ある冬の日の情景

作:G・J・G


「なんだかなぁ〜」

 そんな言葉を溜息と共に吐き出してみる。吐き出したからといって現状が変わるわけでもなかったが、とにかく吐き出してみる。深々と。

 淡い金髪に薄いブルーの瞳。明らかにイタリア系の端正な顔立ち。標準的な詰襟姿であるだけに、それらの特徴が否応なく浮き立って見える。そんな少年。

 始業前の幾分ざわついた廊下を、憔悴した空気を漂わせながら歩みつつ、もう一度嘆息。

 風習というものは、多くの場合それに馴染まずに暮らしてきたものにとっては、煩わしさよりもむしろ困惑を呼び起こすものである。

 しかし、たとえそれがどれほど不合理――というより不可解な代物だったとしても、そこに厳然と、これ以上なく厳然と慣習化しているからには付き合わざるを得ない。幾ばくかの諦観と共に。

 普段よりも余計に『荷物』を抱え、馴染みの教室へと向かうピートことピエトロ・ド・ブラドーの脳裏にぼんやりと思い浮かんだのは、大体そのようなものであった。思い浮かんだところで、何ら救いになりはしなかったが。















 迂闊といえば迂闊だったかもしれない。

 今日がその風習――というほど本来歴史ある行事ではないらしいが、感覚的にそのような――が執り行われるべき日であったことにピートが気付いたのは、下宿先の教会を出て数十メートルほどの地点であった。

 気付いたところで、既に手遅れではあったが。

 つまるところ、風習の方から目の前に踊り出てきたのだ。率先して。疾風の如く。

 最初の接触から先はあまりよく覚えていない。怒涛としか表現しようのない風習の攻勢の前に、それほど時間をかけることなく感覚が麻痺してくれた。

 ただただ機械的に、断続的に襲いくる――としか思えなかった――それらに応対し続けた挙句、ようやくのことで辿り着いた学校。

 そこで待ち受けていたのは、洪水であった。風習の洪水。

 校庭のそこかしこから、文字通り津波の如く押し寄せてくる風習の大群。大群。大群。

 微妙に泣き出したい心地で、去年同様下駄箱まで覆い尽くす風習の荒波を突破し、一種ゲリラ的な――他に表現を思いつけない――廊下を踏破し、ようやく見慣れた教室のプレートが視界に入った頃には、疲労のためか胸のあたりに妙な圧迫感まで覚えている始末。

 そしてただ、一日の始まりだけで相当に消耗してしまったということを、虚しく悟る自分がいた。というより、悟るしかなかった。

「あれ?」

 足取りも重く、せめてさっさと教室に入ろうとしたところで、視界の隅に引っ掛かるものがあった。見知った姿――というべきなのかどうか――とにかくそのような存在が、廊下の窓際に陣取っている。

 全木製の、古びた教室机。

 それが単なる学校の備品ではないことをピートは知っていた。が、この時間にわざわざ教室の外に『居る』理由までは思いつけず、とりあえず声を掛けてみる。

「愛子さん……?」

 ぴくりと――人間で言えばそのような気配を発し、唐突に机から浮かび上がるものがあった。

 現れたのはごく見慣れた馴染みではあった。生真面目さを感じさせる顔と腰まで届く黒髪。何処か古風な印象の、セーラー服姿の少女。それが教室机の上にちょこんと腰掛けている。どことなく表情を引きつらせながら。

「え〜と、その……おはよう。ピートくん」

「おはようございます」

 何故か自分を見た途端、更に表情を引きつらせたように見える少女を訝しみながらも、とりあえず挨拶を返す。

「どうしたんですか? そんなところで?」

「ちょっと……ね。教室に居辛いというか……なんというか……。とりあえず、ご愁傷様と言っておくわ。多分、これも青春の一ページだとは思うわ。うん。きっと」

「はぁ……?」

 今ひとつ意味のよく分からない答えに、ピートはさらに怪訝の色を強める。

 と、そこで彼女の視線が自分の手元に向いているのに気付く。気付いてしまえば、推測は容易であった。つまりそういうことであろう。

「あの……もしかして、これがらみですか?」

「まぁ……それがらみよ」

 曖昧な問いに対して、返答もまた同様であった。同時にそれだけで十分ではあった。

 そこに何があるというわけでもなく、しかし他にどうしようもなく、ピートは天を仰いだ。天井に等間隔で並ぶ蛍光灯に照明以外の意味を見出そうとして、挫折する。あるはずはなかった。果てしなく。

