃ」
「え?そ、そんな事無いよ…」
 気付かないうちにまた顔が赤くなっていたみたい。お姉ちゃんに追及されそうになって、思わずごまかしてしまう。
それに、私にもどう説明したらいいのか分からなかったから。
「そう?椋がそう言うならいいんだけどね。それよりも、昨日練習した事、頑張ってね」
「うん、頑張るよ。ありがとうお姉ちゃん」
 そう、今日こそは岡崎くんとお話をしようと思って、昨日の夜お姉ちゃんと特訓したんだ。私も頑張らないと。

 HRが始まっても、胸の高鳴りがおさまらなかった。朝の出来事が頭から離れない。お姉ちゃんには『可愛い』とか
『キレイ』とか言われた事があったけれど、見知らぬ人、それも男の人から言われた事があまりにも衝撃的過ぎて。


 一時間目の途中。またあの声が聞こえてきた。

―岡崎くんが来るよ―
―次の時間の途中でね―

 私は悪い知らせじゃないと分かって、小さくため息を吐く。それから、次の時間に備えて話そうと思っている事を
何度も繰り返しながら、その時を待った。

 ガラッ。
 二時間目の途中、乱暴に扉の開く音がした。ちらりと目を向けると、やっぱり扉を開けた主は岡崎くんだった。
普通の私だったらきっとすごく驚いていたと思うけれど、不思議と驚きは無かった。それが当たり前であるような、
そんな感覚があったから。

 終了の号令を終える。私は心を落ち着かせて、岡崎くんの席に向かう。手にプリントとトランプを持って。大丈夫、
何度も練習したんだから、と自分に言い聞かせて。
「あの…」
 岡崎くんの前にきた途端、言おうと思っていた言葉が出せなくなる。自分でも分かるくらいに顔が火照ってくる。
「あの、これを…」
 そう言うのが精一杯だった。
「ん…ラブレター?」
「そ、そんなのじゃないです!」
 私は慌てて否定する。でも、どうしても誤解が解けないまま、とうとう最後には果たし状とまで言われてしまい、
思わずプリントを無理矢理押し付けてしまう。
「その、朝に配られたプリントです…」
「なんだ、つまらねぇ」
 どうしよう。もしかしたら私、何か悪い事でも言ったのかもしれない。岡崎くんにも悪いし、このまま席に戻った
方がいいのかな…。

―大丈夫、頑張って―
―岡崎くんは悪い人じゃないんだから―

 聞こえた。それも、嬉しい内容だった。その『声』押されるように、勇気を出す。
「あの…えっと、遅刻とかはあまりしない方が…いいと思います」
「…お前は関係ないだろ」
「で、でも…その…」
 思ってもいなかった反応に、思わず泣きそうになる。やっぱり岡崎くんに悪い事しちゃったのかな…。
「…悪かったよ、ちょっと言い過ぎた」
「あ…」
「いえ、私も出過ぎたことを言ってしまって…すみません」
 これで良かったのかな…。不安がほんの少し残っていたけれど、その後のトランプ占いは最後まで出来きたし、
岡崎くんも聞いてくれたから、嬉しかった。
 その日をきっかけに、少しお話をしたりトランプ占いをしたり、夢のような時間を何度か体験できた。でも数日も
経つと、私と岡崎くんの接点はクラスメイトというだけになってしまう。それに、あの不思議な『声』もそれっきり
聞こえなくなっていた。


 それから十日ほど経った朝の通学路。
「おーい!」
 誰かが呼んでいる。この声、どこかで聞いたような記憶がある。あれは…
「はぁ、はぁ…。良かった、やっと追いついた…」
 この少し女の子っぽい顔立ちは…思い出した。お姉ちゃんがバイクで撥ねちゃった人。そう分かった途端、今まで
感じた事の無い気持ちがこみ上げてくる。
「わざわざ足止めさせてゴメンね、キミに用があったから」
「用ですか?」
「うん。実は…」
 と、その時、視線の先に見覚えのある顔を見かけた。あれは…岡崎くんだ。
 ……岡崎くん!?
 その途端、なんだかよく分からないけれど、『恥ずかしい』と感じた。思わず一目散にその人の元から離れる。
どうしてこんな行動を取っちゃったんだろう、と後悔する。私はどこかヘンなのかと邪推してしまう。

