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<ほんの一歩だけ……>

 よく晴れた空だった。
 見渡す限り雲一つなく都会のような煤けた色を全く感じさせない青空は、あたしの心を少し軽くさせた。
 椋と朋也が付き合い出して早一ヶ月。
 そして……あたしが表へ向けることができない思いに苦しみ出して……一ヶ月が過ぎようとしていた。
 最初は何も感じてはいなかった。
 ただ椋が本当に朋也の事を好きだと打ち明けられ、あたしとは正反対の性格だからこれはもう思いっきり応援してやらなきゃ実るものも実らない! とばかりに応援すると宣言をして、椋の手を握った。
 その時の笑顔を思い返すたびに、胸に杭を打たれていくような激しい痛みがあたしを苛んだ。
「吸血鬼が杭を打たれる痛みってこんな感じなのかな」
 何気なく呟いて、そんな事など決して無いと思い直す。
 だって……だって……あたしの方がもっと痛いんだから。

 コンコン。

 ドアがノックされた。
 その控えめな叩き方から、家族の誰が来たのかすぐにわかる。
 いや、どんなに離れていてもわかっちゃう。
「お姉ちゃん、入るよ」
 返事が無いので本当に恐々と顔を覗かせたのは椋だった。
 あたしの揺れて見つけてしまった、見たくなかった結論に気づいたのか椋はここ一週間程あたしを避けていた。
 学校でも必要以上に声を掛け合わず、遠くから朋也を見つめるあたしを見つけるたびに、何も言わず言葉にせず、ただ只管見つめてきた。
 昔の人は何て適切な諺を作ったんだろう。
 目が口ほどに物を言うなんて、真実もいいところだ。
 あたしと視線が交わった椋は必ずこう言っていた。

『朋也君は……私の恋人なのよ』

 って。
 その度に居た堪れなくなって、屋上に駆け込んだ。
 何度一人で泣き声をあげたのかわからない。
 ただ本当に二人に申し訳無くて、自分が情けなくて、漠然としている罪と罰を少しでも癒したいという、自分本意な考えにまたあたしは杭を打たれた。
 そんな私を知ってか知らずか、椋は普段通りの表情であたしを見た。
 ロングでストレートのあたしとは反対のショートにとろんと少し眠たそうだけど、意思の強い椋は本当にあたしとは正反対だ。
「どうしたの? まだお昼には早いんじゃない?」
 あたしはなるだけ平然を装いながら首だけで振り向きながら、椋を見た。
 朋也と出かける予定でもあるのか、椋は余所行きの白と紺が互いを引き立てているワンピースのスカートを着ていた。
「うん。お姉ちゃん、今暇?」
「まぁねぇ。別に相手もいないからね。休みなんてグ〜タラする以外にやることないわ」「そっか……。なら今日は私に付き合ってくれるかな?」
「……せっかくの休みにデートも無いわけ? これだから朋也は甲斐性無しなのよね〜」「違うの。ちょっと今日はお姉ちゃんとお出かけしたいなってわがまま言ったんだ」
 ……?
 そう言った椋の瞳が暗く沈んだ。
 だけど影は次の瞬間にはいつも通りの輝きに戻っていて、それが何なのかあたしが理解する間もなく、椋はあたしの手を取っていた。
「ちょ、どうしたの!」
「いいから! 行きたいところがあるんだ!」
 言うが早いか、あたしの返事を待たずに椋は手を引いていった。




