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DAWN OF THE SPECTER 8

丸々&とおり

「おーい忠夫ー、いるかー?」

「……ノックくらいしやがれクソ親父。」

カップ麺をすすりながら、不機嫌そうな顔の横島が訪問者を睨みつけた。
だが突然乗り込んできた男は気にする様子もなく、豪快に笑い飛ばしている。

「はっはっは、相変わらずロクなもん食ってないみたいだな。
よし!たまには上手い飯でも奢ってやろう!」

「マジでか!?」

先ほどの不機嫌さはどこへやら。
横島は満面の笑みで目を輝かせていた。

おっと小学生をナンパ!w
しかも自宅に連れ込みですよ!



「こら美味い!こらぁ美味い!」

「お前なあ、ちゃんと味わってんのか?」

手当たり次第に握り寿司を胃袋に放り込む横島に、大樹が呆れながらビールをあおっていた。
どこぞの高級な料亭に行っても良かったのだが、物の価値を知らない横島には豚に真珠だろう。
それならば、と雰囲気こそ庶民的だが味の良い寿司屋を選ぶことにしたのだった。

横島は久しぶりに食べる廻らない寿司に感激し、次々に皿を平らげていく。
ふと気付けば大樹のジョッキが空になっていた。
個室の襖を開き、店員に注文を頼む。

「にーちゃん、生の中ジョッキ二つ頼むわ。」

店員は元気よく返事し、厨房へと入っていった。

「おいおい、俺はまだ未成年だぞ。」

「あー、卒業祝いだ。細かい事は気にすんな。
あ、でも母さんには内緒だぞ。」

慌てて付け足した最後の言葉に、横島はハイハイと頷いている。
どうやらあの母親に頭が上がらないのは相変わらずのようだ。

「お待たせしました。
ごゆっくりどうぞー♪」

「お、きたきた。
今日は俺の奢りだからな、好きなだけ飲んで良いぞ!」










「おい、ついたぞ忠夫。
……駄目だな、完全に潰れちまってる。」

タクシーの運転手に運賃を手渡し、酔いつぶれている横島を大樹が担ぎ上げた。

「ま、初めてであれだけ飲めれば上出来か。
さて、鍵はどこに入れたんだったかな……」

横島を担いだまま、ごそごそとスーツのポケットに入れたはずの鍵を探す。
と、その時、横島が何やら呟いた。

「う……ん……ルシ……オラ……」

「ん、何か言ったか?」

大樹が聞き返すが、横島は眠っているので答えない。

「チッ、寝言で女の名前を呼ぶとは生意気な……」

ハッキリとは聞き取れなかったが、今のは女の名前だと大樹の直感は感じ取っていた。

「やれやれ、こいつ意外と重いな……おっと!」

愚痴をこぼしながら居間に入った途端、落ちていたゴミに足を取られ、タンスに勢い良くぶつかってしまった。

「痛タタタタタ…………ん、これは?」

今の衝撃でタンスの上に置いてあった写真立てが落ちてきていた。
ふと興味を引かれ、写真立てを手に取る。

真ん中に少し照れた様子の亜麻色の髪の女性。
その女性を挟んで立つ、穏やかに微笑む黒髪の少女と脳天気そうなバンダナの少年。
黒髪の少女の隣に澄ました顔で写る金髪の少女。
バンダナの少年の腕に抱きつき、笑顔で写る赤い前髪の銀髪の少女。

自分の知らない少女も写っているが、どうやらあの事務所の集合写真らしかった。

「おや、確かおキヌちゃんて幽霊じゃなかったか?」

写真に写る黒髪の少女を見て、大樹が首を傾げる。
以前は人魂を左右にふわふわと浮いていたのに、写真に写るのはちゃんと足もある生身の女性だった。
あまり縁の無かった大樹には考えてみてもわからないので、写真立てを戻そうとしてふと気付く。

写真立ては木の枠で写真を挟み込むというシンプルな物だったが、落ちた衝撃で枠がずれてしまっていた。
直しておいてやろうと思い、一度木の枠を外すと、一枚の写真がひらりと舞い落ちた。

どうやら、さっきの集合写真の裏側に、もう一枚写真が入っていたようだ。

「……誰だこのコは?」

息子と二人で写っている黒髪のボブカットの女性に、大樹が首を捻る。
二人が少しはにかみながら浮かべている笑顔は、何とも初初しかった。
大樹がくるりと写真を裏返すと、息子の雑な字で何やら書き込んであった。

――――東京タワー、ルシオラと記念撮影




















ほのかに明かりが灯った店内に、からんと澄んだ氷の鳴る音が響く。
男はグラスを運び琥珀色の液体を口に含むと、味わいながらゆっくりと喉の奥に流し込んだ。
穏やかなピアノの調べが聞こえてくる、静かなバーのカウンター。
二人の男女が並んで座っていた。

男はスーツに身を包んでいるが無精ひげを生やし精悍な印象を与え、落ち着いた所作はその年齢をうかがわせる。
音を楽しむようにグラスを傾け、年代物のウイスキーをロックでやる姿からも、みなぎる力強さを隠せはしない。
その隣に座る女性もブラウスとタイトなスカートというどちらかといえば実用的な服装だったが、整った顔立ち、細身の割りに豊かな胸、すらりとした長い足はモデルを思わせる。
透き通る金髪を指で梳きながら、女性はオレンジの溶けたカクテルが注がれたグラスを口元で躍らせていた。

かなり年が離れて見える二人だったが、まるで寄り添うように。
時折女性が相手の反応を楽しむように、男の肩にもたれかかる素振りを見せている。
男は女性の体が触れても特に反応を見せず、にこやかな表情でグラスを傾ける。