 私はそれから数日後、どうしても気になってお姉ちゃんに相談する事にした。
「お姉ちゃん、ちょっといいかな?」
「ん?なになに?」
「えっと…」
 私はそこで言葉に詰まった。どう言えばいいんだろう?自分でもよく分からない事を、どうやって説明すればいいん
だろう?こんな初歩的な事を考えておかないなんて、やっぱり私はヘンなのかもしれない…。
「おや〜?その様子、もしかして好きな人でも出来たの〜?」
「え!? あう…えっと…」
 好きな…人?
 私のこの気持ちが、好きって事なの?今まで、そんな事考えていなかったけれど…。
「お?これは図星かな、どうなの?はっきり言いなさいよ、椋ぉ〜」
「お、お姉ちゃん、そんな迫られても…」
 でも、確かにあの人の事を考えると、知らないうちに赤くなって…それをお姉ちゃんに指摘されていた。
 でも、だからってそれが好きだって言えるのかな…?
 でも、あの人もすごくいい人だと思うし、私の事も綺麗な人って言ってくれたし…。
 でも、でも…。
 自分の中で答えの分かりきった押し問答が繰り返される。きっと私は…好き…なのかな。
「まあ、予想はしてたけどね。最近の椋、なーんか違ったから」
「え、そうかな?」
「時々一人で楽しそうな顔したり、唐突に顔が赤くなったりするのを見てたらあたしじゃなくてもわかるわよ〜。
それで…」
 私の耳元まで顔を寄せて、お姉ちゃんが聞いてくる。
「椋のハートを掴んじゃったのは誰なの?なんだったら協力するわよ?」
 …あれ?そういえば私、あの人の名前を聞いていなかった気がする。そう、いつも私は逃げ出しちゃっていたから。
「ええと、お姉ちゃんが、轢いちゃった人で…」
 私は言った後に後悔した。わざわざ前の傷を掘り返しちゃうんだろう。私って、バカだ…。そのせいかお姉ちゃん
も顔色を変えて言葉を詰まらせる。
「ぇ……そ、そう。まかせて、あたしも応援するからね」
「あ、ありがとうお姉ちゃん」
「……でも、椋も何とかしないとね。まずは恥ずかしがらずに話せるようにしないと」
「あう…」
「そうねぇ…」
 腕組みをしながらお姉ちゃんは考え込む。ただ、いつもと違うような気がした。どこか悲しそうな、どこか思い
詰めたような、そんな雰囲気が顔の表情から見えたような気がした。でも、顔を上げた時には、いつもの優しい
お姉ちゃんに戻っていた。
「やっぱりイメージトレーニングが大切ね。本当に椋が相手の事を好きならはっきり伝えなきゃ。まず言いたい事を
まとめて、顔を見て話せばきっと伝わるから」
「う、うん…」
「よし、それで決定ね。それじゃあ椋、今日から早速練習。いい?」
「え、でも…」
「大丈夫よ、お膳立てはあたしに任せなさい。もし断られてもあたしがなんとかするからさ。こうしちゃいられない、
あたしも準備しなくちゃ、悪いけど椋、あたし部屋に戻ってるね」
 そう言うとお姉ちゃんは早足で部屋に戻っていった。やっぱり私は、お姉ちゃんを傷つけちゃったのだろうか。
その日の夜の食卓にお姉ちゃんは居なかった。私は心の中でお姉ちゃんに謝り続けた。


