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DAWN OF THE SPECTER 5

丸々&とおり

「おい、いたか!?」

「いや、こっちにはいない!恐らく向こうに逃げ――――あ、いたぞ!あいつだ!」

街の裏通りに警官達の怒声が響き渡り、警官の一人が指差す方向を見ると、ゴーグルをつけた一人の若い男が逃げるように走っていた。
警官達が追いかけるが、男の姿はあっという間に視界の彼方へ消えてしまう。

「なんて逃げ足の速さだ!ええい、奴は化け物か!?」

「落ち着け!向こうも既に封鎖済みだ!先回りして取り囲んでやれば何とでもなる。
固体の性能差が戦力の絶対的な差ではないと教えてやる!!」

男が逃げた方向を警戒している仲間に無線を飛ばし、彼らも男を追い詰めるために駆け出していった。

「くっそォォォォ!
ちょっとノーヘルで走ったくらいでそんなに目くじらたてんなよー!」

迷路のように入り組んだ裏通りを駆け抜けながら、横島が声を上げていた。
だがバイクを運転するのにヘルメットをかぶっていなかっただけなら、ここまで大袈裟な包囲網は敷かれなかっただろう。
何台かのパトカーに止められそうになった際に、ついつい向こうにいた時のノリを出したのがまずかった。
マキビシ状に圧縮した霊力を撒きタイヤをパンクさせ、パトカーを次々に衝突させたのがこの騒動の真の原因であった。

向こうでこういう事をする時は、専らラルフ達米軍から逃げる為の非常手段。
時に、米軍は横島の合意を得ずにフライヤー関連の厄介な仕事を押し付けようとする事があり、その際の逃亡劇の一シーンなのだ。
ある意味同じ公権力相手だったので、ついついやってしまったのだが、これはどう考えてもマズイ。
顔見知りのラルフ相手ならその後の貸し借りのやり取りで解消されるが、今回は見も知らぬ日本警察が相手だ。

治安の良い日本でも、さすがに臨戦時の官憲は穏やかではない。
只の道路交通法違反者から、何をするかわからない危険な凶悪犯へと格上げされてしまった。
アメリカで不本意ながらも公権力とべったりだった為か、横島は未だに事件の重大さに気付けていない。
向こうでの横島と公権力は、いわば『トムとジェリー』のような関係だったのだ。

「せっかく厄介な奴を出し抜けたからナンパに繰り出そうと思ったのにィィ!
これじゃあ落ち着いて品定めする余裕も無いじゃねーか!」

バイクに乗ったままでは逃げ切れそうに無かったので、バイクは既に人目に付かない場所に隠してきており、後は自力でこの包囲網を抜け出し、ほとぼりが冷めた頃に取りに戻る筈だったのだが、なかなか上手くいかなかった。
久しぶりに日本に戻ってきているので、どうにも土地勘が鈍っている事に加え、相手はこの街を知り尽くしている追跡のプロなのだ。
そう易々とは逃がしてくれなかった。

僅かに警官達の目を逃れる事が出来たこの隙に、壁にもたれかかり乱れた呼吸を整える。

「そういや、ベガスでも似たような目に遭ったっけなあ。
まあ、あん時は警察とは対極の相手だったけど……」

仕事でラスベガスを訪れた際、カジノでナンパした女性をホテルに連れ込んだまでは良かったが、事を終えた後に彼女が大物マフィアの娘さんだという事がわかったのだ。
おかげでラスベガスにいる間、常にその筋の方々に追いかけ回され、散々な目に遭わされた。

その結果、あれから一度たりともベガスに足を踏み入れていない。
その時の除霊で引き起こした大停電も後ろめたかった事も有り、しばらく経ってほとぼりが冷めるまでは近寄る気にもなれない。
あの時に比べれば、今回は警官が相手なので命の不安がないだけマシかも知れない。

ここからどうやって逃げるのか思案しているのだろう。
がりがりと頭を掻きながら、雑居ビルの隙間から天を見上げる。

雑居ビルの屋上までの高さを目測で見極め、次に外壁の状態を観察する。
少しずつ、取り囲むように近づいてくる警官達の気配を察知し、やれやれと首を振りながら呟いた。

「よし! それじゃ、あん時と同じ手で行くとしますかね。」

手首をコキコキと鳴らすと、意識を集中させるように静かに目を閉じる。
ヴンという低い音と共に、横島の右手が淡い瑠璃色の光に包まれた。
光は強さを増しつつ、鋭い鈎爪のような手甲へと姿を変えていく。

「いたぞ!そこだ!!」

一人の警官の叫びとともに、一斉に警官達が押し寄せた。

だが――――

「あれ、いない?
おかしいな……今確かに……」

「おいおい、しっかりしろよ。
もう周辺は封鎖済みだから逃げられる心配はないんだ。
焦る事はない。」

警官達が押し寄せた時には既に横島の姿はなかった。
各々分散し、警官達は周辺の警戒へと戻って行く。

しかし警官達は気付いていなかった。
すぐそこの雑居ビルの壁面に、屋上まで続くひっかき傷のようなものが付けられている事に――――

「フツーは見間違いだと思うわな。
けど、覗きで鍛え上げたクライミングテクニックを甘く見んなよ!」

雑居ビルの屋上から、散らばっていく警官達をこっそり見下ろしつつ横島がほくそ笑んでいた。
右手に発動させた霊力、栄光の手の伸縮を利用すれば、一瞬で壁を登る事など朝飯前だった。

