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DAWN OF THE SPECTER 18

丸々&とおり

「霊力だけは大きいのに、中身は下劣極まりないのか。まるであの男と同じだな……」

『ギィ……何だぁテメェはッ!
こっちはお楽しみだってのに――――アァァギャァァァァーーッ!!』

悪霊の問いには答えず、言葉よりも先に閃光が走り、悪霊が形成していた繭を切り裂く。
霊体を切り裂かれた悪霊が耳ざわりな悲鳴を上げ、激痛に身体を硬直させた。
その隙に、男が切り開いた穴から繭の中に飛び込む。

「大丈夫か令子ちゃん!? さあ、しっかりするんだ!!」

「いやぁ……いやぁぁ……!」

男が声をかけるが、美神はかぶりを振るだけだった。
はだけられた胸、無理やり大きく開かされた両脚、そして下着さえも剥ぎ取られた下半身。
なんとか最悪の事態だけはまぬがれたようだが、あと僅かでも遅れれば、どうなっていたかわからない。
男の持つ西洋刀の刀身が黒い光を放ち、美神に絡み付いていた霊体を焼き切る。
拘束を解かれた美神が崩れ落ちるのを抱きとめると、自分の背広を羽織らせた。

『あぁ! ああぁぁ! テメェ人のモンになにしやァァがるんだぁぁ!!』

繭の中の二人に霊体を伸ばし、絡め取ろうとするが、二人に触れる前にバラバラに切り裂かれた。
抜く瞬間はおろか、納刀さえも見えない、超高速の抜刀。
何をされたかすらわからない悪霊の顔に、初めて戸惑いの色が浮かんだ。

『オ、オレァ約束したんだ!その女はオレのモンなんだぁ!!』

「――――黙れ。」

有無を言わさぬ圧力を言葉に乗せ、悪霊を睨みつける。
男はゆったりとした動きで漆黒の刃を抜き放ち、研ぎ澄まされた刃の上に霊力を走らせる。

『オレの……! オレのモンにさわってんじゃァねェェーー!!』

内にあるモノを圧し潰すべく、膨張していた繭が内側に縮まろうとする。
だが、それより早く、男の持つ西洋刀から伸びた黒光の刃が舞い踊り、悪霊を内側からバラバラに切り刻んでいた。

無言で黒刀を納めた男の眉間には深い皺が刻まれ、歯を食いしばるその表情はまるで仁王の如く激しい怒りが溢れていた。
バラバラにされた悪霊は、核がある頭部以外は蒸発するかのように消滅していく。
散らばる霊体を踏みにじりながら、男が悪霊に近づいていく。

『ヤ、ヤメロ! 何の恨みがあってこんな事ォしやがるんだぁぁ!?
その女はオレのモンなんだぞ!? ソレを横からかっさらうなんてぇぇ――――ヒィッ!』

頭部を鷲掴みにされた悪霊が男の目の前に吊り上げられる。
淀んだ光を浮かべるその男の眼を見てしまい、悪霊が恐怖に戦慄した。
深い、深い、まるで沼の底のように暗く濁った瞳。
そこにあるのは、ただ凄まじい殺意のみだった。

魂の底から震え上がる悪霊だったが、その恐怖も長くは続かなかった。
袈裟掛けに両断された悪霊には、男の暗く淀んだ両の眼が、この世で見た最後の光景だった。




















わざわざ拳銃を構えて包囲されるまでもない。
横島はバイクを降り、両手を上げた。
その隣には不安げな表情のおキヌもいるのだが、ハーフ・ヘルメットをかぶっているため、警官達は彼女に気付いていない。
フルフェイス・ヘルメットを脱いだ横島は、警官達に見えるように身分証を掲げた。

「俺は民間のGSだ! この先で発生した霊障の現場に急行しなければならない!!
あんた達にも協力を要請したい!事態は一刻を争うんだ!!」

その言葉に、警官隊の一人が横島の身分証を確認する。
こちらに戻ってからGS免許の申請は済ませていたので、これは正規のライセンスだ。
見た感じ偽造には見えないが、それでも登録番号などを照会しなければ確かな事はわからない。
相手が正規のGSだと――恐らくは、だが――わかり、警官の空気が目に見えて柔らかくなっていた。

「では、問い合わせますので少々お待ち――――」

「そんな暇は無いって言っただろ!アンタ一刻を争うって意味知ってんのか!?」

「い、いえ、しかし、事前の申請も受けておりませんし……」

正規のGSは、除霊をする際、多少なら法を無視しても良い権限を与えられていた。
先程の速度超過程度なら、超法規的措置が適用されるため、罪に問われることは無い。
だが、そのためには事前に申請を出しておかなければならない。
今夜、この周辺での除霊申請は出されていなかった。

「とにかく、少し時間を――――」

「そんな暇があるか!俺は罰金でも逮捕でも何でも良い!だから今は協力してくれ!」

横島の凄まじい剣幕に、警官が弱り果てて仲間の方に視線を向ける。
だが他の警官達も、規則を優先させるべきか否か、決めかねていた。

「あの……私たち、急がなくてはならないんです。
どうか、ここを通らせてはいただけないでしょうか。」

おキヌがヘルメットを外し、警官に深々と頭を下げる。

「いや、その、そんな風にされてもこちらにも規則が――――って、あれ、あなたは……?」

顔を上げたおキヌに、警官が目を丸くする。
シャツにパンツというラフな服装だったが、その顔は紛れもなく今日の警備の対象だった。
それまで、しどろもどろだった警官の雰囲気が一変した。

「あなたは先程まで記者会見に出席されていた筈では?」

「あ、それは……」

本来なら、おキヌはここにいるはずのない存在なのだ。
どう説明すれば良いのか口篭るおキヌだったが、その態度が警官の不信を招いた。
しかし、おキヌに疑いを抱いたのではない。
疑われたのは――――