 そのまま、かくりと項垂れる。

「……もうすでに処理しきれない量なんですけどね。これ」

 ぼやきつつ、それでもなけなしの義務感――あるいは諦観――を伴い、扉の前に立つ。のしかかる疲労感を振るい落とす気にもなれず、扉に手を掛ける。

 あるいはそれ故であったのか――

「…………少し勘違いしてるみたいだけど、まあ……行けば分かることだし。がんばってね」

 呆れとも憐憫ともつかないその愛子の言葉は、ピートの耳に届いてはいなかった。



















「ん?」

 扉に手を掛けたところで、違和感を覚える。あるはずのものがない。そんな感覚。

 普段教室を満たしているはずの喧騒が伝わってこない。

 が、別段無人というわけでもないらしく、雑多な気配は感じられた。ついでに無音というわけでもなかった。物音はする。声――らしきものも聞こえる。が、何かが違う。

 そして、胸の辺りに圧迫感に加えて何故かむず痒さまで覚え始めている。じくじくと。断続的に。

 得体の知れないものを覚えつつ、しかしこのまま入らないわけにもいかず、意を決して扉を開ける。

 ガラリという音と共に、閉ざされていたものがあらわになる。あらわになったところで、ピートは硬直した。完全無比に。

 そこに広がっていた光景は、予想外の代物ではあった。だが、同時に予想して然るべき光景でもあった。

 最初に認識したのは金属質の音であった。無闇に規則正しく精密に、陰々と室内に木霊する打撃音。

 室内に雑談はなかった。クラスメイト達の殆どは、教室の後方で一塊になって顔面を引きつらせている。

 ピートの正面――教室の前方にいたのは、二人だけであった。二人並んで黒板を睨みつけている。正確には、黒板に縫い付けられた物体を。

 音の発生源はそれであった。二人の眼前に、まったく同じようにある『それ』は、まったく同時に、そしてまったく同じ音を響かせている。二人の振り上げる工作道具によって。

 見知った――知り抜いている二つの顔。それがピートの白濁する視界の中央に屹立している。問答無用に、情け容赦なく、そびえている。

 一人は中肉中背。額に赤いバンダナを巻いた、よく見ればそれなりに整った顔立ちの少年。

 一人は見上げるような巨躯に、猛獣じみた、それでいて独特の愛嬌を感じさせる強面の少年。

 対照的な二人の顔に張り付いていたのは、しかしまったく同質のものであった。ねっとりと黒々しく、爛々と輝いているような、そんな表情。

 彼らは同時に打撃音を響かせつつ、ピートの眼前で繰言を紡いでいた。陰鬱に。どす黒く。

「ピートに地獄の苦しみを与え給え〜〜……!!」

 ――スコ〜ン!

「死ネ〜〜! ピートさ〜〜ん……!!」

 ――スコ〜ン!

 えんえんと、冥府の底から湧き出してくるかのような呪詛と、ワラ人形に打ちつけられる釘の響きに脳髄を揺さぶられながら、ピートは戦慄いていた。全身から脂汗を噴き出し、がくがくと痙攣している。

 正しくその言葉通り、地獄のような意識の中で浮かび上がるものがあった。それは至極根源的なものであるように思われた。今の自分が、必然として抱くしかないと確信させる、意志。

 それは概ね、恐怖とか呼ばれるものであった。

 ただそれの命じるままに、声を絞り出す。 

「あ、あの……横島さん……タイガー……」

『なんや〜〜』

 返答は同時だった。ギギィ……と、何となくそんな音が聞こえてきそうな動きでこちらに首を巡らせてくる。

 完全に据わった眼差しで、こちらを凝視してくる二人。腰が砕けそうになるのを無理矢理堪えつつ、左手に提げていた紙袋を二人の前に恐る恐る掲げる。

「た、食べます? チョコ」

 とりあえずその行為は、大きく報われた。

『いらんわボケェェェェエェエェェ――――!!』

 大きく、これ以上なく巨大な、鼓膜を突き破らんばかりの絶叫でもって報われた。

























「チクショー! チクショー! チクショ――!! やはりマルクス主義は死んだ――っ!! あれか!? そんなに富の偏在を見せびらかしたいか!? えぇ!!?」

「ピートさん……少しいい気になりすぎジャないんですカイノー……?」

「あぁあああぁあぁあぁぁあっ!!」

 怒号と呪詛と悲鳴が響き渡る教室内。それを扉の陰から恐る恐る覗き見、大体予想通りの結末を遂げつつあることを確認し、愛子は嘆息した。

 彼女の視線の先では、タイガーに羽交い絞めにされたピートの頭部を、横島が両の拳で挟み込みぐりぐりとえぐっている。

 繰り広げられる狂乱の宴をとりあえず視界から外し、そっと手元を見やる。

「朝来るなりアレじゃ……ね。渡すに渡せないじゃない……」

 綺麗に包装されたハート型の物体を指先で弄びながら、呟く。

 去年、こっそりと彼の下駄箱に入れておいたために、無駄な騒動を引き起こしてしまった『それ』。

 今年こそは直に渡そうと、数日前から意気込んでいたもの。

 それにも関わらず、結局今に至るも渡せずにいるもの。

 登校してくるやいなや、タイガーと共に儀式を執り行い始めた彼の姿を思い出し、ついでにその後、廊下で微妙にたそがれていた自分自身を顧み、浮かんだものは唯一つであった。

 臆病であるということ。

 手元のそれに似た、苦甘い気分で胸中が満たされるのを自覚し、再び嘆息。

 ただ――

 何となく、これもバレンタインの風物詩ではあるのだろうという思いはある。そこはかとなく。

「ま、これも青春ってことで……いいのかな?」

 とりたてて救いを得たというわけでもなく、しかし諦観とも異なるものを思い抱き、もう一度教室を振り仰ぐ。

 いずれにせよ、今やることは決まっている。

 刻々といや増していく絶叫を耳に、いい加減二人を止めに入るべく、愛子は教室に足を踏み入れた。













 ちなみに、いつの間にか自分の鞄の中に入っていたチョコの存在に横島が気付いたのは放課後のことだったりする。ついでに、贈り主が誰であったのかを知ることになるまでに、また一悶着あったりするのだが……

 それはまた、別のお話である。





 完











 あとがき

 皆様こんにちは。G・J・Gです。

 思いっきり馬鹿話ですw

 ちなみにこの話もかつて「夜に咲く話の華」に投稿していたものの改訂版になります。

 とりあえず、笑っていただけたなら幸いです。


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