日差しのきつい屋上からぐるりと周囲を見渡すと、どれも似たような高さの雑居ビルばかりが周囲に建ち並んでいた。
これなら屋上を伝っていくだけで警官達の包囲網から抜け出す事が出来るだろう。
上機嫌で口笛を吹き、手慣れた動きで次々にビルからビルへと飛び移って行った。










「うんうん。ま、これなら大丈夫でしょ♪」

派手めのプリントが施されたシャツに、多少だぼだぼの感がするジーンズ。
ついでに安売りしていたサングラスも購入し、横島は人相を隠している。
先ほど逃げる途中で見つけた○ニクロで買い揃えたものを着こんで、ゆうゆうと街を歩いていた。

ゴーグルをつけたまま逃走していたため、直接横島の顔を見る機会がなかった警官達にはもはや見分けがつかないだろう。
人の流れに紛れ込みながら、遠くから響いてくるパトカーのサイレンを聞き、横島がやれやれと頭をかく。

「なーんか妙に警官が殺気立ってるよなー。
誰かVIPの来日予定でもあるのかねぇ?」

ざっと大通りを見渡すと、どちらを向いても一台はパトカーの姿があった。
思い返せば、タクシーで空港に向かう途中にもかなりのパトカーが走っていた。
そうなるとこれは自分の起こしたものとは無関係という事だろう。
とても平日の昼間とは思えない厳重さだ。

――――たくさんの方々にお集まり頂き、感謝致します。

人の流れに乗って歩いていた横島が突然立ち止まった。
サングラスをしているため傍目にはわからないが、その奥の瞳は驚きのあまり大きく見開かれていた。
弾かれたように周囲を見渡し、今の声の主を探す。

いきなり立ち止まり、挙動不審な様子の横島を皆じろじろと迷惑そうに見ていたが、特に絡むでもなく通り過ぎていく。

――――今回の来日は過去の大戦で犠牲になった魂を鎮めるためのものですが、終戦日まではコンサート会場で皆様とお会いできる事を楽しみにしております。

「なぁなぁ、いつ見てもマジ良い女じゃね?」

「いや〜俺はキヌ派だなぁ。やっぱ癒されてーし。」

地べたに座り込んだ若者が、ビルを見上げながら無駄話をしていた。
二人の視線の先を追うと、巨大な宣伝用のディスプレイがビルの壁面に設置されている。
ディスプレイには一人の女性が記者団の質問に答える姿が映し出されていた。

日本人離れした艶のある亜麻色のロングヘアー。
形の良い眉に、人の目を惹きつける切れ長の瞳。
抜群のスタイルを包む、露出を抑えた上質なパンツスーツ。

(あ……テレビ、か。そりゃそうだよな。
あの人が普通に街歩いている訳無いもんな……)

ふぅと小さく溜め息をつくと、道の端に移動し、ガードレールに腰を下ろしてディスプレイを見上げる。
ふと手を開いてみると、じっとりと汗ばみ、気付けば鼓動も息苦しい程に高まっていた。

女性は一斉に焚かれるフラッシュを気にもせず、人当たりの良い微笑みを浮かべながら質問に答えている。

『四年前、国連の専属GSになられてから初めての日本帰国という事だそうですが、その事について氷室さんの心境とはどういったものなのでしょうか?』

『彼女も久しぶりの帰国に心を躍らせています。
今回が日本での初コンサートになりますので、是非日本の皆様にもお越し頂きたいものです。』

ディスプレイの映像に気づき始めたのか、若者を中心に行き交う人々が立ち止まり始めた。
皆口々に驚きの声を上げ、女子高生とおぼしき少女達などはディスプレイに映る映像に黄色い悲鳴を上げている。

『そのコンサートなのですが、今回も収益の全てを寄付されるのでしょうか?』

『はい、その通りです。
それを彼女も望んでいますので。』

女性の答えに記者団から感嘆の声が上がる。

(美神さん……変わらないなぁ、この人は。
しっかしこの人の家系って、年齢と色気が比例するんだなぁ……ってまだ25、6か。
一番輝く年齢だろうし、そりゃ綺麗で当然だよな。)

スクリーンに映る女性の母親を思い出し、ふぅと溜め息をつく。
女性はもう20代半ばを過ぎているはずだが、最後に逢った時と変わらぬ美しさだった。
いや、むしろ、微かに残っていた子供っぽさが完全に消え去り、成熟した色気のようなものへと変わっていた。

「やだー、キヌいないじゃーん。チョー残念ー。」

「うっそ、マジー?」

先ほど黄色い悲鳴を上げていた少女達が、不満そうに口を尖らせている。
どうやら期待していた相手が映っていない事に気が付いたようだ。

(おキヌちゃんは……流石にいないか。
そりゃそうだよな、世界的なVIPがのこのこ出て来ちゃマズいもんな。)

『彼女』、氷室キヌ。
国連専属GSとして行ってきた、ネクロマンサーの笛による慈善コンサート。
今まで世界各国で行ったそれは、大成功を収めていた。
そして、その億単位もの収益の全てを数々の慈善団体に寄付しているのだ。

ネクロマンサーの笛の、魂に直接訴えかける音色は、聞く者の心を優しく癒してくれる。
その力の前では人種の違いや国境などというものは些細な事だった。
それどころか、種の違いすらも意に介さない。

鬱蒼と茂った原生林を背景に、輪になって頭を垂れる動物達。
そしてその中心で笛を奏でる黒髪の少女――――『彼女』が国連専属のGSに就いてすぐに作られた宣伝用ポスターだったが、その幻想的なまでの可憐さは、三年以上経った今でも皆の心に深く刻み込まれていた。