「どういう事か、詳しく説明していただけますか。
もしや、この男に誘拐……では無いとしても、何らかの強制を受けておられるのでは?」

「おい、アンタ何言ってるんだ!!」

思わず声を荒げる横島だったが、警官は冷たい視線で一瞥しただけだった。

「この男には犯罪の疑いが掛けられているのはご存じですか?
そもそも、我々が追跡したのは、その件が理由だったんです。」

「そんなの何かの間違いです! 横島さんは、警察の人に捕まるような悪い事をする人じゃありません!!」

「そうですか、わかりました。
ですが、このまま行かせる訳にはいかなくなりました。
あなたは護衛もつけずに出歩いて良い方ではありませんから。」

そう言うと、警官達はおキヌと横島の間に割って入り、おキヌをパトカーへと案内した。
もちろん黙って見過ごす横島では無い。

「ちょっと待てよ、どういう事だ!」

だが警官が立ちふさがり、横島の動きを制止する。
その目は、取るべき職務を決定した目。先程までの動揺は、すでに影も形も無かった、

「あなたはこちらに来て頂きましょう。
なに、問い合わせが済むまでの短い時間だけです。
もしも抵抗するというのなら、不本意ですが――――」

そう言いながら懐から手錠を取り出す。
鈍い光を放つ鉄の環。常人ならばどうにもならないだろうが、横島の霊力ならどうとでも出来る。
だが、ここで抵抗すればおキヌを巻き添えにしかねない。

「……必要ない。あんた達に従う。
けど、忘れるなよ……もしもこれで、俺が間に合わなかったその時は……」

横島の瞳の奥に宿る冷たい光に、警官がビクリと身体を強張らせた。
しかしそれを認めたくないのだろう。警官は無言で横島をおキヌとは別のパトカーに誘導しただけった。










そろそろ日付も変わろうかという時間でも繁華街は未だネオンの明かりが落ちぬ。
雑居ビルが立ち並ぶ細い路地裏道を、一台のパトカーがサイレンを鳴り響かせながら、目的地へ向かい急行していた。

「問い合わせた所、先程あなたが言われたホテルで悪霊による被害が報告されています。
そこの宿泊客を調べた所、あなたが探している方の名前がありました。」

警官が助手席に座る男にちらりと目をやる。
男は聞こえていないのか、言葉を返そうとしない。
ただ、爪の後が残るほどに強く両手を握り合わせ、焦る気持ちをどうにか押さえ込もうとしていた。

目的地のビジネスホテルには、既に消防車と救急車が到着し、宿泊客の避難をおこなっていた。
不承不承といった様子で宿泊客が避難しているが、既に危険は去ったのか、冷静に行動しているように見える。
消防車は、現状火の気は出ていないが、もしもの時のために待機しているのだろう。
パトカーが停車するや否や、男は飛び出し、ホテルの中に駆け込んでいった。

「おい! ここに美神令子という女性が宿泊しているだろう!
何号室だ!? 霊障の標的にされている恐れがあるんだ!」

GSライセンスを見せながらホテルのフロントに詰め寄る。
その剣幕に、フロントの従業員も思わず目を白黒させるしかなかった。

「聞いてるのか!? 今は一刻を争うんだ!!」

「み、美神様でしたら、6階の608号室に宿泊されていましたが……」

「608だな!? サンキュ!」

そのまま一気に階段を駆け上がろうとするが、背後から従業員の声が飛んできた。

「ですが、今はおられませんよ!」

その言葉に慌ててフロントに戻り、従業員に事情を確認する。

「それは、この騒ぎになる前にここを出たって事か!?」

「く、苦しい……」

「どういう事なんだッ!?」

襟首を掴まれ、従業員が呻き声を上げる。
がくがくと揺さぶられていては、答えたくても答える事が出来ない。

「み、美神様は……すでに救出されたようです……
最寄の病院へと搬送されたと聞いていますが……」

「なんだって!?」

どういう事だ?
横島には、サッパリ訳がわからない。

危険を察知した美神が誰かに助けを求めた?
それなら先程まで顔を合わせていた自分に連絡する筈だ。

自力で脱出した?
相手は不明だが、あれだけ霊感が騒いだのだ。霊力もなしで逃げ切れる相手ではなかった筈だ。

そもそも救出したのは誰だ?
この従業員は知らないらしく、残念ながら他の従業員も同様らしい。
彼らとしても、いきなり霊障に巻き込まれ、さぞかし混乱しただろう。
その状態で周囲に目が行かなかったとしても、責める事は出来ない。

そして、それらとは別に、どうにも気にかかる点がある。
霊感に突き動かされて此処まで来たが、よくよく考えれば、ここまでの行動は自分自身でも腑に落ちない。
冷静に考えれば、自分の意思で行動したと言うより、あの少年の霊に誘導されたと認めざるを得ない。
そもそも、あの少年の霊は何故自分の前に現れた? 何故あんなにあっさりと成仏した?

それに、さっき足止めを食った時の警官とのやり取りも、あまりに不自然だった。
先程の不可解極まりない流れを、改めて思い起こす。










10分か20分か。それとも、すでに一時間以上経過したか。
待つのがあまりに苦痛すぎ、時間の感覚はとうに麻痺していた。
警察本部とGS協会に確認を取ると言い、警官の一人が外で携帯を使い話をしている。
だが確認など取るだけ無駄だ。自分は何の申請もしていないのだから。
この前の分と今回の分。逮捕されるには充分すぎる。

駆け足で戻ってくる警官の姿に気付き、何とも言えない徒労感に襲われた。
このままではパトカーで連行され、おキヌと離れ離れにされるだろう。
いや、待て。モノは考えようだ。おキヌと離れ離れになるという事は好きに動けるという事。
このパトカーを強奪して、美神の下に急行するという手も――――

「も、申し訳ありませんでしたッ!!」

パトカーのドアを開けると、確認を取って戻ってきた警官が深々と頭を下げた。
後部座席で横島を挟んでいた二人の警官が、何事かと眉を寄せる。

「おい、お前達は降りろ! さあ、どうぞ助手席にお座りください。」

「おいおい、いったい何の話――――」

「いいから降りろって言ってるだろう! この人の邪魔をするんじゃない!!」

その激しい剣幕に、横島を挟んでいた警官たちは転がるようにパトカーから降りた。
警官たちは呆気に取られていたが、当の横島は彼ら以上に困惑していた。
この手の平の返しようはいったい何だ?

