その細い腕のどこにこんな強い力があったのか。
そんなことをぼんやりと考えながら俺は彼を見ていた。
壁際に押さえつけられて、明らかにおかしい現状で
頭の中のどこかが酷くクリアだ。


「何一人で苦しんでんの?」

この世界に自分ひとりだなんて思うなよ。

我ながら陳腐だ、と思った。
どこのドラマの台詞だよ、と。
だけど、これくらいストレートにぶつからないと
また綺麗にかわされて俺の苛立ちが募るだけだと思った。


明らかに、俺を避けてる。
『仕事』はうまく取り繕ってるつもりだろうが
俺にはすぐにわかるっつの。
出会ってからほんの数年で。
お互い地元の友人なんかとは歴史の重みが全然違うけれど。


だけど、そのたった数年は俺達にとってどれほど濃密だっただろう。


お前かどうかなんて足音一つでわかる。
朝の挨拶だけでお前の調子がわかる。
そんな俺をごまかせると思ったら大間違いだ。


微妙に噛みあわない感じを残したまま、今日の仕事は終わり。
がらんとしてる楽屋から挨拶もそこそこに出て行こうとする
お前を引き止めて告げた言葉が

「何一人で苦しんでの?」

だった。もう小細工も何もめんどくせえ。
ぎこちない笑顔でなんでもない、と逃げようとする嘉邦に
陳腐な台詞で追い討ちをかける。
逃げるな、と言外に込めて強い視線を送る。
一歩近づいたところで彼が動いた。



がたん、と椅子が転がって背中に衝撃を感じる。
手首に熱を感じて。
自分が壁に押さえつけられているのだと気付く。
予想外のことに声も出ないほど驚いた俺が見たのは、泣きそうな顔。

「なんで俺を追い詰めるん?」

頼むから放っておいてくれ、という彼になんで、と問い返す。

「これ以上踏み込まんで・・・」

おかしくなる。

小さく、振り絞るようにそう続けられて。
ここで初めて手首に痛みを覚えた。
強く掴まれて、熱しか感じられなかった手首。
ただ、嘉邦を見つめる俺から目を逸らして、俯いて。
首を一度振ってから顔を上げた。

「要のこと好きじゃけ・・・」

だから逃げたいんよ。離れたいんよ。

こんなのおかしいじゃろ?汚い、と泣きそうな笑みを浮かべる。

「だけど。」


醜くても、汚くても。それでも。


「お前の隣にいたいんよ。」


『好きだ』と言う言葉が『苦しい』に聴こえた。
傍にいるために逃げる。
想いを捨てようとしている。
だけど、その想いを抱えている故に傍にいたい。
手首を掴んでいた細い指から力が抜けた。
戒めの解けた俺の手で、その細い指を掴んだ。

「要?」

こいつは、ずっとこうだったんだろうか。
例えば、夜、一人になったとき。
小さく呼んだ俺の名前はこんな風に切なく空気に溶けたのだろうか。
俺の隣で笑う時も、唄う時も。
逃げたいとか傍にいたいとか、相反する想いに揺れていたのだろうか。
俺が知らない、きっと決して短くはない間。


「・・・汚れてるなら、俺も一緒に汚れてやる。」

堕ちてるっつーなら、一緒に底まで行ってやる。


「好きなのは自分ひとりだなんて思うなよ。」




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