しかし、これだけ有名になってしまえば様々な理由でその身を狙われるようになる。
実際に横島自身、彼女の知名度を利用して意志を表明しようとするテロリストや、単なる身の代金目的で誘拐しようとする犯罪者が、何度か手を出そうとしたという報道を耳にした覚えがあった。
それらは全て阻止されたらしいが、何時また狙われる事になるかわかったものではないのだ。
だがその危険を知りながらも、それでもなお慈善コンサートの開催を貫く姿勢に、多くの人間が心を打たれるのだが。

彼女達は全世界を巡り慰霊の旅を続けており、横島が身を潜めていたアメリカにも訪問した事があった。
だがその時も横島は顔を合わせようとはしなかった。
むしろ、意識して周囲から伝わってくる情報を遠ざけていた。
そもそも、答えも見つけられていないままでは合わせる顔もなかった。
だから彼女達が来日するとしても、会うつもりは無かった。

くるりとディスプレイに背を向け、歩き去ろうとする。

――――あんたまで居なくなって事務所がどうなるか、少しでも考えなかったの!?

その時、横島の脳裏に昨夜のタマモの言葉がフラッシュバックした。
足を止め、ディスプレイを振り返る。

記者団からの質問をテキパキと処理する女性。
穏やかな笑みを絶やさず、受け答えするその姿は非の打ち所のないものだった。
だが、昔の彼女を知る者からすれば、その姿は――――

「なんか、らしくないッスよ……美神さん……」

ディスプレイに映るその姿は、確かに美しい。
だが、彼女を彼女たらしめていた、あの人並み外れて強靭な意志の強さを感じられない。
まるで精巧な機会仕掛けの人形のように、ただただ事務的に質問に答えているようにしか見えなかった。

――――ねえ……横島君……力を失ったGSってどうなると思う……?

あの日の会話が脳裏をよぎる。

――――力になれなくて……ごめんね……

そして、別れを告げた時の言葉も。
行き先も告げずに姿を消そうとしているのに、責めるそぶりもなかった。

「やっぱり、俺のせいかなぁ……」

ディスプレイを見上げながら、誰に言うでも無く小さく呟く。










四年前のあの夜。
今までの事、これからの事、一人で考えたいと思った。
だから父親の提案を受け入れたし、他の誰にも行き先を告げなかった。
連れ戻されたくなかったからだ。

誰にも今までの自分を知られていない環境というのは苦労も多かったが、それ以上に新鮮だった。
アメリカのGS協会にフリーのGSとして登録し、時折まわってくる依頼をこなし日銭を稼ぐ毎日。
アメリカの除霊は、生前キリスト教を信仰する人間が多いせいか、悪霊化による霊障はそれほど多くはなかった。

それよりも突発的に発生する魔獣や、正体不明な『何か』を討伐するという依頼が大多数を占めていた。
言うなれば、『除霊』というより『狩り』と言う方が正しいかもしれない。
だからこそ専門的な知識に乏しい彼でも何とかやっていけたのだが。

当初、知名度の低い自分にまわってくる依頼は少なく、豊かとは言えない暮らしだったが、幸い貧乏には慣れていた。
多少餓えようと、欲しい物が手に入らなかろうと、辛いとは思わなかった。

自分でその日の予定を立て、自分の判断で行動し、全てを自分の意志で決定する。
自らの足で歩く生活は――少しずつだが――確実に少年の背を押し、大人の階段を上らせていった。

頼れる者もいない異国の地での生活に寂しさを感じる事もあった。
だが元々移民が珍しくもないお国柄、持ち前の明るい性格も手伝い、すぐに周囲に馴染む事が出来た。
GS協会からの仕事だけで食えない時は、非合法な仕事も構わず引き受けた。

非合法だからといって犯罪と直結する訳ではない。
理由があって、合法の手段では対応できないケースもあるのだ。
そして、どんな仕事であれ、自分の意思で考え自分の意思で引き受けた。
後味の悪い仕事も中にはあったが、少なくとも後悔はない。
それが縁で知り合った人間もたくさん居る。

そして、とある仕事で海軍の依頼を引き受け、それが縁で軍のフライヤー開発に協力するようになった。
友人も増え、生活も安定してそれなりに居るべき場所というものも出来て――――

巡り巡って再び日本に戻ってきた今、アメリカでの四年間を振り返り、考える。

あの時自分が選んだ選択は正しかったのか?
その答えはまだ見つかっていない。
だが、今こうして振り返って考えてみて、一つだけ断言できる事があった。

そう、アメリカでの四年間はあの時の自分には必要だったのだ。
答えこそまだ見つかっていないが、少なくとも前に進む事は出来た。

今なら、答えの無い悩みを抱えて生きるのが大人になるという事なのだろうと、朧気ながらも思えるようになっていた。
だが、自分が姿を消した事が、事務所の解散に繋がってしまったのなら――――

「やっぱり……会って、謝らなきゃ駄目だよな……」

ぽつりと呟くと、ディスプレイに背を向ける。
そのまま歩き去ろうとしたところで、何かを思いついたのか、微かな笑みを浮かべた。

「……それと、できるなら手土産つきで。」

小さく笑い、街の雑踏へと姿を消していった。




















夜が昼を追い出してしばらくした、闇の濃い宵の頃、ふらつく足取りでタマモが教会の扉をくぐった。
その表情には激しい苛立ちと深い疲労の色が浮かび、梅雨時の蒸し暑い気候の元で長時間歩いたせいか、じっとりと全身に汗をかき、それがまた彼女の不機嫌さに拍車をかけていた。
八つ当たり気味に荒々しく音を立てながら扉にこぶしを叩きつけ、覚束無い足取りで居間に向かう。