 †      †      †




 初夏の日差しは思いのほか日焼けしにくいあたしの肌を打った。
 う〜、本気で暑いわ……。
 多少色素が薄いとは言え、こんな日差しの強い日にあたしのロングヘアは格好の餌食だ。こんな時は椋のショートカットが羨ましく感じる。
 家を出て数分が経つけど、一向に手を離さない椋の後姿を見つめながらあたしは思った。
 何か……あったんだろうか?
 朋也と付き合い出してからどこか無理をしていたのは感じていた。だけど、その中でも自分らしさを忘れないで頑張っている姿は、成長した椋に嬉しさを感じると共に、すごく……すごく悲しさを覚えた。
 だって椋が変わろうとしているのは朋也のためであって、その朋也は椋の彼氏であり、そしてあたしには一生手が届かない存在なのだから。
 あっといけない。
 椋の背中がぼやけてきた原因をばれないようにあいている手の甲で拭うと、せっかく一週間ぶりに笑顔を見せてくれた椋に、いつも通りのあたしを見せるために一歩前に出た。「お姉ちゃん?」
「ま、たまには姉妹水入らずってのも悪くないか。お昼、ヤクドでいい?」
「ん〜今のヤックスペシャルって何だっけ?」
「確かね〜、椋の好きなBBLTサンドかな」
「あ、そうなんだ」
 と、言ってはいるけど、めちゃめちゃ食べたそうにしている。
 昔から椋は本当にほしいものがあると視線が真上を向く癖がある。
 そして大抵あたしはこう言うのだ。
「あ〜時間かかって勿体無い! ヤクドで決定! ほら急いでいくよ!」
「キャァ!」
 さっきとは逆に今度はあたしが椋を引っ張っていく。
 そうだ。
 これでいいんだ……。
 どれだけ朋也があたしを選んでくれる素振りを見せてくれても、言葉をかけてくれても、あたしは椋も大事だもん。
 絶対に泣かせたくない大切な妹だから……。
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん!」
「何よ〜? 今更ヤクドは嫌だ何て言うんじゃないでしょうね?」
「そ、そうじゃなくて……ここ。ここにも寄りたかったの!」
 あ……。
 そういや行きたいところがあるって言ってたの忘れてた……。 

駆けていた足を少し蹈鞴を踏みながら止めると、後ろではついてくるのが精一杯だったのか椋が膝に手を当てて肩で息をついていた。
「ありゃ。ゴメン」
「う、ううん……だ、大丈夫……」
 いや、大丈夫って息も切れ切れに言われても信憑性が無いというか……。
 だけどそこはあたしの妹。
 数分もしないうちに息を整えると、改めてあたしを見た。
 自分と同じ紫水晶のような綺麗な瞳に、あたしが映し出される。
 思わず視線を反らせた。
「そ、それで寄りたい場所って?」
 胸にささったチクリとした痛みを誤魔化す為に、少しわざとらしいと感じながら話題を戻す。
 それに弾かれた様に口元を手に当てる椋。
 ……本気で忘れてた?
「あ、うん。ここ」
 そんな心のつっこみを知ってか知らずか、椋は目的地である建物を指差した。
「……ここ?」
「うん」
「本当に本当?」
「もちろん」
 まさか椋がわざわざゲームセンターにあたしを連れてくるとは思ってなかった。
 そう言えば何度かデートでここに来たって椋はあたしに占いゲームの診断表を見せてくれたっけ。
「で、今日はあたしに占い付き合えって?」
「あ、な、何でわかったの……?」
 わからない方がおかしいって。
 とは口にせず、あたしは椋の手を引いてゲームセンターの中に入った。
 高二の時はよく学校帰りに暇人な朋也と春原と三人で遊びに来たけど、進級してからはクラスが違った事もあってか中々遊びにくる事もなくなってた。
 だけど相変らずゲームセンターは煩くて、独特の雰囲気が充満している空気。
 何か昔と言うには早い一年前の感覚が蘇ってくるような……そんな不思議な心地よさがあたしを包んだ。

『よう、今日は何する?』
『決まっている! 今日はこの春原陽平が昨日のリベンザを決めるため、悪役二人に決闘を申し込むのだ!』
『誰が悪役よ……?』
『ヒィ!』
『ビビるなら最初っから強がるな』

