窓に打ち付ける雨の音で目を覚ました。
…頭が痛い。体が重い。
また酔いつぶれて、そのまま畳で寝てしまったのだろうか…。
「朋也くん…水を…一杯くれないかい…?ねぇ…」
自分の声だけが部屋にむなしく響く。
「そうか…そうだったね……。」
この家にはもう、俺一人しかいないのだ。
妻が逝った後、男手一つで育て、共に暮らしてきた息子は昨日家を出て行った。
…仕方の無いことだろう。
ロクに父親らしい事もせずに、だらしない姿ばかりをみせつけて…
その上怪我を負わせ夢を潰してしまった男と一緒に暮らすなんて、辛くないはずがない。
窓を開け重い雲に覆われた空を見上げる。
俺が今までしてきた事。
息子の―たった一人の俺の家族の為に、それだけの為に。
そう、信じてただがむしゃらにやってきた。
片親という事で不自由な思いなんてさせたくないから。
大切な息子の生活を守るために、なんだってした。
辛い仕事も、汚い仕事も、養うためには金が必要だったから。
―あの日。
実家の母の元を離れ、朋也と二人手を繋いで歩き出したあの日から。
俺は朋也の為だけに生き、働いてきたはずなのに…。
何が間違っていたというのだろう…。
収入に不安を感じ、職場を辞めて高いリスクの中で大金を得ることができる世界に入ってからか…。
息子の反抗期に、疲れで神経質になっていた俺が息子に手を上げ怪我を負わせたことか…。
それとも、息子を育てようとしたこと自体が間違いだったというのか…。
「なぁ、敦子…。俺は、俺達は間違っていたのか…」
間違いだとしたら…俺は、この先何の為に生きていけばいいのだろう。
俺が生きていくことに意味はあるのだろうか…。
―春の雨は冷たく、頬を伝って流れ落ちた。
春を告げる爽やかな風が吹く。
柔らかな日差しの中、なぜか昔の、一番輝いていた頃の事を、俺は思い出していた。
…あれは、いつだったろうか。
桜吹雪が舞い散る坂道で出会った事。
いつだって一緒だった学校生活。
笑いあって、たまに喧嘩して、そしてまた笑って…。
楽しかった。
一緒にいることがあまりにも自然だった。
二人ならきっと幸せな家庭を築けると信じていた。
―二人ならどんな困難だって乗り越えていけて…そして、二人の間に生まれた命は、世界で一番幸せになるんだ…。
生まれたばかりの小さなてのひらを握りながら、お前はそう言った。
どうしてだろう。
こんな昔のこと、どうして今頃になって、思い出すんだ…。
一際柔らかく、暖かい風が吹いた。
それは伝う雫を掬い取るように頬を撫で…そして俺の中に、あの優しい笑顔を鮮やかに映し出した。
「あつ…こ…」
笑顔だったのは一瞬。
あの頃と同じ、俺に怒鳴る時のあの、表情で。
―何へたれてるのよ!もっと自分のしてきたことに自信を持ちな!
―今のあんたは父親としては最低よ。けど、あんたが今まであの子の為に歩んできたこの道は贋物なの?
―あんたの思い、あんたがどれだけ大切に思ってるか…ちゃんと伝えなさいよ…。
―あたしは…あたしだけでも、しっかりあんたの事見ててあげるからさ…。
一吹きの春風にのって、そんな声が聞こえた気がした。
言葉が出ない。
言いたいことはたくさんあったはずなのに…。
うつむいていた顔をあげれば、雨は止んで雲の切れ間から光が射し始めていた。
そこに敦子の姿なんて無くて、ただ、雨に塗れた朝顔の葉が揺れているだけだった。
「そうだね…間違ってなんかいないよね…。」
あの日二人で信じた幸せのカタチ。
結局俺一人が残って、描いてた夢とは全然違う結果になってしまったけれども。
だけど、それが全て間違いだったはずが無い。
声は、そう教えてくれた。
言葉にすれば壊れそうなこの想いを、いつの日か朋也に伝えることができるのだろうか…。
どうすれば伝えられるだろうか。
積み重ねてきた日々の重さ、突き放してしまった理由。
そしてまたいつの日か二人で…あの日の様に笑って、『家族』に戻れるように…。
俺は、今日もまた一人ガムシャラに働き、自分一人しか居なくなったこの家で眠る。
幸せそうに笑いあっている、3人の家族を夢見ながら。
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