昼前横島に逃げられてから今まで彼が向かいそうな場所を、あくまでも四年前での記憶からだが、片っ端から調べてはみたものの収穫と言えるようなものは何もなかった。
みすみす逃がしてしまった不甲斐なさや、一日歩き回っての徒労感から、タマモはまともに頭が働く状態ではなかった。

ふと居間の電気がまだ点いているのに気付き、神父の夕飯をすっかり忘れていた事を今更ながらに思い出す。
些細な事とはいえ、自分の不注意に眉間を押さえつつ、大きく長く息をため息をつく。
居間の扉をくぐりながら、タマモは申し訳なさそうに口を開いた。

「ごめん、神父……
ご飯…その、ちょっと問題が起きちゃって……」

「ん、遅かったな。
飯は適当に食っといたから、悪いがお前の分はないぞ。」

何やらテーブルの上に広げられた資料に目を置いた横島が、テーブルで頬杖をつきながらひらひらと手を振っている。
が、どうかしたのか、黙り込んだまま動こうとしないタマモに横島は首を傾げる。

「何ボーっとしてるんだ?
シャワーでも浴びてスッキリしてこいよ。」

頭を上げると、呆然として立ったままのタマモに声をかけて資料に視線を戻すと、ふむふむと頷きながらページをめくっていく。

「でも女の子がこんな遅くまで出歩いてちゃ駄目だぞー?
夜遊びもほどほどにせんと、神父も心配するし。」

完全に資料に見入っている横島に、タマモがゆらりと近付いていく。

「あ、それとも、もしかして男でも――――」

できたのか?と続けようとしたが、無言で打ち込まれた拳を鼻筋に喰らい、椅子ごと後方に吹っ飛んだ。

「ブハッ…。
ちょ、何すんだよ、いきなり……」

まるで心当たりが無い、といった様子で目を丸くしながら体を起こす。
盛大な音を立ててひっくり返った椅子を元に戻しながら、もう片方の手で鼻をさすると、冷たい感触を感じる。
赤い血に、上を向きながらとんとんと軽く首の後ろを叩くと、どうだろうと指を離した。
しかしそんなにすぐに出血が止まる訳もなく、たらりと赤い筋が鼻から垂れる。
慌てて近くにあったティッシュを鼻に突っ込むと、これで一安心とばかりにほっと息を吐いた。

「お前なぁ、女の子なんだし、せめて平手打ちくらいにしとこうぜ……
つーか、もろに拳、しかも今の全体重乗せてただろ、洒落にならんぞ!!」

思い出したように抗議の声を上げるが、タマモは怒りで肩を震わせると横島の胸倉を掴み、睨みつけた。

「いい加減にしなさいよ……!
一体どこまで人を馬鹿にしたら気が済むの!?」

「そーんな怖い顔するなよ〜
せっかくの綺麗な顔が台無し――――」

パシン!と乾いた音が居間に響いた。
からかうように指先でタマモの頬を突っ付こうとしたが、その手を思い切り叩き落とされる。
反省するでもなく、苦笑いを浮かべながら肩をすくめるだけの横島に、再びタマモが激しく詰め寄る。

「昔も……真面目じゃなかったけど、今のあんたよりはマシだったわ!
四年経ってどうなったかと思ってれば。
今のあんたは軽薄な……ただ自分勝手なだけじゃない!」

息を切らせながら、どこか悔しそうにタマモが横島のシャツを握り締めている。
だが今の真摯な叫びを聞いてなお、横島はおどけた態度であちゃーと額を叩き、言った。

「何をそんなに怒ってるんだよ。
パンツ見せながらバイク乗るのも、嫌だったんだろ?」

あくまでもおどけた調子でしゃべる横島に、タマモは襟を掴みなおす。

「あんたは、どこまで――――!!」

激昂するタマモの感情に、周囲の空間が陽炎のように揺らめき始める。
狐火が発動する兆しを察知し、慌てて横島が退避しようとするが、空間の歪みはそれより早く横島を取り囲んでいた。

「待て待て待てッ! バカな真似はよせ!
頭冷やしていつもみたいに冷静になれって!!」

「うるさい!もう喋るなぁぁ!!」

その時タマモの瞳から一筋の雫が頬を流れ落ちた。
怒り、苛立ち、そして否定。

絡み合う感情が爆発し、爆炎となり横島を飲み込んだ。

――――あかん。こりゃ死んだわ。

横島はどこか冷めた頭で我が身に迫る紅の業火を眺めていた。
だが横島の肉体が燃え上がる寸前、澄んだ甲高い音と共に青白い閃光が室内に広がった。

閃光が収まった時、狐火はまるで幻であったかのように霧散し、居間は清浄な空気に包まれていた。
呆気に取られていた横島だったが、間一髪で助かった事を理解し、力無く床にへたりこむ。

開け放たれた居間の扉に、光を放つ聖書を手に神父が佇んでいた。
その表情は普段の穏やかなものではなく、何時になく険しい。
そして、その険しい表情のままタマモに近付いていく。

「……し、神父……これは、その……」

一気に霊力を消費したため、タマモは荒い息を吐いている。
ぜえぜえと体を上下する様に息をしながらタマモが何か言おうとしたが、神父の険しい表情に、叱責を覚悟したのか申し訳無さそうに目を伏せた。

「……私が介入しなければどうなっていたか、言わなくてもわかっているね?」

表情だけでなく、その口調も普段の優しく穏やかなものでは無かった。
はっきりと怒りを感じさせる、低く詰問するような声色にタマモがびくりと肩を震わせた。
怯え、目を伏せたまま無言で小さく頷いたタマモに、神父が深い溜め息を吐く。