 それから数日後、連休の明けたある日。
 私はいつものように委員長の仕事を済ませ、帰り支度を整える。窓のロックを確認して、教室の蛍光灯のスイッチを
切る。教室を出てお姉ちゃんと合流する。
 靴を履き替えて、学校を出たところでお姉ちゃんが立ち止まる。
「あれ?お姉ちゃん、急にどうしたの?」
「あそこに居るの…朋也よね?」
 言われてみると、確かに岡崎くんらしき人影が視線の先にあった。
「あ、その…ゴメン椋、悪いけどボタン見なかったか朋也に聞いてくれる?ちょっとした用事思い出しちゃってさ、
後から追いかけるから」
 どうしてだろう。どことなく、この前の悲しそうな顔が脳裏に蘇ってくる。でも、私は直接聞く事が出来なくて…
「分かった、じゃあ先に行くね、お姉ちゃん」
 そう答える事しか出来なかった。平静を装う自分が情けなくなる。

 自分の不甲斐なさを責めながら、うつむいて坂を下る。
 岡崎くんの姿がはっきり見える位置まできたところで、意思と関係なく足が止まってしまう。久し振りにあの『声』
が聞こえてきたから。

―岡崎くんに私が話し掛けてもいいの?―

「あ…」
 それはいつもの『声』と違った。いつもは先の事を予言するけれど、今回は…私に問い掛けている。突然の事で
その『声』が意味するところが分からない。
 私は初めて『声』を無視して、勇気を出して岡崎くんに話し掛ける。
「あの…岡崎くん…」
 その瞬間、視界が真っ白に変わり、代わりに幾つかの光景が次々に浮かんでくる。


 悲しい顔をしたお姉ちゃん。
 どこか無理をしている表情のお姉ちゃん。
 むっとした顔でどこかを見ているお姉ちゃん。

 そして…私の胸の中で子供のように泣くお姉ちゃん。


 視界が元に戻る。今見えたのは…私ではない、でも私の記憶?
 経験するかもしれなかった、別の未来…なのかな?

―岡崎くんに話し掛けるべき人は私なの?―

 『違う』
 私ではない私がもう一度問い掛けてくるけれど、今ならきっと、そう答えられる。
 話し掛けるべき人は…お姉ちゃん。

 後ろを振り返る。坂の上、一人で立ち尽くすお姉ちゃんが居た。目でお姉ちゃんに合図を送る。お姉ちゃんも…
ううん、お姉ちゃんだからこそ来て欲しい、と。
 でも、岡崎くん一人が居たわけじゃなかった事に気付かなかった。もう一人居た。それは、私がひそかに想いを
寄せている人。まだ、名前も知らなかったけれど…私が好きな人。
 どうしよう。お姉ちゃんも岡崎くんも居るのに、その輪の中で話す事なんて私にできるかな…。いろんな不安が
押し寄せてきて、当り障りの無い受け答えしか出来なくなる。言いたい言葉がうまく出てこない。
「あの…妹さん…。もしよろしければ…なんですけど」
「は、はいっ」
「その…名前を教えてもらえませんか?」
 私が言いたかった言葉を先に言ってもらった事で、不安が少しずつ晴れてゆく。
「あ、ボクは柊勝平って言います」
 柊…勝平さん。どうしてだろう。名前が分かっただけなのに、今までよりもずっとずっと、好きになってゆく。
「ふ、藤林椋ですっ」
「椋さんか…可愛くて、ステキな名前だ…」
 勝平さんの言葉が、ストレートに私の心に入ってゆく。不安な気持ちが取り除かれて、隙間から希望が覗き込む。
「そ、そんな…勝平さんも、すごくカッコイイです…」
 もう、顔を直視できない事なんて無い。こわがる必要なんて、最初から無かったんだって分かったから。