「先程は大変失礼いたしました。問い合わせをさせて頂いたところ、“特一許可”が下りておりました。
しかしあなたも人が悪い……そうならそうと、最初から言って頂けれ――――あ!い、いえ! 失礼しました、どちらに向かいましょうか!!」

途中で眉をしかめた横島の表情を見て、慌てて言葉を取り消す。
警官は、眉をしかめたのは横島が機嫌を損ねたからだと思ったようだが、実際には少し違っていた。
横島は大きすぎる困惑に襲われ、思わず眉をしかめてしまったのだ。

特一許可――――正式名称、“特別第一級除霊許可認定”
大規模な被害が予想される霊障においてのみ発令される、GSに対して下される超法規的措置の中でも最上級の物だった。
その免罪符の適用される幅は恐ろしく広範で、それこそ除霊のために民間人を巻き込んだとしても罪に問われない。
常識で考えれば信じられない話だが、少数の犠牲を出してでも除霊を遂行しなければならない場合のみ発令される。

アシュタロスの事件を除けば、過去横島が知る中では、首都圏を丸ごと大混乱に陥れた死津喪比女事件。おキヌとの再会を果たした時の霊団事件。
これらの大事件以外で、この許可が下りた事は――他の例を挙げるなら、韋駄天事件は規模が小さかったため“通常第二級除霊許可認定”だった――記憶に無かった。
少なくとも、役所の手続きミスや勘違いで発令される類の物ではない。警官が慌てふためくのも当然だった。
横島自身も理解できていないが、今は黙ってこの流れに乗る以外に道は無い。

「グランド・リベールホテルの記者会見場に向かってくれ! 恐らくそこが現場になる筈だ!!」

「あ、しかし、記者会見なら既に終わっていますが……それでも向かわれますか?」

「そうなのか!?」

慌てて時計を見れば、確かに予定時刻を大幅に過ぎていた。
それなら、美神は次の予定地へ向かったという事なのか?
次の予定は何だ? ――――国の役人との打ち合わせ。
そこに霊障が発生するのか? ――――有り得ない。最高レベルの警備が敷かれている筈だ。

考えろ。もしも俺が誰かを狙うとしたら、どのタイミングで狙う。
ベストは独りになる瞬間。だがそんなタイミングがあるのか。
――――違う、疑問に思うな。そのタイミングは必ずあるんだ。
だからこそ、今も魂がざわついている!
もしも、別行動を取るとするなら、何処へ向かう?

その時、横島の脳裏に電流が走った。
あそこだ! あの、美神さんが泊まっていたビジネスホテル!
もし書類の準備があるなら宿泊施設に戻るはずだ!!

「至急、東和ビジネスホテルに向かってくれ!
それと向かいながらホテルに確認を取ってくれ。宿泊客に美神令子の名前があるかどうかを!」










やはり何度考えてみても、納得いかない。
何故か下りていた、絶対に下りる訳が――そもそも申請した覚えすら――無い“特一許可”。
駆けつけた途端、入れ違いで姿を消していた美神。
何の前触れも無く目の前に現れた、不可解なメッセンジャー。

どれ一つとしてパズルを埋めるのには不可欠なピース。
そしてそれらはすれ違って散逸して、しかし同時に発生したのだ。
まるで、性質の悪い悪夢の中を彷徨っているような気さえしてくる。
とりあえず頬をつねってみるが、もちろん何も起こりはしない。

「なあ、おキ……じゃなくて、氷室女史はどうした?」

そばで待機していた、ここまで案内してくれた警官に尋ねる。

「は、はい! 氷室女史でしたら、次の予定地へと向かわれました。先程、無事に到着したとの報告も受けております!」

そうか、と呟き、これから取るべき行動を思案する。
とは言っても、実際は考えるまでも無かった。
フロントの従業員に振り返り、何気ない様子で話しかける。

「――――なあ、アンタ。美神さんが運ばれた病院を教えてくれないか。」

美神と話し、何があったか聞かなければならない。
そして、ここまでの流れを聞いてもらい、彼女の意見を聞きたかった。




















病院の廊下で、二人の男が話をしている。
一人は白衣を着込み――恐らく医者だろう――もう一人はスーツ姿だ。

「検査の結果ですが、特に目立つ外傷はありませんでした。霊の残滓も検出されませんでしたし、現状では特に心配する事は無いでしょう。
後、気絶しているのは恐らく強い精神的ショックを受けたためでしょう。見た限りですが、これによる精神的外傷の方が気がかりですね。」

悪霊に襲われた者は、時には一生引きずるほどの大きな傷を心に刻まれる事がある。
六年前の大霊障のショックが原因で、今もカウンセリングを受けている患者は、未だにかなりの数が存在するのだ。
白衣を着た医者の心配に、それを聞いていた長髪の男も目を落とした。

「たしかに……僕が駆けつけるのが後少しでも遅れれば、取り返しのつかない事になっていたでしょう。
しかし、それも間に合った訳ですし、それほど大きなトラウマを引きずる事は無いと思います。彼女は強いですからね。」