「いやぁ、さすが神父!
ナイスタイミングってやつでしたよ。」

体を起こし、跳ねるように軽快な動きで立ち上がった。
朱色のティッシュを鼻から抜くと、ゴミ箱に放り投げる。
ティッシュは吸い込まれるようにゴミ箱に消えていった。

被害者の横島に何故か神父は厳しい視線を向け、つかつかと近づき、右手首を掴んだ。
その掌の中に何の霊気の痕跡も無い事を確認すると、理解できないといった様子で首を振る。

「君も君だ、横島君。どうして防ごうとしないんだ。
私が手を出さなければ、怪我ではすまなかった……!」

「いや、そんな事言われても……
 俺のソーサーじゃ、今のは防げませんし。」

横島の言葉に、神父が苛立ちを抑えようと大きく息を吐く。

「……いい加減にふざけるのはやめるんだ。
君の能力なら結界を張るくらい容易だろう。」

攻撃、防御、移動、その他補助。
横島の能力、『文珠』はあらゆる局面に対応可能な、文字通り万能の能力だ。
今の狐火も、結界を張って防ぐ事もできれば、転移して逃げる事もできた筈。
だが横島はそのどちらも選ばなかった。
それどころか、文珠を発動させる事すらしなかった。

タマモ同様、今では神父も薄々気が付いていた。
この目の前にいる横島は――容姿こそ成長していたが――違う。
底の、本質において、確実に何かが歪んでいた。

内面は変わっていないが、それを支えるものが歪んでいる。
肉体を例にするなら、筋肉や臓器は正常だが骨格が歪んでいるといった所だろうか。
そして、それは決して小さな歪みでは無い。

死に急いでいる、という訳ではない。
今を楽しむ、というなら変わってはいない。
だがそこに、昔の彼が常に抱いていた、生きる事へのひたむきさを見いだせなかった。

神父の内心を知ってか知らずか、横島はとぼけた雰囲気を崩そうとはしない。
何をそんなに本気になっているのかわからない、とでも言いたいのか、首を傾げていた。

「神父、何怖い顔してるんですか〜。
別にこの通り怪我もせずにすんだんですし、タマモを責める事無いッスよ。」

「話を逸らすんじゃない、横島君。
私は何故文珠を使わなかったのかと聞いているんだ!」

神父の一喝が静まり返った居間に響いた。
神父がここまで声を荒げる事は滅多にない。
それだけに、その言葉の重みを感じたのか、ようやく横島の表情から笑みが抜けた。

迷うように頭をかいていたが、何かを決心したのか、ためらいつつも口を開いた。

「うーん……わざわざ言うつもりはなかったんですけど……
神父には言っといた方が良いのかもしんないッスね。」

ふぅ、と小さく息を吐くと、ゆっくりとシャツをまくり上げた。
右肩から袈裟掛けに走る深い傷跡があらわになり、神父が息を飲む。
医学の知識がなくとも、この傷の深さでは致命傷であったろう事は疑う余地が無かった。
神父は心霊治療も一流の腕だが、それでもこの傷から命を拾う自信は無い。

「横島君……その傷はいったい……まさか、それが四年前の傷なのか……?」

四年前、横島が重傷を負い入院した事は知っていたが、神父はそれがどれ程の傷だったかは知らされていなかった。
実際に目にしたこれは、どう見ても怪我などと言えるレベルでは無い。

服を戻し、テーブルに腰掛ける。

「馬鹿な事をした報い、ってやつですよ。」

目をつぶり、小さく呟いた。

「別に文珠を使わなかった訳じゃ無いんです。
ただ、もう、俺には――――」

スッと右手を差し出し、意識を集中させる。
横島の右の手の平に霊気が収縮し、小石程の大きさの球体を形成していく。
美しい瑠璃色の球体が光を放ち、うっすらと何かの文字が浮かび上がる。

だが、文字が完全に浮かび上がる前に、ビシリという鈍い音と共に球体に亀裂が入った。
驚く神父とタマモの目の前で、球体は粉々に砕け散り、霞のように霧散してしまった。

「――――文珠は、精製できないんです。」

そう静かに呟くと、何も無い手の平に向け、自嘲にも似た寂しげな笑みを浮かべた。










何と言えば良いかわからず、呆気に取られている二人に向け説明を続ける。

「俺も難しいことはわかんないですけど、この傷が原因で霊力の流れがおかしくなったらしいんです。
まあ、普通なら、間違いなく命を落としていた筈ですしね。
心霊治療、ヒーリングの先生から話を聞いた時も別に驚かなかったですよ。」

もう一度右手に霊力を集中させ、今度は霊波刀を造り出す。
水が床を広がるように、滑らかに霊力が刃の形状を形作っていく。
完全に顕現した瑠璃色のそれは、まるで抜き放たれた日本刀の如く、洗練された光を放っていた。

「ま、見ての通り、霊力そのものが使えなくなった訳じゃないんで。
俺は死なずに済んだだけラッキーだったと思ってますよ。」

予想もしていなかった横島の現状を知ってしまい、タマモの頭からは怒りが完全に消えていた。
衝動的に馬鹿な事をしてしまった自分を恥じつつ、どうしても聞かずにはいられない言葉を投げかけた。