「今更聞くのも何だけど、こんな所にいて良いのかしら?」

女性の問い掛けに、男はふっと微笑み答えた。

「確かに、今更な質問ですね。
ここでこうして貴女と一緒にいる。
それが答えではいけませんか?
タマモさん。」

タマモはくすりと笑うと、カクテルグラスにまた口をつけた。
酔いのためか、それとも男の精気にあてられたのか。
タマモの頬は微かに上気していた。
カクテルで濡れた唇とその頬に、男の背筋にぞくりとした感情が走る。

「突然のお誘いを受けて頂いて、感謝してるわ大樹さん……」

大樹の肩に頭を預け、見上げるように大樹の瞳を見つめる。
思わずその瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚えながらも、それでも大樹は目を逸らそうとしなかった。

大樹もまた、その肩にかかる彼女の頭の重さに心地よさを覚えていた。
だが彼は、彼だからこそ気が付いていた。
今目の前にいる金色の髪を九房に纏めた女性は、魅力以上の何かを備えていると。
それが果たして霊能者故の何かなのか、それとも他の理由によるものなのか。
霊的に一般人の大樹にはわからなかった。

だが、本能と経験から察していた。
蠱惑(こわく)的と言ってもいい、彼女のまとう雰囲気に巻き込まれれば火傷程度ではすまないだろうと。
久しく無かった手ごわくも魅力的な女性との静かな闘いに、しばらく身をおこうと、鼻腔に立ち上る香りを楽しみつつ思った。

「こうして、貴女と素晴らしい一時を過ごすのはとても嬉しいのですが……何か私に用件があったのでは?
そう――――」

そこで言葉を区切り、相手の瞳をしっかりと見据えてから、続きを口にする。
肩にかかる重さは、いまだ心地よい。

「――――昼間の犬塚さんのように。」

タマモは何も答えず、大樹の肩に頭を預けたまま微笑んでいる。
だがわずかに視線を落としたせいか、豊かな髪が大樹の頬をくすぐった。

「どうやら正解のようですね。」

大樹は手を伸ばし、つつっと指先でタマモのうなじからあごを確かめる様になぞる。
目を閉じ、愛撫にも似た快楽を受け入れていたタマモが呟いた。

「違う、と言ったら?」

「――――ふむ、違うのですか?」

大樹の指先はゆっくりと首筋をなぞり、鎖骨の辺りまで下りてきていた。
タマモは薄く目を開き、少し咎めるように囁いた。

「大胆なのは嫌いじゃないけど……少し、気が早いかもね……」

耳元でタマモが囁いて、大樹は素直に指を引いた。
とがめる、というにはあまりに柔らかく甘い声に、大樹は陶然とする。
このまま二人で会話を楽しめればどれほど良いか、そう思わないでもなかった。
だが、目的があって彼女が自分に接触してきた以上はそうも行くまい――――
それぞれの考えとは別に、あくまでも落ち着いて酒を交わす二人。
そのためか、タマモが纏う男を惑わす空気が幾分か薄らいでいる気がした。

「何となく、用件は察してるみたいだし……本題に入って良いかしら?」

勿論です、と頷く大樹を見つめながら、タマモは己の不利を悟っていた。

大樹は神父や横島達のような高い霊力は持ち合わせていないし、そもそも霊能に関しては全くの素人だ。
シロと別れた後タマモは大樹の匂いをたどり、幻術で姿を隠しつつ部屋に忍び込んだ。
わずかの時間ではあったが、その言葉使い、指示の与え方、そして判断力や洞察力、観察力、それに精神力。
ビジネス界で生き抜いてきた大樹の交渉術に、とても自分では太刀打ちできないだろう。
そう実感させられるほどに大樹は冴えていた。

だが、自分にも有利な点が無い訳ではない。

まず一つ目、大樹は帰国した横島とまだ接触していない事。
そして二つ目、相手は男で自分は妖狐。男を惑わすテクニックは前世の知識がいくらでも教えてくれる。

それでも大樹を甘く見る事は出来ない。
先程の質問に、もしも虚偽の答えを返していたとしたら――――
恐らく、大樹は容易くそれを見破っただろう。
嘘をつく時に出てしまう違和感や不自然さを、この男から隠し通せるとは思えなかった。

さらに、相手から聞き出さねばならないという不利な立場に加え、アルコールがタマモの頭を鈍らせていく。
出来るなら飲みたくなかったが、相手を惑わす雰囲気を演出するためにも飲まない訳にはいかなかった。
オレンジジュースのような柔らかい口当たりが、まだせめてもの救いだった。
そもそもタマモは酒がそれほど得意ではないし、これ以上思考力が鈍くなる前に、仕掛けなければならない。

「四年前の、美神所霊事務所での出来事――――」

そこまで聞き、ふぅと大樹が溜め息をつく。
例え誰に聞かれても、何度聞かれても、自分の答えは変わらない。
あの件について、自分の口から何かを明らかにするつもりは無いのだから。

だが、大樹のその反応を見たタマモは、相手が口を開く前に先手を打つ。

「あら、『自分からは、何も話すつもりは無い』と言いたそうね。」

タマモの言葉に大樹が頷き、席を立とうとする。

――――この程度か……つまらん。

何の捻りも無いタマモに大樹は失望していた。
もっと緊迫した駆け引きを、と期待していたのだ。
これでは昼間のシロとの対談の方がまだ楽しめた。

「興味本位で、他人のプライバシーに首を突っ込むのは感心しませんね。」

話を切り上げようとする大樹のこの反応は、タマモの想定通りのものだった。
くすりと妖しく口元を緩ませると、大樹の心臓を射抜く言葉を投げかけた。

「私、彼と同棲してるの。」

頬杖をつき、カクテルグラスをもてあそびながら、さらっと口にした言葉。
その瞬間、時が止まった。
大樹はただ口元を引き縛り、タマモを見つめる事しか出来なかった。





――――ありがとうございました――――

演奏を終えたのだろう、ピアノの前で女性が深くお辞儀をし、客達が賛辞の拍手を送っていた。
その拍手で、ハッと大樹が我に返った。
慌てて自分も拍手を送り時間をとると、さっきまでの余裕のある表情に切り替え、何事も無かったように取り繕う。