医者は、患者が目を覚ましたら呼んで下さいと告げ、去っていった。
男――西条――は病室に戻り、眠っている女性の顔を覗き込む。

「令子ちゃん……少し痩せたみたいだ。やはり、おキヌちゃんのサポートは激務なんだろうな。」

その時、それまでは静かに眠っていた美神が表情を歪ませた。
息遣いも荒くなり、呻き声を上げ、額にはうっすらと汗が浮かび始める。

「令子ちゃ――――」

声をかけようとした所で、突然美神の両の目が大きく開かれた。
目を覚ましたことで西条がホッと胸を撫で下ろそうとしたが、その間も無く、凄まじい力で西条が突き飛ばされていた。
両手を突き出した姿勢のまま、美神が身体を震わせながら荒い息を吐いている。

「大丈夫、落ち着くんだ令子ちゃん。ここは安全な場所だ。
君に危害を加えようとした悪霊は僕が処理しておいた。だから、もう安心して良いんだよ。」

美神を刺激しないようにゆっくりと起き上がり、西条が精一杯優しい言葉で安心させようとする。
恐らく悪い夢でも見ていたのだろうが、まだ美神は悪夢と現実の区別がついていないのかもしれない。
両手で身体を抱かかえるようにしながら、ぎゅっと目をつぶり、美神が呼吸を整える。

――――やはり、この子は強い。

あれだけの目に遭いながら、もう平常心を取り戻しつつある美神に、西条は胸の中で驚嘆していた。
いくら外傷が無いとは言っても、西条は今晩中に目を覚ますのは難しいと予想していたのだ。
夢と現実の折り合いがつくと、素早く現状の確認に移る。

「西条さんが……助けてくれたのね。ありがとう。」

「いや、当然の事をしたまでさ。今は何も考えず、ゆっくり休むんだ。」

後であの悪霊についてゆっくり聞かなければいけないが、せっかく落ち着いたのに動揺させる必要は無い。

「それより西条さん、今は何時!?」

答えも待たず、美神は強引に西条の腕を取り時計を確認する。
打ち合わせの時間がとっくに過ぎている事を知ると、悔やむように下唇を噛み締めた。

「西条さん、悪いんだけど少し部屋を出てくれる? 着替えなきゃいけないの。」

「まさか今から退院するつもりかい!? せめて今晩は安静に――――って、わかったからちょっと待ってくれ!」

意識がハッキリしているのは良い事だが、これはあまりに無茶な行動だ。
慌てて西条が制止するが、美神は聞く耳持たずといった様子で素早く着ていたシャツを脱ぎ捨てる。
容認したくはなかったが、流石に目の前で着替えを始められては、紳士としては黙って部屋を出るしかなかった。

病室の前で美神が目を覚ました事を先生に伝えようかと考えていると、スーツ姿に身を包んだ美神が部屋から出てきた。
救急車に乗せられた時に美神の鞄も運び込まれていたため、着替えには困らなかったのだろう。
その姿には一分の隙も無く、ついさっき悪霊に襲われた人間にはとても見えない。

「令子ちゃん! そんな格好で何処に行くつもりなんだ!?」

「おキヌちゃんを一人にするなんて絶対に駄目……打ち合わせも、私が仕切らないと……」

外見は平静を装っているが、やはりその言葉には覇気が無い。
止めようと思えば力ずくで止められるだろう。

「そんな身体で、黙って行かせる訳にはいかないな。」

キッと強い眼差しで美神が西条を睨む。
だが西条はポケットからキーホルダーを取り出すと、くるくると指先で躍らせた。

「もちろん、行き先はわかってるんだろう?
せめて目的地まで送らせる事。これだけは譲れないね。」

それから十数分後、一人の青年が病室に飛び込んで来たが、既にそこには誰の姿も無かった。










警告灯を光らせ、一台の車が悠々と道路を飛ばしている。
他の車は素直に端に寄り、サイレンが過ぎ去るのを黙って見送るしかない。

「ま、緊急事態だしね。急がせてもらうさ。」

業務に就いている訳ではないため、厳密には警告灯の使用は許されないが、今は急がなければならない。
隣の助手席に座る美神は、携帯で打ち合わせの経過について質問している。
しきりに頭を下げ詫びている事から、どうやら役人達は既に帰ってしまったようだ。
携帯を切り、美神が力なく息を吐く。

「何となく、打ち合わせは流れてしまったように聞こえたけど、どうするんだい?」

「まだ一人だけ要人が残ってくれてるみたいだから、せめてその人とだけでも話をしておかないと……
今回の打ち合わせで一番重要な人が残ってくれたのが、せめてもの救いね……」

打ち合わせの予定時刻から、今でちょうど一時間経過している。
何の連絡も入れていなかったのだから、全員帰ってしまってたとしても、詫びこそすれ、文句など言えるわけが無い。

「へぇ、役人にしては随分珍しいね。」

「その人は役人ってわけじゃ――――いえ、やめましょう……関係のない人に喋る事じゃないし。」

『関係ない』、か。
内心密かに傷ついているのだが、そこは流石に表には出さない。
何となく気まずくなり、黙って運転に専念していたが、美神がぽつりと呟いた。

「西条さん……四年前の事なんだけど……」

「……君は何も悪くない。もしも、誰か責を負うべき人間がいるとすれば、それは『彼』以外にない。」

断定するかのように、力強い西条の言葉。
それを聞いた美神も、言葉を続けようとはしなかった。

何も言わず、何の前触れも無く、勝手に皆の前から姿を消した『あの男』。
全ての原因である『あの男』を、このまま好きにさせておくつもりは無かった。
空港では自分らしくもなく熱くなってしまったが、次は正規の手段にのっとって裁きの場に送ってみせる。