「ねぇ……あの夜、一体何があったの……?」

一度は拒否された問い。
だが、それでも、タマモは聞かずにはいられなかった。
神父はそんなタマモを、じっと見つめている。

「…………これはお前には関係ない話だ。
だから、何回聞かれても答えてはやれない。」

悪いけどな、と付け足し口を閉ざす。
決してこの一線だけは譲ろうとしない、頑なな態度。
タマモは、疎外感にも似た痛みを胸に感じていた。

「君が言いたくないというなら、何があったのかは聞かない事にするよ。
でも、そういう事なら尚更、選抜の件には手を出さない方が良い。」

夕方、一人で戻ってきた横島は、突然意見を翻し、選抜に参加したいと言い出した。
今朝の東堂の態度に不審なものを感じていた神父は、それとなく参加しない方が良いと促した。
だが、横島は全く聞き入れようとはせず、今まで選抜の資料を読み耽っていたのだ。
怪訝な表情のタマモの横で、横島は首を傾げている。

「そういや、さっきもそんな事言ってましたけど、何か理由があるんですか?」

あの話には何か裏がありそうなんだ――――

はっきりそう言ってしまいたかったが、根拠と言えるものは自分の直感のみ。
そんな不確かな理由だけで、日本GS協会支部長である東堂を批判するような事は出来なかった。
しかも、横島はともかく、タマモは今は協会の職員なのだ。
ただでさえ微妙な立場の彼女に、妙な先入観を与えるような言動は避けなければならない。

あくまで客観的な意見になるよう、言葉に気をつけながら説得を試みる。

「考えてもみたまえ。
優秀なGSを選抜するのが目的という割には、明らかに試験の内容が偏っているとは思わないかい?」

「ん、まあ、そう言われればそうかもしんないッスけど……
でも、俺としちゃむしろ好都合ですし。」

資料によれば、一次試験で筆記試験が定められているとはいえ、それ以降は実技試験のみで選抜されるらしいのだ。
だが、GSには美神や横島のような肉体派もいれば、おキヌやタイガーのように特殊能力に特化したもの、ドクター・カオスのように膨大な知識を駆使するものと、様々なタイプが存在する。
しかし、それらの優劣に絶対的な基準が存在する訳ではなく、除霊の内容によって相性が変化するものなのだ。
にも関わらず、実技のみを重視する選抜試験は、神父の目には公平さを欠いているようにしか見えなかった。

しかし、それは横島とて理解していた。
この選抜は不公平なシステムだと。
だが、それで自分が不利になるならともかく、有利になるというのに、わざわざ文句を言う必要があるだろうか?
答えは無論、否。

横島にはもう、参加を取り消す気も無いし、内容を疑ってすら無かった。

「試験の内容も不公平だけど、それ以前に平等性がないがしろにされている。
参加機会を、全てのGSに与えないという時点で、もはや『優秀なGS』を選抜するという看板に傷がついている。
そう思わないかい。」

近年、今まで対立してきた人ならざる種族を、積極的に社会に受け入れようとする動きが活発になってきていた。
その中には、吸血鬼、人狼、妖狐などの属性的に中立の妖怪達や、大きな力は持たないが、古来より人間界で生活する神魔族などが含まれ、少しずつではあるが、社会進出を果たしつつあった。
だがこの選抜に参加できるのは人間のみ。

そのため、一流のGSだというのに、ピートやシロに参加資格はなかった。
そもそもGS免許を持たないタマモは気にもしていなかったが、神父はピート達が参加できない事に納得いかない思いを抱えていたようだ。
しかし、やはりそれすらも、横島にとっては都合の良い話だった。

「ピートには悪いッスけど、俺には好都合ですしねー。
と言うか、あいつの不死性と吸血鬼の能力は正直強すぎでしょ。
まともにやりあったら勝負にならないッスよ。」

「それは、私もその通りだと思うよ。
だが、だからこそ、試験を実技だけに絞るのではなく、もっと総合的な見地から――――」

熱が入り始めた神父を、手を振って遮る。

「そんな事、俺に言われても困りますって。
とにかく、俺は参加しますからね。
必要な書類記入しといたんで不備がないかチェックしといて下さい。」

差し出された書類を受け取りつつも、やはり神父は気が進まないのだろう。
最後の説得を試みる。

「……しかし、横島君。
霊力の流れがおかしいと言っていたね。
チャクラに異常をきたしているのなら、せめてそれを治してからの方が良いんじゃないかい?」

治す、という言葉に横島の口から力の無い笑いがこぼれた。

「治すったって、当てがあるんですか?
俺だってこの四年間で出来る事は全部試しましたよ。
妙神山も復旧してないそうですし、今更何か出来ることがあるとも思えねーッス。」

6年前のアシュタロス事件解決前後を最後に、小竜姫やワルキューレ達といった、横島達の様なGSと縁のあった神族・魔族は連絡が取れなくなっていた。
元々連絡を取ろうにも妙神山に連絡を取るくらいしか方法が無かったのだが、それもあの事件で吹き飛ばされたまま復旧していなかったし、その他の拠点も復興が遅れ、また駐留する神族魔族もごくわずかで、以前の様な接触は望むべくも無い。
復興は遅れているのではなく、神族魔族の政策かもしれなかったが、結果としてあれから六年経っているというのに、彼らとは音信不通のままだった。

横島にとって文珠はただの『技』では無い。
知識も経験も無かった自分を、少なからず美神に認めさせる事ができたのは、間違いなく文珠のおかげだった。
自分の存在意義の一つになりつつある文珠を、怪我の影響で使えませんと言われて、「ハイわかりました」などと素直に納得する事など出来る訳が無かった。
横島は仕事の合間にアメリカの心霊治療の権威を片っ端から訪ね、治療の手掛かりを探した。
だが心霊治療に関しては日本よりも遥かに進んだアメリカですら、何の成果も上がらなかった。
さっきの『霊力の乱れ』というのも、実は最近の通院の際に既に完治しているとまで言われたのだ。
主たる原因を失ってしまった今となっては、手掛かりすら無かった。