 勝平さんと二人並んで道を歩く。いろんな事が聞きたくて、いろんな事を話したくて、いろんな事を知りたくて、
自分でもこんなに話せるんだって驚いた。
「そういえば、勝平さんは何をなさっているんですか?」
「ボク?うん、今まではあちこちを気ままに旅していたんだけどね。今は、近くの病院でリハビリアシスタントを
やっているんだ」
「あ、そうなんですか?実は私、看護師を目指しているんです」
 共通の話題が出るたび、自然と嬉しさのあまり笑みがこぼれる。
「そうだったんだ。椋さんのような綺麗な人に看護してもらう患者さんが羨ましいな」
「そ、そんな事無いです。それに、なれるかどうかはまだ分かりませんから…」
「ううん、椋さんならきっとみんなに慕われるようないい看護師になれるよ、きっと」
「あ、ありがとうございます…」
 普段の私だったら恥ずかしさのあまり逃げ出していたと思う。でも、こうやって勝平さんとお話する事は、嬉しい
気持ちに包まれているような…そんな感じ。これが、好きって気持ちだと、そう思った。
「あの…椋さん」
「は、はいっ」
 不意に呼ばれて返事がうわずる。
「ええと…こんな事言うのも変かもしれないけれど…。ボクと、付き合ってください!」
 突き合う…月会う…つきあう……付き合う?
「……ぇええ!?」
「その、初めて会った時から可愛いなと思って…。もう会えないと思ったけれど、こうしてまた出会えて、改めて
椋さんのステキな一面が見られて…ますます、好きになったんだ」
「はい…」
「だから…もし椋さんが良ければ、お付き合いしたい。そう思うんだ」
「…その、私も勝平さんの事好きです。でも、ずっとそう言えなかったんです。そんな引っ込み思案な私ですけど…
よろしくお願いします」
 この時、私達は本当の両思いになれた。無意識に勝平さんの手を探して、ぎゅっと握る。
「りょ、椋さん…?」
「あ、あの、すみませんいきなりで…。でも、恋人同士ならこういう事もすると思うんです…」
「ううん、謝らなくてもいいんだ。きっとボクもこうしてたと思うから」
 私の手が握り返される。手から伝わる温もりが、心までも温かくしていく。

(ダイヤの3…クラブの10…スペードのエース…。とにかく勝平さんと私の前に障害は無いですっ)
 自分の部屋で一人、何度も何度も、同じ結果のトランプ占いをする。最近は自分の事なんて占わかったけれど…
浮かれてるのかな、私。
(そういえば、占いもお姉ちゃんに勧められてから始めたんだっけ…)
 数年前の思い出が、ふと蘇る。



『椋、新しいクラスで友達は出来た?』
『…ううん』
『あちゃあー…。椋は可愛いんだから怖がらずに話せば仲良くなれると思うんだけどねぇ…』
『でも、いいよおねえちゃん…私、話すの苦手だもん。みんなつまらない、って言うに決まってるよ』
『……ねえ椋、占いって好き?』
『うん。好きだけど…?』
『わたしもね、すっごく興味があるの。ちょっと待ってて』
 おねえちゃんは外の物置でごそごそと何かを探していたけれど、しばらくして戻ってきた。
『ほら、これ見て、椋』
 そう言っておねえちゃんが取り出したのは、表紙が革で作られてて、ぶ厚くて難しそうな本。
『ちょっと前に大きな家の脇に捨ててあったのを拾ってきたんだけど…これ占いの本なの。少しページが焼け焦げてる
ところがあるけれどね』
『へぇ、すごいね。おねえちゃん、占いができるんだ』
『何言ってるの、わたしじゃなくて椋がするのよ』
『えっ!?そ、そんなの無理だよ。私がやっても、きっと全然当たらないよ』
『大丈夫、椋はわたしと違って頭いいからすぐに覚えるって。それでわたしを占って欲しいな』
 とても無理だと思った。でも、私はおねえちゃんに押されると勝てないから、頷いた。それに、おねえちゃんを
占うくらいなら頑張ればできると思ったから。