だが今のタマモの言葉で、相手から聞かれる立場だったのが、逆に相手に聞かねばならない立場に入れ替わってしまった。
『同棲』、つまり、タマモは息子と単に親しいという以上の関係にある。
その女性が自分に四年前の事を聞きに来たという事実。
タマモの行動は、理由があってに違い無いからだ。

焦れる気持ちを落ち着かせようと、再びグラスに口をつける。
しかし気付けば、タマモの誘惑は先程以上に自分を絡め取ろうとしていた。
カクテルグラスをなぞる指先も、男を喜ばせようと体をなぞる動きを。
アルコールによりピンク色に染まった頬も、情事を終えた後の上気した肌を。
かすかな衣擦れの音さえも、衣服を脱ぎ捨てる姿を連想させる。

タマモの仕草一つ一つが大樹を縛り絡め、その思考すらも鈍らせていくようであった。

「そ、それは、初耳ですね。」

立ち上がりかけた腰を下ろし、姿勢を正す。
何事も無い様子を装いグラスを傾ける大樹の姿に、タマモは内心安堵していた。

大樹の心の平衡を大きく揺り動かした『同棲』という言葉。
あれは嘘ではない。嘘ではないが、事実かと聞かれると微妙な所だった。
基本的に、『同棲』という言葉は、恋人関係にある二人が一緒に暮らす時に使う言葉だ。
自分と横島は付き合ってなどいないし、そもそも神父の教会に三人で暮らしているのだ。

もしもこれが完全に嘘ならば、口調や雰囲気の違和感から大樹もそれを見抜けたかもしれない。
だがこれは限りなく真実に近い内容だったため、タマモの言葉に違和感や不自然さは殆ど無かった。
そして何より、あの息子がこれほどの美女と同棲しているという驚愕が大樹の判断力を誤らせた。
昼間会ったシロが、あの馬鹿息子に惚れているのにも驚いたのだが、今回はそれ以上の衝撃だった。

「しかし、それほど親密な仲なのなら、あいつに直接聞いた方が――――」

自制心を全力で発揮し、何とかタマモの痴態を頭から追い払う。
大樹の言葉から、先程の動揺は完全に姿を消していた。

タマモは考える。
この機会を逃せば、また相手のペースに乗せられ、良いようにあしらわれてしまうだろう。
今のように不意を突くのならばともかく、まともに交渉してこの男を落とせるとはとても思えなかった。
大樹の言葉を遮り、次の手を打つ。

「どれだけ尋ねても、彼は教えてくれないわ。
でも、いつも哀しい目をしてて……見てて辛い……
もしも私で彼の力になれるなら……彼を癒してあげられるなら……」

自然な素振りで大樹の手を取り、真摯な眼差しで訴えかける。
タマモの華奢な指が大樹の無骨な指に絡められ、大樹の思考能力を更に削り取っていく。
かすれ声の囁きが大樹の脳を激しく揺さぶる。

「それでも……私には知る権利が無いと思う?」

――――むぅ、これは……参ったぞ。

大樹は内心頭を抱えていた。
ただの興味本位なら拒絶するだけで済むのだが、こういう場合はどうするべきだろうか。
一番良いのは息子と連絡を取り、直に話をして確認する事だろう。
昼に息子が帰国した事を聞いた後、黒崎に消息を探るよう指示しておいた。
恐らく近い内に見つけ出してくれるはずだ。
ならば、それからでも遅くないのではないか?

普段ならそう決断し、ここで話を切り上げただろう。
しかし大樹は度重なるタマモの誘惑に傾きかけていた。
少しくらいならば力になってやりたい。
大樹の男としての度量が、この場合かえって決断を惑わせていた。

そしてタマモとて、この好機を逃す事は、真実に届かなくなるという事だと理解していた。
時間的猶予を相手から奪うため、更なる追い討ちを試みる。

「それに、彼最近浮気してるみたいなの……」

とうとう大樹が眉間を押さえた。
内心の動揺が表に出始めているようだ。

それにしても、浮気とは……
血は争えないのかと、大樹は頭を抱えていた。

そんな大樹の様子を眺めながら、タマモが物憂げな表情でカクテルグラスを空にする。
そして酔いに任せる振りを装い、とん、と大樹の胸元に顔を埋める。

「私には、彼を繋ぎ止められるだけの魅力がないの……?
それとも……私も、同じように……して良いの……?」

恐らくこれで全ての手は打ったはずだ。
しかしここからが問題だ。

もしも、大樹がこの誘惑を受け入れた場合、どうなるのか?
やはりこの身体を代償にせねばならないのだろうか。

こんな事になるくらいなら、いっそ帰国一日目のあの夜、横島に――――

ふっと馬鹿な考えが頭をよぎり、慌てて頭から追い出す。
大樹を誘った時点で既に覚悟は決めていた筈だ。
少なくとも、シロにこんな汚れ役はさせたくなかった。
純真なシロにはきっと耐えられないから。

「……やれやれ、わかりました。
私の知っている事を、少しだけならお話しましょう。
それであの馬鹿の浮気を理解してもらえるかもしれませんからね。」

後10年若ければ自分が、大樹は頭に浮かぶ考えを打ち消す。
年甲斐も無く色気に惑わされているのかもしれないが、それも仕方が無い。
しかし、あの馬鹿には勿体無いとは言え、息子の恋人を寝取るのはいくらなんでも気が引ける。