西条は新たに追加された目的を、深く心に刻み込んでいた。




















「これは……いったい、どういう事ですかな。」

東堂は目の前の奇異を理解できず、頭を押さえる。
彼の前には二人の女性が並んでいるのだが、その二人は双子以上に瓜二つだった。

「説明して頂けますか、氷室さん。」

片やテレビや会見で御馴染みの巫女衣装。片や派手では無い、動き易さを重視した私服姿。
今まで自分と話をしていた巫女衣装姿の女性と、後から案内されてきた私服姿の女性。
果たして本物の氷室絹はどちらなのか。

「えーと……その、美神さんが来てからじゃ駄目ですか。」

私服姿の氷室絹がおずおずと答える。
確かに、顧問の美神令子に尋ねるのが一番手っ取り早いと思わるが、現在彼女とは連絡が取れない。

「美神女史とは現在連絡が取れない状況でしてな。
こちらとしても、今後どう対応すべきか考えねばなりませんし、出来れば早急な回答を頂きたい。」

あくまで物腰は丁寧に、しかしその言葉には圧力のようなものが込められていた。
当然、東堂としても、訳もわからずペテンにかけられるのは御免こうむりたかった。

「……マスター。美神令子との連絡が取れない以上、ここは決断の時かと思われますが。
横島忠夫との逢瀬で何やらトラブルがあった模様ですし、せめてこの老人の心象だけでも良くしておくべきかと……」

東堂には聞こえぬよう、巫女衣装の氷室絹が、もう片方にそっと耳打ちする。
私服姿の氷室絹はしばらく思案していたが、決心したように頷いた。

「シルキー、元の姿に。」

巫女衣装の氷室絹が一瞬光に包まれ、その身体が徐々に小さくなっていく。
それに伴い、艶のある黒髪が、光を湛えたライトブラウンの髪へ。両の瞳も水晶のような碧眼へと変わっていく。
呆気に取られる東堂の前で、巫女衣装を着ていた氷室絹は、西洋人形のようなあどけない少女へと姿を変えていた。
金髪碧眼の少女は、サイズが合わなくなった巫女衣装がずり落ちぬよう、余った布地を結び上げる。
少女は片膝をつき、恭しく東堂に頭を下げた。

「私はマスターの使い魔、シルキィ=フローズン。
見ての通り、先程までの姿はマスターの代理。マスターに成り代わっての対応、気に障られたなら申し訳ない。
それと、勝手な願いだとは承知しているが、私の事は此処だけの話にして頂きたい。」

先程の氷室絹の姿を取っていた時とは打って変わり、冷淡で事務的な口調。
そのあまりの変わり様に、流石の東堂も驚嘆の色を隠せなかった。
だが――――

「……使い魔、という訳ですか。
わかりました、此処での話は私の胸の内にだけしまっておきましょう。」

驚きはすれど、そこからすぐに立ち直るだけの胆力を東堂は持ち合わせている。
そして、彼の瞳の奥に底知れぬモノが渦巻いていたのだが、おキヌとシルキィがそれに気付く事は無かった。




















まだ小鳥の鳴き声も聞こえぬ早朝。
唐巣神父の教会の一室、綺麗に片付けられた部屋に不意に電気がつけられた。
九房に金髪を束ねた女性――タマモ――が、ベッドから起き上がり、手早く着替えを済ませる。
普段ならまだまだ眠りの中にいる時間なのだが、今朝のタマモの頭は澄み渡っていた。
自分でも驚いているのだろう。試しに鏡を覗き込んでみると、瞳もぱっちりと開き、いつもの眠たげなものとは明らかに違う。

「昨日のおキヌちゃんのコンサートのおかげかな……何だか、すっごく調子良い気がする。」

あの後、結局姿を見せなかった横島についての愚痴をこぼすシロをあやしつつ、駅で別れたのだ。
シロはオカルトGメンの調査で仙台に向かわねばならず、かと言ってタマモ一人で何処かに行く気分でもなかった。
そんな訳で早々に神父の教会に引き上げ、早めに休む事にしたのだ。

「ま、たまには早起きも悪くないかもね。」

リズムの良い鼻歌を口ずさみつつ、居間へと向かう。
ちなみに神父はまだ眠っているだろうし、朝食の準備をするにも早すぎる。
居間に置いている雑誌にでものんびり目を通そうかと考えていた。

「……おう。早いな、タマモ。」

居間に入るや否や、先客が愛想の無い挨拶を送ってきた。
誰あろう、昨日姿を見せなかった横島である。

アンタはッ!
と、咄嗟に声を上げそうになったが、小さく咳払いして抑える。

「昨日、コンサートに来なかったでしょ。
シロとの約束もすっぽかすなんて、ちょっと酷いんじゃない?」

「……ああ、そうだな悪い。シロにはフォロー入れとくよ。」

「横島……?」

タマモは妙な違和感を感じていた。
横島の態度は、単に朝が早いからテンションが低い、という訳では無さそうだ。
テーブルの上に置いた携帯をじっと見つめ、まるで何かを待っているように見える。
早朝の爽やかな空気の筈が、この居間だけ空気が張り詰めていた。

「……どうかしたの? 横島、なんだか怖いんだけど。」

え?そうか? そんな事無いぞ。そういや、昨日はどうだった――――

普段ならこんな返答とともに何事も無かったかのように振る舞った筈だ。
日本に戻ってきてからの横島は、たまにこういう風に考え込む事があった。
だがそれも、タマモが指摘すればすぐに誤魔化されるようなものだった。
だが、今日は違っていた。

「気のせいだろ。」

受け答えこそしているが、その意識はまったくタマモに注がれていない。
無論、タマモとしても面白くないが、今の横島に話しかけるのはためらわれた。
とりあえず横島の事は放っておこう。そう結論付け、タマモは読みかけだった雑誌を開いた。