 三人で笑いあった日々。
 二度と戻らない大切なもの……。 
 思えばあたしはあの時から朋也が好きだったんだ……。
 そして周りには春原が居て、時々あたしに用事を言いにくる椋がいて……そんな……そんな親友のような兄弟姉妹のような優しい空気が……好きだったんだ……。
 どうして、どうしてあたしは朋也に告白しなかったんだろう?
 どうして、どうしてあたしは椋に打ち明けられた時に気持ちを話さなかったんだろう。 全てが今となっては遅い事ばかりで、後悔だけが只管浮かんでは消えていく。
「お姉ちゃん?」
 椋の声であたしはハッとした。
 慌てて思い出してしまった焦燥と後悔をしまいこむ。
「え? あ、あはは〜。久々に来たから空気の悪さに酔っちゃったわ。ほんとに最悪よね〜。ここに一時間居るだけで肺癌予備軍の仲間入りしちゃうわね」
 わざとらしく咳き込んで、あたしも椋に久しぶりに笑顔を見せた。
 中身が空っぽの笑顔を。
 だけど椋はそんなあたしに心からの笑みを浮かべて、行こうと先に進んだ。つられてあたしも後ろに続いていく。
 大して広くない店内を人に当たらないように気を付けながら、奥にある一昔前のプリント機と一緒に並んでいる占いゲームの幕の中に二人並んだ。
「そう言えば占いするのになんであたしが必要なの?」
 別に一人でもできるんじゃないかな?
「これ、二人でこの珠の上に手を重ねて乗せないといけないの。だからお姉ちゃんに協力してもらおうと思って」
 筐体の操作盤の更に真中に位置する地球儀を半分にしたような珠をポンと叩いた。
「でも普通はこんなの単なる飾りでしょ? 気にする事もないでしょうに……」
「何言ってるの! 占いはその一つ一つの行動に意味があるんだから、ちゃんと方法に則って行わないと駄目なんだよ!」
「あ〜、ハイハイわかったから」
 ほんと、椋は占いの事となると日とが変わるんだから。
 まだ鼻息の荒い椋を沈めるために、あたしはコインを取り出して筐体に入れた。
 多少コミカルとも言えなくない音がして、目の前のモニターに操作指示が幻想的に映し出される。
「それじゃお姉ちゃんは自分の情報を入力して」
「え? うん。んじゃ……」
 性別女。
 誕生日は……椋と同じ九月十四日。
 生まれた時間? そんなの覚えてないわよ。
「生まれた時間はお姉ちゃんは私の三十分後だから……この時刻を入力して」
「姉なのに椋より後なの?」
「そういう取り決めらしいよ? 双子の場合後に生まれた方がお兄さんお姉さんになるんだって」
「へ〜。ま、いいわ。それじゃ……これでいいのね」
「うん。ありがとう」
 生まれた場所も椋と同じだし。
 あたしが入力を終えると、今度は一緒に占う人間の情報を入力する画面になる。
「どうせあたしと同じだし、このまま入力しちゃうわよ?」
 そう言って二人目の操作をしようとして……あたしの手は椋に握られていた。
「え?」
「ダメ。これは一人一人が入力しなくちゃいけないの。しかも二人目の情報は見ちゃいけないんだよ」
「はぁ? そんな占いゲーム聞いた事……」
「これはそういうルールなの。だからお姉ちゃんは少し外に出てて」
 言うが早いか、あたしは幕の外に押し出されてしまった。
 ぽつんと一人で占いゲームの横に立つあたし。端から見たら寂しい変人としか映らないんじゃなかろうか?
「椋、まだ〜?」
「も、もうちょっと……」
 幕越しにカーソルが動いている音が聞こえる。
 何度もやってる筈なのになんでこんなに操作に慣れてないのか、ちょっと疑問だわ。
 そのままやる事もなくしばしぼ〜っとしていると、ようやく椋からお呼びがかかった。「遅い!」
「ご、ごめんなさい……。私、全然こういうものに馴れなくて……」
「何回朋也と一緒にやってるのよ? いい加減馴れなさいよね」
「うう……精進します」
 普段より三十パーセントダウン(当社比)でツッコンだあたしの台詞に、椋はしょぼんとなった。
「ま、いっか。で、次は何?」
「次は互いの関係……」
「何よ? 姉妹がないじゃない」
 表示されたのは友達、恋人、夫婦の三つだけ。
 そりゃゲームセンターある占いゲームなんてのはカップル前提でしかやらないだろうけど、それにしても選択肢が少なすぎるのは番人向けが基本のゲームで問題があるわね。
「ん〜……どれにするの?」
「えへへ。実はもう決めてるんだ」
 珍しく椋らしくない笑い方をして、操作盤の珠を操作して……恋人を選択した。
「ま、双子の姉妹は恋人以上夫婦未満って感じだしいいんじゃない?」
 そしてすぐに二人で水晶玉の上に手を重ねてくださいという指示が出る。
 あ、これ、水晶玉のつもりだったんだ。あんまり安物すぎて気づかなかったわ。
椋が先に水晶玉に手を置いた。
 仕方なくあたしも椋の小さな手に重ねた。
 そして決定ボタンを押す。
「わぁ……」
 動き出したヴィジュアルにあたしは思わず感嘆した。
 多分表現しているのは太陽系なのだろう。
 いくつもの惑星が迫ってきては消え、位置を変えては自転をしている。
 そのうち、太陽が画面いっぱいに迫った。太陽の輝きは画面を白一色にしていく。そして画面が流星降りしきる星空に変わった。
「綺麗……」
 思わず言葉が零れる。
 その時、椋の手が強張っているのに気付いた。
 硬直したとも取れる硬さが触れている個所から伝わってくる。
 どうしたの――?
 そう問いかけようとして、あたしは画面に浮かび上がった文字に同じように身を硬直させた。
 