そして、この女性は浮気が原因で失うには、あまりにも惜しすぎる。
大樹はタマモをそう判断した。
あの馬鹿息子が言わないなら、自分が言うしかない。
そう決心し、話せる内容を吟味しながら、言葉を紡ぎ始めた。










「釈放の手続きは終わりました。
もう出られますよ、西条主任。」

濃いブラウンのスーツに身をつつんだ、金髪が印象的な整った顔立ちの少年が留置所の扉を開いた。
壁にもたれかかる留置所の男は、顔全体を紫色に腫らし、深く切れた唇が痛々しい。
その男――西条はのそりと起き上がると、留置所の扉をくぐった。

「すまないね……助かったよ、ピート君。」

喋るだけでも苦痛なのだろう。
顔をしかめながら、迎えに来た少年に礼を言う。

「酷い有り様ですね……治療の手配は出来ているので、先に傷を治してください。」

オカルトGメンという職業柄、怪我を負うなど日常茶飯事だ。
そのため、常時治療を受けられる専属の心霊治療(ヒーリング)術者を抱え込んでいた。
西条の傷は軽いものではないが、充分治せる範囲内のものだろうが―――。

上司の力量を良く知っている金髪の少年、ピートは内心驚愕していた。
シロから報告を受け、西条が空港で誰かと激しく争ったという事は聞いていたのだが、ここまで重傷とは思ってもいなかった。
誰と争ったのかを尋ねてもシロは言葉を濁すだけだったが、西条にこれほどの傷を負わせるなど、いったい何者だったのだろうか。

さらに不可解なのは、相手は逮捕から数時間で釈放されたと言うのだ。
オカルトGメンという立場の西条ですら釈放に一日かかったというのに、これは異常な話だった。
それこそ、何らかの外交特権でも持っていなければ、そんな事は不可能だ。

「何があったんですか、西条主任?
目撃者の話では、貴方が先に手を出したそうですが。」

「…………何でもない。」

返答を拒否する上司に、ピートの表情が険しくなる。
いきなり相手に殴りかかるなど、ICPOの一員として決して許される事ではない。
下手をすれば首が飛んでもおかしくないのだ。

思わず声を上げようとするピートに、西条が振り返った。

「彼はどうした?」

機先を制され、責めるタイミングを逃してしまった。
ピートは小さく溜め息をつくと、知っている事を説明し始めた。

「誰かは知りませんが、もう釈放されましたよ。」

そこで、ピートはどうしても気になっている事を尋ねた。

「それにしても……相手は誰だったんですか、西条主任。
理由は不明ですが、相手は貴方を告訴しないと言っています。
それどころか、この件に関して、一切貴方に害が及ばないよう要求しています。」

ちらりと上司の怪我の具合を窺い、言葉を付け足す。

「取り敢えず、報告書を提出すれば、この件に関してお咎めは無いそうです。」

異例の処置に首を捻りながらも、上司の処分が無い事にピートは胸を撫で下ろしていた。

「…………こんな事で、恩を売ったつもりか、横島君。」

小さく呟くと、西条はぎしりと歯を軋ませる。

「え、何か言いましたか、西条主任。」

ピートの問いには答えず、西条は留置所を後にした。










「貴女が彼らと行動を共にするようになったのは、犬塚さんと同じ頃、でよろしかったですね?」

タマモが頷くのを確認し、先を続ける。

「ならば、貴女達は知らないでしょう。
昔の、何の取り柄もなかった、ただの馬鹿なガキだった頃のあいつを。」

昔を思い出しているのか、大樹は目を閉じグラスを傾ける。
溶けかけた氷が、カランと澄んだ音を立てた。

「昔のあいつは、それはもう駄目な奴でね。
よく美神さんもクビにしなかったものです。」

仕事中にセクハラをするようなバイトなど、普通に考えれば即解雇だろう。
とは言え、その代償として労働基準法違反の薄給でこき使われるのだから、バランスは取れていたのかもしれない。
しかし、よく考えてみれば自分も若い頃同じような事を――――

くくっと笑い、残り少なくなった琥珀色の液体をじっと見つめてから、一気に残りを喉に流し込む。
じわりと体にアルコールが染み込んでいく感覚に小さく息を吐いた。

追加を頼もうとしたところで、タマモのグラスも空になっている事に気付く。

「私はもう少し飲みますが、どうしますか?」

「……ええ、私もいただくわ。」

酔いのためか、タマモが少し気怠げに微笑んだ。
大樹が同じ物を頼むのを見ながら、予想以上に酔いが回っていることを自覚する。
視界は微妙にぼやけ、味覚もかなり鈍りつつあった。カクテル三杯ぐらいなら問題ないと思ったのだが、相手のペースに合わせたのがマズかったか。
酔い具合はそろそろ危険な領域にさしかかる頃合だが、後一杯くらいなら何とかなるだろう。
それに、ようやく口を開かせる事が出来たこの空気を、変えたくなかった。

「それが何の因果か、知り合いの神様に霊能力を目覚めさせてもらったそうで。
意外な事に才能があったのか、それなりに美神さんに認められるようにまでなったそうです。
私は霊能関係は素人なのでわからないのですが、あいつの能力はかなり珍しいのでしょう?」

「……確かに、かなり珍しいわ。」

実際には珍しいなどというレベルの話ではない。
文珠を精製出来る人間など、千年に一人出るかどうかだ。
現にGS協会のデータバンクにも横島以外の文珠精製可能者は登録されていなかったし、過去にも日本の陰陽師以外には例が無かった。

それが、霊能に目覚めてからほんの数ヶ月でその域に達するなど、タマモにはとても信じられなかった。
よほど特殊な修行でもしたのだろうか――――?