神族・魔族の知恵を借りられるならともかく、心霊治療の専門家でもない神父にできる事は無い。
横島は、そう考えていた。
そしてそれは正しかった。
神父自身、力になれないと理解していたので、嘆くように首を振ると書類の不備が無いかチェックを始めている。
だが最後にちらりと横島の方を見ると、もう一度だけ口を開いた。

「わかった。もう何も言わないよ。
ただ、最後に確認させて欲しいんだけど――――」

そこで一度言葉を切り、思案するかのように目を伏せる。
言うべきか言わないべきか迷っているのだろうか。
しばらく躊躇していたが、決心したのだろう、横島の目を見据え、尋ねた。

「使えないのは文珠だけなんだね?
霊能自体に……影響は無いんだね?」

その言葉に横島とタマモの表情に影が差した。
目を閉じ、何かを考えている横島を、タマモが不安げに見つめている。

「……ええ、それは大丈夫です。
美神さんみたいな事には……なりませんよ。」

俯いたままそう呟いたが、神父とタマモが心配気に自分を見ている事に気付き、慌てて手を振った。

「や、やだなー、心配しすぎッスよ!
それにさっきの霊波刀見たでしょ?
今の俺なら文珠が無くても充分戦えますって!」

重苦しい雰囲気を払拭しようと、不自然なほど明るい口調で胸を張る。
先程の、まるで物質かと見紛うほどの霊波刀は、霊力を精密に操れなければ無理な代物だった。
恐らく文珠を精製する力を取り戻そうと鍛錬を積み重ねてきたのだろう。
目的の文珠は精製できないようだが、その鍛錬が無駄になる事は無い。
放出した霊力をコントロールする技術はかなりの腕前に達しているようだった。

「……そう、だね。
昔から、自分の体のことは自分が一番わかると言うしね。
でも何か霊能に違和感を覚えたら、すぐに相談してもらえるかな。
令子君の二の舞いには……なって欲しくない……」

神父の言葉にビクリと横島が体を震わせた。
ぐっと両腕を強く掴み、体を抱きかかえるように背を丸める。
微かに横島の体が震えている事に気付き、タマモが横島の表情を覗き込んだ。

「横島……?」

タマモの心配そうな声にハッと我に返り、慌てて頷く。

「わ、わりぃ……ちょっと考え事しちゃったよ。
神父、もちろん何かおかしい事があったらすぐ相談しますよ。」

不審な顔をしている二人から逃げるように、横島が席を立った。

「じゃ、俺はそろそろ寝るんで。
選抜の件は、また明日話しましょうや。」

そう言い残すと、さっさと居間を後にしてしまった。
残された神父とタマモは、まるで逃げるように出て行った横島の態度に首を傾げていた。
さっきの神父の言葉は、それほど目新しい内容では無かった筈だ。

いったい何に反応したのだろうか。
二人には見当もつかなかった。

薄暗い廊下を歩きながら、ふと横島が振り返る。
居間から漏れる光が狭い範囲を照らしていたが、何とも心許ない。
その光景に感じるものがあったのか、横島の口元が僅かに緩む。
だが、それは微笑みではなく、自嘲と呼ぶ方が正しかっただろう。

「神父……意外とね、自分の体の事ってわからないもんなんですよ。
ま、俺も四年前のあの時まで……自分の体の事は自分が一番わかってると思ってましたがね。」

薄く笑うと、闇に包まれた廊下の奥へと消えていった。

去り際の横島の様子に神父とタマモは釈然としないものを感じながらも、後姿を眺めるのみで、敢えてそれを口にしなかった。
仮に問い詰めた所で何かを話すとは思えなかったし、一日を過ごして感じた横島への違和感が胸にもたげて離れず、二人はじとついた気持ちでそれぞれの自室へと戻っていった。










神父には珍しくコーヒーを淹れると、右手で持ったカップを覗き込みながら、先程の横島の様子を思い返していた。
狐火に囲まれ、今にも焼き尽くされそうだというのに、どこか他人事のように炎を眺めていた。
自暴自棄になっているのかとも考えたが、違う、としか思えない。

彼も、もう23歳なのか。

コーヒーを口に運びながら、ふと、自分がそれくらいの年齢だった頃を思い出す。
その頃の自分はどうだったろうか。果たして、品行方正な若者と言えただろうか。

美智恵や公彦と出会ったあの頃。
信仰を見失いかけ、やさぐれて場末の喫茶店でインベーダーゲームに興じつつ、煙草をふかす日々。

美智恵や公彦との親交のきっかけとなった、あの夜の事件を思い出し、くくっと喉を鳴らす。
思えば、随分と無茶をしたものだ。

――――ああ、そうか、そういう事かと神父はうなずく。
彼はもう自分が知っている少年ではないのだ。

彼がこの四年間で何をし、考え、生活して、得た経験。
自分には知りようも無い。
だがそれは、良くも悪くも彼の糧となり今に繋がっているはずなのだ。
そう、どん底から信仰を取り戻せた自分と同じように。

もしも彼が悪い方向に進もうとしているなら、年長者の自分がそれとなく引きとめよう。
そのために、主は彼をこの教会へ導いたのかもしれない。

神の御心に思い至り、何時しか神父の心にのしかかった重荷は消えていた。





同じ頃。
空調の低い音だけが響く中、タマモはベッドに体を投げ出し、ぼんやりと白い天井を眺めていた。
右手を高く上げて、こぶしを開く。
軽く火を起こすと、すぐにまた消して、握り締める。
狐火、それはタマモの特性と言っていい。
だがそれは身を守るためのものであれ、無闇やたらと使うものではない。
GS協会に規制されるまでもなく、そうあるべきだと自戒をかけてもいた。