『きょう』

 あたしの名前と……そして……。

『ともや』

 何で?
 入力したのは椋の情報じゃないの?
 それにあたしも知らないのに椋が朋也の生まれた時間や場所まで知ってるなんて……。 混乱してまとまらない思考に、ただ映し出された結果が無表情に画面に表示されていく。

『あなた達二人は今週に限らず常に互いを支え合い、向上させながら未来を進めるでしょう。
 しかしその形を作り上げるのも全ては二人の関係を深くしてからです。
葛藤、後悔、嫉妬、傷心。
 様々な感情が心を支配しているかもしれません。
 大切なものを失うかもしれません。
 ですがこれを乗り切った時、暖かな未来が広がる筈です。
 勇気を出してみましょう。
 一歩を踏み出してみましょう。
 そうして見えた輝きは、蛍のように小さな一欠けらでもかけがえのないものとなります』

「椋……」
 あたしは文字が消えた後も画面を凝視していた。
 いや隣に立つ椋を見れなかった。
 何を考えているのかわからないけど、それでも表示された結果は椋ではなく、あたしと朋也の行く末を明るいものと占っていた。
「あ、あはははははは。こ、こんなのゲームだもんね。どうせプログラムされた結果が出るだけなのよ。あんまり気にしちゃだめよ? なんたって朋也は椋の……」
「お姉ちゃん」
 凛とした椋の声に、あたしはびくりと体を振るわせた。
「私ね……昨日朋也君に振られたんだ……」
「え……?」
 さぁっと血の気が引いていくのがわかる。
「な、何で……」
「ちゃんと言葉では聞いてないの。聞く前に……私が逃げちゃったから……」
「な、何考えてるのよ! アイツが椋をフルわけないじゃない! 聞き間違えを深刻に受け止めちゃったの! ちゃんと月曜日に会ったら謝って……」
 だけど椋はしっかりと微笑を絶やさずに、あたしを真正面から見つめた。
 あたしは……居た堪れなくて目を反らせた。
「朋也君は私を見てくれた。だけど、何時からだろう? 私を見ながら私を見なくなった。デートしていても、二人で御飯を食べていても、キスをしてても。いつも私の後ろにいる誰かを見つめて、そして優しく笑いかけてくれるの。でも……」
 瞳の奥が揺らいだ。
「私も気付いちゃったから……」
「椋……」
「朋也君の気持ちにも……そして……」
「椋」
「そしてお姉ちゃんの……気持ちにも……」
「りょう!」
「でも一番気付きたくなかったのは……」
 椋はあたしの静止も聞かず言葉を紡ぎ、
「気付きたくなかったのは私の気持ち」
 涙が……本当に純粋な涙が零れた。
「私は朋也君が好き。お姉ちゃんが好き。でも本当に好きだったのは二人が……ううん、春原君や渚さんやことみちゃんや……みんなと賑やかに笑っている姿を見ているのが好きなの」
「あたしは……」
「それでね、いつもそんな中で言葉で表さなくても目と目で通じ合って、優しく微笑みあってる二人を見ていたい」
