そう遠くない昔、あいつと二人で歩いた道を今は一人で歩いている。
あの頃は赤茶けた土の上に小石を敷き詰めただけだった砂利道が、今はきれいなコンクリートで覆われている。
すっかり変わってしまった風景に、思わず道を間違えそうになる。
…町は変わっていく。
特別思い入れがある町、というわけではなかったが、幼い頃から慣れ親しんできたこの場所が変わっていくのはなんだか寂しい。
そして、変わっていくのは町だけではない。
…人もまた、変わり続けていく。
高校のときの友人たちは、それぞれの新しい生活の中にいる。
『社会人』として働くアイツも、一緒に馬鹿をやったりしてたあの頃とはすっかり変わってしまっているだろう。
「俺だって、変わった。あいつがいたから―」
そこまで考えて、俺はまた現実に打ちのめされる。
秋の風は肌寒く、俺はコートの襟を立てて体を縮ませた。
これ以上…熱が逃げていってしまわないように。




妻の実家に着くと、妻の両親は俺の訪問を心から喜んでくれた。
最愛の人を亡くした悲しみは…きっとあの人たちも同じなのに、それでも二人は笑っている。
自分たちが諦めた夢を託した娘を、殺したも同然の俺なんかに笑いかけてくれている。
その笑顔が胸に痛くて…そして、義母の腕の中の笑顔が、またあいつを思い出させて…。
すみません、と一言つぶやき、彼らとは目を合わさないようにして家にあがった。
たった数ヶ月しか住んでなかったのに、まるで自分の家のように気持ちが落ち着くこの家。
―それでも、この部屋の前に立つと落ち着いてなんていられなかった。

…この扉を開ければ、またあの時のようにあいつが笑っていて…

そんな淡い幻想に少し期待しながら扉を開く。そしてまた現実を実感する。
わかってはいる。けれどどんな希望にだって今は縋るだろう。
あの時に、もう一度戻りたい。
部屋に染み付いたあいつの匂いに、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
俺は耐えきれず、持ってきた花―あいつが好きだった―を机の上に置き、逃げるようにしてその家を立ち去った。






当てもなく町中を彷徨い歩いて、気づくと、俺はなだらかな丘の上に一人立ちつくしていた。
来たことも無い場所なのに、足が勝手にこの場所へと向かった。
丘は森の中の開けた場所にあり、足元は赤や黄の木の葉で敷き詰められていた。
空には重く、分厚い雲。
空からは、柔らかな雪が降り始めていた。
その風景が、何故だかあの雪の日の約束を思い出させた。
今はもう、叶える事ができない遠い約束を…。
「…どうして、お前は今ここにいないんだ。俺の隣で笑っていてくれないんだ…。」
「いつでも二人一緒がいい、ずっと一緒にいると言ったのに…!」
「なんで俺だけ置いていってしまうんだよ…。どうして…っ!」
降りしきる雪が俺の目元で溶け、雫となって零れ落ちた。
一度決壊してしまった感情は止まらない。
溢れ出す感情に身を任せ、俺は哭いた。
どんなに叫んでも、この声はあいつに届かないとわかっていても、叫ばずにはいられなかった。
膝をつき、地面に拳を何度も打ちつけた。
どうしようもなくて、やりきれなくて、俺は天を仰いだ。




―大きな光が、舞い降りてきた。

光はあっという間に俺を包み込み、視界を真っ白にした。
まぶしさの中で、俺は、温かくて懐かしいモノを感じた。


…朋也くん…


聞き覚えのある声。
でも、その声が聞こえるはずは無い。だって…あいつは…


…朋也くん、わたしです。聞こえますか…


はっきりと聞き取れた。
聞き違う筈が無い。俺が、世界で一番愛した人のこの声は…。
「渚…渚なのか?」


…はい。お久しぶりです。えへへ…


視界は相変わらず真っ白で渚の姿は見えないけれど、目を閉じればすぐにあの笑い顔が瞼の裏に浮かんだ。


…朋也くん、ごめんなさいです…
…わたし約束を破ってしまいました…
…わたしが弱い子だったから、朋也くんやお父さんたちを悲しませてしまいました…
…本当に、ごめんなさいです…


「そんなことはない!お前は頑張っただろ!」
「お前は強くなった。その強さのおかげで汐は生まれることができたんだ!」
抱きしめてやりたかった。この手で、しっかりと捕まえたかった。
もうどこにもいくな、と叫んで捕まえたかった。
けれど、体は動かない。気持ちだけが、ただ空回りをする。


…ありがとうございます…
…でも、朋也くんが泣いてるとわたしも悲しいです…
…だから、笑ってください…


眩しさが増す。


…わたしは、ここからずっと朋也くんと、しおちゃんを見ています…
…だから、どうか強く生きてください…
…わたしの分の夢も、叶えてください…


声が離れていく。
待ってくれ…いかないでくれ…っ!渚ぁ…っ!
どうすることもできなくて、抗いようの無い波に飲まれて…その瞬間は終わった。








気がついたとき、俺はあの丘の上で一人倒れていた。
雪は俺の体に積もり、雲の隙間からは光が射していた。
「夢、だったのか…」
立ち上がり、ズボンについた枯葉や雪を払う。
夢だったとしたら、なんて残酷な夢だろう。
「夢の中でぐらい顔を見せてくれよな…」

―でも、例えそれが夢だったとしても。
あの言葉は確かに渚の想いで、願いだ。
俺は生きなくてはいけない。
オッサンから、早苗さんから夢を託された渚。
そしてその渚から、俺は夢を託された。
「責任重大だな…」
大きくため息を一つ。
そうして俺はこの丘を立ち去った。


町の灯りが雪に包まれていく。
「去年のクリスマスはおそろいの時計を買ったんだったよな…」
今でもはっきりと覚えている。
嬉しそうに、年甲斐もなく繋いだ手を大きく振って歩いた。
町中を探し回って見つけた、だんごのぬいぐるみを強く抱きしめていた。

春には、あいつの為に卒業式をやった。
たくさんの仲間たちに祝福されて、手を繋いで一緒に坂を登った。
夏には、二人でプールに行ったりもした。
あいつのおかげで、人との繋がりを知った。
それからも色んなことがあって…そして俺たちは結婚した。
やがて宿る新しい命。
小さいながらも幸せな家庭。
この家族の為に生きていこう。
こいつらを幸せにすることが俺の夢だ。
…そう思っていた。
けれど、現実は残酷で…。
たった一人の愛する人さえ奪われて…。
たった一つの幸せを守ることすらできなかった。

「次の楽しいこと、うれしいことをみつければいい」

―あれは、誰の言葉だったろうか。



俺たちはこれからも変わり続けていく。
想いも…変わってゆくのだろう。
あんなに愛した渚のことも、いつか忘れてしまうんだろうか。
流されるがままに、抗いようも無く。
それでも今は生きるしかない。
がむしゃらに生きて、生きて、生きて。
汐を見るとどうしてもあいつを思い出して辛いから、しばらくは早苗さんに甘えよう。
悲しむ暇も無いくらいに夢中に働かないと、とてもじゃないが生きていける気がしなかった。
どんなに醜くても、今は生きていく。それだけだった。




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