―――― 一冊目の雑誌が終わり。
時計の秒針が刻むカチコチという規則正しい音と、ページをめくる乾いた音だけが響く。

―――― 二冊目の雑誌が終わり。
一度、タマモがコーヒーを淹れるために席を立ったが、横島は動かない。

―――― 三冊目の雑誌が終わる。
これで読みかけだった雑誌は全て片付いてしまったのだが、未だに横島は動こうとせず、じっと携帯だけを見つめている。

「……あ、そろそろ神父が起きてくる時間ね。
私は朝食の準備しなくちゃいけないんだけど、何か食べたいものあったら言ってよ。
まあ、あり合わせの物しか作れないけど。」

この重い空気をどうにかしようとタマモが声をかけてみたが、横島は曖昧な返事を返すだけで、やはりまともな会話にはならなかった。
結局、騒がしい家庭菜園から野菜を収穫・調理し、神父が居間に来ても、横島はじっと思案しながら何かを待ち続けていた。
神父も居間に入った途端に、普段とは空気が違うことに気付いたようだ。

「……ねえ、タマモ君。横島君の様子がおかしいみたいだけど、また何かあったのかい?」

「私も知らないわよ。アイツ、昨日のコンサートすっぽかして雲隠れしちゃってさ。
で、朝戻って来てたと思ったらアレよ。もう、かれこれ何時間もああしてるわ。」

横島に聞かれぬよう、炊事場で小声でやり取りする神父とタマモ。
タマモとしては話しかけるきっかけが作れなくて戸惑っていたのだが、そこは年長者の神父。
悩んでいる人間と話をするのは専門分野だ。

「やあ、横島君――――」

穏やかな口調で神父が話しかけたその時。
単調なリズムを繰り返す電子音が居間に鳴り響いた。
音の出所は横島の携帯。
携帯に表示されている相手の番号は横島には覚えの無いものだ。

「はい、もしもし。」

最低限の受け答えだけを返し、相手に余計な情報を与えない。
声をかけたは良いが、宙に浮いたままにされ、神父はバツが悪そうに頭をかいている。

「――――話に聞いていたのとは違い、意外と早起きなようだ。」

横島忠夫君。
そう続けた後、相手は一度言葉を切る。
こちらの出方・反応を窺っているのだろうか。

名前をフルネームで知っているという事は、これまでに何らかの関わりがあった相手なのだろう。
『話に聞いていた』という言葉は、相手が自分について、調査のようなものを行った事を意味しているのだろうか。

「いやあ、普段はもっとゆっくり寝てるんだけどな。実は昨日から寝てないんだよ。
そちらさんは、その理由に心当たりがあるんじゃないか?」

あえて言葉に敵意を乗せ、相手の出方を窺ってみる。
これで向こうが喜ぶようなら、昨日の不審な出来事の数々に関わっている事になる。
待ちに徹した自分の判断が正しかったのかどうか、相手の対応でわかる筈だ。

「随分と言葉に棘がある。まあ、突然電話がかかってくれば不審に思うのも無理はない。」

――――柳。
投げつけた敵意をあっさりとかわすその雰囲気は、まさに風を受け流す柳。
聞いた覚えの無い声だが、その言葉遣いや声の響きから、電話の向こうの相手はそれなりの年齢に達していると予想された。
相手はいったい誰だ? 自分の交友関係からは明らかに外れている。
だがその疑問は、次の言葉であっさりと明かされた。

「私はGS協会日本支部長、東堂というものだ。君の話は唐巣君達から色々と聞かせてもらっているよ。」

思わず神父の方に目をやるが、当の神父は理由がわからず、どうかしたのかい?と首を傾げている。
どうやら相手はGS協会の偉いさんらしい。
それなら希少な能力者である自分の事を知っていてもおかしくない。むしろ知らない方が不自然。
相手が虚偽を並べているだけという線もあるが、そんな事をしても唐巣神父に確認すればすぐにバレる話だ。
つまり、電話の相手は本物の支部長だと考えて良いだろう。

だが、となると尚更わからない。
この電話は昨日の件とは全くの別件で、何らかの依頼絡みの話なのか?
もしそうなら、こうしている瞬間にも本命の電話――電話とは限らないが――がかかってくるかもしれない。

「ところで、昨日は色々と大変だったみたいだね。」

何気ない口調で切り出されたその言葉に、ハッと息を飲まされた。
別に何かを具体的に指し示しているわけではない。
だが、言葉ではなく、相手の意思のようなモノを横島は嗅ぎとっていた。
本命だ。間違いなくこの電話こそが待ち構えていたものだ。

「俺はあなたの事を何も知りませんが、あなたは俺の事を色々と知ってるみたいだ。
是非『昨夜』の事も含めて、色々と話を聞かせていただきたいのですが。」

権力者が下の人間を相手にする動機はあまり多くない。
その中でも最も有力なものが、『自分のために何かをさせる』だろう。
しかし、向こうがそういうつもりならやりようは幾らでもある。
つまりは、ギブ・アンド・テイク。必要な情報を手に入れるためならどんな事でもしてみせる。

――――さあ、乗って来い!

待ち構える横島だが、相手の言葉はまたも横島の虚を突くものだった。

「ふむ。もちろん私は構わないが、電話で話す内容でもないな。
君さえ良ければ、電話ではなく直接会って話をしないかね?
私としても、一度君とは会って話をしたいと思っていたんだよ。」

確かに、それが自分にとってもベストの展開だ。
だが、予想とはあまりに違っている。

以前アメリカにいた時に、権力者の後ろ暗い依頼を何度か受けた事があったが、その場合は常に代理の人間と話をしていた。
理由は単純明快。会ったという証拠を残さないためだ。
だがこの相手は直接会おうと言っている。

となると、まさか本当に話をするだけなのか?

