ストーカー犯罪という言葉をよく聞くようになりました、またちょっと前までは援助交際という言葉が氾濫してました
いろいろありますが、もともとはこんな名詞なかったはずです、こういう現象はずっと前からありましたが
援助交際ですが、名前がつくまでは「少女売春」とか「未成年売春」という呼び方をされていました
その当時、なんで彼女たちがそんなにお金に困っていないのにこんなことをするのかが大変問題になりました
しかし、今、援助交際という言葉が確立すると、そんな問題はなくなってしまいました、これはその行為に固有名詞がついたから
固有名詞がつくことによって、なぜか皆がその行為をわかった感じになり、援助交際=金のための未成年売春という図式になりました
でも考えてみてください、もし本当にお金に困ってる未成年の人が援助交際をしたとして、それを新聞でみるとどう感じるか
「再び、援助交際が表面化!」とか新聞に書かれた日には、世間の人々は「ま〜た、馬鹿なことをはじめたな〜」という感じになります
本人は真剣に考えてるかもしれないのに、援助交際という名詞がもつ印象がそれを打ち消してしまいます
正直な話これは怖いことです
ストーカー犯罪もある意味同じでしょう、別に犯罪者を弁護する気もありませんが、犯罪者にもピンからキリまでいます
女性を追っかけまわした上に、思い余って無理やり性行為に及ぼうとしたり、勝手にイメージを重ねて合わないからといって殺したり
もしくは、ただ単に純粋に好きだけど相手がお嬢様すぎて手が出ないので影ながらずっと眺めてるだけの人だっています
この2種類ですが、殺すのと覗いてるだけでは当然重さが違います、でもストーカー犯罪という固有名詞はそんなことおかまいなしです
女性を追い掛け回した時点で、この2種類の人はまったく同じ種類の人間として扱われるのです
たしかにストーカーではあり、実際女性を追いまわしたが、まったく同じのストーカー犯罪として扱うには違いがありすぎる2者だが
これを新聞なんかで読むと、さも女性が迷惑したように書かれるのは同じであり、
あまつさえ、まだ起こってない先の展開まで書き加える始末だ、「この先、彼はもっと危ない行為に及んだだろう」などである
誰が予想できますか?その人は本当にその女性を純粋に好きで、もしかするとその後、暴漢に襲われたところを逆に助けたかもしれない
俗にこのようなことを「ネーミング」といいます、それまで起こったことがなかったものを、名前をつけて解決させる方法です
援助交際やストーカー、セクハラなどもそうでしょう、いま会社でなにが面倒といって、セクハラ問題もその面倒のうちの一つだと思う
セクハラというのは実際になにをさすのか、本当にわかっている人はいないと思います
ただたんに、セクハラという名前が定着したことによって、ただなんとな〜くわかったような気がする人が増えただけです
「このごろ色気が出てきたね〜」といっただけでセクハラです、という人がいるかと思えば
胸を触られてようやくセクハラですという女性OLもいます、いったい基準は誰が決めてるんでしょうか?
そして今一番問題になってるのが「幼児虐待」とそれに関連して「アダルトチルドレン」と呼ばれる人たちでしょう
一番疑問なのが、「私はアダルトチルドレンなの」という発言をする人がときどきいることです
直訳すると「大人子供」、もっと簡単にいえば頭がたりない馬鹿な大人のことです
それをなぜ彼らはあんなに誇らしげに言えるのでしょうか?それは多分、ネーミングのせいでしょう
もし仮に「アダルトチルドレン」という名前ではなく「脳の足りない馬鹿大人」とかいう名前だったとしたら
まず間違いなく「私は脳の足りない馬鹿大人なの」と誇らしげに言える人はいないだろう
なんで「アダルトチルドレン」などという間接的な名詞にしたのか私はすごくこの名詞を作った人を問いただしたい
ネーミングとはつまり、特定の種類の行為や物事に名前をつけることだが
これによって馬鹿みたいに世の中はまわっている、そしてその一つ一つが完璧といえるものではない
上記に書いた例ばもちろんのこと、ほかにもいろいろと問題が発生している
例えば「癒し系」、正直、何のことかさっぱりわかりません、というか心の癒しとかよく耳にしますが
心の癒しなんていうのは普通、人にしてもらうことじゃないでしょ、普通は自分が時間をかけて納得して解決する問題です
それを癒し系とか心の癒しとか、名詞をつけることによってさも本当に効果があるらしくしてしまっています
たしかに名詞によって影響を受ける人には効果があるかもしれませんが
私みたいにへそ曲がりに生まれて、実際にやってみて初めてそれがどういう効果なのかを見るタイプの人間だと
癒し系=本当に癒すものにはならず、反対に世間でこれは違うだろ〜、とか思うものから思いもかけず癒されてしまうこともある
正直な話、名前を付けることによる納得というのはたしかに必要なものなのかもしれない
だが、納得=解決ではないはずであり、援助交際というものが名前がついたからなくなったわけでもなく
ストーカー犯罪が名前がきまったから減るわけでもない、本当に必要なのは名前をつけた後の対処法なんだが
良いのか悪いのか、なぜか名前がつくと半分解決した気分になってる人が多いのはなぜだろうか?
名前というのは大事だが、その名前というのが必ずしもその本来の姿をすべて浮き彫りにしてるものではないことに気をつけよう