少なくとも、この教会に来てからは。
だが先ほどは神父が止めてくれなければ、本気で横島を焼き尽くしてしまっていたかもしれない。
一瞬、肉が焦げる匂いが脳裏をよぎり、ぞくりと背筋に寒気が走る。

感情で行動するなど自分らしくない。
そう自覚しているにも関わらず、何故あれほど感情を高ぶらせてしまったのか。

認めたくないが、薄々気が付いていた。
横島が戻ってきたことで、四年前の生活に戻れるのではないかと、心のどこかで微かに期待していたのに違いない。
だが、当の横島はそんな事考えもしていないのか、ふらふらと自分勝手な振る舞いをただ繰り返すばかりだった。
それがどうしようもなく悔しかったのだ。

今更昔には戻れやしない。
そんな事くらいタマモとて充分理解していた。
しかし、それでもなお、横島なら何とかしてくれるのではないかと、淡い期待を抱いてしまったのだ。

だがあの後、汗を流そうとシャワーを浴び、ゆったりとベッドに横になっている今。
こうして冷静な頭で考えてみれば、自分の勝手な期待を押しつけられた横島はいい迷惑だっただろうと思える。

――――うん……さっきの事もあわせて……明日、ちゃんと謝らなく……ちゃ……

日中の疲労のためだろうか。
すぐに室内からくうすうと、静かな寝息が聞こえてきた。




















何時の間に眠ってしまったのだろうか、タマモがふと目を覚ますと、すでに窓の外は明るくなっていた。
だが、まだ完全に日が昇っている訳ではなく、街には静けさとうす暗さが残る。
後2時間は眠れるだろうと、寝惚けた頭で計算し、また目を閉じる。

と、その時、微妙な違和感に気付く。
枕の感触が普段と違うのだ。

目を閉じたまま枕をまさぐると、普段のクッション枕ではなかった。
だが意外と寝心地は良いので、気にせず寝返りをうつ。
普通なら目を開けて確かめようとしただろうが、低血圧のタマモは朝はまともに頭が働かなかった。

ごろりと寝返りをうったが、丸めた膝に不思議な感触を感じ、うんと寝惚けた頭で考える。
膝に当たっているのは、固いような柔らかいような、あまり他では覚えが無い感触だ。
例えるならゴム、と言いたいところだが、ゴムにしては温かみがあるし、芯が固い気がする。

少し頭が目覚めかけた所で、すぐ側に自分以外の寝息がする事に気が付いた。
流石に驚き目を開けると、横島の寝顔が目の前にあった。

さっき枕の感触が違うと思ったのは、横島の伸ばした腕を枕にしていたのだ。
あまりの驚きに口をパクパクさせるが言葉が出ない。
どう考えても自分のベッド、だが何故か隣には横島。
驚かない方がどうかしているだろう。

恐る恐る布団をめくると、横島はティーシャツにトランクスだけの姿で横になっている。
そして、さっきから、膝に当たっている固いもの――――

視線だけ膝の方に動かし、その正体を知った瞬間。
早朝の穏やかな住宅街を、つんざくような悲鳴が切り裂いた。










「いや、その、まあ何だ、驚かせてスマンと思っとるよ。
という訳で、ロープをほどいて欲しいんだが。」

ソファーに縛り付けられた横島が口を開く。
かなり本気で殴られたのか、顔面痣だらけだった。
肩で息をしながらタマモが、両拳についた血を拭っている。

拭い終えると、さめざめと涙を流しながら、今度は膝をごしごしとタオルで擦り始めた。

「おいおい、生理現象なんだし、そんなに気にすんなよー。
女の子にはわからんかもしれんが、男ってのは寝起きは元気になっちゃうもんなんだぞー。」

横島は明るくあははーと笑っているが、タマモは横島が笑えば笑うほど、よりどんよりとしていく。

「何で、何で人のベッドに潜り込んでるのよぅ……うぅぅ、汚されちゃった……」

半分泣きながら、責任とんなさいよと言いたげに、キッと横島を睨んでいる。
うむ、と大袈裟に頷くと横島は説明を始めた。

「いやな、一次試験の筆記試験なんだが、俺は知識には自信無くてさ。
GS協会で働いてるお前なら、俺よりもその手の知識が豊富だろうし、教えてもらおうと思ってな。」

「……それが何で、人のベッドに潜り込む事につながるのよ……」

心底タマモが呆れて問いかけると、横島は当たり前の様に答えた。

「ああ、タダで教えてもらうのも悪いからと思ってさ、体で前払いをしようかなと。
まあ、ぶっちゃけるとアレだ――――」

最高に爽やかな笑顔を浮かべると、横島は高らかに良く通る声で宣言した。

「――――夜這いに来ました!」

ブツン、と。
タマモは何かが切れる音を聞いた。

「そぉぉれぇぇがぁぁ……
 それが!人に物を頼む態度かぁぁぁぁ!!!!」

激昂したタマモの周囲に無数に火の玉が出現する。
歪んだ空間に灯る炎に照らされ、タマモの表情が揺らめく。
その顔は、まるで悪魔のようで――――

「ちょ、冗談だってば!
いや、そんなマジに怒らないで――――って熱ァァァァァァ!!」

横島の悲鳴が響く中、神父はタマモの部屋の扉にもたれ、疲れた表情で眉間を押さえていた。
流石の神父も今回は仲裁に入る気力が湧いてこないのだろう。
大きく溜め息をつくと十字を切り、朝の祈りを捧げるべく礼拝堂へと歩いていった。

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