「どうやら徐々にですが、それなりに使えるように成長していたそうです。
そんな時ですよ。あの、アシュタロスとかいう悪魔の事件が起こったのは――――」

「ちょっと待って。
私もシロも、あの事件の顛末を良く知らないの。
オカルトGメンのデータベースも、GS協会のデータベースも、『民間のGSとオカルトGメンが協力し、アシュタロスを撃退する事に成功した』とだけしか登録されてなかったわ。
少なくとも、私達の権限でアクセス出来たのはそれだけだった。
何故それだけしか登録されていないの?
何か、隠さなければいけない事でもあったの?」

自分が目覚める前に大事件があったという事は知っていた。
だが、所詮は過ぎた話だったし、自分には関係無いと思っていたから今まで気にしなかった。
しかし、それに横島が深く関わっているのなら話は別だ。
そうなると、まるで真相を隠そうとしているかのようなオカルトGメンとGS協会が急に怪しく思えてきた。

「先に断っておきますが、私がこれから話す内容は、全て人から聞いたことです。
私が直接関わった訳ではないので、事の顛末を完全に理解しているという訳ではありません。」

タマモは了承し、話の続きを促す。

「事の発端は、美神さんの前世がアシュタロスから何かエネルギーの結晶のような物を盗み出したのが原因だったそうです。
私には良く理解できなかったのですが、大層貴重な品物らしく、それを取り返したかったのでしょう。
アシュタロスは部下を送り込み、美神さんを見つけ出そうとしていたようです。」

「でも……前世と今世は別物よ?
生まれ変わりの美神さんには無関係の筈だわ。」

「素人の私には良くわからないのですが……彼女の前世はそのエネルギーの結晶を取り込んだまま転生してしまったそうです。
そのため、来世である美神さんの魂に引き継がれてしまったのだそうです。」

なるほど、とタマモが頷いている。
そこで大樹は言葉を切り、グラスを口に運ぶ。
酒を飲む大樹の横顔から、タマモはそろそろ本題に入ろうとしている事を感じ取っていた。

「そして、あいつは出逢ってしまったのですよ。
初めて、自分の事を心の底から信じてくれた女性と。」

大樹は哀しみを堪えるかのように、ぐっと唇を引き結んだ。
そして遂に、核心となる女性の名を告げた。

「――――その女性の名はルシオラ。
悪魔アシュタロスがエネルギーの結晶を探すために差し向けた、三人の魔族の姉妹の一人です。」

何時の間にかピアノの演奏は休憩に入り、店内は静寂に包まれていた。




















「……なあ、親父。
自分の旦那の昔の恋人を産むのって、その奥さんにとっちゃどうなんだろうな。」

前日とは違う、安い居酒屋のテーブルで二人は向かい合っていた。
既にテーブルの上には空いたジョッキがいくつも並んでおり、横島の顔は赤くなっている。

「どう、と言われてもなあ。
普通はそんな状況にならんしなあ……」

ぐいとジョッキをあおると、少し考え込んでから付け足した。

「やっぱり、複雑な心境なんじゃないか?
恋人の生まれ変わりの娘にばかり愛情を注ぎ、自分がないがしろにされるんじゃないか、みたいな不安はあるだろうしな。」

「…………だよなあ。
あん時はそこまで深く考えなかったけど……娘に生まれ変わるってのはそういう事なんだよなあ。」

はあ、と溜め息をつき、つまみに手を伸ばした。
塩気のきいた枝豆を口に含み、中身を取り出す。

「……なあ、俺はいったいどうしたら良いのかな。」

この日、大樹は横島を居酒屋に連れ出し、言葉巧みに話題を誘導しつつ、ルシオラという女性の事を聞き出そうとしていた。
二年前の出来事を何も知らない大樹は、せいぜい失恋した相手の事を引きずっているのだろう程度にしか考えていなかった。
だがしかし、酒の酔いも手伝い、横島は二年前の事件を全部話してしまった。
心のどこかで誰かの意見を求めていたのかもしれない。

ルシオラと出逢い、互いに惹かれあっていった事。
強大な力を持つアシュタロスを出し抜き、短い間だが平穏な日々を送った事。
そして、あの辛すぎる別れと、今に続くその後の展開も。

全てを話し終えた今、横島の脳裏に浮かぶのは、果たして娘に生まれ変わるという方法が許されるのか、という疑問だった。
大樹に打ち明けたのは、確かに酔いの勢いもあった。だがそれだけではなかった。
横島としても、客観的に答えてくれそうな、あの事件に直接関わっていない第三者の意見を聞きたかったのだ。
親という時点で完全な第三者とは言えないかもしれないが、横島は他に頼れそうな相手を思いつけなかった。

話を聞き終えた大樹には、あまりに非現実的で信じがたくある内容だった。
だが、息子の表情は、嘘や偽りを話しているにしては真に迫っていた。
となると、少なくとも今聞いた内容は事実だったのだろう。

「でも、まあ……そんな先の心配するよりも、彼女つくる方が先だよな。」

横島がぽつりと呟く。
確かに、相手もいない頃から相手の心配をしても意味がない――――

そこでふと大樹の頭に何かが浮かんだ。
それは一瞬の閃き。アイデアと言うよりは、ふと浮かんだ、疑問にも似た発想。

こうなったら、誰でもいいから妊娠させてしまえば良いのでは?
酔った大樹の頭は、かなり不穏な思考に傾きかける。
だがすぐに正気に戻り、やれやれと首を振って馬鹿な考えを振り払った。

そもそも、そんな無茶な事が許される訳が無――――いや、待てよ?