――――否。それは無い。

何故なら相手は昨日の件についても触れている。ただの世間話で終わるとも思えない。

「ええ、俺もそうするのが一番だと思いますよ。もちろん、あなたさえ良ければ、ですけど。」

「それは良かった。では唐巣神父の教会で会うのはどうだろう。
そこなら、お互い良く知った場所だろうしね。」

了承し、会う時間を決めて電話を切る。
約束の時間は正午。場所は神父の教会の礼拝堂。
全てが横島にとって都合が良いように設定されていた。

妙だ。これはいったいどういう事だ?
神父の教会は、言ってみれば横島のホームグラウンドだ。
支部長という立場からすれば、一介のGSを呼び出す事など当然のことだ。
常識で考えれば、横島が相手のホームであるGS協会に出向くべきだろう。

その時、ふと横島の脳裏に仮説が浮かんだ。
何の事は無い。恐らく、東堂は『敵』ではないのだろう。
昨日の策謀めいた一連の流れから、何か目に見えない存在を相手にしている気がしていたのだが、東堂はそれとは無関係なのかもしれない。
昨夜の不可解な出来事の一つ――決して認可される筈の無い“特一許可”――も、支部長の権限なら発令出来る筈だ。
自分の危機に、立場を利用して気を利かせてくれたのかもしれない。

――――いやいや、馬鹿か俺は!?

もしもそれが真実だとしても、それならもっと簡単な許可で良かった筈だ。
“特別許可”までいかなくても、“通常許可”でも充分警官から逃れることは出来た。
何が真実かわからない現状、都合が良すぎる考えを本気で信じる訳にはいかない。
あくまで仮説として置いておくべきだ。

相手の取った行動。会話から受けた印象。
それらを全て併せて考えても、白か黒かに分類する事は出来ない。
現状、東堂は灰色。それが白になるか黒になるか、すぐに結果が出る筈だ。

「――――島。横島ってば!」

その言葉で、ようやく我に返った。
タマモが呆れ顔でこちらを見ている事から察するに、どうやら何度も呼ばれていたのだろう。

「あ、悪いタマモ。ちょっと考え事してた。」

軽く溜息をつきながら、タマモが封筒を横島に手渡した。

「アンタ宛てに届いてたわよ。GS協会からだけど、心当たりはある?」

しばらく首をひねった後、ようやく思い出した。
恐らくGS選抜の一時審査の結果だろう。確か今日あたりが結果発表だったはずだ。

「今は正直、選抜とかをやる気分じゃないしな。ある意味ちょうど良かったか。」

自己採点で既に不合格なのは知っていたので、別に何の感慨も湧いてこない。
神父とタマモが気まずそうにこちらを見ているが、慰めてもらう必要も無い。
それでも協力してくれた二人に結果だけは見せておこうと、封筒を破って中身を取り出していた。










7月半ば。本来であれば湿気で蒸し暑い季節だ。
だが、空調すら設置されていない筈の教会の礼拝堂には、冷やりとした空気が漂っていた。
長いすに座り込んでいる人間がそうさせているのか、それとも他に原因があるのか、はっきりとしたところはわからない。
ただ約束の時間ちょうど、きぃと扉が軋み一人の老人が礼拝堂に姿を現した。
他に人の姿はなく、老人一人だけが漆黒の一本杖をついている。

扉が閉まると同時に横島は立ち上がり、その老人と向かい合う。
黒のスーツ、黒のネクタイ。そして、撫で付けられた豊かな白髪。
電話で受けた印象は正しかったらしく、かなりの高齢に達しているようだ。
身長こそ横島が頭一つ分高いが、老人の足腰には些かの衰えも見えない。

「――――初めまして、東堂支部長。」

互いに相手を探るように視線を合わせたが、それもほんの一瞬の事。
愛想の良い笑顔を浮かべ、横島が手を差し出した。

「聞いていた通り、活力が満ちているようだね。羨ましい限りだよ。」

東堂もにこりと微笑み、力強く横島の手を握り返した。
どちらからというでもなく、二人は長椅子に並んで腰を下ろす。

「今日も陽射しがきついですね。その格好だと暑かったのではないですか?」

白のポロシャツというラフな服装の横島が、東堂の黒ずくめの格好に目をやる。

「まあ、な。だが、さっきまで墓参りをしていたのだよ。
今日が命日という訳では無いのだが……毎月、この日だけはどうしても……」

目を伏せる東堂。その姿はどこか弱々しく見えた。
一瞬戸惑う横島だったが、すぐに今日の日付を思い出し、深く頭を下げた。

「失礼ですが、もしかしてあの時の大霊障で誰か親しい人を……?」

この日付。あの夜アシュタロスが宇宙処理装置を起動させた日。
月こそ違うが、未だにこの日は各地で慰霊行事が行われていた。
横島がルシオラを失い、そしてその他大勢の――多過ぎる――人命が失われた日。

「息子夫婦と孫を、な。
私にとって、全てを失った日だ……」

そこにあったのは、ただ一人残されてしまった孤独な老人の姿だった。
大切な人間を失ってしまったその痛み。その悲しみ。横島とて同様の喪失を体験しているのだ。
東堂の今の気持ちを、誰よりも理解できた。

「そう……ですか。
あの時、俺達がもっと上手くやれていれば……すみま――――」

謝罪の言葉は途中で東堂によって制された。
横島の口元に突きつけられた、大きく開かれた皺だらけの手。

「謝る必要など無い。君たちは精一杯出来る事をやった。同じように私の息子達も、出来る事を力の限りやり通した。
その結果、命を落としたとしても……誇ってやるのが残された者の務めだ。悔やむのは彼らの犠牲を侮辱する事に他ならない。」