 それから2か月、私はその本を何度も読んで、トランプを使った占いができるようになった。最初は恥ずかしくて
自分の事しか占えなかったけれど、いつの間にかおねえちゃんの事も占えるようになっていた。それに、何度もやって
いるうちに少しずつ楽しくなってくのがわかった。
『…えっと、明日おねえちゃんのクラスでテストがあるみたい』
『なるほどっ。じゃあ、明日は安心して授業を受けられるのね。ありがと、椋』
『え?』
『あ、こっちの話。それよりも椋の占う姿、だいぶ決まってきたよね』
『ううん、おねえちゃんのお陰だよ。おねえちゃんに勧められなかったら始めなかったと思うし…』
『それでね椋、今度さ、クラスのみんなを占ってあげるのはどう?きっと人気者になれると思うよ』
『そ、それは…』
『大丈夫、椋はいつもわたしにする時と同じようにやればいいんだから。あ、宣伝はわたしに任せて』
『あう…』

 次の日からは大騒ぎだった。
 おねえちゃんがどういう宣伝をしたのかは知らないけれど、私のクラスだけじゃなく隣のクラスの人や違う学年の
人まで次々に私のところへやってきた。もちろん私一人だったら全然占えなかったけど、いつもおねえちゃんがそばに
居てくれたから安心してできた。それに、お礼を言われると私も占った甲斐があるって感じられたから。

 でも、中には結果に激怒して怖い顔をして迫られた事もあった。
『おい藤林、てめぇ何が「体育館裏に呼べばケンカに勝てる」だぁ?見ろこの傷を。俺はこのザマだ。この責任を
一体どう取ってくれるんだよ』
『そ、その…占いは占いですから』
『あぁん?占いってのは当たってナンボってもんだろうが』
『ひうっ』
 そんな時はおねえちゃんが必死でかばってくれた。
『ちょっと待ちなさいよ。あんた、男の癖にいちいち占いの結果一つにこだわる訳?みみっちい性格ねぇ』
『うるせーな、俺はこいつの言う通りにしたから酷い目にあったんだぞ』
『こいつ?今椋のこと、こいつ呼ばわりしたわね?』
『何だよ、悪いかよ』
『…あんたみたいな、占ってもらうだけで努力もしない男、一生わたしの視界に入らないようにしてあげる。心から
感謝することね』

 中には結果に落胆して泣きじゃくる人も居た。
『ええと…お二人の相性はとても悪いです。あと2週間も持たないと思います』
『そ、そんな…酷いよ椋ちゃん、こんな事なら私、占ってもらわなければ良かったよ…』
『い、いえ…占い、あまり気にしないで下さい…』
『そんなの、無理だよ…。ひっく…ぐず…』
『あ、ぅ…』
 そんな時はおねえちゃんが優しくなぐさめてくれた。
『ちょっと、そんなに悲しまなくていいのよ』
『でも、椋ちゃんの占いだと…』
『大丈夫。ちょっと耳貸して。ごにょごにょ…』
『…そうなの?』
『そう。だから椋の占い、信じてあげて』