一度は馬鹿な考えだと切り捨てたが、何かが引っかかる。
もしも、もしもだ。相手の女性を必要とせず、子供をつくれるならば――――

オカルトの知識を持たず、また、美神や横島達の環境を良く知らない大樹だからこそ浮かんだ発想。

「忠夫、ちょっと思いついたんだが……こういうのはどうだ?」

その言葉に、横島が酒で濁った瞳を向ける。
前日に続き、どうやら今日も深酒のようだ。
だが、大樹の話が終わる頃には、その瞳に力強い輝きが戻っていた。




















ジャズの緩やかなリズムが店を包み込んでいる。
大樹の話は、南極でアシュタロスを出し抜き、平穏な暮らしが訪れたあたりまで進んでいた。
ルシオラとその妹――パピリオの身柄を美神除霊事務所で引き受ける事になり、遂に横島とルシオラは平穏を手に入れたのだった。

だが、タマモは大樹の表情からそれも長くは続かなかったのだろうと察していた。
そして、その予感は的中する事となる。

人の姿で美神に近付いていたアシュタロスが正体を現し、エネルギーの結晶を奪い取ったのだ。

「……ちょっと待って。そのエネルギー結晶って来世に持ち越すくらいなんだから、魂と結合してたはずよね。
それを無理矢理引き剥がしたりしたら、美神さんの魂が無事じゃ済まないわ。」

「ええ、そういう事らしいですね。
現に美神さんの魂はエネルギー結晶を抜き取られた際に四散してしまったそうです。」

「だったら、私が知ってる美神さんはいったい何だって言うの?
魂が砕けるという事はこの世からの消滅を意味するのよ。
もしその話が事実なら、美神さんが生きてる訳がないわ。」

思わずタマモが声を上げる。大樹はグラスを傾け、じっとタマモを見つめた。
力強い視線で射抜き、少し熱くなっている事を気付かせる。

「あ、ごめんなさい……先を続けて。」

タマモは素直に謝り、気持ちを落ち着かせるためにカクテルグラスを口元に運ぶ。
話の核心に近付いている事を感じ取り、少し焦っていたようだ。

「さっき貴女は聞かれましたね。
何故あの事件の情報がほとんど登録されていないのか、何か隠さなきゃいけない事があったのか、と。」

タマモがこくりと頷く。

「宇宙処理装置(コスモプロセッサ)、というものを御存じですか?」

少し考え込み、記憶の海を探るが、心当たりがなかった。
首を振るタマモに、そうでしょうねと呟き、先を続ける。

「あの、全世界を襲った大霊障……あれを引き起こしたのは、その装置の力だったそうです。
その名の通り、宇宙を処理し、己の意のままに造り変えることが出来るというとんでもない代物ですよ。」

正直、とても信じられませんがね。
ぽつりと呟き、またグラスをあおる。
気付けば、大樹のグラスは空になっていた。

その頃、自分はまだ目覚めていなかったため、大霊障と言われても一体どれ程のものだったのか。
実際に目にした訳ではないタマモにはわからなかった。
だが全世界で一斉に起こった霊障など、前代未聞だという事はわかる。

しかも、話によれば、一度滅んだはずの魔族や妖怪まで現れたらしい。
常識で考えれば有り得そうもない話だったが、先の大樹の言葉が真実なら、そうもいかない。
もしも、宇宙を意のままに造り変えるような装置が実在したのなら――――記録から抹消されたのも頷ける。

知らない方が幸せな事実というのは記録に残さない方が良い。
少なくとも、一般人は知らない方が良い。
己の生殺与奪権が他人に握られていた事を知れば、無用の混乱が生まれただけだろう。
だがそこで、ふと疑問が浮かぶ。

「もしそれが本当なら……それはトップクラスの重要機密よ。
何故霊能者でもない、ただのビジネスマンの貴方が知っているの?」

タマモの問いに、薄く笑い答えた。

「なに、とある女性が色々と教えてくれたんですよ。
息子を囮にされた父親としては、事情を知りたいと思うのは当然の事でしょう?」

ある女性――――考えるまでもない。美神美智恵だろう。
確かに、彼女なら全てを知っているはずだ。
敵の船ごと横島を殺しかけたことを理由に、説明を求めたのだろうか。

聞いた話から推測するならば、その作戦を立案したのは美智恵と考えて間違いない筈だ。
大樹が嘘をつく理由は無い。しかし、タマモには信じられなかった。
あの、ひのめを優しく世話をする姿からは、そんな冷血な作戦を遂行できるとは想像もできなかったのだ。

「『大の虫を生かすために小の虫を殺す』、なんとも使い古された言葉ですが、一つの真理を現しているとは思いませんか?」

突然話を振られ、タマモがキョトンとした表情を浮かべた。
だが、すぐに我に返り考えを巡らせる。

「悪いけど……それには賛成しかねるわ。
そんな傲慢な考え、私は絶対に認めない。」

タマモの記憶に刻まれた忌まわしい過去。
現世に生まれ変わった直後の記憶。
訳も分からぬまま人間に追い立てられ、滅されかけた悪夢のようなあの日。
それがタマモの脳裏にまざまざと浮かび上がっていた。

大多数のために少数を犠牲にする事を認めるなど、タマモには出来る訳がなかった。
何故なら、それを認めるという事は、あの日の彼らの仕打ちを、自らが正当化する事に他ならないのだから。

そんな事を考えていたためか、タマモの表情と口調は険しいものになっていた。
ちらりと覗いたタマモの素顔に、大樹が笑みを浮かべる。
その仕草に、まるで心の中を見透かされたように感じ、すっと目を逸らすとカクテルを飲み干した。

「ふむ、どうやら貴女も辛い体験をされたようだ。
ま、深くは聞きませんがね。」

目を合わせようとしないタマモに肩をすくめ、続きを話し始める。

「その後、宇宙処理装置とやらを逆に利用し、美神さんは生き返れたそうです。
そして……その装置のエネルギー源だった結晶をあいつが破壊し、アシュタロスは滅び去った、という訳ですよ。」