そうだろう?
そう目で訴えかける東堂に、横島は黙って頷くしかなった。
しばらくの間、礼拝堂を沈黙が包んでいたが、その膠着を破ったのは横島だった。

「それで……昨日、俺が警官に足止めを食った時に手を貸してくれたのはあなたなんですか?」

「私が直接何かをした訳ではないが、君を解放させたのは私の指示だ。
大きすぎる許可を下したのは部下の独断だが、驚かせてしまったかな。」

あっさりと頷く東堂。

「何故です。あの短時間で解放されたという事は、事前に何か手を打っていたという事ですね?
正直に言って、あなたが俺に何を期待しているのかがわからない。」

いったい何をたくらんでいるんですか?
普段なら、そう最後に付け加えていただろう。だが、横島はこの老人に敬意のようなものを抱き始めていた。
先程の犠牲者に対する東堂の言葉は、横島の心も大きく揺さぶっていた。

「君だけではない。私は何人もの有望なGSにあらかじめ便宜を図るように指示しておいた。
その中には、君の友人の伊達雪之丞君やタイガー寅吉君も含まれている。」

静かに紡がれる言葉。
横島はズボンのポケットから今朝届いた封筒を取り出した。

「これもその『便宜』の内の一つって事ですか。」

東堂に突きつけているのは、受かる筈の無い第一次試験の合格通知。

「あんな書類選考で君達の能力を把握できるとは思っていない。
力のある者は、その力を正しく評価されなければならない。そのための選抜試験だ。」

穏やかにじっと横島を見つめる東堂。
つまり横島には力があり、それを自分は正当に評価すると言っているのだ。
横島とて悪い気分はしない。この老人はなかなかの人物だと思い始めているのだから尚更だ。
だが――――

「俺は……選抜に参加するつもりはありません。」

その言葉に東堂は、かすかに表情を険しくさせる。

「……馬鹿な事を。
君もGSならこの選抜を勝ち抜く事に、どれだけの価値が有るかは理解できるだろう。」

だが横島は静かに席を立つ。

「俺には、他にやらなきゃいけない事があるんです。
今さら取り戻せる事じゃなくても、それでも俺には大切な事なんです……!」

東堂の目を見ながら、続ける。

「美神さんの周囲で何かが動いています。俺は、あの人を守りたい……!
だから……もしもあなたが知っている事があるのなら、俺に教えて下さい……!」

横島が深く深く頭を下げる。
少なくともこの老人は『敵』ではない。知っている事があれば、それを隠すような事はしない。
これまでのやり取りで、そう判断したのだ。

「昨夜、美神女史が悪霊に襲われたという事件なら私も聞いている。
打ち合わせに遅れて現れた美神女史から、直接聞いたからな。」

横島が何かを言葉にしようとしたが、その前に東堂は頷き、横島を安心させる。

「大丈夫、彼女は無事だ。そして、事件については既にオカルトGメンが動いている。
何か進展があれば私に報告する手筈になっている。」

「良かった……美神さんは無事だったんだ……
でも、俺も独自に探りを入れてみます。ただじっと待ってるだけなんて耐えられませんから。」

そのまま横島は出口へと歩いていく。
すぐにでも調査をするために動くつもりなのだろう。
だが、その足は、次に投げかけられた東堂の言葉によって硬直させられた。

「君にとって気がかかりなのは、美神女史だけではない筈だ。
彼女はどうするつもりなのかね……?」

ドクンと心臓が早鐘を打つ。
次の言葉を聞く前に、既に頭のどこかでその先がわかっていた。

「記憶をなくした、氷室君のことだ。」

立ち止まった横島の背中に、東堂が話し続ける。

「昨夜、彼女とその使い魔を名乗る少女から、私は色々と話を聞かせてもらった。
君が昨夜アリーナに忍び込んでいた事。本物の氷室君は君と一緒にいた事。
私とて馬鹿ではない。彼女と話をすれば、どこかがおかしくなっている事などすぐにわかる。」

横島の脳裏に、昨夜交わした言葉がフラッシュバックする。


――――負担は、ある。でも、それが理由で不可能になる訳じゃない。
確かに貴方には無理かもしれない。でもマスターには出来るの。
マスターは自分が辛くても他人を救う事を選ぶ人……それは貴方も良く知っている筈でしょう。


――――マスターは色々なモノを失ったわ。でも、その代償にマスターは何千万という霊魂を救済してきたの。
過去の大戦……あの大霊障……マスターの力を借りたいと願う人間は世界中にいる。
そして、求められたならマスターは全力で応えようとするわ。貴方の記憶にあるマスターも、そういう人でしょう。


――――あの娘は……おキヌちゃんは……本当に憶えてないのよ……
それも、あの二人の事だけじゃない! 彼女は日本で過ごしてた頃の――いいえ、それだけじゃない!
あの娘は最近の記憶でさえ、もう殆ど憶えてないのよッ!!


――――横島さん、美神さんは強いんですよ。いっつも私を守ってくれてるんですから。
どんな悪い人が来たって、美神さんならへっちゃらなんです。


薄氷。それは、触れてしまえばすぐに砕けそうな程に、薄く薄く引き伸ばされた氷。
昨夜のおキヌは、危うい所でどうにか砕けずに均衡を保っているように見えた。
そう。それこそ、いつ壊れてもおかしくないと思える程に。

「使い魔の少女、そして遅れてきた美神女史が話してくれたよ。
氷室君の心が、度重なる慰霊によって擦り減ってしまっている事をな。」

切り札。ジョーカー。
もしそんな魔法のような言葉が実在するなら、次の言葉こそがそれにあたるだろう。

「君は、彼女を助けたくないか?」

開けようとしていた礼拝堂の扉から手を離し、東堂の方へゆっくりと振り返る。

「……出来るんですか?」

「条件は一つ。君が選抜で最後まで勝ち残ることだ。
そうすれば私が国連と掛け合い、彼女の解任を要請しよう。」

私にはそれだけの力がある。
言葉にこそしないが、東堂の表情がそう物語っていた。

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