 翌日。
 夕飯を済ませた私は、とある部屋のドアをノックする。食卓に現れなかったお姉ちゃんの部屋を。
「…だれ?」
 いつもとは全然違う、消えてしまいそうな声。でも、確かにお姉ちゃんの声。
「私だよ、お姉ちゃん」
「……ごめんね椋、ちょっと今忙しいからまた別の時に来て」
 あきらかな拒否。私の脳裏に、あの悲しげな表情が思い起こされる。でも今言わなきゃダメなんだ。
「お姉ちゃん。子供の頃から、私はお姉ちゃんに支えられてきたよね」
「……」
 お姉ちゃんからの返事は無い。でも、私は話し続けた。
「他の人と話すのが得意じゃない私の隣で、いつも手伝ってくれてた」
「私を応援してくれたり、かばってくれたり、引っ張ってくれたり…」
「たくさん、お礼を言っても足りないくらい、助けてくれた」
「でも、私は気付かなかったんだ」
「私のために…お姉ちゃんの自由が犠牲になるって事」
「いつもお姉ちゃんは平気な顔をしていたけれど、私は知ってた」
「それなのに、つい甘えて…お姉ちゃんに頼っていた」
「まるで、それが当たり前のように…いつの間にか、意識しなくなってた」
「私が恵まれた環境で育った事も知らずに」
「今まで私は、そんな風に生きてきた」
「でもお姉ちゃん、私、お姉ちゃんに頼らなくてもお話できる相手が見つかったよ…。本当に、今までありがとう、
それから…お姉ちゃん、今まで、ごめんなさいっ」
 私はどれだけ、迷惑をかけてきたんだろう。そんな事を考えると、ぎゅっと心が締め付けられているみたいで…
感謝しなきゃいけないのに、謝らなきゃいけないのに、泣いちゃいけないのに、涙が抑えられなくなる。
「うっ…お姉ちゃんっ、私は、私は…」
「もう、いいのよ椋…」
「でも私は、ずっとずっと…」
「そんなに謝られると、あたしがずっと無駄な事してたみたいじゃない」
「そ、そんなつもりじゃないけれど、だけど…」
「あたしはそんな風に思ってない。だって、椋はあたしの妹で…あたしは椋の姉でしょ。つらい事は二人で乗り越えて
いけばいいじゃない。困った時はお互いに頼りあえばいいじゃない…」
「だけど、お姉ちゃんが困っていた時、私は何も…できなかった」
「ううん、それはあたしが椋を頼ろうとしなかったあたしのせい。妹を信用できなかった、あたしの責任。だから、
これからは椋に頼る事があるかもしれないけれど…迷惑にならないかな?」
「ぜ、全然っ!私だって、できる限りお姉ちゃんを支えていくから」
「椋…ありがと。ふふっ、椋もお姉ちゃん離れしたのね」
「うん、そうだね。…だからお姉ちゃんも、もう無理しないでいいよ…」
「え?」
「私…知ってるんだ。お姉ちゃんが、好きな人を…」
「そ、それは…。あたしはてっきり、椋が…朋也の事を好きなんだと思って…」
「私は…今まで岡崎くんの事、お姉ちゃんから聞いただけだったから、どんな人だろうって考えてた。お姉ちゃんが
いつも楽しそうに話していたから、きっとすごく格好よくていい人なんだろうって」
「うそっ、あたしそんな顔してた?」
「うん、してたよ。でも、私が…勝平さんと、その」
「知ってるわよ。付き合う事にしたんでしょ?」
「ええっ!? だ、誰からなの?」
「あぁ…ちょっとした所から…じゃなくて、朋也が言ってたのよ。たぶん柊さんが伝えたんじゃない?」
「そ、そうなんだ…。それで、その、私が勝平さんと付き合う事になって、分かったんだ。私の中では、岡崎くんは
別世界にいるアイドルのような憧れだったんだって。占いをするだけで、お話をするだけで、ほんのそれだけで私は
とっても嬉しかった」
「あははっ、あいつはそんな大層な人じゃないって」
「うーん、岡崎くん根は真面目だと思うよ。でも、勝平さんへの想いは岡崎くんへのそれと違ったんだ。ただ一緒に
居られたら、じゃなくて一緒に居たいって強く強く思うの。それに、私は勝平さんのそばに居るだけで笑顔が自然と
出せる事に気付いた。それでね…お姉ちゃんは、岡崎くんと居る時が一番いい笑顔だって、私は思うよ」
「……そっか。あたしって本当にバカね。一人で勝手に落ち込んだりして…。でも、朋也も迷惑だったりしないか
考えちゃうのよね…」
「大丈夫だよお姉ちゃん、私に言ってくれたよね?『相手にはっきり伝えなくちゃいけない』って。お姉ちゃんなら
きっとうまくいくよ。私はこんな事しか言えないけれど…」
「ううん、あたしには充分すぎるくらい力になったから。ありがとね、椋。よし、頑張らなくちゃね」
 穏やかな顔で、お姉ちゃんはそう言った。
(大丈夫だよ、お姉ちゃん。だって、私達は…)


――もう、一人じゃない。



(擱筆)