話はこれで終わりです、とばかりに大樹がゆっくりとグラスを傾ける。
だが、タマモはまだ一番聞きたい事を聞いていなかった。

「これで終わりじゃないでしょ?
ルシオラって人がどうなったのか、まだ聞いてないわ。」

その問いに、大樹はじっとタマモの瞳を見つめる。
まるで、ただの興味本位の言葉なのか見極めているかのように。
しばらくそうしていたが、やがて大樹がポツリと呟いた。

「死にましたよ。」

「――――え?」

何を言われたのか理解できず、一瞬間を置いてタマモが聞き返した。

「彼女は死にました。
死にかけたあいつを助けるために、自分の命を分け与え、彼女は死んでしまったんですよ。」

繰り返される大樹の言葉に、珍しくタマモは困惑していた。
どう考えても、美神や横島から『死』というものを連想できなかったのだ。

「え……でも、そんな……だって、美神さんが生き返ったんでしょ?
それなら、その人も同じように生き返らせてあげられる筈よ……」

大樹は何も答えようとしない。
その時、不意にさっきの大樹の言葉が脳裏によみがえった。

その装置のエネルギー源だった結晶をあいつが破壊し――――

「……そんな、まさか。」

「一応あいつの名誉のために言っておきますが、他に方法が無かったんです。
この世界を救うか、それとも彼女を救うか。
極端に聞こえるでしょうが、それしか選択肢が無かったんですよ。」

さっきの大樹の言葉はこの事を指していたのだろうか。
一人の命と世界の命運。客観的に判断するなら、どちらを優先すべきかなど考えるまでも無い。
頭では理解できる。だが、実際に滅されかけた身としては、認める事は出来なかった。
胸にまとわりつく苛立ちのようなものを消そうと、気が付けばカクテルの追加を頼んでいた。

「そろそろ飲み過ぎなのでは?」

何も答えず、追加のカクテルグラスをかたむけるタマモに大樹が肩をすくめる。
タマモも飲みすぎていると自覚していたが、あまりのやり切れなさに飲まずにはいられなかった。

横島の過去を知りたいと望んだ。
それさえ知れば、四年前のような、何も知らずに取り残されるような事は無いと思っていた。
根拠など無い。だが、知ってさえいれば、何があろうと対処できると思っていたのだ。

だが、知ってしまった今、知るべきではなかったと後悔し始めていた。
結局、自分に出来る事など何も無い事がわかっただけだった。
自らの手で恋人の命を摘んでしまった横島に、自分が何をしてやれるというのか。

「あいつの浮気は……亡くしたルシオラさんを忘れたいがためでしょう……
貴女には関係ない話かもしれませんし、これを聞いた後どうするかは貴女にお任せしますよ。
出来れば理解してやって欲しいとは思いますが……って、おや、タマモさん?」

急に静かになったタマモの方に目をやると、カウンターに突っ伏して静かな寝息をたてている。
そう言えば結構飲んでいたなと思い返すと、6杯近く飲んでいたような気が――――

「ふむ、さすがレディキラー。
その異名は伊達じゃない、か。」

最初、タマモが普段カクテルは飲まないと言っていたので大樹が注文していたのだ。
オレンジとジンのカクテル、『アペタイザー』。
その飲み易い口当たりとは裏腹に、アルコール度数はとても高い。
飲み易さからついつい飲み過ぎ、酔い潰れる女性が多い事からレディキラーと呼ばれている。

「さてと、あの馬鹿のフォローとしては充分だろう。
ここからどう転ぶかは、俺の知った事じゃないしな。」

懐から煙草を取り出し、火をつける。
最低限の話しか伝えなかったから特に問題は無いだろう。
と言うか、あの事務所のメンバーなのに、この程度の内容を知らなかった事の方が意外だった。
腕を枕にして眠るタマモを横目に、携帯電話を取り出し腹心の部下と連絡を取る。

「やあ、黒崎君。連絡が遅れてすまないね。
今、いつも君と飲む店に居るんだが、悪いけど迎えに来てくれるかな。」

今居る場所を告げ、迎えに来てくれるよう頼む。
黒崎は特に不満を言うでもなく、淡々と了承すると、数十分程度で迎えに行けると請け負った。

黒崎を待つ間、煙草をくゆらせながら、あの夜に居酒屋で息子と交わした会話を思い返す。
今考えれば、あの夜に、後の悲劇に繋がる全ての要因が揃ってしまったのかもしれない。

引き金が実際に引かれたのはもう少し後だが、もしも、自分があの提案をしなければ――――
『もしも』を考えかけたが、すぐに意味の無い事だと首を振る。
今更何を考えようと、起こってしまった出来事は変えられないのだから。




















「なあ、代理母出産、って知ってるか?」

大樹の質問に横島が首を傾げる。
そんな言葉は今まで聞いた覚えが無かった。
大樹は横島にもわかるように簡単に説明し始めた。

「通常は、何らかの事情で子供を作れない夫婦のための出産方法なんだがな。
まー、お前にもわかるように簡単に説明してやるとだ。人工授精で妊娠させて、夫婦以外の人間が出産するんだよ。」

いまいちピンと来ないのか、横島は眉をひそめている。
聞き慣れない言葉な上に、今は酒の酔いもまわっているのだ。

「つまり、だ。
お前の精子を誰かに人工的に受精させて、出産してもらうって訳だ。
これなら、出産する人にとっちゃあ別に恋人の元カノを産む訳じゃないから問題無いんじゃないか?」

ようやく大樹の言わんとしている事を理解したのか、横島が大きく目を見開いた。
椅子から立ち上がらんばかりに興奮し、思わず声を上げる。

「そんな事ができんのか!?」

大樹は自信あり気に頷く。

「日本じゃあまり聞かんかも知らんが、アメリカとかだと割と良くあるんだ。
勿論、望めば誰でもって訳じゃないが、事情から考えてもお前なら大丈夫だろう。
あ、だがこの方法には一つ問題があってな……」