「あたしは……椋が嬉しそうに……本当に嬉しそうに笑っていてほしいだけ……」
「ありがとう」
「だから変な事しないで。お願いだから……お願いだから……」
 いつしかあたしは椋を抱きしめていた。
 そして椋もしっかりとあたしの体を抱きしめてくれた。
「私は朋也君からバトンを受け取ったの」
 あたしの瞳から涙が止まらなかった。
 耳元で聞こえる椋の声はどこか揺らいでいて、それでいて心地よくて胸に痛かった。
「言いたい事を言えず、引っ込み思案だった自分を変えるっていう勇気のバトン。そしてバトンは次の人に受け継がなくちゃいけない」
 そっと温もりを感じていた体から重さと暖かさが離れた。
 だけどあたしの肩を掴んだ手は離れなかった。
 二人で泣きながらただじっと他人であって自分である存在をじっと見つめ合った。
「お姉ちゃん、椋は幸せなの」
「うん……」
「でもお姉ちゃんは幸せじゃない」
「……うん」
「だから……朋也君から渡してもらったバトンをお姉ちゃんに渡すね」
「椋……」
「大丈夫……って言えるほどまだ強くは無いけど、それでもお姉ちゃんは自慢のお姉ちゃんなんだから」 
 今までで一番の笑顔で、椋はあたしに微笑んだ。




 †      †      †




「いらっしゃいませ〜」
 次の土曜日。
 あたしは行き付けの美容院に来ていた。
 大きな窓から差し込む太陽光を乱反射させて店内まで気持ち良い息吹を届けている。あたしは少しだけ躊躇してから店内に一歩踏み入れた。
「あら、杏ちゃんだ。久しぶり」
「あ、夏海さんお久しぶりです」
 店内に入ると、いつもあたしと椋を担当してくれる美容師の夏海さんが、受付をしていた。
「どうしたの? 今の時間はまだ学校じゃない?」
「アハハ〜。ちょっと枝毛が気になっちゃったからサボっちゃって」
「ダメだよ? でないとアタシのようにダメ人間になっちゃうからね〜」
「心得ときます」
 学校の荷物を夏海さんに預けて、あたしは勧められて窓に一番近い席に腰を下ろした。
「今日はどうするの? また毛先を整えて……」
「いえ、今日は椋のようにばっさりやってくれますか?」
「え?」
 やっぱり驚かれた……。
 ま、当たり前かな。
 今まで毛先を揃える以外に切ったことがない髪を、椋のように短くするんだから。
「でも……」
「いいんです。勿体無いけどバトンをしっかりと握るにはほんの一歩、もう少しだけ勇気がいるから……」
「そっか」
 鏡に映った夏海さんは普段通りの素敵な笑顔で、準備をするために一度奥に戻っていった。
 これから自分がやろうとしているのは、一番大切な半身を裏切る行為だ。
 でもちゃんと結論を出さないと、あたしも……椋も……そして朋也も先に進めないから。「あいつ、学校に居てくれればいいけど……」

 空は一週間前と同じように青かった。
 でも胸にかかった靄はなくなり、代わりに静かに微笑む宵の明星が、あたしを応援していた。