最後に言葉を濁した大樹を横島が不安そうに見ている。
大樹は真面目な顔で口を開いた。

「これだと、処女懐妊ならぬ童貞受精になっちまうんだよ。」

自分で言っておきながらツボに入ったのか、大樹が馬鹿笑いを上げる。
うぐ、と悔しそうにうめく横島は苦虫を噛み潰したような表情だった。
大樹は気が済むまで笑うと、笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭き取る。

「あー笑った笑った。
まあ、何だ。俺達も日本に帰ってくる事になったしな。
いやー楽しみだ。本音を言うと俺は娘の方が欲しかったんだよなあ。」

「ちょ、ちょっと待て! いったい何考えて――――」

「おいおい、どうせ金なんか持ってないんだろう?
子育てってかなり金がいるんだぞ。良いから俺達に任せとけって。」

これから忙しくなりそうだな、などと大樹が嬉しそうに笑みを浮かべていた。




















「遅くなりました、大樹さん。」

黒崎に呼びかけられ、過去の回想から引き戻された。
タマモを起こそうと軽く揺さぶってみるが、眠ってしまっていて起きる気配は無い。
何の連絡も無く、見知らぬ女性と酒を飲んでいた大樹に、黒崎が眉をひそめる。

「大樹さん、この女性は。」

黒崎の言わんとしている事に気付き、大樹が慌てて手を振る。

「ち、違うぞ、黒崎君! これは浮気とかそういう事じゃないんだ!
だから別に百合子さんに報告とかはしなくて良いんだぞッ!」

「なら、どういう事か説明していただけますね。」

黒崎は、大樹とその妻百合子から深く信頼されていた。
その理由は、決してどちらか片方に偏る事無く、常に事実を報告するためであった。
今夜も、もしも大樹が浮気をしたというのなら、迷う事無く百合子に報告するつもりなのだろう。

黒崎も別に大樹に恨みがあるから報告するのではなく、むしろ後でバレた時の方が上司への仕置きがキツくなるから、というのが理由なのだ。
大樹としても、今回は別にやましい事は無いため、素直に何があったのか説明し始めた。
仕事が終わった後、突然タマモが現れ、それからここで四年前の件の話をしていたのだと。
嘘はついてないと黒崎も判断し、そういう事なら、と百合子に報告しない事を了承した。
四年前の件については、百合子も大樹に一任していると黒崎も知っていたからだ。
大樹は酔い潰れたタマモを担ぎ上げると、支払いを済ませ店を後にした。

「取り敢えず、ロイヤルホテルまで頼むよ。
あそこなら顔がきくから、今からでも部屋を用意してもらえるだろう。」

流石に、酔い潰れた女性をそのままにはしておけない。
黒崎も頷き、ホテルの方へハンドルを切った。

ホテルに到着すると、さっそく支配人を呼び出し一部屋用意してくれるよう頼む。
上得意の大樹の頼みならば、とすぐに部屋を用意してもらえた。
何故に上得意なのかは、色々と過去に利用しているからなのだが――――それはまた別の話。

まだ起きる気配の無いタマモを部屋に寝かしつけると二人はホテルを後にする。
大樹は駐車場からホテルを見上げ、スカイバーから漏れる光を眩しそうに見ていた。

昔はスカイバーで飲んだ後、予約した部屋で一夜を共にしたものだ。
あの頃は良かったな、と大樹は思い返していた。

もっとも、その後十割の確率で浮気が発覚し、何度緊急入院したかわからない。
良く死ななかったなーなどと己の体の頑丈さにしみじみと感謝していた。

「まだ飲みたいと言うのなら、お付き合いしますが?」

バーを見上げる大樹の姿に、黒崎が気を利かせて声をかける。
だが大樹は首を振ると、名残惜しそうにしながら車に乗り込んだ。

「では、御自宅に戻ってよろしいですね。」

「……いや、一度会社に戻ってくれたまえ。
少し、確認したい事があるんだ。」

「わかりました。」










最上階のスカイバーでは、青年が夜景を見下ろしていた。
地上の駐車場から一台の車が出て行くのを見送りながら、絶景を楽しんでいる。
そして、窓際のテーブル正面には女性が座り、同じように夜景を見下ろしている。
どうやらつい今しがた来たらしく、二人のテーブルにはまだ飲み物が用意されていなかった。

「何が良い?」

茶色がかった黒髪の青年が優しく微笑んだ。
正面のスーツ姿の女性は、あまり酒をたしなまないのか、何にするか迷っているようだ。
テーブルにともされた蝋燭の灯火がその銀髪に反射され、きらきらと輝いていた。

「その……お酒はあまり飲んだ事がないので、何にしたら良いかわからないでござるよ。
よければ、先生が美味しいものを選んで下さらぬか。」

女性の言葉に青年がにこりと笑う。

「そっか、良し、それなら俺が選んでやるよ。
そうだなー、これなんか良いと思うぞ。」

「……えーと、あぺたいざー、でござるか。
なら拙者はそれにするでござるよ。」

青年が指したカクテルを、女性が迷う事無く選んだ。
少し緊張しているのか、その表情はどこかぎこちなかった。

青年は女性のカクテルと自身の飲み物を注文する。
彼は年代物のスコッチを選んでいた。

さてと、夜はこれからだな――――

夜景の明かりを眺めながら、青年はこの後の展開に心を躍らせている。
内心の感情の昂ぶりとは裏腹に、その表情は優しく穏やかで、女性を安心させるものだった。

ポケットの中の、取っておいた部屋の鍵の感触を確かめながら、夜景に心を奪われている女性の横顔を窺う。
弟子の成長を神に感謝しながら、美しい夜景に視線を戻した。

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